百十三話 事態の報告
リフリケを連れて、ターンズネイト家が借りている屋敷に帰ってきた。
早速、今日の事態を家令バルチャンに伝えると、すぐにヘプテインさんたちと面会になった。
「貧民街での騒ぎは、この耳に入っている。急な突風と竜巻が起きたとのことだが、その原因はやはり?」
「はい。魔導師らしき、赤い服の男の仕業です」
そう答えると、ヘプテインさんは頭が痛い様子になる。
「吾の祖先が、開拓の救援を要望した際には派遣されなかったのだがな。まさか、魔物の剥製の競売ごときに、魔導師がしゃしゃり出てくるとは、思いもよらないことだ」
悩ましげなヘプテインさんに比べて、妻のミッノシトさんは気楽な感じだ。
「当家と魔導師たちは、双方共に毛嫌いしていますもの。このような事態も、あり得るのではありませんの?」
「無くは無いと覚悟はしてあったが、それが現実になれば、多少は思い悩まずにはいられないものだ」
ヘプテインさんは苦々しく言った後で、バルチャンを手で呼び寄せる。
「この町にいる貴族の情報を収集せよ。特に、魔導師と懇意にしている家をだ。いまなら、町での騒動の火消しに、件の赤服魔導師の雇い主が動いているはずだ。手がかりを掴め」
「畏まりました」
バルチャンが部屋を去ると、今度は護衛の人を呼び寄せる。
「貴族の家に、魔導師が押し入ってくるなどは、あり得ないことだ。しかし、町で騒動を起こすような考えなしだ。強く警戒をするように。そして、吾らの脱出の手はずと、逃走経路の確認も怠らないように」
「はっ、畏まりました!」
護衛の人も部屋を去っていった。
粗方指示を終えたヘプテインさんは、イライラとした調子で、机を指先で叩き始める。
そして、隣にいるミッノシトさんに、愚痴や相談といった感じで話しかける。
「ここまで虚仮にされたのならば、海の魔物の剥製を落札せねばな。だが、競売の日まで、あと何日かある。その間は、全員屋敷に引き篭もるのが上策か?」
「どうでしょう。当家が競売に出てこれなくするために、擁した魔導師を行使することも辞さない相手ですわ。閉じこもったとしても、あの手この手を仕掛けてくると思いますわよ」
「ならばどうするのだ?」
「あら。重大な物事を決定することは、当主の仕事ではなくて?」
「……まったく。少しは、吾を甘やかしてくれてもよいのではないか?」
「うふふっ。わたくしが甘やかすのは、このお腹を痛めて産んだ子だけですわよ。むしろ、あなたがしっかりとなさって、わたくしを甘えさせてくださいましね」
仲睦まじい夫婦の会話って感じで、部屋に残っている俺が場違いな気がしてきた。
なので、こっそりと退出しようとする。
でも、ヘプテインさんに呼び止められてしまった。
「待ちたまえ。君には改めて、シャルハムティの護衛を依頼したく考えている」
「えっ? どういうことですか?」
シャンティからの依頼は受けているから、改める必要はないと思うんだけど。
話が理解できずに首を傾げると、ヘプテインさんから詳しい説明がやってきた。
「魔導師が出張ってくるとなると、依頼の内容を変更せねばならん。単なる町の悪漢からシャルハムティを守るのとは、困難さに雲泥の差があるのだからな」
「要は、依頼内容変更に伴う、再契約の交渉をしたいということですわ」
「再契約、ですか?」
一度受けた依頼でも、内容の変更によって、再契約が行われるなんて知らなかった。
たぶん、そうあることじゃないんだろうな。
初めての事態に、どう対応したらいいのか困る。
すると、ヘプテインさんが、再契約の交渉を始めた。
「君は、あの影武者――リフリケを抱えて、魔導師から逃げ切ったそうだな。その逃走手腕があれば、次に魔導師に襲われたとしても、シャルハムティを無事に帰すことも可能であろう?」
出来るか出来ないかでいったら、たぶん出来るだろう。
けど、魔導師を相手にしたのは、先の一回だけなので、確証はない。
「はい。不可能では、ないと思います」
自信がないため言葉を濁したんだけど、ヘプテインさんはそう受け取らなかったようだ。
「うむ、不可能でないのであれば、心強い。では、明日からも、シャルハムティの護衛、そして影武者を連れての首謀者の炙り出しを、引き続き頼むことにする。むろん、それ相応の謝礼は弾む」
「働きに応じて、金貨をたんまりと。それだけでなく、当家が用意できるものであれば、お渡しいたしますわ」
破格な条件に、俺はとても驚いた。
だって、今までとやることは代わらないのに、貰える貨幣の色が変わることになったんだから。
けど逆を返せば、ヘプテインさんたちのような貴族でも、魔導師を恐れるあまりに大金を払うということでもある。
俺はもろもろの事情を考えて、恐る恐るヘプテインさんに尋ねることにした。
「あの、質問なのですが。競売に行くのを取りやめて、領地に戻ったほうが良いのではないですか?」
危険があるなら、そこから立ち去るのは当然の対応だ。
ヘプテインさんたちが領地に帰れば、お役ご免になった俺にお金は入ってこなくなるけど、気心が知れたシャンティの安全の方が重要だ。
そんな事を考えての質問だったのだけど、ヘプテインさんは首を横に振る。
「残念ながら、そうはいかん。ここで競売にでなければ、吾が腰抜けという評判が、貴族の間に流れることとなる。そうなれば、当家だけでなく領民たちにも、災いが降りかかるやもしれん」
「魔導師が相手でも、そんな噂が流れるんですか?」
「当然だ。敵を前に逃げたのであれば、それは臆病者と呼ばれることとなる」
「人の上に立つべき貴族とは、勇敢でなければいけないのですわ。でなけば、領民もついてきませんし、同盟の貴族たちにもそっぽを向かれてしまいますわ」
ミッノシトさんの補足説明を受けても、俺は納得しがたく思った。
けど、二人はどうあっても競売に行く気だとは、理解した。
なら、シャルハムティと、その影武者であるリフリケを守ってあげる存在は、必要不可欠だ。
いまから、見知らぬ誰かに役目を譲るぐらいなら、俺がやるべきだろう。
「分かりました。護衛の再依頼、お受けします」
「うむ。そう言ってくれると思っていたぞ。ではとりあえず、期間は競売が終わる日までとするが、依存はないか?」
「ありません」
俺が返事をすると、ヘプテインさんは新たな羊皮紙を取り出し、文字をさらさらと書き始めた。
書き終わったそれを、ミッノシトさんが手に取り確認し、俺に羽ペンと一緒に差し出してきた。
「では、この部分に署名を」
俺はざっと契約書を見て、内容を確認する。
話し合ったとおりの文句がならんでいるだけだったので、示された場所に、自分の名前を書き加えた。
すると、ミッノシトさんはにっこりと微笑む。
「これで、再契約は完了ですわ。そうそう、シャルハムティがね、君がまだ帰ってこないのかって、ふて腐れているの。ご機嫌を取りに向かってくだっても、いいかしら?」
硬い話はこれでお終いといった感じに言われ、俺は知らずに入っていた肩の力を抜いた。
「はい、わかりました。じゃあ、シャルハムティさまのところに、いってきます」
「今日一日、部屋でお勉強ばかりさせていたから。今日一日何をしていたのかと、質問攻めにされると思いますわよ」
ミッノシトさんから助言を受けて、俺は部屋を辞した後で廊下を歩きながら、何を話そうかとあれこれと考え続けたのだった。