百話 貴族の屋敷
シャルハムティに連れられて、俺は町の中を進んでいく。
とはいえ、シャルハムティ側からしてみれば、俺は素性も確かじゃない出会ったばかりの冒険者だ。
ちゃんと、護衛も後からついてくる。
けど、俺たちから一定距離を保ちつつだ。
しかも、こちらの一挙手一投足に、注意をする視線を投げかけてくる。
そんなに心配なら、近くにいてくれたほうが、俺にとってもあの護衛の人にとっても楽なはず。
けど、そうしないことから、シャルハムティの親から、なにかしら言いつけられているんだろうな。
ご苦労様ですと、気持ちの中だけでも労ってあげたくなった。
でも、シャルハムティにとっては護衛の行動は当たり前なんだろう、気にする様子もなく笑いかけてくる。
「あの劇場が目に入ったら、この町にお借りしている我が家に到着するまで、あと少しなのです」
「劇場? あの、大きな建物がですか?」
シャルハムティの指した建物は、東京にある有名老舗デパートに似た、前世基準ならレトロな外観をしていた。
でも、この世界にしたら、この劇場は最先端な様式なんだろうか。
少し考え込んで無言でいると、俺が圧倒されていると思ったのか、シャルハムティは胸を張りながら劇場のことを教えだす。
「この劇場は、演劇や楽隊の演奏などに用いられます。ですが、ここ最近では競売が主流となっています。当家がこの町に滞在している目的も、その競売なのです」
「競売――たしか、海の魔物を売るのも、競売だったような……」
「はい! その通りで……あれ? 競売の品目をご存知だったのですか?」
「ええ、まあ。海の魔物に関して、ちょっとした縁があるものですから」
「そうなんですか! もしかして、海を見たことがあるのですか?」
「はい。海辺の町で、年の半分ほど暮らしてましたから」
「うわぁ、羨ましいです。僕もいつかは、海というものを見てみたいと思っているのです! 差し支えなければ、どのような場所なのか、お教えください!」
コロコロとよく表情を変えながら、俺の話を聞きたがる。
なんとなく、好奇心旺盛な小型犬か中型犬みたいだなって思ってしまった。
冒険者になって一年足らずなので、あまり話のネタがないけど、移動中の暇つぶしに語ってあげることにした。
シャルハムティはキラキラとした目で話を聞いていたが、あるときハッとした顔をしてきた道に顔を向ける。
どうしたのだろうと思っていると、シャルハムティは恥ずかしそうに俯く。
「も、申し訳ありません。話を聞くことに夢中になるあまり、我が家を通り過ぎてしまいました……」
消え入りそうなほどに恥ずかしがっているので、俺は笑顔でその頭を撫でる。
「気にしないでください。間違ったのならば、正せばいいだけなんですから。今の場合なら、行き過ぎたなら戻ればいいんです」
「は、はい! そうですよね。よしっ、次はもう行き過ぎないようにします!」
慰めると、ころっとシャルハムティの機嫌がなおり、先ほどと同じようなウキウキとした足取りで、道を戻り始めた。
現金な様子に、ちょっとだけ笑ってしまう。
さて、道を戻ること一分ほど。
あの劇場から立派な見た目の家が多かったのだけど、シャルハムティが案内してくれた家は、そんな周りよりも一段上に見える豪邸だった。
これが借家だというのだから、貴族の懐事情は恐ろしい。
いや、他の貴族なんか会った事がないから、シャルハムティの家がお金持ちなだけかもしれないけど。
なにはともあれ、俺はシャルハムティに連れられて、その豪邸の中に入ることになったのだった。
シャルハムティが中に入ると、執事らしき四十歳ぐらいの男性がスッと出てきた。
彼はシャルハムティを恭しく扱いながらも、俺に鋭い目を向けてくる。
貴族のお坊ちゃんが勝手に連れてきた相手だ、警戒するのは仕方がない。
なんならこの場で門前払いされてもいいやって気分で、シャルハムティと執事っぽい人の動向を見守ることにした。
「バルチャン。このお方は僕の窮地を救って下さった冒険者だ。父上と母上に紹介するなど、それ相応の礼で遇したい」
シャルハムティが子供っぽくない貴族口調で言うと、執事らしき人――バルチャンはなにか言いたげにした後で頭を下げる。
「……了解いたしました。ですがまず、シャルハムティさまは、お召し物のお取替えをいたしませ。平民服のままでは、お父上に叱られてしまいますよ」
「分かっている。では、そのお方の世話を、くれぐれも頼むぞ」
シャルハムティは俺に軽くお辞儀をすると、メイドっぽい女性と共に屋敷の奥へと行ってしまった。
残されても困るんだけどなって、俺は後ろ頭をかく。
そんな俺の様子を、バルチャンは値踏みするように見やった後で、一応の礼節を取るって感じで頭を下げてきた。
「お初にお目にかかります。私は、ターンズネイト家で第二家令をさせていただいております、バルチャンと申します。冒険者の方、シャルハムティさまをお世話くださったようで、深くお礼を申し上げます」
その挨拶の最中に、間が悪いことに護衛の二人が、この家に戻ってきた。
執事ではなく家令という職業らしいバルチャンは、それとなく二人を見てから、俺に目を向け直す。
けど、俺は見逃さなかった。
バルチャンが目を護衛に向けたとき、後でちゃんとした報告をしてもらう、って感じに睨んでいたことをだ。
護衛の人も大変そうだなと思いながら、俺はバルチャンに返礼する。
「初めまして、家令のバルチャン殿。俺は冒険者、鉈斬り、浮島釣りの二つ名を頂戴した、バルティニーという者です。シャルハムティさまの件につきましては、行きがかり上の出来事ですので、お気になさらなくてもよいことだと、こちらは思っています」
故郷で習ったことを思い出して、偉い人用の挨拶をする。
まさか冒険者である俺が、ちゃんとした礼をするとは思わなかったんだろう。バルチャンはとても驚いた顔をしていた。
どうやら俺の挨拶は、なかなか上手く行ったようだ。
外見には出さないようにちょっとだけ満足していると、バルチャンは遠慮をなくした様子でジロジロとこちらを見始めた。
「……申し訳ありませんが、その作法はどこで、お身に付けに?」
「実家が荘園の経営を任されておりまして、二人の兄のオマケとして、端で習い事を聞かせてもらってました」
「ほほぅ、どこの荘園ですかな? この付近で?」
「この近くではなく、ヒューヴィレの町から馬車で数日の荘園です」
「なるほど、なんという名前の荘園なのか、お教えいただいても?」
「名前、ですか?」
そういえば、故郷の名前ってなんだったっけ?
……覚えてない。
というか、知らないや。
「すみません。故郷に住んでいるときは、土地の名前など気にしたことがなかったもので、知りません」
「そうですか……。いえ、玄関口で長話など失礼でした。当主さまと奥方さま、そしてシャルハムティさまのご用意が整うまで、一室にて待機していただくことになりますが、構いませんね?」
一応こっちに聞いてはいるけど、『いいえ』って答えてはいけない雰囲気の尋ね方だよね、それ。
まあ、お邪魔させてもらえるなら、そうさせてもらおう。
ここで回れ右をしたら、シャルハムティが泣きながら俺を探しにきそうな予感もするし。
頷きで了承と伝えると、バルチャンは応接間っぽい部屋に案内してくれた。
「ここでしばし、お寛ぎ下さい」
バルチャンが扉を閉めて去っていったので、寛げというならそうさせてもらおうと、猫足なソファーに座った。
布張りの椅子なのだけど、中にたっぷり綿が入っているようで、俺の体が沈み込んでしまう。
体重を全て椅子に預けた状態で、部屋の調度品に目を向ける。
全て精緻な細工がされていて、下手に触ったらその飾りが折れてしまいそうだ。
けど、なかなかに緻密な模様なので、時間つぶしもかねてじっと観察する。
そうしていると、この部屋の扉がノックされた。
返事をするべきなのかとちょっと迷っていると、扉を開けられてしまった。
入ってきたのは、カートを押しているメイドっぽい女性。玄関でシャルハムティを連れて行った人とは違う、俺と同年代の綺麗な少女だった。
「お茶とお菓子をお持ちしました。面会のご用意が整うまでの間、口慰みにどうぞ」
「そういうことでしたら、ありがたく頂かせていただきます」
俺が返事をすると、メイド少女はカートを押して移動を始める。
そして、俺の座る椅子の前にある机の横にくると、お茶の用意をしていく。
俺はその手つきや茶器などを見つつ、カートにも目を向ける。
フレームは鉄製らしく、前世の小学校で見た、配膳用のカートを思い出す。
けど、脚にある車輪は、木目に艶が出ている木製だった。
この世界に、ゴムやプラスチックがある分けないよねと、ちょっとだけ変な落胆をしてしまう。
あまりにジロジロと観察しすぎたのか、メイド少女は少しだけ眉を潜めていた。
「……忠告しておきますが、この部屋の物を盗もうとは思わないことです。お館様は盗人に厳しいお方ですので、取ったものの大小に関わらず、制裁を必ず下しますので」
「そうなのですか。肝に銘じておきます。もっとも、俺はお金に困ってませんので、必要のない心配というものですよ」
盗人扱いの仕返しで、少しだけトゲのある言葉を投げかけた。
すると、メイド少女はさらにムッとした表情になる。
そして、俺の格好に目を向けて、フンッと不機嫌そうな鼻息を吐くと、机の上に茶器とクッキーに似たお菓子を置き、カートを押して部屋から出て行ってしまった。
……出て行くなとは言わないけど、カップにお茶を注いでくれてもいいだろうに。
俺はクッキーっぽい物を口に咥えつつ、ポットの中身をカップに注ぎ入れる。
勝手に貴族の飲み物は紅茶って思っていたけど、出てきたのは黄色に色づいたお湯。
嗅いでみると、ウーロン茶っぽい匂いがした。
とりあえず、クッキーを一齧りし、お茶も少し口に含み、少し待つ。
舌や歯茎に痺れや痛み、そして変な感じはでてこないから、毒ではなさそうだな。
故郷でシューハンさんに習った、野草や茸にある毒の有無の見分け方を実践してみたのだけど、貴族相手だからって警戒しすぎだなって自笑してしまう。
気を取り直して、ぱくぱくとお菓子を、ごくごくとお茶を飲んでいると、再び扉がノックされた。
口に物があるので返事せずにいると、やはり勝手に扉を開けられてしまった。
立っていたのは、先ほどのメイド少女ではなく、家令のバルチャンだった。
「おや、お一人なのですか?」
「むぐむぐ、はい。あ、お茶とお菓子、ありがとうございます。おいしくて楽しませてもらっています」
「それはようございました」
バルチャンは返事をしつつも、なにか腑に落ちない顔をしている。
なんとなく、あのメイド少女がこの部屋にいないことを、彼は気にしているんじゃないかなって思った。
けど、バルチャンがこの部屋にきたのは、メイド少女の勤務状況を見るためじゃないはず。
俺は質問するために、口にある食べ物をお茶で飲み下した。
「ごくごくっ――それで、俺を呼びにきたのですか?」
「――はい。面会の準備が整いましたので、ご案内に参りました」
そういうことならと、俺は席を立って、バルチャンの後についていく。
廊下を歩きながら、面会に際して気になることを尋ねることにした。
「武器の持ち込みは禁止ですよね。なら、誰に預ければいいのでしょうか?」
「それにつきましては、私が責任をもって預からせていただきますので、ご心配なきように」
「そうですか。俺の格好は、こんな冒険者っぽい感じなんですけど、貴族さまに会うのに失礼ではないですか?」
俺の格好は見た目だけなら、黒い全身タイツに、白系統の布でパッチワークされた短パンと、布を重ねて縫っただけに見える胸当てだ。
俺自身は機能と防御力があるし、とても気に入っているけど、 前世の基準で考えたら人に会うような格好じゃないとも自覚している。
そんな危惧を伝えてみたところ、バルチャンに笑われてしまった。
「あははっ、これはお人が悪い。その最上級な魚鱗の布の防具は、下手なドレスや金属甲冑など、足元にもおよばない一品です。その上に、さらに同種の防具を重ねていらっしゃるその姿は、成功なされている冒険者である十分な証。それを見抜けぬほど、ターンズネイト家の家長の目は節穴ではございませんよ」
「そうなのですか。そう聞いて安心しました」
疑問が尽きたところで、シャルハムティの両親が待つという部屋に着いたようだ。
俺はバルチャンに鉈と弓矢、そしてナイフを渡す。
バルチャンは受け取った後で、部屋の中に声をかける。
「シャルハムティさまをお救い下さった冒険者、バルティニーさまです」
その言葉が合図だったのか、部屋の扉が開かれた。
俺が目にしたのは、まず扉を部屋の内から開けたメイドの姿、そして部屋の置くにある重厚そうな机。
その机の向こう側に、椅子に座る白髪が数本ある美丈夫と、その隣に立ちながら微笑みを浮かべる髪を巻き上げた美女。
そして、貴族らしい仕立てのいい服に着替えたシャルハムティが、にこにこ笑顔で美女の隣にいた。
なんだか、貴族的なオーラで圧倒されるなと思いながら、俺は部屋の中に歩き入ったのだった。




