百三話 模擬戦
シャルハムティの依頼を受けることに決めた、その翌朝。
俺はこの屋敷の、軽い運動をするには十分な広さがある、芝の庭園にやってきていた。
対面には、昨日町中で見た、あの護衛の二人が立っている。
俺たちから少し離れた場所には、シャルハムティとヘプテインさんの姿もある。
さて、なんでこんな状況になっているのかというと、ヘプテインさんからの要望があったからだ。
「暴漢相手ならば問題はないと知ってはいる。だが、より詳しい実力を、吾が目で見ておきたい」
大事な子供を預けるんだから、そう思うのは当然だろう。
ということで、俺は護衛の人たちと模擬戦をすることになった。
お互いに武器は木剣を使用。身につける防具は、俺は魚鱗の布の防具で、あちら側は上半身鎧だ。
用意が整ったので、俺と護衛の人の片方が近づいて、向き合う。
「よろしくお願いします」
一応の礼儀で俺が軽く頭を下げるが、護衛の人は真剣な面持ちだ。
「よろしく頼む。だが、手加減はしない。体にアザが出来るのは、覚悟してもらう」
「分かってます。怪我をするのは、お互いさまですしね」
俺は返答しながら、初めて持つ木剣を、軽く振ってみる。
重心が持ち手の方にあるので、鉈より取り回しやすいけど、一撃の威力は劣る感じかな。
そう得物のクセを確認していると、護衛の人も構え始める。
彼の立ち姿を見て、俺はちょっとだけ変に思った。
冒険者で剣を使う人たちの姿とも、前世の映像で見た剣道の光景とも、ちょっと違っている。
例えば、テッドリィさんやオレイショは、構えなんてあってないようなものだった。単に、相手に切りかかるために必要な位地に、腕で剣を持ち上げているって印象だった。
そして前世で見た剣道では、竹刀を体の前に構えたり、上に掲げたり、切っ先を後ろに向けたりと、色々な構えがあった。
けど、いまの護衛の人が構えているみたいに、顔だけ俺に向けたまま、体の向きを真横にして、持ち上げた木剣の腹を胸に当てているっていう、奇怪に見える構えは見た事がなかった。
でも、慣れた感じのする立ち姿なので、この世界独自の剣法みたいだった。
どんな目的があって、あんな構えになるのかなって、ちょっと興味が湧く。
「行きますよ!」
俺はあえて声をかけてから、これ見よがしに木剣を振り上げながら近寄る。
しかし、護衛の人は動きださない。
ならと、思いっきり打ち込んでみることにした。
「でぇやあああああああ!」
力強く振り下ろした木剣は、このまま行けば相手の首筋に当たることになる。
けど、俺が攻撃した瞬間に、護衛の人が素早く動き始めた。
まず胸に当てていた木剣を、すっと斜め上に突き出し、俺の木剣の進路を塞ぐ。
防がれるのは予想していたので、俺は相手の武器を打ち据えてから、素早く二撃目を放つ――その、つもりだった。
でも、護衛の人はそれを許してはくれなかった。
俺が振り下ろす木剣が、防ぐ相手の木剣に触れた瞬間、護衛の人は前に出した足を支点に、コンパスを描くようにくるりと体を回転させる。
するとどういうわけか、俺の木剣は弾かれ、あらぬ方向に軌道が曲がってしまった。
それだけじゃない。
護衛の人は回転を利用して、俺に切りかかってもきた。
「――たあッ!!」
「うわっと!?」
少し様子見の気分で全力で打ち込まなかったお蔭で、その反撃を後ろに跳んで避けることが出来た。
俺は急いで体勢を立て直し、木剣を構える。
けど、護衛の人は追撃はしてこずに、またあの奇怪な構えをする。
そして、自分から攻めてこようとせずに、こちらを挑発してきた。
「どうした。そんなことでは、シャルハムティさまの護衛を安心して任せられないぞ」
俺が攻撃するのを誘うような言葉を聞いて、あれはカウンター重視の構えだって、気がついた。
なるほど。護衛だから、襲ってきた相手を倒すよりも、自分と大事な人の身を守りきることを重視した構えってわけか。
これは、なかなか面倒な相手だ。
とはいえ、手をこまねいてはいられない。
とりあえず、素早い連続攻撃で、相手を翻弄してみることにした。
「はああ、たああ、たっ!」
縦の斬り下ろしから横へ斬り返し、突きを一度挟んでから、連続して打ちかかる。
けど、護衛の人は冷静に、木剣で一つ一つ防いでいく。
そして、俺の攻撃の切れ目に、突きを返してきた。
「とぉあああ!」
「くっ」
俺はその突きを打ち払ってから、距離を開けて構え直す。
連撃を重視して、一発一発の威力が弱くなっているとはいっても、ここまで防がれるとは思わなかった。
流石は、貴族の子供を守るための護衛だなって、その練度に感心してしまう。
「それで終わりか? お前の情けない姿に、シャルハムティさまも心配し通しというご様子だぞ」
護衛の人の煽り文句を聞いて、俺は目だけを動かして、本当かどうか確認する。
確かにシャルハムティがハラハラとした表情で、俺たちの戦いぶりを見ていた。
あそこまで心配そうな様子を見てしまったら、初めて見る構えに警戒して、色々と試すのはここで終わりにしよう。
カウンター重視だとわかれば、戦いようなんていくらでもあるしね。
「いくぞおお!!」
俺は大声を出しつつ、木剣を高く掲げて走り寄る。
この行動が、破れかぶれな一撃にでも見えたんだろう。
護衛の人は気楽そうに、俺の木剣が辿るであろう軌跡の途中に、自分の武器を置いて攻撃を阻もうとする。
けど、そうすると予想していた俺は、木剣のから片手を放すことで、攻撃の軌道を自分から曲げた。
俺の木剣は何にも当たらずに通り過ぎたことに、護衛の人は不可思議そうな表情をする。
その顔へと、俺は手のひらを向ける。
魔塊を回すことで、細胞にある魔産工場が活性化。
そこで産出された魔力を、向けている手のひらに集中させる。
そして、生活用の魔法を発動させ、魔力を水に変え、護衛の人の顔に浴びせかけた。
「なッ――ぶぐほぅ!」
手を向けていた向きがよかったのか、護衛の人の鼻の中に、手から出した水が入りこんだ。
反射的に盛大に咽る姿を見て、悪いことをしちゃったなって思いながら、俺は彼の背後に回り込む。
そして、木剣の切っ先を、護衛の人の後ろ首へ軽く押し当てた。
「……これで、俺の勝ちですよね?」
そう尋ねると、戦っていた護衛の人は咽ながら否定してきた。
「ぶふっ、ごほ。こんな、戦い方は、無効だ!」
「どうしてです?」
「うう゛ん、この模擬戦は、君の戦力を見極めるもの。魔法を使用してしまっては、意味がないだろうに」
「ええー。生活用の魔法を使って相手を翻弄することも、立派な戦法だと思うんですけど?」
戦っている当事者同士では話がつかない感じになったので、俺たちはヘプテインさんに裁可をお願いするべく、顔を向ける。
返答は、首を横に振り、仕切りなおしを促すような身振りだった。
どうやら、魔法を使っての戦い方は駄目らしい。
ちぇ、仕方がないなぁ……。
俺と護衛の人は、少し距離を離して、もう一度向かい合った。
「先ほどのようにはいかないからな」
「俺は魔法を使っちゃいけないんですから、そりゃあそうでしょうね」
護衛の人がムカッとした顔をするが、気にせずに近寄っていく。
護衛の人の剣が届きそうな距離になって、俺は木剣の腹を相手に見せるように、手の中で向きを変えた。
そして攻撃せずに、そのまま近づいていく。
この俺の行動に、護衛の人が吠える。
「こちらが攻撃をしないとでも、思ったのか!!」
胸に当てている剣を、こちらに突き出してきた。
カウンター狙いの構えでも、攻撃は出来るんだって見せ付けるような、目の冴えるような突きだ。
でも、俺はこの行動を予想していた。
やっぱり、攻撃せずに近づいてくる相手に、攻撃する方法はあるよね。
迫ってくる突きを、俺は剣を押し当てるようにして防ぐ。
突きの速さを見ると、刃にあたる部分で防ごうとしても、無理だったかもしれない。
けど、木剣の腹の部分は幅が広いから、一度だけ受け止めるぐらいは出来る。
ガツッとお互いの武器が当たる音を聞きながら、俺はさらに踏み込む。
近づかれて、護衛の人は距離を取ろうとする。
けど、彼の横向きの構えと、俺の真正面に向いている構え。
どっちの移動する足が早いかなんて、一目見ただけで分かるだろう。
俺は素早く追いかけ、肌が触れるほどの距離まで、護衛の人に肉薄する。
そしてそのまま、木剣を相手の武器に押し付け、足を引っ掛けながら押し倒す。
前世では人を転がすことはとても大変だったけど、今世の俺には上背があるから簡単だ。
「ぐあっ!」
護衛の人が悲鳴を上げるが、俺は構わずに横倒しになった彼に馬乗りになる。
片腕で相手の武器を持つ手を押さえながら、木剣の切っ先を喉の下に押し当てた。
「――どうです。これなら文句はないでしょう?」
「ぐっ。たしかに、文句はない。こちらの負けだ」
負けを認める発言を聞いて、俺は護衛の人の上から退いた。
そして、立ち上がらせるために、手を差し出す。
護衛の人は悔しげな顔のまま、俺の手を取って立ち上がる。
「次は、こうはいかない。勝たせてもらう」
「同じ戦法は使えないでしょうから。次があるなら、剣や鉈よりも扱いに慣れている、弓矢の使用は許して欲しいところです」
そんな言葉を交わしつつ、健闘と讃え合うように握手をする。
けど、これで俺の模擬戦は終わりじゃない。
相手はもう一人いる。
「ふふん。お前の戦い方は見ていた。今度は容易く行くと思うなよ」
「……よろしくお願いします」
もう一人の護衛の人と向かい合う。
すると、先ほど戦った人と同じような構え方をする。
同じくカウンター狙いの戦法――だと思ったけど、勘で違うんじゃないかって感じた。
さっきの人は攻めっ気がなかったけど、目の前の人は俺を倒そうという気分に満ち溢れているようだ。
体の姿勢も、こちらを攻撃しやすいように、やや前傾になっている。
もしかして、構えは同じに見えても、違った戦い方をするんじゃ?
そんな気がしてきたので、俺は相手を侮っている風を装いつつ、心の中では警戒して近寄っていく。
そして、お互いに木剣を当てられる距離になると、相手が先に動いた。
「――かかったなああ!」
豪声を放ちながら、後ろ側の足を前へと踏み出しながら、俺に斬りかかってきた。
カウンター狙いだと思い込んでいた人なら、この急な動きに対応できずに、攻撃を食らっていたかもしれない。
けど、予想済みだった俺は、ひょいっと攻撃を避けた。
すると、もうカウンター狙いだと擬態する気はなくなったようで、力の限りに攻撃してくるようになった。
「ぬあッ! ええい! まだまだあああ!!」
一撃一撃が、当たったら怪我だけではすまなさそうな威力だ。
俺は避けながら、護衛の二人の戦い方が全く違う理由を、推測していた。
たぶん、さっきの人が護衛対象を守り続け、この人は襲撃者を素早く無力化すると、役割を分担しているんだろうな。
けど、俺としては、この攻撃一辺倒の人の方が、戦いやすい。
なにせ、オレイショっていう、似た戦い方のヤツと戦ったことがあるから、対処の仕方が分かっているからな。
俺は攻撃を避けながら、相手の手首に、木剣を素早く打ち当てる。
「ぐっぬ、まだまだあ!!」
籠手もしているし、軽い攻撃じゃ武器を手放したりはしないか。
ならと、手首ではなく、手の甲や指狙いで木剣を振るう。
一撃、二撃は持ちこたえられてしまった。
けど、五回当てたところから、急に手を庇うようになって動きが悪くなった。
攻撃一辺倒な相手が、攻撃に精彩が欠ければ、あとはこっちのもの。
ほどなくして、俺の木剣の先が、相手の急所に突きつけられた。
こうして二度の模擬戦が終わった。
俺の戦いぶりと実力は、護衛として満足いくものだったのだろう。
ヘプテインさんは、俺の近くにいくことを許すように、シャルハムティの背を押す。
シャルハムティは嬉しそうな顔で、父親にお礼を言う仕草をすると、こちらに駆け寄ってきた。
そして、俺のお腹の当たりに抱きついてきた。
「えへへっ。今日からよろしくおねがいしますね、バルティニーさま」
「はい、よろしくお願いします。けど、シャルハムティさまは俺の雇い主になったんですから、こちらに『さま』をつけてはいけないのでは?」
「あっ、そうでした。うーん、でも、命の恩人を呼び捨てには……。そうだ、バルト、もしくはバリィって、愛称で呼んでもいいですか?」
それぐらいならいいかと、了承することにした。
「でしたら、バルトと。そちらのほうが呼ばれ慣れてますから」
「わかりました、バルトですね。じゃあ、バルトも、僕のことはシャンティと、愛称で呼んでくださいね」
貴族の習慣に疎いので、愛称で呼んでも大丈夫なのかと、思わずヘプテインさんに目を向ける。
すると、黙認するかのような、聞いていない態度を取っていた。
これはどういう意味に取ったら良いのかと迷っていると、シャルハムティが俺の体を軽く揺すってくる。
「昨日の夜に話をしたではないですか。僕は町民に偽装するとき、お互いに丁寧な言葉遣いでは変だと。なら、愛称で呼んだ方が、変ではないはずです」
「わ、分かりました。じゃあ、町を歩きくときは、シャンティと呼ばさせてもらいます。それ以外のときは、シャルハムティさまと」
「むぅ……。仕方がありませんね、納得します」
そう口で言いつつも、表情は満足してなさそうだ。
なかなか強情そうな子だなって思っていると、護衛の二人が俺に顔を向けていることに気がついた。
その顔は、「シャルハムティさまの世話に、お前も苦労するがいい」って感じの、新たな生け贄を見つけたような表情だった。