百九話 剥製工房にて
剥製工房に着くと、その出入り口付近に何人かの人影が見えた。
何をしているのかと様子を窺うと、どうやら工房の中を盗み見ようとしているようだ。
「あの人たちは恐らく、競売に参加する人たちに、どんな物が出品されるか探るように言われたんでしょうね」
「なるほど。言うなら、ヘプテインさんの競り相手が雇った人ってことか」
そして、こうして盗み見ようとしているからには、工房の中に入ることは出来ないんだろうな。
海の魔物がどうやって剥製になるか興味があったけど、この調子じゃ諦めるしかないか。
シャンティと共に踵を返そうとしたとき、工房の扉が勢いよく開け放たれた。
「お前ら! 毎日毎日、いい加減にしろ!! 鬱陶しいわ!!」
中から出てきたのは、ボディービルダーみたいな、スキンヘッドで筋骨逞しい大男。
皮のエプロンと手袋をしているから、この工房の職人なんだろうな。
そんな男の怒声を受けて、周囲に集まっていた人たちは萎縮するかと思いきや、逆だった。
ワッとその職人の周りに集まると、口々に要求をし始める。
「お願いです! 作業中の物を、一目見せてください!」
「見せるのが無理なら、せめてどんな形の海の魔物なのか、教えてくれるだけでいいですから!!」
自分勝手な言い分に、職人の禿げ頭に青い血管の筋が浮かんだ。
「ええい、ダメに決まっているだろ! 散れ散れ! 作業の邪魔だ!!」
口での警告はこれで最後と言いたげに、スキンヘッド男は腕を振り上げる。
あの太い腕で殴られてはたまらないと、集まっていた人たちが一斉に逃げ始めた。
スキンヘッド男は息を荒げながら周囲を見回し、やがて俺とシャンティに目を向ける。
「お前らも、工房の中を見にきた奴らか!!」
怒り心頭な感じで、ずんずんと足音を立てて、こちらに向かってきた。
俺はシャンティを背後に匿いながら、スキンヘッド男の前に立つ。
「はい。剥製がどうやって作られるのか、興味がありまして」
「はん、嘘を言うな。どうせ、お偉い貴族や、生意気な豪商に、どんな魔物を処理しているのか調べるように言われたんだろうが!」
至近距離で、ぐあっと大口を開けての大声に、耳が痛くなった。
俺は耳を手で揉みながら、言い返す。
「別に俺は、海の魔物には興味はないですよ。なにせ、つい数日前まで、見飽きるほどに見てきましたし。きっと、あなたの工房で処理されている魔物も、見たことがありますよ」
「ああん? それが本当なら、どんな魔物か言ってみろよ」
スキンヘッド男の求めに応じて、俺が同乗した高速馬車に入っていた、海の魔物の姿形を知る限り小声で伝えた。
一つ二つ伝えるだけだと訝しげにしていたが、五つを超えたあたりで、もういいと手で制された。
「疑って悪かったな。たしかに、あんたは海の魔物について詳しいらしいようだ。もしかして、サーペイアルの冒険者か?」
「少し前までは。いまは、別の場所に移動するつもりで、この町に少し滞在中です」
事情を話すと、スキンヘッド男は、俺とシャンティをしげしげと観察する。
そして、なにか納得した様子で、工房の方向を顎で指した。
「お前さんたちなら、見せても問題ないだろう。中を案内してやるよ。ただし、剥製作りの最中だからな、静かにしててくれよ」
有り難い申し出だけど、いいのかなと、俺とシャンティは顔を見合わせた。
けど、スキンヘッド男は、俺たちに構わずに、工房の中へ入ろうとしている。
置いていかれては、折角のチャンスが不意になると、俺たちは慌ててついていった。
そのとき俺の背中に、中の様子が見れなかった人たちからの、恨めしい視線が向けられていることを感じた。
けど感じていたのは、工房の扉が閉められて、チェーンつきの鍵が四つかけられるまでだった。
工房の中は、整理整頓が行き届いていたけど、どこか解体場を思わせる内装になっていた。
そう思ってしまったのは、壁に大きなノコギリや剣のような包丁がかけられ、薬品の臭いのするプールみたいに大きな水槽があるからだろうな。
そんな工房の中では、五メートルぐらいあるカサゴを大きくしたような、海の中型の魔物に職人たちが取り付いていた。
なにをしているのかと見ていると、裂いて内臓が抜かれた腹の中に綿のような物を詰め、その後で糸で縫い合わせているみたいだ。
魔物から薬品の臭いがするし、腹から見える肉の色が変化しているから、きっと防腐処理は終わっているんだろうな。
その防腐処理で濁ってしまったらしき目は、職人によってくり抜かれ、元の色と同じ鉱物を代わりに入れている。
一方で、一メートル以下の小型の魔物も、剥製処理が職人一人体制で行われている。
俺たちを連れてきてくれたスキンヘッドの男の人も、こちら側の職人のようで、大きな水槽に革手袋をした手を突っ込み、小型の魔物を引き上げて作業を始めていた。
俺とシャンティは声を出さないように、興味深い剥製の作業を見続ける。
けど、十分ほど経ったぐらいで、だんだんと気分が悪くなってきた。
それはシャンティも同じようで、吐き気を堪えているような顔をする。
それはなにも、剥製作業が残酷に見えるからというわけじゃない。
水槽から漂ってくる薬品の臭いによって、段々と息苦しさが増してきたからだ。
前世で、剥製に使う薬品は、人体にとって有害なものが多いと聞いたことがある。
揮発した薬品のせいで、気分が悪くなってきたに違いない。
子供のシャンティに悪影響が出るかもしれないから、あまり長居はしちゃだめだな。
俺はスキンヘッド男に近づき、礼を言って出ることにした。
「作業を見せてくれて、ありがとうございました。もうそろそろ、出ようと思います」
「うん? もういいのか」
「ええ。気分が悪くなってきたので」
「ははっ。まあ、この臭いは、慣れないとキツイからな。だがちょっと待ってくれ。あと少しで、この魚の処理が終わるからな」
スキンヘッド男は、手早く剥製処置を終えると、俺とシャンティを外まで案内してくれた。
そして扉の鍵を一つずつ外し、勢いよく扉を開ける。
すると、俺たちが来たときと同じように、工房の出入り口に集まった人たちに、スキンヘッド男は怒鳴り散らす。
「オラァ! こんなところにたむろしてないで、真っ当に働きやがれ!!」
しかし集まっていた人たちは、俺とシャンティを引き合いに出して、スキンヘッド男を非難し始めた。
「その二人に見せてくれたんだから、オレにだって見せてくれたっていいだろ!」
「そうだそうだ! 収獲なしで帰ったら、雇い主に怒られるんだぞ!!」
「うるせえ! 知り合いだから、いいんだよ!! くやしかったら、この工房の職人と知り合いになってから言え!!」
スキンヘッド男は取り合わず、拳や蹴りで集まったヤジ馬たちを蹴散らした。
そして、俺とシャンティに向き直る。
「次に見に来るときは、海の魔物の剥製作業中以外のときにしてくれ。そうすりゃ、もうちょっと歓迎してやるからよ」
ぎこちないウィンクをして、スキンヘッド男は攻防の中に入っていった。
鍵が閉まる音を背中に聞いていると、ヤジ馬たちが今度は俺たちに話を聞きに集まってきた。
「なあなあ、どんな魔物があったか見たんだろ!?」
「教えてくれ。もう、役立たずって怒鳴られるのは嫌なんだ!」
可哀想に思わなくはないけど、ここで教えてしまったら、中を見せてくれたスキンヘッド男に申し訳なくなる。
「悪いけど、教えられない」
「そんなあ! そう言わずに!!」
「お前らだけ、ずるいぞ!!」
ヒートアップする姿を見て、俺はシャンティを背中に庇いながら、少しずつ移動する。
しかし、ヤジ馬たちは、情報を得るチャンスを逃す気はないのか、追いすがってきた。
このままだと、殴り合いに発展しかねないので、俺は強行突破することにした。
まず、シャンティをお姫様抱っこして抱え上げる。
「うわわわー!?」
シャンティからうろたえる声が上がるが無視し、次に体内の魔塊を解いて魔力を生成。
その魔力を使って、攻撃用の魔法で生み出した水を、両足の膝と足首、そして臀部に纏わせる。
そして、魔法の水のアシストで増した脚力で、ヤジ馬たちの頭上を跳び越す。
「とやあ!」
「ひぃわわわー!!?」
腕の中にいるシャンティが悲鳴を上げる中、俺は着地し、直後に勢いよく走りだす。
あっというまにヤジ馬が遠ざかるが、道を何度か曲がるまで、激走を続ける。
そうして巻ききったと核心してから、俺はシャンティを腕から降ろした。
しかし、抱えて走ったからか、シャンティは地面に足をつけるとふらつく。
「おっと、大丈夫か?」
慌てて支えると、シャンティは恥ずかしそうにする。
「は、はい、平気です。抱えられたときの揺れで、ちょっとだけ目が回っただけなので」
それなら、心配ないな。
けど、一人で歩かせて転ばれても困るので、俺はシャンティと手を繋いで歩くことにした。
「今日はもう帰るか?」
「そうですね……。まだ日が高いので、もうちょっとこの町を見回りましょう」
なら、俺は行きたい場所はないし、シャンティに進む方向は任せようかな。
そう考えて、シャンティの気まぐれに選ぶ道を、手を繋いだままで歩いていったのだった。




