百一話 ターンズネイト家
俺はシャルハムティとその両親らしき人たちがいる部屋に入ると、故郷で習った礼儀作法の通りに行動していく。
まず、武器を持っていないことを示すために、開いた状態の両手を肩まで上げる。
そして右手を左胸に、左手は左腰に当て、少し膝を折りながら頭を下げつつ、自己紹介を始める。
「冒険者、バルティニーと申します。シャルハムティさまとの良縁により、こうして拝謁できること、大変嬉しく思っております」
後は、許しが出るまで頭を下げたままが、貴族に対する礼の作法だったな。
そのまま三十秒ほど待っていると、シャルハムティの父親らしき人物の声がしてきた。
「なるほど、バルチャンが語ったように、冒険者にしては教養がありそうだ。頭を上げるといい、バルティニーとやら」
渋く、威厳のある声での指示に従って、俺は頭を上げた。
その後で、前世で言うところの『気をつけ』の格好をする。
挨拶の後は、爵位や階級が下の人が許しなく発言してはいけないことになっているので、俺は口を噤んだまま待機だ。
故郷で習ったことは、ちゃんと作法に合っていたみたいで、シャルハムティの父親っぽい人は気分を害した様子もなく、喋り始める。
「シャルハムティから聞いているかもしれんが、改めてこちらの素性を語っておこう。吾はシャルハムティの父、ヘプテイン・ディレ・ターンズネイト。都から遠き地であるディレ地方を治める、侯爵位の当主である。隣にいるこの女性は、シャルハムティの実母であり、吾が愛の半身たる――」
「――ミッノシト・ディレ・ターンズネイトですわ。我が子を助けていただいたそうで、大湖より深き感謝を抱いております」
そう自己紹介してもらった。
でも、悪いけど『侯爵』ってどれだけ偉い人だったか、よく覚えていない。
だって、故郷の教育では、騎士位、男爵位、子爵位の順序は教えてもらったけど、そこから上は会うことはないだろうからって、兄の授業に出てこなかったし。
そして、この自己紹介の後、俺がどう行動したらいいかなんていうのも、聞いたことがない。
どうしようと、内心で焦っていると、シャルハムティの父――ヘプテインさんが相貌を少し崩した。
「慣れぬながらも誠心な態度を見せてくれたことで、十分にそちらの礼は示された。これ以上、貴族のしきたりに付き合わせるのは酷であろう。楽にしてよい」
少し砕けた口調での許しを得て、俺はほっとしながら、前世でいうところの『休め』の体勢にする。
その行動を見て、ヘプテインさんは少し考える素振りをした。
「……荘園の経営主の子だと聞いたが、礼儀作法は騎士位の者に習ったのか?」
「いえ。学者をしていたというお爺さんが、礼儀作法の先生でした」
「そうか。いやなに、「楽に」と言うと姿勢を崩す者が、貴族の子息にも多いのだ。そうやって肩幅に立つ仕草は、親によほど厳格にしつけられたか、騎士位の子息ぐらいなものなのだ」
話は分かったけど、なにを目的に言っているのか、よく分からなかった。
すると、シャルハムティの母親のミッノシトさんが少し笑いながら、口を開く。
「要するに、その元学者という方は良い先生だったようだなと、この人は言いたいのですわ」
「は、はい。たしかに、良い先生でした」
本当はどうだったかと、ちょっとすぐには思い出せなかったけど、とりあえず追従しておいた。
俺の返事に、ヘプテインさんはなぜか満足そうに頷くと、真剣な目を向けてきた。
「それでだ、バルティニー。我が息子の窮地を、護衛どもの代わりに救ってくれたことに、礼をしたいと思う。欲しい物があれば、言ってみるがいい。不遜な要求でなければ、叶えてやろう」
ヘプテインさんがそう言ってくる、話の流れは分かる。
けど、シャルハムティを助けたお礼に、なにが欲しいって言われてもなぁ……。
見返りが欲しくてシャルハムティを助けたんじゃないし、お金に困っているわけでもないから、ここは断っておこう。
「多少の縁で知り合った人を助けただけで、それで謝礼を要求する気は、俺にはありません」
きっぱりと断りの言葉を告げると、ヘプテインさんは関心したという表情の後で、少しだけ表情を硬くする。
「うむ、その謙虚な精神は、褒めてしかるべきものであろう。しかしだ、要求してくれねば、こちらが困る」
どういうことだろうかと、先ほどヘプテインさんの考えを通訳してくれたミッノシトさんに、ついつい助けを求める目を向けてしまう。
俺の視線を受けて、ミッノシトさんは微笑みながら、理由を話してくれた。
「バルティニーさん。貴族というものは、貸し借りに煩いのです。子を助けていただいたという『借り』に対し、相当の礼を無理にでも返さねばならないと、そう考える存在なのですわ」
貴族の価値観について理解したけど、疑問が残った。
「……質問してもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ、なんなりと」
「借りた相手が、礼は要らないと言っても、お返しをするんでしょうか?」
「その通りですわ。要らないと言われても、無理にでも受け取っていただきますわ。これは将来、借りを作った相手の子孫が、我が祖先が保留した礼をいま返せと、そう言ってこられないようにする措置でもあるのです」
なるほど。
要するに貴族にとって、貸しや借りというものは、借金みたいなものなんだ。
何かをしてもらったときに、その時点で相応の物で返せなかったら、将来に別の形で要求されてしまうんだろうな。
その仕組みを、一般市民である俺に適応しようとするのも、将来の負債を抱え込まないためだ。
仮に、将来の俺がターンズネイト家と敵対する貴族に仕えたとしたら、シャルハムティを助けたお礼を、その貴族が要求することに繋がるかもしれないんだ。
そういった災厄の芽を潰すために、俺にいまお礼を受け取れと言ってきているわけだ。
そんな事情があると知ったら、なにかしら要求しておいた方が、俺にしてもターンズネイト家にとっても良いに違いない。
じゃあ、なにを貰おうかな。
一番楽なのは、金銭だよね。
けど、助けたシャルハムティがいる目の前でお金を受け取れば、それがシャルハムティの値段だと誤解されるかもしれないしなあ。
かといって、物を要求するにも、特に欲しい物はないし。
そうやって悩んでいると、いいことを思いついた。
「では礼として、なぜシャルハムティさまが平民の格好をして、短剣を一人で買いにいったのかを、お教え下さい」
実は、ちょっと気になっていたんだ。
シャルハムティっていう良いところの子供が、護衛を離した場所に置いて、露店で買い物をしていたことがね。
欲しくもない物品を押し付けられるぐらいなら、お礼にこの疑問に答えてもらったほうが、万倍いい。
そんな気分でした俺の要求は、よほど以外だったらしい。
ヘプテインさんは、理解しがたいって顔をしていた。
「そのような話をすることが、吾の子を助けた礼になるというのか?」
訝しげに質問してきたことに、俺は自信ありげな態度で頷いてみせる。
「もちろんです。取るに足らないように聞こえる話でも、聞く人や扱う人によって価値が変動します。シャルハムティさまの事情の話は、こちらにとって金貨以上の価値に化ける可能性もあります」
「……うむっ。知識とは、知る者には価値がなくとも、知らぬものには多大な価値がある、といったことわざもあったな。ならば、シャルハムティを助けたそなたへの対価は、我が家の事情を教えることにいたそう」
建前の説明で納得してくれたようで、ヘプテインさんはその事情を語り始めた。
「取り立てて、大した話ではないと、先に断っておこう。貴族の次男と次女以下の子は、貴族的な慣習からある時期から、他家へと奉公に出される。奉公先では、貴族の子ではなく一人の使用人として扱われることとなるため、幼いうちに経験を積み、慣れておかねばならん」
「要は、次男次女以下の子を、町におつかいに行かせる習慣があるんですの」
「その際に恐ろしい目に会うこともあろう。だがそれは逆を返せば、自分の力を見極める絶好の機会となる。貴族は自己の力量を把握し、適切に運用できなければならん。奉公に出されようとも、貴族の一員であることに代わりはないのだからな」
「ですが、なにかあったときのために、護衛がつかず離れずの位置で見守らせているんですのよ」
なるほどと理解しながら、ヘプテインさんが長大に語り、ミッノシトさんが説明を入れることが、この家の話し方なんだろうかって首を傾げる。
いや、多分だけど、ヘプテインさんは貴族的な話し方をしていて、ミッノシトさんは俺に分かりやすく言い換えているだと思う。
俺の考えが横道に逸れている間にも、ヘプテインさんとミッノシトさんの説明は続く。
「シャルハムティに短剣を買いにいかせたのは、奉公先には武家が良いと言ってきたためである。この町はここら一帯の貿易の中心地。武器防具の質や数が多く、善し悪しを見極める目を鍛えるのにはもってこいの場所であるため、多少不安はあったが町に出したのだ」
「競売が始まる日時まで時間があったので、シャルハムティが退屈しないようにと、おつかいついでに町を見学させる目的もあったのですわ」
長々と説明があったけど、要するにこの二人が親心から、シャルハムティに安全に小さな冒険をさせてあげたってことだ。
でもそうなると、ちょっとだけ違和感がある部分もある。
「あの襲撃者たち。身なりは酷かったですが、武器は立派な品に見えました。誰かしらの意図の下で、行動していたようにしか見えませんが?」
「うむ。吾も知らせを聞き、そう思っていたところである。だが、あの者たちから引き出した情報からでも、首謀者はよく分かっていない」
「怪しげな男がふいに現れ、あの者たちに武器を渡し、シャルハムティを連れ去れば多大な身代金が貰えると教えたとのことですの」
「吾の家を憎く思う他家の仕業かとも思うが、証拠がなくば追求もできぬ」
「それに、この町は我が領土ではありませんので、強権を振るうこともためらわれるのですわ」
きっと貴族的な権利で無理を通そうとすれば、この町を治める人に借りを作ることになるから、あまり強くは出れないってことだろうな。
貸し借りを気にする存在だって、ちょっと前に教えてもらったけど、貴族って強権を持っていても自由奔放に生きられるわけじゃないんだな。
意外に思える事実に、ちょっとだけ驚いていると、ヘプテインさんは椅子に背を預け語り終わったと教えてきた。
「はてさて。吾らの事情は伝えた終えたが、これで礼には十分であったか?」
「はい、もちろんです。大変に興味深かったです」
「うむ、そう言ってもらえると、こちらとしても語った甲斐があるというものである」
こうして俺とターンズネイト家との貸し借りも終わった。
これでもう縁はなくなっただろうと、俺は帰る気になっていた。
けど、そうは問屋が卸さないらしい。
「あ、あの! バルティニーさまは、冒険者なのですよね!」
今まで静かにしていたシャルハムティが、唐突に声を上げた。
俺は突然質問されたことに、ビックリしながらも頷く。
「その通りです。それがどうかしましたか?」
「冒険者なのでしたら! 僕の依頼を受けてくれませんか!」
俺の質問に、食い気味に言ってくる。
たしかに俺は冒険者で、いい依頼であれば、受けるにはやぶさかじゃないけど……。
ヘプテインさんとミッノシトさんに窺う視線を向けると、話を聞いてはくれないかといった目を返されてしまった。
「……では、とりあえず、その依頼の内容を教えてください。その後で、受けるかどうかを決めますので」
「僕から、バルティニーさまにする依頼は――」
シャルハムティがウキウキとした様子で、どんな依頼かを語り始めた。
その内容は少しだけ意外だったが、大まかにシャルハムティが頼んできそうだと想像が出来るものだった。