七章 神龍・敖広(二)
ネタバレ話です。
森がざわめく。
葉が鳴る。
刹那、影が木々の上から現れた。
その数、五つ。
薄手の真っ黒な装束に身を包み、顔も目元しかうかがえない。
その姿は、まさしく地に落ちた影が、立ちあがったかのようだった。
「葉陰……」
光斗は、その黒装束を知っていた。彼らは、貴先直属の部下で、【葉陰】と呼ばれる特殊部隊である。
隠密行動を得意として、王の命令よりも、軍長・貴先の命で動く唯一の部隊だった。
とはいえ、その人数はわずか五〇名に満たないという。
正規の部隊は、一葉から八葉まで八つあり、各部隊で数百人ずつはいる。
それから見れば、本当に特殊な部隊である。
「失礼つかまつった、天仙・鷹龍殿」
中央にいた一人が、深々と頭を垂れる。それは西王国式の挨拶だ。
「私の仙人名や、私が西から来たと知っているとは、なかなかの情報力ですね」
「恐れ入ります」
言葉とは裏腹に、葉陰たちからは、挑戦的な雰囲気が漂っている。
「それで、なに用です?」
「無論、光斗様をお迎えに参りました」
「ほう。それはまた、おもしろい事を言う」
「おもしろい……我々が光斗様をお迎えすることは、至極当然のことでございます」
「まあ、それはそうですが。なぜここにいると?」
「鷹龍様にお褒めいただいたとおり、我々の情報網は、優れていると自負しております。ここに来るまでの村や道筋で、光斗様を見かけた者がおりました。その情報を元に探りあてたのでございます」
「なるほど、なるほど」
ホークがわざとらしくうなずく。
光斗もわかってきた。こういう時のホークは、腹に一物ある。
「わかっていただけましたか」
「もちろん、わかりました。つまり、あなたたちは、彼女たちをおってきたのですね」
ホークが指したのは、リエたちだった。
「……なにを言われますか」
「あなたたち、見ていましたよね。私が、この銅像を金に変えるところを」
(変えてはおらん。まやかしだ)
龍泉がこだわる。
「そう。まやかしです。幻を操れる宝石を使った術なのです。この術は、強力でして。ちょっとやそっとでは破れません」
「それが……いかがしたか」
「さて。その宝石、あの銅像に使う前には、どこにあったと思います?」
「……あっ! 私だ」
光斗は、意地悪なとんちが解けた気分だった。
「私が身につけていた。そうか……」
多分、葉陰たちも気がついたのだろう。
その黒い体が、ぴくりと動く。
「いくら私でも、有名人である光斗を、そのままの姿で歩かしたりしませんよ。まあ、顔を知らない人がほとんどだとは思いますが、念のためにね。ここに来る道中、彼を見た人はきっと『なんて太って醜く汚い仙人なんだ』と思ったことでしょう」
「し、師匠……なにも、そこまで……」
光斗は、拳を握りしめる。
この人は、何事もおもしろくしなければ気がすまないのか。
「ともかく、あなた方が、光斗を見つけて追ってきたなど信じられません。ならば、追ってきたのは、彼女たちのことなのでしょう。どうやら、リエもなにかつかんでいるみたいですしね」
「……なるほど。若いが、噂よりも切れるお方だ。左様、彼女たちを追ってまいりました。お二人とも王宮に忍びこんでいらっしゃったので、それを追ってきた次第です」
「あちゃ……気づかれていたんだ」
リエが額に手を当てる。
「そして偶然にも、光斗様をお見つけしたのです。ともかく、光斗様。こちらに……」
五人の影が片膝をつき、光斗を迎えようとする。
しかし、ホークが光斗の前に片腕を出して、それを拒否した。
「嘘をついたのが、気に入りません」
(お前が言うのか……)
ホークの言葉に、龍泉がつっこむ。
「それに彼の命は、私がもらいました。ただでは返せませんね」
「王子に対してなんという暴言……仕方ない」
影が同時に立ちあがった。
大剣を構えたソフィアが、すっとホークの前に立つ。
なんと、リエまでも、猫を連れてホークの前に立ちふさがった。
「生かしておいた方が、いいわよね」
リエが肩に乗った髪を後ろに梳く。
「できたら。ただ、彼らはやり手ですよ」
「そのようね」
「光斗」
ホークに不意に呼ばれて、光斗は「はい」と身をただす。
と、また光斗の額にホークが手を当てた。
瞬間的に第三の眼をまた開かされるのかと思って、光斗は体を強ばらす。
「……!?」
だか、それは違った。
ほんの一瞬だった。
ほんの一瞬だけ触れられただけなのに、彼の手から光斗の中に大量のなにかが流れてきたのだ。
「わかりましたね」
手を離したホークに言われて、思わず何度もうなずく。
不思議な感覚だった。今までまったく味わったことのない感覚。
あえてたとえるなら、頭の中にある指で、文字の書かれた帯を端からなぞって読み取ったよう、とでも言うべきだろうか。
しかも、その読み取ったことは、すべて頭にはいっているのだ。
「最後の機会です。道を選びなさい」
その言葉が合図のように、葉陰の姿が消えた。
瞬時に、ソフィアが地を蹴った。
舞いあがった砂埃が落ちる前に、ソフィアの体が木々の背丈の三倍ほどの高さまであがる。
彼女は無造作に、布に巻かれたままの大剣を右へふるう。
その軌道の中空に、葉陰の一人がいた。
「ぬっ!」
思わぬソフィアのすばやさに怯みながらも、彼は縦に構えた小刀で大剣を受けた。
が、大剣の勢いは殺せない。
受けた力を流すように、彼は大剣の上に前転して逃げる。
その勢いを使って、踵をソフィアの緑の髪に落とす。
まるで読んでいたように、ソフィアが左腕でそれを受ける。
右手だけで持っていた大剣が、勢いを殺さず体ごと回転する。
左から再度、彼を狙う。
彼は避けられた脚でソフィアを蹴り、背後に回転して距離を取る。
一度離れ、あとはソフィアが落下するだけだと思われた。
「γμρ」
ソフィアが呪文を口ずさんだ。
彼女の足下に風が巻く。
ふっと、彼女の体が不自然に前に進む。
油断していた葉陰は、一瞬で間合いをとられる。
「ぐっ!」
気がついたときには、腹にソフィアの左突きがめり込んでいた。
だが、空中戦は、まだ終わっていない。
ソフィアは、頭上に両手で剣を掲げた。
直後、真上から、別の葉陰の蹴りが入る。
大剣が盾となったが、ソフィアは勢いよく落下していってしまう。
「はっ!」
緑の髪を踊らせながら、彼女は身を翻す。
その姿は、まるで強風に落とされた若葉のようだった。
――ズサッ!
ひらひらとしたエプロンドレスという服に風を含んで、ソフィアは見事に着地してみせる。
そして間をおかず、そのままの体勢から、また自分を落とした葉陰を追撃するように飛びあがる。
(すごい……)
少し離れている光斗の耳にも、彼女が風を斬る音が耳の奥まで聞こえてきた。
と、その姿を呆然と見ていた光斗の目の前で、眩い光が炸裂する。
「あなた、でくの坊じゃないんでしょ?」
リエが両手に光をまとわせながら、正面に立っていた。
宿る光はバチバチと激しく音を立てている。それがまるで、リエの高揚感を表しているようだった。
「ホークが気にいったぐらいだもの。ちゃんとやって見せて……よっと!」
そう言いながら、彼女は光弾を左右に放つ。
が、そこには影だけが残る。
「本当にすばやい小鳥さんね。δ・μ・π・ρ…… 」
光斗の聞き取れない呪文を唱えて、リエは左手を上に掲げた。
とたん、光斗の身長の二倍ぐらいの高さに、雷の糸で縫われた籠のようなものが現れる。
それはまるで、彼女と光斗までも護るように取り囲んでいた。
上空で悲鳴が聞こえる。
いつの間にか宙から迫ってきた葉陰の一人が、打ち落とされた鳥のように落ちてくる……が、気を失っていない。
「対魔能力者か……やっぱりこれぐらいじゃ死なないみた……い!?」
リエが言い終わるか終わらないかの瞬間、葉陰の一人がリエの背後に立っていた。
あまりの速さに、光斗は一瞬、目を疑う。視界外から現れたために、いきなり湧いてでたように見えたのだ。
声もなく、リエの首筋に葉陰が刃物を突き立てようとする。
「うがっ!」
だが、その葉陰は、すぐにうめく声を出してしまう。
彼の刃物を持った手を白い猫が、爪で深く切り裂いていったのだ。
「δοπ!」
リエが唱えた呪文で、また掌に雷球が宿る。
それをすぐさま、背後にいた葉陰に投げる。
しかし、やはりそこに葉陰はいなかった。
一瞬先に、どこかに回避している。
ただ、リエも今回は、それを読んでいた。
「魔衣!」
はずれたはずの雷球の先に、黒い猫がいた。
猫の体が、不可思議なことに一瞬だけ黒布になる。
それが雷球を反射させ、宙に逃げていた葉陰の背中に命中させた。
葉陰が、声もなく地に落ちる。
しかし、寸前で体勢を立て直して着地していた。
リエが舌打ちする。
「ああ、殺さないのって難しい!」
彼女は、すぐに走って葉陰を追った。
そこには、一人で茫然自失となった光斗だけが残った。
なにしろ光斗は、これほどの凄まじい実戦を見たことなかった。しかも、光斗の知っている戦いなど、一対一のものだけである。
(これが戦い……。なんと世界は広いのか!)
法術と体術がいりまじり、多くの技が複雑に絡みながら、そこには、息もつかせぬ世界がある。
一対一の試合などとは、まったく違う緊張感が、そこにはみなぎっていた。
「光斗様!」
だが、光斗はまだ、その世界に入りきっていなかったのだろう。彼自身の緊張感は足りず、観客の一人のつもりだったのかもしれない。
その為、不覚にも背後に葉陰がいるということに、気がつくことができなかった。
「光斗様、ご一緒くださいませ」
光斗は、やっとふりむく。
「私は……行かぬ」
「こ、光斗様……」
光斗の言葉に、明らかに葉陰は驚いていた。
それはそうだろう。光斗自身、驚いているぐらいだった。
なぜか、青蓮国の民であり、貴先の部下である葉陰よりも、まだ出会って間もない、ホークの言葉に動かされているのだ。
「仕方ありません。失礼いたします。問答している暇は、ございませんので」
光斗は、敵意をむけた葉陰に龍泉を構えた。
ずっしりとした重さが、両腕にかかる。
葉陰がため息まじりに、かるく首をふる。
見くびられている。
だが、それでいい。事実、実力は下なのだ。
(しかし……)
光斗は間合いをとると、龍泉を横殴りにふるった。
余裕を持もって、葉陰が刀で受ける。
(よし!)
光斗は、ホークから先ほど教わったとおりに、龍泉に念じた。
すると、葉陰が刀で受けた先が、折れ曲がって葉陰の背中を激しく叩いた。
「なっ!?」
思わぬ攻撃に驚く葉陰の腹に、光斗は蹴りを叩きこむ。
「うぐっ!」
相手はうめくが、手応えは弱い。
自分から後ろに飛んだようだ。
だが、逃がすつもりはない。
追い打ちをかけるように、龍泉で突きを放つ。
相手は、後ろにまた飛ぶ。間合いを見きったつもりなのだろう。
もし、光斗が龍泉の使い方を知らなかったら、その見切りは正しかったのかもしれない。
しかし、先ほど光斗は、ホークから頭の中に直接、龍泉の使い方を知らされていた。
(知るとは、支配すること……)
ふと、ホークの語った言葉が頭をよぎる。
光斗は、叫けぶ。
敵の見きった間合いが、まちがっていることを知らしめるために。
「龍泉!」
九つに別れた龍泉が、流星のごときに速さで伸びていく。
ただし、八つの間をつないでいるのは、鉄の鎖ではなかった。
銀色のような水……いや、その正体は神氣が実体化したものだった。
そして、幻のごとく、龍泉の先には敖広の吼える表情が現れていた。
優に二〇歩は伸びて、狙った敵の腹を突き飛ばす。
打たれた葉陰は、背後に飛ばされて、したたか背を大木に打ちつけて倒れ伏す。
また、龍泉に神氣をこめる。
すると、それは瞬く間に短くなっていき、一つの棍棒へともどってしまう。
八つの関節を持ち、その接続を神氣で制御できる。関節間は、神氣に応じて、いくらでも伸ばすことができ、龍泉自身の意志で、軌道を変えて狙う位置を修正することもできるのだ。
世には、【二十二魔剣】、【二十四神器】などと呼ばれる強力な武具が存在すると言うが、まちがいなくこの龍泉は、それらに匹敵する力を持っていることだろう。
そしてその威力は、たぶん葉陰たちにも充分に伝わった。
葉陰たちにとって見れば、光斗は伏兵だった。
明らかな動揺が、彼らから感じられる。
「こうなれば!」
葉陰の一人が、懐からなにかを取りだす。
どうやら、力のこめられた呪符のようだった。
それを地面に貼りつける。
「聖符復号! 玄武影護体招来!」
地響きが、足の裏から伝わってくる。
そして、目の前に信じられない光景が動きだす。
いったい、光斗はこの日、何度、驚いたことだろう。
これだけ一日に多くのことに驚けば、もうしばらくはなにも刺激はいらないのではないかと考えてしまう。
目の前では、地面が割れては、ぐいぐいと持ちあがっていった。
見る見るうちに、何本も石柱のように立ちあがり、まるで呪符を貼った葉陰を呑みこむように取り囲んでいく。
葉陰の姿が完全に見えなくなった後、唐突にその柱は土にもどるように崩れていった。
だが、そこに葉陰はいなかった。
そこいたのは、人の輪郭を模りながらも、異形の姿であった。
「ゴーレムアーマー!? この国にもあるの?」
いつの間にか側にいたリエが、碧眼を見開いている。
「基本は同じですが、あれは道術の一つですね」
ずっと一人で後ろにいたホークが、光斗に並ぶ。
「道術!?」
思わず声をあげる。
自分の国の術でありながら、光斗はこのような怪異を見たこともなかった。
「ええ。聖獣の力を使った土の鎧の簡易版でしょう」
おぞましいものを見るように、光斗は目の前に現れた魔物のごとき姿を凝視する。
硬い岩石のようになった土が、自分よりも高い人型になっていた。
頭髪のない四角い頭だが、顔らしき物がある。
闇のような眼窩に瞳はない。
鼻のような筋と、唇のない口。
それでも、口だけが不思議なほど滑らかに動いている。
「申し訳ないが、皆様には死んでいただく」
指の先まで土で包まれた葉陰が、鎧の口で喋った。
「なぜ、葉陰が国の敵である四聖道の道術を使う!」
怒りをあらわに、光斗は叫んだ。
青蓮王家にとって四聖道は、国家転覆を狙う組織だと教えられていた。
その組織の術を王家に仕えるものが使用するなど、裏切りとしか考えられないだろう。
たとえ、王家を追われた身だとしても、この国を想う気持ちには変わりはない。故に裏切り者は、許せなかった。
「我々は、多くの技を研究しております」
しれっとした口調で、土色をした石像が答える。
「仇敵【四聖道】の術ならば、なおさらの事……」
「それは、どうでしょうねぇ」
問答を続けたのは、ホークだった。
「いくら研究とはいえ、西王界の錬金術師によって生み出されたゴーレムアーマーをまねた影護体は、わりあい新しい術ですよ」
すうっと、ホークが人差し指を相手にむける。
「そのような安っぽい、聖符による使い捨て版とはいえ、作れるのはまだ数人。あなた方に、そう簡単に入手できるとは思えませんけどね」
あからさまな挑発だった。
敵から、怒気があがる。
光斗は一歩前に出て、龍泉をくるりと回して構えた。
もう、慣れた。
ホークは、相手を怒らせること、そして冷静さを奪うことが得意なのだ。
いや。もしかしたら、単にからかうのが好きなのかもしれない。
重い足音が響く。
石像は葉陰としては遅いながらも、人並みの速度で近づいてくる。
「龍泉!」
光斗は敵の腹を狙って、思いっきり突きを繰りだす。
だが、龍泉の先は、厚い土の鎧に阻まれてしまう。
(あの程度、破れぬとは! もっと、神氣をこめんか!)
龍泉から叱咤されるが、もう遅い。
しかも、もどす前の龍泉を石像につかまれてしまう。
「くっ!」
有無も言わさぬ勢いで、光斗は横に投げ飛ばされた。
地面に転がるように落ち、天仙の長袍を土まみれにしてしまう。
「δμσ!」
その隙に、リエが叫ぶ。
雷鳴。
同時に、三方の中空から石像に頭上に雷が打ち込まれた。
頭の衝撃に、一瞬だけ石像は後ろによろめく。
だが、頭の部分が欠けたぐらいで、石像は頭を振って体勢を整える。
「ああ、もう! μランクじゃ、やっぱだめね。大地属性は、これだから……」
文句を言いながらも、リエはまた構えて目を閉じる。
「なら、特大のκ ランクで加熱して……」
「ああ。そんな無駄に力を使わないでもいいですよ」
ホークが、リエの頭に手を置く。
「ソフィア、止めなさい」
「はい、マスター」
ソフィアが背中に剣をもどして、即座に石像に走りよる。
そして、いつとも簡単に、石像の手首をすばやくつかみあげてしまう。
「な、な、な、なにぃ~っ!?」
石像……いや、影護体の中の葉陰も吃驚を隠せない。
光斗とて、それは同じだった。
自分は、力には自信があった。それでも、あの影護体には簡単に投げ捨てられてしまったのだ。
それを彼女は、力ずくで押さえつけている。
その異形の手腕で。
「貴様、何者だ!?」
恐怖に近い声を葉陰があげる。
負傷して傍観を決めこんでいた葉陰たちも、そのソフィアの腕にたじろいだ。
やっと立ちあがった光斗も、その両腕をまじまじと見てしまう。
彼女の腕は、相手をつかんだ瞬間に豹変していた。
真っ白なきれいな肌は、真っ黒な艶のある金属のような色になっている。
女性らしいすらっとした形は見るあともなく、ごつごつとした筋肉質の肉づきになっていた。
長く猛禽類のような長い爪。
尖った肘。
それはどう見ても、人のものではなかった。
「こんな安物、私の美学に反します」
愕然とする周囲をよそに、ホークがいつの間にか影護体の懐に飛びこんでいる。
そして、掌をその腹部に当てた。
「私は、知っている。お前の真実が、死であることを」
力のある言葉が、青蓮語で放たれる。
今までもそうであったが、彼の力は言語に左右されないらしい。
彼の意志が表されることで、力を生むのだろう。
それを証明するかのように、影護体の頭が風に流れはじめる。
「お前など知らぬ。土塊に帰りなさい」
それは、否認。
いや、存在否定。
すばやく離れたホークとソフィアに、影護体が手を伸ばす。
まるで、捨てられた子供が親にすがろうとするかのごとく。
だが、その手は、ホークに届くことはない。
指の先から、腕も、足も、体のすべてが、見る見るうちに砂や土に解けるようにもどっていく。
細かい砂は風に流れ、土塊はボタボタと乾いて崩れるように落ちていく。
自重に絶えられなくなったように、影護体は四つんばいになる。
気がつけば、そこに人型はなかった。
ただの土の山ができていただけだった。
「ぐはっ!」
その山から、葉陰が姿を現した。
咳き込みながらも、自分の現状が理解できないように周囲を見まわす。
「うっ……ひいぃぃ!」
まるで、甲高い女のような悲鳴だった。
葉陰は、幼い頃から厳しい修行が課せられているという。途中から葉陰になることは非常にまれで、幼い頃から精神的にも特殊な教育を受けさせられているのだ。
その精神教育は、自らの感情は表に出さず、多くの恐怖を克服するように教え込まれているという。
「うわああぁぁ!」
だから多分、このようなみっともない声を出したのは、葉陰になって初めてのことだろう。
絶対的に信じていた鎧、最後の砦をいとも簡単に壊されたのだ。その衝撃は、かなり大きいはずだ。
「ひ、退くぞ!」
葉陰の誰かが叫ぶ。
土塊の中から生まれてきた薄汚れた葉陰も、慌てて這いだして転がるように逃げていく。
しかし、ホークにそれを追う気配はない。
リエが魔法を放とうとしたところを、逆にとめたぐらいだった。
「捕まえないの?」
不思議そうに見あげるリエに、ホークが「もういいです」と答えた。
「それより、リエ。先ほどの話を」
「ああ、あれね」
何事もなかったように、二人が話を続け始める。
そして、リエの口から医師の話を語られたとき、光斗は信じられない思いで、涙をこらえながら話を聞いていた。
彼女が助けられなかったという医師は、幼い頃から光斗の事を診てくれた医師でもあった。少し気が弱そうだったが、穏やかな人柄で、光斗も好きな人物だったのだ。
しかし、今回の事件に、彼がかんでいるかもしれないという。
「でね、私は蘭白が企んだんじゃないかと思って、どんな女か見たくなって見に行ったのよ」
リエの話に、ホークは黙ってうなずく。
「でもね、蘭白は犯人じゃないと思うの。光斗を狙っても、好きな男を殺せる女じゃないわ」
「リエが言うなら、そうなのでしょう……」
リエのませた言葉に、ホークは全面的な信頼を寄せているようだった。
しかし、今の光斗なら、それはわかる気がした。
普通に見れば、「子供がなにを」と鼻で嗤うところだが、彼女は違う。もし嗤えば、こちらが「坊や」と嗤い返されるだろう。
ホークもリエも、そしてソフィアも、見た目と中身は違うのだ。
「医者を襲った連中、道術を使っていたのですね」
「はい」
腕がいつものとおりにもどったソフィアが、何事もなかったように答える。
本当は聞きたかった。あの腕はいったいなんなのか、ソフィアは何者なのかと。
しかし、怖くて光斗は、訊ねることができなかった。
あれだけ動いていたのに、彼女はほとんど呼吸さえ乱していない。
とても、人間だと思えない。
そう予想どおり答えられたとき、いったい自分は、どう反応すればいいのだろう。
「医者を殺した四聖道。リエたちとの関連をごまかそうとした葉陰。光斗を泰山に送った、仙人しか知らない聖裁を知っていた貴先。ああ、なんとなくつかめてきましたね」
「そうだな」
ホークの声に、背後からどこかで聞いた声が答えた。
ふりむくと、そこにいたのは、木陰から現れたらしい風龍だった。
彼は天仙の服も着ないで、まるで町人のように前止めの紺の単衣を着ていた。
だが、どこか凜とした雰囲気は、蓬莱で会ったときのままである。
風龍は近づくと、光斗の肩を軽く叩いた。
「光斗様。安心しなさい。王を殺したのは、あなたじゃない」
「えっ?」
息を呑んで、光斗は風龍を見つめた。
「ずいぶん、早かったですね」
ホークの言葉に、風龍が軽笑する。
「そら、急ぎもするさ。大変だったんだぜ。見つからないように死体を探るのは。しかも、わざわざここに教えに来いと、伝言まで残しやがって」
「それで?」
「予想どおりだよ」
風龍が、また光斗にむきなおる。
そして、瞳を覗くように、光斗を見つめた。
「あれは、あなたが殴ったせいじゃない。そんな怪我じゃなかった。死体は腐乱してはいたが、かなり酷く肋骨が折れていることが確認できた。あれじゃ、一歩も動けるわけがない」
「……どういうことですか、風龍殿」
風龍の二重瞼が、憂いにかるく閉じられた。
「誰かが、夜のうちに殺した」
「ま、まさか! そんなわけが……」
思わず光斗は、龍泉を手放し、風龍の両肩に手をかけて力をこめる。
そんなことができるわけがない。なんと質の悪い冗談を言うのだろうか。王の死体を暴いただけでも罪だというのに、これ以上の狂言は許せない。
「…………」
しかし、風龍は黙っている。それは否定の沈黙ではない。肯定の沈黙なのだ。
「ずっと犯人は、機会を狙っていたのでしょうねぇ」
ホークが開口する。
「そして、いい機会を見つけた。これを使えば、王を殺せるし、第一王位継承者も消すことができると思った」
光斗は、静かにホークを見る。
「…………」
ホークの飄々とした表情は、いつもと変わらない。
「一応、王が殴られたのだ。念のために診断しておこうと、たぶん貴先あたりが薦めたのでしょう。『大げさだ』と断るでしょうが、信頼している家臣が心配してくれているのだからと、その夜に診断を受けた」
「ああ! そこで、あの痺れ薬を使ったんだ」
リエが手を打つと、ホークがうなずく。
「多分、腫れどめとか言ったのかもしれません。もちろん、多くの金を渡したり、娘をさらったりして、どうにかして医者に言うことを聞かせたのでしょう。こうして、王は眠ったまま、動けずにベッドにつく」
風龍がうなずき、説明を続ける。
「あの日は、夜通しで光斗王子の生誕祝賀会だったからな。貴先が王の部屋の見張りに『ここは私に任せて、お前たちも今日は少し祝ってこい』などと言えばすむこと。まあ、わからないけど、貴先なら、どうにでもできることだな」
「そして、貴先は眠った王に、死にいたる一撃をいれる。気配に目を覚ましても、薬で麻痺した王は動けない」
「でも、なんでよ?」
ホークの説明に、リエが腕を組む。
「貴先なんて、しょせんは家臣じゃない。白斗は子供だけど、気の強い蘭白もいるから権力は……」
「だから、その場で死刑にさせず、彼は光斗を泰山に送った。【神の廊下】の途中でさらって、乱心者に仕立てる気だったのでしょう」
「ああ。白斗も蘭白も、光斗が殺したことにするつもりだったのね」
恐ろしいことを明るい声で言うリエに、ホークが「正解」と答える。
「でも、光斗を乱心者にするには、どうにも動機が弱すぎる気がするわね……」
「リエ。あの街の噂は、伏線だったのではないでしょうか」
淡々と語るソフィアに、「そうか」とリエがうなずく。
「噂で、『光斗じゃなく白斗が王になることが有力になった』と国民に思わせようとしたのかも。それなら光斗は、自分が王になれると思っていたのに、裏切られて乱心……というストーリーなら、ちょっと説得力は弱いけど、あとは力ずくでごまかせるかもね」
「まあ、詳しい筋書きは、わかりませんけどね。ただ、光斗が死を求めるように血迷って、【神の廊下】をはずれたことで、筋書きどおりには行かなくなった」
「でも、まだ王位継承者は、確か一人いるわよ」
「光真王の弟、夜真」
風龍が答えた。
「兄に劣等感を持つ、ちょっと哀れなヤツだ」
「じゃあ、そいつも殺そうとしたの?」
「いえ。筋書きは白斗を殺して、そこでおしまいでしょう。さすがに、そんなに殺したらおかしいですからね」
「じゃあ、夜真が真犯人?」
「いいや、違うだろうな。そそのかしたのは、きっと貴先だ」
顔をしかめた風龍が、憎々しそうに語る。
「どうも、別の情報でも、貴先が四聖道とつながりがあるらしいという噂が出ていたところだ」
「まさか!」
状況について行けなかった光斗が、やっと声をだす。
「彼は、父の若い頃から、ずっと父のために……」
「貴先も、どこかで四聖道にたぶらかされたんだろうな。魔がさしたのか……」
舌打ちしてから、風龍が続けた。
「ともかく、四聖道が絡んでいるなら、夜真ぐらいの器では、傀儡にされるだけだろう。結果的に権力を握るのは、貴先であり、そして裏でヤツを操っている四聖道の【四聖導師】だ」
光斗がホークから聞いた話では、四聖道の本当の目的は、乾坤龍魄だという。
仙道では、その乾坤龍魄の力を人の手に渡さぬために、不可侵の力として守ってきた。しかし、そんな仙道の中にいながらも、「この力を使って、世を平定するべきだ」と考える者達がいた。
その危険な思想を持った者達は、反乱を起こそうとした。しかし、事前にそれが発覚し、反乱を起こすどころか、囚われることなく蓬莱から逃げるのが精いっぱいだったという。
しかし、反乱者たちはあきらめなかった。反乱した四人の元天仙は、四聖導師と名のり、四聖道という組織を作った。彼らは、息を潜めながらも、仙術をより戦闘用に特化した道術を編みだし、手下である道士を増やして、組織を拡大していったのだ。
彼らにしてみれば、王家をのっとるのも、乾坤龍魄のためなのであろう。青蓮国軍と四聖道で蓬莱を攻めれば、仙人たちとて防ぎようはないはずだ。
そうなれば、これはもう、青蓮国だけの問題ではなくなる。
「なんてことだ……」
「いやはや。大変な話になってきましたね」
ホークの呑気さに、光斗はつい苛々してしまう。
しかし、それを抑える。今、自分に必要なことは、冷静にどうするべきか考えることだ。
自分が王宮にもどって、この事実を伝えるべきだろうか。
だが、こんな証拠もない話を蘭白が信じるとは思えない。
それに彼女では、夜真と貴先相手に対処できないだろう。
すでに、権力の半分は、もぎ取られている状態なのだ。伝えるべき相手がいない。
(打つ手が……)
光斗には、思いつかなかった。
ふと、彼は最後の賭けのつもりで、顔を上げてホークを見る。
「とりあえず、豊都にもどりましょう」
まるでそれを待っていたかのように、ホークが開口した。
「もどる……って?」
「あなたの修行のためですよ。このままでは、気になって修行にならないでしょう?」
ホークの微笑に、光斗は思わず強くうなずく。
具体的な根拠はない。
でも、大丈夫だ。この人には、なにか策があるのだと、光斗の中に希望がわいた。
「光斗。誰か信用できて、一時的にかくまってくれる友人や知り合いはいませんか?」
「…………」
友人と言われても、光斗には心を許せる友人などいなかった。
もともと人づきあいも得意ではなく、口も上手くはない。公務としての人間関係は別として、あとは武術での知り合いがいたぐらいだが、命をかけてくれるほどの友人など、いやしなかった。
と、一人の女性の像が脳裏に浮かぶ。
「順天殿……」
「順天?」
「私の許嫁……だった女性です」
光斗は、下唇を噛んだ。
「なるほど。でも、まだ過去形にするのは、早いかもしれませんよ。これでうまくいけば、あなたが王家にもどる可能性もありますしね」
「…………」
そうかもしれない。
光斗の中で、心が揺れた。まだ、彼女と約束した未来があるのかもしれない。
光斗は、順天の自分を呼ぶ声を思いだす。裏表のない、まっすぐな声は、光斗にとって大切な存在だった。
きっと優しい彼女のことだ。自分を心配していることだろう。事情を話して、かくまってくれと頼めば、彼女ならば受けいれてくれるかもしれない。
しかし、自分をかくまうことは、下手をすれば反逆の罪に問われる事にもなりかねない。
心配をかけ、約束を破るかもしれない上に、命の危険にさらす迷惑をかけて良いものかと、光斗は葛藤する。
(しかし……)
国が乱れれば、どちらにしても彼女に、平和は訪れないだろう。
そして、ホークがなにを考えているかわからないが、うまくすれば、問題はすべて解決するはずである。
今は、ホークの策に賭けるしかなかった。
「風龍、お願いがあります」
「はいはい。こうなりゃ、使いっ走りでもなんでもしますよ」
大きなため息と共に、風龍が苦笑いを見せた。
「それは心強い。では、先に豊都まで行ってもらい、その順天という方を見つけて、事情を話して、かくまってもらえるように手配をしてください」
「はいよ。で、お前たちはどうするんだ?」
「ゆっくりと、光斗を鍛えながら進みます」
「あまり、ゆっくりとはできないぞ。白斗殿の即位式は、あと九日後だ」
「では、その前日には、最悪でも着くようにしましょう。そして、光斗」
「はい」
呼ばれた光斗は、ホークにむかって身をただす。
だが、ホークは手でリエとソフィアにむかうよう指さした。
「豊都に着くまでの間、二人があなたの先生になります」
「……はあ?」
という驚きの声を、リエもかぶるようにあげる。
「ちょ、ちょっとホーク。わたしが教えられるのは……」
「はい、雷光魔法。それでいいです。彼は、あなたと同じ属性を持っています」
「…………」
少し膨れた顔でリエに睨まれ、光斗は思わず強ばってしまう。
「彼の戦い方に合った、二、三の防御と攻撃の魔法を授けてください。リエぐらいの魔術師から教えられれば、短期間でそのぐらい習得できるでしょう」
「ああ、もう! お世辞なんて言わなくても、わかったわよ」
と怒りながらも、リエは少し紅潮する。
「それからソフィアは、彼に棍術と総合的な格闘術を」
「はい。マスター」
「よし。では、そういうことで」
「いや、あの師匠……」
光斗は、慌てて待ったをいれる。
なんで自分が、彼女たちに教えを請わなくてはいけないのか。
いや。確かに彼女たちが強いことはわかる。それにソフィアに鍛えてもらうのは、確かに良いかもしれない。正体が何者にしろ、強いことにはまちがいない。
しかし、仙術ではなく、いきなり魔法をリエから習うなど思ってもいなかった。
(でも……)
それを言っても、きっと無駄なのであろうと光斗は気がつく。というよりも、ホークには、なにか考えがあるはずだ。今までもそうだったように、自分が魔法を覚えることは、必要なことなのだろう。
「どうしたんですか、光斗」
「いえ。その……なんでもありません」
待ったをいれたはいいが、自問自答しているうちに質問がなくなっていた。
「なんなんです? おなかが減りましたか?」
「……違います」
「今日の夕飯が気になりますか?」
「……違います」
「残っている料理は、私のですよ」
「食べることから離れてください」
「私は、おなかが減っているんです」
「そんなこと、聞いてません」
「では、なんですか?」
「ですから、別に……あ、そうでした」
光斗は、ふと思いだしたことを口にする。
「豊都にもどったあと、どうするつもりですか?」
「ああ。そのことですか」
ホークが尖った三角の帽子をなおして、光斗に笑いかけた。
(ああ……)
もう、その瞬間に、光斗には答えがわかった。彼の笑顔は、それこそ悪魔のほほえみだ。
「あまり策なんて考えていないのですが、とりあえず忍びこんで、貴先を締めあげればいいんじゃないですかね」
「……な、なるほど」
慣れとは怖いものだと、光斗は感じてしまう。ホークの言うことややることに、もう大した驚きはない。
かるくため息が出るだけだ。
それに光斗は、ここ最近、驚き疲れていた。もう多少のことでは驚かないし、おかげで冷静でいられそうだった。
というわけで、ここから光斗たちの反撃が始まります。