百七話 早朝訓練
ヘプテインさんとミッノシトさんは、落ち着きを取り戻すと、リフリケの処遇について語り始めた。
「当家を貶めようとする騒動に巻き込んでしまったのだ。多少の便宜を図ってやらねばな」
「そうですわね。騒動が終わるまでは、食事と住む場所ぐらいは、提供することにしますわね」
二人の言葉に、リフリケが飛び上がるぐらいに喜ぶ。
「それって、毎日パンを食べて、安全な場所で寝られるってことだろ! これで、水で空きっ腹を誤魔化したり、路上で寝たりしなくていいんだ!」
そうやって喜ぶ姿に、ミッノシトさんは微笑みを向ける。
「うふふっ。パンだけでなくスープもつけますし、寝る際にはベッドをお使いなさいな」
「やったー! ありがとう!!」
単純に喜ぶリフリケを見て、俺は思わず心配になった。
なにせ、ヘプテインさんとミッノシトさんは、貸し借りにうるさい貴族だ。
リフリケに食と住む場所を提供するからには、見返りを求めてくるはずに違いないのだから。
そんな俺の予想通りに、ヘプテインさんはリフリケに喋りかけ始めた。
「それでだ。ある条件を飲んでくれれば、さらに食事を豪華にするし、ベッドに毛布もつけ、さらには給金もやろう」
「えっ! なになに、なにすればいいの!?」
あっさりと食いついたリフリケに、ヘプテインさんは微笑む。
「やってもらうのは、シャルハムティの影武者だ。そして影武者に必要な、最低限の所作と護身術も学んでもらう」
その言葉に、リフリケは首を傾げる。
「影武者? 所作? 護身術??」
どうやら、言われた内容に不満があるというより、幾つかの単語が分からなかったみたいだ。
すると、ミッノシトさんが意味を教え始める。
「影武者とは、元となる人物――この場合はシャルハムティですわね。その演技をする人のことです。所作は、貴族らしい動きと喋り方のこと。護身術とは、貴女の身を守る戦う術のことですわ」
「へぇ、そういう意味なんだ……」
リフリケは言葉の意味に納得すると、あっけらかんとした表情になる。
「なんだ、そんなことでいいなら、大して難しそうじゃないし、やるよ」
あっさりと同意したその姿に、シャンティが何かを言いたそうにする。
けど、ヘプテインさんに目で制されて、結局は口を噤んでしまった。
ヘプテインさんは、視線をリフリケに戻して微笑む。
「詳しいことは明日からにして、今日はもう休むといい。もちろん、腹が一杯になるほどの食事もつけよう」
ヘプテインさんが言いながら身振りすると、女性の使用人の一人が進み出てきた。
その女性は、リフリケの手を優しく取ると、共に廊下にでて何処かへと案内していく。
きっと、リフリケが使う部屋に案内するんだろう。
そんな事を思っていると、ヘプテインさんの視線が俺に向いていることに気がついた。
俺は姿勢を正してから、向き直る。
「なにか、ご用があるのでしょうか?」
「用というほどのものではない。シャルハムティを狙う者が、本腰を入れ始めたように見受けられる。護衛たる君には、一層の奮闘を期待する。シャルハムティに似たあの娘も、内通の兆しがないか監視しながら、使い物になるまで教育する気でもいる」
「要するに、シャルハムティの事が心配だから注意して欲しいのと、そしてあの娘の世話はこちらでするから気にしないでってことですわ」
ヘプテインさんの言葉をミッノシトさんが通訳してくれて、どういう期待をされているのかを理解した。
「お任せください。シャンティ――シャルハムティさまの身は、守り抜いてみせます」
俺の返答に、ヘプテインさんとミッノシトさんは嬉しげに頷いた。
一方でシャンティは、安心したという笑顔を、こちらに向けてきたのだった。
リフリケが影武者になることを同意した翌朝、芝生の庭園で悲鳴が上がった。
「わわわー! 死ぬ死ぬ死ぬ!!」
「渡した武器で防げば、死なぬ!」
芝の庭では、リフリケをシャンティの護衛役だった人の一人が、追い掛け回していた。
リフリケの手には警棒のような鉄の棒が握られ、護衛役の人は刃引きされた剣を持っている。
なにも、俺がされたように、リフリケの実力を試しているわけじゃない。
先ほど簡単な護身術の講義が終わって、いまは実践しているというだけのことだ。
けど、頭で理解していても体は別なので、リフリケは怖気づき、ああやって護衛の人の攻撃から逃げ回っているわけだ。
このままでは埒が明かないと思ったのか、別な護衛の人が攻撃役に参加し始めた。
「ちょちょー! こっち女! なのに、二対一、二対一!!」
「なら大人しく、攻撃を防ぐことを学べ!」
「逃げ回って生き延びることは本番では重要だ。しかし、いまは訓練だ。必要ない!」
リフリケの抗議を聞き入れず、二人がかりで護身術を叩き込みにかかる。
そんな様子をのんびりと見ていると、横から怒声が俺に飛んできた。
「バルト! こっちの相手をしてくれないと困ります!」
声の主に目を向けると、それはシャンティだった。
どうやら、リフリケが護身術を習い始めたことに触発されたみたいで、剣術の稽古を俺に頼んできたのだ。
幼い頃から剣術の授業を受けて土台はあるから、後は経験を積むだけだ、とはシャンティの弁だ。
ちゃんとした剣術を修めたいなら、冒険者の俺が相手じゃ意味がない気がするんだけどな。
そう思いながら、俺は手に持った木剣を構える。
すると、シャンティも自分の使いこんだ木剣を構えてみせてきた。
「きていいぞ」
「では、いきます!」
俺の言葉に、シャンティは宣言しながら、走り寄ってきた。
そして、突きを放つ。
大きく踏み込み、綺麗なフォームで繰り出された突きは、なかなか鋭い。
そんなシャンティの攻撃に驚きながらも、俺は自分の木剣でその突きを横に払った。
「た、たあ、てや!」
しかしシャンティは一度の攻撃で止めるつもりはないらしく、連続して突きを放ってくる。
厄介な攻撃だけど、冷静に対処すれば、防げないほどじゃない。
すると、突きだけでは俺に攻撃が当てられないと分かったようで、シャンティは突きから斬りつけてくるコンビネーションを使い始めた。
「たあ、たっ、はあ!」
「よ、ほい、っと」
けど、シャンティがまだ幼いからか、剣の速さもないし、一撃の威力も低い。
避けたり防いだりするだけなら、とても簡単だ。
しかしながら、こうやって防いでみると。
シャンティの習った戦い方は、どうやら手数で攻めて、相手を圧倒して勝つタイプなようだと気がつく。
もう少し体が成長したら、一気に化ける剣術なのかもしれないな。
俺はそんな感想を抱きながら、シャンティの切り上げてくる攻撃に、自分の木剣を強めに当てた。
「うわわっ!!」
ここまで反撃らしい反撃をしてこなかったからか、この一撃でシャンティの体が泳いだ。
その明確な隙は、稽古でも見逃せない。
「じゃあ、ここからは攻守交替な」
「えっ!? ――うわ、うわわ!」
宣言通りに、今度は俺がシャンティを打ち据えていく。もちろん手加減はしながらだ。
俺の戦い方は、魔物を素早く倒すために、一撃重視だ。
なので、シャンティが耐えられる威力と速さを保ちながらも、一撃一撃に力を乗せて打っていく。
「よっ、とや」
「くっ、うぐぐ」
俺の攻撃を防御し続けて、シャンティは少しふらつく。
けど、その目は諦めていない。
こっちの隙を窺い、見逃さないように見つめ続けている。
ならと、俺は止めを刺そうとするかのように、大きく木剣を振り上げる。
そうやってわざと作った隙に、シャンティは飛び込んで、攻撃を繰り出してきた。
「たあああ!」
それは、ここまでで一番に鋭い突きだった。
これを一番最初に放たれていたら、一撃食らっていたかもしれない。
けど、今は来ると予想しているため、避けるのは簡単だった。
「よっ――とお!」
木剣の突きを避けながら、俺はシャンティの眼前に拳を寸止めした。
すると、シャンティの顔が攻撃を避けられた驚きから、攻撃を食らいそうになった驚きに変わった。
「わわ、うわっ!!」
足をもつれさせて、シャンティは尻餅をつく。
その姿に思わず微笑んでしまう。
すると、シャンティは頬を膨らませてみせてきた。
「もう、笑わなくたっていいじゃないですか」
「悪い悪い。だけど、最後の突きはかなり良かったぞ」
「むぅ。あっさりと避けたではないですか」
「そりゃあ、来ると予想していたからな。隙を見逃さない姿勢はいいけど、偽者の好きには注意しないとな」
「ああー、やっぱりそうだんだんですね。余りにも露骨に油断したように見えたので、変じゃないかとは考えはしたんですよ……」
気落ちするシャンティの肩を、俺はぽんっと叩く。
「あまり気にするな。第一、相手の予想を超えるような鋭い突きなら、ニセの隙に攻撃を当てられるはずだ。そうなるように、腕を磨けば良い」
仮にシャンティが閃光のような突きを放ってきたら、俺は分かっていても避けられなかったに違いない。
そんな思いを込めて助言すると、シャンティの機嫌がなおったようだった。
「そうですね。僕はまだまだ未熟なんですから」
「そう自覚しているなら、もう一本な」
手を貸してシャンティを立たせ、少し離れた後で、お互いに構え直した。
すると、護身術を習っているはずのリフリケから、大声がやってきた。
「くそぉ、アイツだってあんだけ頑張っているんだ。こっちだってやってやるー!!」
きっとシャンティの戦う姿を護身術を習いながらも見ていたのだろうか、リフリケが気合を入れ直す。
すると、その姿に触発されたように、シャンティも構えに力が入った。
さて、誰がどんな目的にリフリケが利用され、この家に彼女が入ることも計画の一部かは、俺には分からない。
けど、姿が似ている者同士、お互いがお互いにとって良い刺激になっているのは確かみたいだ。
「さあ、こい」
「いきます! たあっ!」
俺の呼びかけに、シャンティが突きかかってくる。
そしてリフリケも、護衛の人たちに護衛術を叩き込まれていく。
こうして休憩時間が訪れるまで、俺たちは稽古に励み続けることになったのだった。




