四章 失望
天仙達の住まう山で、やっと主人公達の再登場です。
まさに桃紅柳緑。
光斗にとって、そこは別世界だった。
大きな円を描く、幅広い砂利道で囲まれている場所だった。
その道の内側には、小さな木の家が点々とならんでいる。
一般的な村ならば、家と家の間には、田畑があるものだろう。
だが、そこに田畑はなく、あるのは多くの桃の木だった。
とにかく大量の桃の木が、たわわに実をつけている。
乳白色から、柔らかな赤に色づいた桃は、どれも食べ頃に見えた。
王宮にも桃の木はあったが、これだけ立派な桃林を光斗は見たことがない。
そして、その桃をもいでいる者達がいた。
彼らこそが、仙人の中の仙人、天仙たちだった。
彼らはそろって、袖下が膝近くまで長い、青い長袍を身にまとっている。胸には、仙人を表す【陰陽龍紋】という紋章が付いていた。
陰陽龍紋は、円が半分ずつ白と黒に塗られている。その周囲を二匹の龍が、互いの尾を飲みこむようにして、輪を作っている。それは、世界の二面性と、すべてが一つであり、一つがすべてであるという仙道の教義を示すものだった。
光斗は、天仙たちをつい無遠慮に見てしまう。
もちろん、今までも何人かの天仙とは、会ったことがある。しかし、これだけ多くの天仙を見たことなどありはしない。男もいれば女もいる。年齢も幅広く、二〇代後半から七〇以上に見える者もいた。
それどころか、獣の頭を持つ者もいた。
強力な魔力の影響で、ときどき人も魔物となる。近くいた動物と融合してしまうこともあるのだ。
しかし、ホーク曰く「人の形を保っていられるのは、天仙の資格がある」ということらしい。
魔物になろうとも、人としての意識を失わない。そして、自分を保とうとするので、一部の形が獣になったりするが、最低限人型になる。その魔力の抑制力こそが、天仙の才能でもあるという。
「どうせここにいるのは、人あらざる者。姿形など大した意味はありませんよ」
歩きながら説くホークに、光斗は黙ってうなずいた。
二人は、【九天宮】にむかっていた。
この蓬莱の中心にある九つの塔と、それをつなぐ壁に囲まれた宮殿である。
そこは九龍の住まいであり、金龍もその中にいた。
(もう少しだ……)
光斗は、すでに蓬莱の中にいた。
蓬莱の周りにある帰墟と呼ばれる結界を超えた直後、門番らしき者たちに刃を向けられた。
しかし、幸いにしてその者たちはホークの顔を見知っていた為、すぐに刃を納めてくれた。
それでも、やはり警戒は解いてもらえなかった。もちろん、光斗の存在である。
蓬莱は、普通の人間が入れない場所である。天仙、または天仙に連れられた地仙しか許されない。ホークは光斗を弟子として紹介したが、いくら仙人修行中の者とて、本来ならば地仙にもなっていない者が入ることは許されない。
だが、さすが九龍の権限は強かった。ホークが「彼を入れる必要があります」と告げるだけで、門番はその後に文句をまったく言わなかった。
同時に、ホークが天仙だということに、光斗も文句の付けようがなくなったのだ。
九天宮には、桃の林の真ん中を走る石畳の先にあった。
少し高台にあるそれは、人の背丈三~四人分はある、高い石造りの塀に囲まれている。
その塀をつなぐように建つ、装飾のほとんどない塔も、やはり石造りだった。
塔の高さは、建物五~六階分はあるだろう。これが等間隔に八つも建っているのだ。さらに建物の中央には、他の八つの塔よりも高い【鈞天宿】と呼ばれる塔がある。
これだけの石材をどこから運んできたのか、光斗には不思議でならない。
不思議なことは、それだけではない。
ここの風色自体が不可解だった。
大地の鮮やかな緑。
生命力あふれる木々を飾る桃色。
雲一つない、ぬけるような空の蒼。
忘れそうになるが、ここは五神歩(約三〇〇〇メートル)以上ある泰山の山頂なのだ。
このように桃がなるようなことがないどころか、残雪があってもおかしくないほど寒いはずだ。
しかし、純美の景色を撫でる科戸の風は暖かい。
まるで、光斗の中にある闇までも溶かしていくように、気持ちを穏やかにしてくれる。
また、体に力がわいてくる。今まで気だるかった四肢がかるく感じる。
「ここは、神氣を強く感じるでしょう」
光斗の心を読んでいるかのようにホークが呟く。
「それにここは、不自然ですよね」
光斗は、深くうなずいた。
「ここは、山の中にあるある物から放たれる膨大な神氣を結界で押さえ込んでいる場所なのです」
「ある物?」
ホークは、笑みで肯定する。
だが、その正体を教える気はないらしい。
「だから、蓬莱には、神氣が充満している。その神氣を使って、このような世界を構築しているのです」
確かに光斗にも、神氣が満ちているのがわかった。
また、周囲の天仙たちを見ても、それはわかる。
なにしろ多くの天仙たちが、飛んでいるのだ。
高い位置にある桃の実を摘むのに、フワッと風に吹かれた紙風船のように浮かびあがり、そのまま虚空に浮いている。
中には、空で方向を変えて進む者もいた。
確かに「天翔る仙人」であるからこそ、彼らは天仙と呼ばれる。
しかし、下界ではせいぜい高く遠くへ跳べるだけだ。あのように飛べるわけではない。
飛ぶには、多くの神氣を要するはずなのだ。逆に言えば、飛んでいることこそが、ここに高密度の神氣がある証拠だった。
「さて。到着ですよ」
しばらくして二人は、九天宮の門前に着いた。
人の丈の数倍はある木の門の前を、光斗はぐっと見あげる。
(とうとう……)
蓬莱の景色に囚われていた、光斗の心がもどってくる。
胸中で、大量の虫が這っているような気持ち悪さ。その虫たちが、心臓を食い破ろうとするような苦しさがわきあがる。
入門は、ホークが「鷹龍」と名のって戒牒を見せると、いとも簡単に許された。
二人は門から続く道を進んで、まずホークの屋敷へとむかった。
やはり、桃の木が植えてある中庭を抜けて、八つの塔のうちの一つにむかった。
塔の下の方には、ちょっとした屋敷が造られていた。ざっと一〇部屋以上はありそうな建物である。
その屋敷の入り口には、【玄天門】と掘られた石版が貼りついていた。
「塔なんですけど、神氣の通り道という意味で門と呼ばれているんですよ」
ホークはそう説明しながら、光斗を中に招いた。
両開きの戸を開けると、二〇歩ほどある廊下が、まっすぐと伸びていた。
天井は高く、どうやらここだけ吹き抜けになっている。
光斗は、つい周りを見まわしてしまう。
(なるほど……)
九龍は王家と同等の地位をもつというが、確かに王宮の部屋と比べても遜色はない。柱や壁の作りは、光斗でもわかるぐらいの格を感じる。
ただ、王宮に比べて質素に見える。
それは、絵画や陶磁器の壺などの飾りが、一切なかったからだろう。
「鷹龍、もどりましたよ」
ホークがそう言って、手を一度、叩いた。
すると廊下の左右に、まるで薄い煙のような物がいくつも立ちこめた。
かと思うと、その煙は見る見るうちに濃くなり、女性の姿に変わっていく。
(天仙娘々……)
煙から女性に変わったのは一〇人。
天仙だけが召喚できるというその精霊たちは、左右に座して低頭する。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま。二年間、留守番ご苦労様でした」
一人の天仙娘々の言葉に、ホークは笑み顔で応じた。
「光斗殿。その姿で、金龍様とお会いになるわけにはいかないでしょう。沐浴と着替えをすませてください。天仙娘々たちに、手伝わせます」
「え? あ、いや……」
光斗のとまどいも、ホークの計算の内だったのだろう。
くすくすという彼の声が聞こえて、光斗はよけいに紅潮する。
女官に世話をやかれることには、光斗もなれていた。
しかし、目の前の天仙娘々たちは、女官たちにはない妖艶な美しさがあった。
いや。それはまだいい。
問題は、身にまとっている物が、透き通るほど薄手の羽衣だけだったということだ。
一枚の布のような羽衣を器用に体へ巻きつけているだけなのである。
体の形はもとより、身体のあちこちが露出し、あまつさえ豊艶な乳房まで見えてしまいそうだった。
いくら精霊とはいえ、実体化してしまうと、見た目は人間と変わらない。
光斗は、仙姿玉質から思わず目を背けた。
「娘々。光斗殿に沐浴と着替えを」
「ホーク殿! 私はじ、自分で……えっ!?」
右腕に柔らかな感触を感じて、光斗は固まった。
いつの間にか、天仙娘々の一人が腕にしがみつくようにしている。
そして、左腕にも別の天仙娘々がしがみつく。
両腕が、ふくよかな谷間に収まってしまう。
真綿のような柔らかさと、人と同じ暖かさに、光斗の体が硬直する。
「うふふ。参りましょう、光斗様」
天仙娘々たちは、光斗の様子を興じるように、笑いながら引っぱっていった。
そこから、光斗は紅潮したまま、沐浴と着替えをすませることになった。その様子は後から思い出しても、顔が熱くなってしまう。
なんとか用意が終わり、天仙娘々にだされた茶を飲んでいると、同じく沐浴をすませたホークがやってきた。
彼は他の天仙たちと同じように、袖下の長い青い長袍を身にまとっていた。
青蓮人と同じ、黒系のフサッとした髪と、黒い双眸の姿は、衣装さえ着替えてしまえば、立派な仙人に見える。
準備ができたところで二人は、玄天門を出て金龍のいる鈞天宿にむかった。
鈞天宿は、九天宮の中央にそびえ立つ、ひときわ高い石造りの塔だった。普通の家にしたら一〇階ほどの高さはありそうな、裾が広がった円筒形をしている。
高さだけならば、王城よりも高い。
ホークに連れられた光斗は、その中に入るとすぐに金龍と対面することができた。
どうやら、あらかじめホークが、金龍に使いを出しておいてくれたらしい。
そこは、城の王座の間ほどは広くないが、似た雰囲気の部屋だった。
上座の席には、金龍が座っている。
見た目は、八〇を過ぎているであろう老人だった。白髪白鬚をフサフサとさせている。
だが、その眼光は、曇りなく衰えを感じさせない。
ホークと共に光斗は、金龍の前に立ち頭を垂れた。
「鷹龍、儀式のためにもどりましてございます」
「鷹龍殿。いつも、お手数をおかけして申し訳ございませぬ」
金龍の態度は、妙に腰が低かった。
九龍といえども、金龍は他の八人を統べる者である。その地位は、確実に違う。
しかし、ホークにかけた言葉は、頭をさげて礼を言っているかのようだった。普通ならば、命令しようとも、礼を言う立場ではない。
「金龍様。こちらが、光斗様でございます」
「ご無沙汰しております。金龍様」
ホークにうながされ、光斗は両手の指先を合わせるようにして三角形を作り、胸元に構えながら辞儀する。
「光斗殿。ご立派になられましたな」
「ありがとうございます。わたくしも、金龍様のご健勝をお喜び申し上げます」
光斗は、王宮で金龍とは出会っていた。
一五才の成人の儀式の時である。
金龍の穏やかな表情は、その時と変わりがない。
「さて、光斗殿。あらましは、鷹龍殿からの伝言で聞いております。まずは、聖裁についてですが、確かにその約束事は存在します」
光斗は、ため息を小さくついた。
もっとも古い仙人である金龍にまで知らないと言われたら、もう打つ手がない。
「ただし、鷹龍殿から聞いたが、天仙に会うまで絶食をしなければならないという慣わしなどありませんし、なにも一人で来られることはない。地仙居を通して、この金龍に知らせてくれればよいのです」
「えっ……」
「そもそも、表むきの聖裁とは、大事な国政において王が判断しかねた時に、我ら天仙を通して龍神様に判断を委ねるというもの。しかし、本質的には、国の存亡に関わる問題が起きたときに、世俗の権力に関与しないはずの我ら仙人が、例外的に力を貸すという密約なのです」
「…………」
悪い予感がした。光斗の中に、疑念が生まれる。
「最後におこなったのは、先々代の王の若い頃の話です。ほとんどの場合は、世襲する時に、この制度が伝えられるのですが、よくご存じでしたな」
「私は……知りませんでした」
眉に力を込めるように顰めて、光斗は視線を落とした。
人知れず、ホークが横で薄笑いを浮かべる。
「貴先が教えてくれたのです」
「貴先軍長ですと? これを知るのは、天仙と王家の中でも濃い血筋の者のみ。光斗様には、王から伝えられるはず……」
「王は……登仙いたしました」
「な、なんと……」
「私が……私がこの手で殺してしまったのです!」
◆
「まあ、とにかく食べましょう」
一〇人ほどが、席に着けるぐらいの規模がある食卓だった。
王宮ほどの広さほどではないにしろ、充分に広い部屋である。
そこにホークと光斗は、向きあって座っていた。
二人の眼前には、野菜料理に魚料理、そして肉料理までならんでいる。
通常、天仙はこの地で採れる桃を食していれば、健康に生きられる。
その為、他の食品は嗜好品にすぎず、むしろ食べることで体調を壊すこともあり、進んで食べる者は少なかった。
しかしながら、ホークは外での暮らしの方が長い。
蓬莱にもどってくるのは、ある儀式のために、二年に一度だけだという。
「桃も確かにおいしいのですが、さすがにそれだけでは飽きますから」
だから、ホークの食事は、いつもこのような感じらしい。わざわざ地仙居経由で、食材を運びこんでいるそうである。
「ほら。冷めますよ」
ホークは、天仙娘々たちが用意してくれた夕食を次々に口へ運ぶ。
だが、光斗はそれどころではなかった。
豪勢な食事を前にしても、食べる気がまったくわかない。
真横から、心配そうに覗きこむ天仙娘々たちにさえ、光斗は気がつかないありさまだった。
(どうすればいいのだ……)
この自問を何度しても、彼の中に答えはでてこない。
夕方の金龍との謁見で、彼は聖裁を断られていた。
告白はした。
父である王を手にかけたと。
無論、故意ではない。
月に何度かしている組み手時の事故だった。
光斗の一撃が、光真の胸に当たったのである。
その場では、大きな怪我をしたようには見えなかった。
見た目ならば、光斗の方がよほどやられていた。
にもかかわらず、翌朝に胸が腫れあがり、血を吐いて光真は死に至っていたのだ。
医師の話だと、内臓に傷がついていたのだと言う。
事故とはいえ、王族内で起きた親殺しは、大きな問題になった。
義母である蘭白は、光斗をすぐにでも死刑にすることを求めてきた。
それに対し、貴先が聖裁を持ちだしてとめたのだ。
しかし、ふたを開けてみれば聖裁は、貴先が言うようなものではなかった。
「我らは、山を守る仙人です。山を守るために、青蓮国に手を貸すことは致しましょう。しかし、人の罪を裁く神ではないのです」
そう言って金龍は、とりあってくれなかった。
「やれやれ……冷めてしまうというのに」
ホークの呆れ気味の声で、光斗の意識が少し現実にもどった。
「…………」
「食べられるときに食べるのは、大事なことですよ」
ホークにたしなめられるが、食欲などわくわけがない。
仕方なく食事を断ろうかと考えていると、天仙娘々の一人が戸を開けて入ってきた。
そしてホークに耳打ちすると、また部屋の外へ出て行く。
「客のようです」
ホークが告げて席を立った。
途端だった。
光斗の背後にある部屋の入り口から、軽快な声が聞こえる。
「鷹龍! 帰ったのか!」
「ええ。ご無沙汰ですね、【風龍】」
「本当に、ご無沙汰だよ。おまえって奴は儀式の時にしか、もどってこねえんだからよ」
その弾むような喜びの声は、今の落ちこむ光斗の気持ちをチクチクと刺激した。
それでも光斗は、席を立ちあがりかるく頭を下げる。
「あらま、お客さんがいたのか。こいつは失礼した」
風龍と呼ばれた来訪者は、居住まいを正して指で三角を作る挨拶をする。
「我は九龍が一人、【朱天門】の主で風龍と申す」
見た目は、三〇才そこそこの男だった。肩口ぐらいまである髪を、後ろで縛り束ねている。黒髪に少し茶が入った色をしていたが、顔立ちから青蓮人に見えた。
男としては切れ長の目。少し面長ながら、同性でも思わず魅入られてしまいそうになる端麗さがあった。
しかし、同時にどこか、野性的な空気をまとっていた。着やせしているように見えるが、体つきは悪くない。身長も高めで、光斗より少し低いぐらいだろう。
「客人がいるとは知らず、はしゃいでしまって失礼した。えーっと、どこかでお会いしたことがあったかな?」
整った顔で、彼は人好きのする笑顔を作る。
光斗はちらっと、ホークを窺った。
ホークがそれに気がつき、かるくうなずく。
光斗も風龍と同じように指で三角形を作って見せた。
「私は光斗と申します。この度、鷹龍様に弟子入りいたしました」
「うおっ。本当かよ!」
風龍がわざとらしく、長袍の袖を広げるように一驚してみせた。
「とうとう鷹龍も弟子を取ったのか。なかなか取らないから、どうするのかと思ったぜ」
風龍はホークの横から、肩を抱くようにして叩きだす。
「お前はだいたいさ、ただでも三人分なんだから、とっとと後継者の弟子を作るべきだったんだよ」
彼の言葉に、ホークが片笑みでかえす。
「しかしまた、魁偉を捕まえてきたな」
風龍の値踏みをするような目線を受けて、光斗はとまどった。
不躾に頭から足先まで、じろじろとおもしろそうに観ている。
「一体、どこで捕まえてきたんだ? えっと、光斗って言ったっけ……って、あれ?」
すーっと、彼の頬がさがった。
「光斗……って……」
風龍の目線が、値踏みから見極めに変わる。
軽々しそうな男だと思ったが、さすがに九龍だけある。眼光にただならないものを感じて、光斗は金縛りにあったように動けなくなっていた。
「おいおい、鷹龍。冗談はやめてくれよ」
両肩を思いっきり落として、風龍はため息をつく。
途端、光斗の金縛りもとける。
「この方は、青蓮王家のご嫡男、光斗様じゃないか」
「ええ、そうですよ」
「ええ、そうですよ……って、お前はまた、オレになにか隠してるな」
不機嫌そうに片眼を細めた風龍は、勝手に食卓にあった椅子を引きだして、どかっと腰かけた。
そして、手づかみで料理の一つをつまむ。
「お。これ、うまいな」
不機嫌を忘れたように破顔した。
この男もつかめない。
風龍もまた、型破りの仙人なのだと、光斗は思った。
青蓮国次期王が立っているのに、自分だけ座ると、平気で桃以外の食べ物を手づかみで口にする。
もしかしたら、型破りの似たもの同士で、ホークとは仲がよいのかもしれない。
「で。事情は、教えてくれないのか? 死んだはずの王子がここにいるわけを?」
「えっ? し、死んだはず……?」
「ん? あれ? まさか……ご存じなかったのですか?」
驚きのあまりに光斗は、風龍に答えることさえできなかった。
代わりにホークが答える。
「初耳です。どうなっているのです?」
「どうなっているもなにも、オレは王家から今朝、報告を受け取って帰ってきたところだ。光真王が、重い病にかかり登仙。王子である光斗様は、王の病のために蓬莱にあるという幻の万病薬、金丹を譲り受けようと直々に願いに行くが、途中で魔物に襲われて死亡してしまった……という悲劇の美談になっていたぞ」
「おやおや。また、ずいぶんと脚色されましたね」
「しかも、光斗様のくだりが、またおもしろいだろう? 確かに金丹は、蓬莱の宝とも言うべき薬。礼節を持って王子が頼むというのはわかるが、山の魔物に簡単にやられる護衛なんて意味がない」
「王の病気は、国民に秘密だった。だから、光斗殿の蓬莱行きも、人知れず行われなければならない。だから、護衛人数はせいぜい二、三人」
「だとしてもさ、王子の身を守るために精鋭がつけば、地仙居までつけないはずがない。だいたい【神の廊下】ならば、魔物に遭うこと自体、少ないじゃないか」
「不自然きわまりないですね。しかも、現実とはまったく違うときている」
ホークの声は、どこか愉快そうだった。
だが、光斗にしてみれば、笑い話にもならない。
ホークと風龍の話が、頭の中でグルグルと回る。
自分は生きている。
なのに死んでいる。
名誉を守るためなのか、王は病に倒れたことにされた。
ならば、自分はなんのために、聖裁を求めて泰山を登ったのだろうか。
最初からこうするならば、自分がここに来る理由はなかったのではないだろうか。
自分の行動も、信じてきたことも、否定された。
それどころか、生きていく道さえも否定された。勝手に道の終端を作られて、終わらせられてしまったのだ。
「ふーん。なるほどね……」
食事をつまみながら、ホークからの事情を聞いた風龍が、何度かうなずいていた。
「だから、報告したときに、金龍様も悩んでいらしたのか。しかも、事情を説明せずに『鷹龍の所に行け』とは、金龍様もお人が悪い」
風龍が、くっくっと声をもらしてから言葉を続ける。
「しかし、変な話だな。貴先将軍は、なんで聖裁なんて言いだしたんだ? 光斗様を助けるためか? でも、なんで【九天宮】に到着確認していない?」
「まあ、どこかで誰かの計画が狂ったんでしょうね」
ホークもいつの間にか席にもどって、食事をとっていた。
「到着確認をすることはできなかった、と考えるべきでしょう。そして、到着するわけもないと思っていた」
「どういう……ことですか?」
光斗がふりしぼるように尋ねるが、ホークは「わかりません」と肩をあげて答えた。
「ともかく、あなたはもう、王家にはもどれないということでしょう」
「…………」
光斗は、崩れるように跪いてしまう。
そうだ。
事情はよくわからないが、自分がもどる場所はなくなってしまったのだ。国民にこんな発表をした以上、自分がおめおめともどれるわけがない。
「私は、不要か……」
光斗は、思わず呟いた。
聖裁も受けられない。
国にもどることもできない。
罪を裁いてはもらえず、父を殺した罪悪感にさいなまれる。
信じていたものも、すべての道が失われてしまった。
むしろ、自分など生まれてこなければ、偉大なる王をこのように早くから失わなかったかもしれない。
「死にたい……」
光斗は、救いを求めるように呟いた。
「死んでしまいたい……」
「そんなに死にたいですか?」
ホークの問いに、光斗はうなだれるようにうなずく。
「いいでしょう。これもなにかの縁です。それが救いになるなら、私があなたの死ぬ機会を作ってあげましょう」
光斗は、バッと顔をあげた。
横で食事を喉に詰まらせた風龍が、慌ててホークをとめようとする。
だが、ホークは続ける。
「でもですね、どうせ同じ死ぬなら、誰かの役にたって死んだ方がいいと思いませんか?」
「え? いや、それは……」
「ですよね。じゃあ、決まりですね」
「いえ、まだ返事……」
「どうせ死ぬなら、私のために死んでください」
「はあっ? ……ホーク殿のため?」
「ええ。だって、ただ命を捨てるのは、もったいないじゃないですか」
「もったいないって……」
「ならば、蓬莱まで案内したり、食事をごちそうしたりした、恩ある私のために、命をはってもよいじゃないですか」
確かにそうかもしれない。
しかし、この男はまるで「食べ物を捨てたらもったいない」と言うのと、同じぐらいの軽さで言っていた。
光斗は、どこか毒気を抜かれた気分になる。
「私はしばらくしたら、また旅に出なければなりません。それに、かなり危険な場所にも行きます」
「危険な場所……仙人のお役目ですか?」
「いえ。用事はありません」
「……ならば、行かなければよいのでは?」
「行きたいのです」
「行きたいって……」
「ですから、私の護衛になりなさい」
「…………」
光斗は、あまりに突拍子もない提案にとまどった。本来は護衛される立場である王家の人間に、自分を護衛しろと平然と言ってのけるのだ。
この男の言うことは、いつも光斗の予想を遙かに上回っている。
「ただし。今のあなたでは、大した役には立ちません」
「なっ……」
さらに予想外のことを言われ、光斗は息を呑む。
「あなた程度の武術では、私の護衛にはならない、と言っているのです。ですから、まずあなたには、本当に仙人になってもらうため修行してもらいます。まあ、ちょうど下界で死んだことになっていますから、尸解の儀式も済んだようなものでしょう」
尸解とは、仙人になるための儀式であった。
仙人とは、人であって人ではない。
だから、仙人になるときは、人間としての生を終わらせなければならない。
もちろん、本当に死ぬわけではない。通常は、国に死亡届をだして死んだことにするのだ。
それにより、その者は死人扱いになり、どこの国民でもなくなる。「いない人」になるのだ。
まさしく今、光斗は「いない人」にされていた。ホークの言うとおり、尸解したも同然の状態であった。
その言葉に、光斗は深く傷ついたが、一方でもう一つのことにも傷ついていた。
おかげで彼は唯一、自分に信じられるものが残っていることに気がつく。
「待ってもらいたい。『あなた程度の武術』とはどういう意味か。私は、これでも奥伝にいたり、泰斗龍神拳師範の資格を得ている」
「やっと奥伝に至った師範程度では、話にならないのです。皆伝したわけではないですよね。その差は大きいですよ」
「私は、皆伝者相手にも、五分の戦いをしてきた」
光斗にしては、饒舌だった。
それだけ、これは彼にとって引けないことだった。ここで引いてしまったら、彼にはなにも残らない。
「私は、たとえ仙人の武術という【守護龍法】相手でも、勝つ自信がある」
「あはは。無理ですよ、無理」
ホークが、あからさまに挑発する。
「そこにいる優男の風龍にでさえ、あなたは一発も当てられません」
「聞き捨てならん!」
「なら、風龍と勝負してみますか?」
「おいおい、鷹龍。オレを巻きこむな」
まだ食事をつまんでいた風龍が、顔をしかめて横をむく。
「だいたい、オレになんの得があるんだよ」
「あなた、ただ飯を食べる気ですか?」
「げっ……せこい」
「それにきっと、おもしろいことがわかりますよ」
「……ったくよ。いつもそうやって」
あきらめたのか、風龍は近くのふきんで手を拭いて立ちあがる。
そして、部屋の横にある大きめの窓を開けると、かるく跳ねあがって窓の外に出た。
どうやら、そこは中庭のようだった。
日が沈んでいるので暗いが、いくつかある灯籠が庭園を映しだしている。
ただ、庭園といっても、奥に石で作られた小さな池と、その側に、桃の木が一本立っているだけである。
「気が進みませんが、光斗様。一つお手合わせを」
「…………」
光斗も風龍と同じように、窓から外にでた。
そして、おもむろに構える。
「気が進まないのに、なぜです?」
「気がつきませんか? 鷹龍は、矛盾したことを言っています。たぶん、それがおもしろいことなのでしょうが……興味はあるんですよ」
庭の広さは、二組ぐらいが組み手をやっても余裕があるぐらいだった。
二人は、真ん中でむき合って礼をかわす。
「ああ。建物に傷がつくのは嫌なので、派手な技は禁止ですよ」
ホークが窓から顔を出す。
「光斗様、応援しますわ~」
「素敵な技を見せてくださいまし、風龍様」
別の窓からは、天仙娘々たちも身をのりだし、好き勝手に応援している。
「参る」
その声援を無視して、光斗は拳を地面と水平に構えた。
対して、風龍は八双という、両手を開いて、胸の前で大きな玉を抱くような構えを取る。
間合いは、五歩ほど。
光斗は、踏みこんだ。
その一歩は、五歩分を埋める。
左前の構えから、拳を突きだす。
左顔面を狙うも、それは惑わし。
本命の右逆突きを打ちだす。
「!」
狙っていた風龍の腹部が消えた。
「くっ!」
気がつけば、右三歩先。
風龍は、八双のまま立っていた。
体勢はまったく変えていない。
まるで、最初からそこに立っていたかのようだった。
(縮地……)
その歩法は、守護龍法にある技であった。泰斗龍神拳にも、光斗が先ほど使った一瞬で間合いを詰める【疾歩】という歩法があるが、【縮地】はそれを遙かに上回る機動力がある。
移動法において、仙人の体術は恐ろしいほどに優れていた。
だが、基本的な肉弾戦においては、仙人たちも認めるほどに泰斗龍神拳の方が優れている。
右足を斜めに踏みこみ、光斗は左脚を背後から回す。
風龍の顔面を光斗の左踵が狙う。
また、風龍の顔がいつの間にか消えている。
だが、光斗も、もう驚かない。
逃げる方向は、読めている。
さながら、竜巻のようだった。
高さを変えて、右、左、右……。
光斗は、次々に回し蹴りを繰りだす。
常人ならば、その動きを追うことも難しいだろう。
されど風龍は、すべてをかわす。
そして、八発目の蹴りを左腕で受けとめる。
(捉えた!)
風龍の背後は、もう壁だ。
「なるほど……」
風龍は、動じていない。
それどころか、八双の構えを解いた。
一気に、光斗の憤激が高まる。
風龍の真っ正面に体を置く。
瞬息おかず、光斗は無数の突きを繰りだす。
「はあぁぁぁっ!」
一撃、一撃は、重くない。
牽制だった。
隙を作るための。
だが、風龍は左腕一本で、それを弾くように捌いていく。
対照的だった。
嵐のように攻めたてる光斗。
それを凪ぐように捌く風龍。
強さを求め、敵を倒して進むための泰斗龍神拳。
その技は、先手必勝。
山を守る、身を守ることから生まれた守護龍法。
その技は、後手必勝。
その違いが、明らかに出ていた。
光斗は、無数の拳を突きだし続ける。
が、様子がおかしい。
「むっ!」
風龍が、いつの間にか左腕に風をまとわせている。
彼の腕の動きに遭わせて、風の流れが作られる。
流れは、光斗の拳の軌道を狂わせる。
(この技は、【流風余韻】……)
風により、腕が弾かれやすくなる。
隙を作るどころか、隙ができてしまう。
(ならば!)
ぐっと腰を落とす。
光斗は、足払いを放つ。
狙いは、足首。
(届くまい!)
そこに風龍の片腕が、下向きに振られる。
風が巻く。
腕は、確かに届いていなかった。
だが、その腕が作り出した風が、足下の芝生を削り取り、光斗の脚を弾いた。
「ぐはっ!」
尻もちをつくような姿勢。
崩れた。
立ちあがる。
その前に、風龍の蹴撃が腹を叩く。
息が止まる。
強烈だった。
当たる寸前に、神氣による壁を作っている。
攻撃を和らげるために。
だが、それは、簡単に打ち破られていた。
光斗は、転がらされた。
まるで、階段から落ちたような勢いで、二、三回は後転する。
「うぐっ……」
苦痛に、うめきをあげる。
腹ばいになった光斗は、体を起こそうとする。
だが、腕に力が入らない。
(馬鹿な……)
なんとか頭を起こすと、光斗は視線だけでも、敵をおさえこもうとむける。敵から目を離すことは、隙を生むことになる。
「…………」
しかし、その必要はなかった。
風龍は光斗を尻目に、出てきた窓へ手をかけていたのだ。
「光斗様、あきらめてください」
なにか言おうとした光斗に、風龍は目も合わさず釘を刺した。
「今のあなたでは、私に一撃も入れることはできません。ましてや……」
風龍が言葉を濁す。
が、今の光斗には、それを気にする余裕もなかった。
苦渋の一言に光斗は、面輪を歪ませていた。
ぶつけようのない、悲憤にうちひしがれる。
すべての攻撃は、片腕で避けられていた。
いや、そのような段階の話ではなかった。
速度が違う。
力量が違う。
彼の技である流風余韻とて、こちらにこめた神氣が強ければ、破ることができるはずである。
ホークの言うとおり、風龍の足下にも及ばなかったのだ。
「あ、そうだ。一つだけ」
風龍が窓に座りながら、光斗の背中に話しかける。
「なぜ胸を狙わなかったのです?」
「…………」
光斗は、その言葉にも驚く。
自分でも、そのことは気がついていなかったのだ。
そう言えば、腹や顔ばかり、殴ろうとしていた気がする。
(赤い池が……)
そうだ。胸を殴ろうとすると、またあの映像がでる気がしていたのだ。
光斗はひれ伏したまま、しばらくその場で顔をあげることができなかった。
「お疲れ様でした、風龍」
部屋にもどった風龍に、ホークが笑顔で迎える。
「なにがお疲れ様だ。……これはどういうことだよ」
風龍は、耳打ちするように、ホークの横で小声を出した。
「不思議でしょう?」
「納得いくか。あり得ない。弱すぎる」
「ですねぇ」
「……ちっ。くそ! また、お前の罠にはまった!」
「失礼な。山の平穏を守るため、王家を影ながら支援するのも、九龍の役目。その為の情報収集は、あなたの仕事ではないですか」
「ああ、ああ、わかったよ。調べればいいんだろう? 王の死因を」
ホークは、ただ笑みを見せるだけだった。
他の九龍たちはでてきませんが、キャラクター設定だけはされていました。
でも、なんか設定資料が見当たらない(笑)。
次回は短い話ですので、21時と22時に2章分更新致します。