十章 光の拳
決着です。
城に入りこむことは、簡単だった。
貴先さえも知らない、王家の者だけが知っている脱出路がある。
いや。たとえ、貴先が知っていようとも、入ってくることを妨害することはないはずだ。
他の誰にも見られず接触できるなら、それが一番都合が良い。
そう光斗達が予想していたとおり、城に入ってみれば、妨害などまったくない。それどころか、いるはずの見張りさえいなかった。
ホークとソフィアを連れて、光斗は誘われるように王座の間にむかった。
勘だった。
そこに行けば、奴がいると感じていた。
薄闇の城内を歩いていき、周囲から光の漏れる扉の前にたどりつく。
多分、これ以上の小細工はないと踏み、光斗は扉――王座の間の扉――を開け放った。
「おお。来られましたね、光斗様」
奥の王座に悠然と座る人影が見えた。
「貴先……」
王座の間は、煌々と周囲に火が灯され、さらに天井には増光石と呼ばれる光を増幅して反射する魔石がはめ込まれている。
おかげで、室内は昼間にはおよばないもの充分に明るかった。
これだけ明るければ、そうそう良く知るものの顔を見まちがえることはない。
「……蘭白様、白斗!」
貴先の横には、哀れにも縛られ、口をふさがれ、床に直に転がされた二人の姿があった。
どこかで、まだ否定したかった。貴先は、味方なのだと思いたかった。
しかし、光斗はその想いを断ち切らねばならないと知る。
「やはり、葉陰たちは失敗したようだな。まったく役にたたぬ道具だ」
中に進んだ光斗たちの背後で、扉が勢いよく閉まる。
すぐに、閉ざされたと光斗は気がついた。
「これで邪魔者は、まいりませんし、音も外にもれません」
「結化……これも道術か」
一歩一歩、踏みしめるように、光斗は貴先との間をつめた。
青い長袍に身を包んだ貴先が、すっと立ちあがる。
年齢を感じさせない、きりっとした姿勢で、彼もまた光斗との間合いを少しつめてきた。
その態度に、光斗を敬う雰囲気はまったくない。
「なぜ四聖道と組んで、謀反を企んだ、貴先」
「謀反ですと? いやいや。違うのですよ、光斗様。強い者が上に立つ。武術の国・青蓮らしき法則に従ったまで」
「薬を使って、我が父の寝込みを襲った者がなにを!」
「おお! よもやそこまでご存じとは」
「戯れるな! その上、二人を生かしておいたのは、人質にして、私を狙おうというのだろう。心底、卑怯な奴め!」
「あははは。自惚れなさるな、光斗様!」
尖った顎と髭を前に突きだすようにして高笑すると、貴先は光斗ではなく、その背後にいるホークをきっと睨んだ。
「わたくしが抑えたいのは、あなたなどではなく、そちらの得体の知れぬ方々ですよ」
まるで傍観者気取りだったホークが、驚いたように自分のことを指さす。
「私たちですか?」
「あの葉陰を見事にあしらったのは、お前たちなのだろう」
「はて? でも、まあ、私たちのことなら、気にしないでください。あなたに手をだすつもりは、まったくありませんから」
「……なんだと?」
「私は肉体労働が苦手なので。それに、あなたの相手など、光斗で十分です」
「はは……異国の方は、笑わせるのが上手ですな」
貴先が鼻で嘲笑する。
「私は、光斗様の武術の師でもあったのだ。その腕前は、よく存じておる」
「では、師が悪かったのですね」
ホークの挑発に、貴先の細い目がさらに細く尖る。
「どうやら、彼の父親も彼には甘かったようで。基礎もできていて才能もあり、準備万端なのに、あと一つ押しが甘い」
「ふん……。その一押しをあなたがしたとでも? だとしても、この短期間では、私に拳をかすらすことさえ……」
――カランッ。
光斗は、しゃがんで龍泉を床に置いた。
刹那、その姿勢のまま消えるように、光斗は動いた。
一瞬で貴先との間合いをつめる。
空を切り裂きながら。顔面へ拳を放つ。
ひきつった貴先の顔が、ぎりぎりで身をそらす。
光斗は流れる動作で、そのまま蹴りを腹に打ちこむ。
だが、貴先が挙げた脚に、ぎりぎりで防がれてしまう。
「くっ!」
それでも、勢いを殺せなかった貴先は、姿勢を崩して後ろに転がり受け身をとった。
「かすらすことなら……簡単なようですね」
ホークの揶揄に、貴先の驚愕の顔が、すぐに激怒に赤くなる。
「この程度でいい気になるな」
今度は、貴先が消える。
(縮地!)
それを見たのは、初めてではない。
慌てず、光斗は第三の眼でそれを追う。
貴先の拳が、光斗を襲う。
光斗の豪腕が、それを払う。
貴先の蹴りが、光斗を弾きとばす。
光斗の突きが、貴先の皮膚を斬る。
貴先の神氣が、太い木柱を削る。
光斗の神氣が、床に穴を開ける。
周りに人がいれば、どのぐらいの者が巻きこまれただろうか。
二人の戦いは、常人の域を超えていた。
その戦場は、王座の間のすべてを使っていた。床だけではなく、壁も柱も天井までも、本当にすべてが、彼らの足場として使われた。
血しぶきを舞わせ、肉と肉がぶつかりあう音を響かせ、骨がきしむ衝撃を周りにまき散らした。
勝負は、最初のうちは互角に見えた。
だか、それはつかの間だった。
落ちつきをとりもどした貴先の動きは、次第に無駄もなくなっていく。
決定打をいれられず、光斗は逆に打撃をいくつも食らってしまっていた。
「第四・天権!」
そして、貴先の技が光斗を捕らえる。
細くのびた何本もの神氣が、光斗の体に巻きついている。
それはまるで見えない縄のように、立ったままの光斗の体を床に束縛する。
「星斗・攻法・第五……」
貴先は、胸の前に両手で大きな神氣の玉を抱く。
それは、触れるものに激しい震動を与え、内部から破壊して死をもたらす玉。
(まずい!)
光斗は、両足先に神氣をこめる。
(天枢!)
光斗は、足の裏で神氣を爆発させる。
粉塵が噴きあがる。
同時に、上半身を思いっきりそらさせた。
「玉衡!」
神氣の玉が、光斗に突きだされる。
しかし、玉は光斗の胸元をかすり、その背後に飛んでいく。
光斗は足で、真下の床をぶち抜いていた。
それにより、束縛を解き放ち、同時に足をめりこませて姿勢を低くし、貴先の技をよけていたのだ。
光斗は、すぐに足を抜くと、貴先を蹴るようにして後ろに距離を取った。
「ちっ!」
舌打ちをしながらも、貴先は慌てて追いはしなかった。
「正直、驚きましたよ」
貴先は、ぼろぼろになった袖を引きちぎる。
「確かに強くなられた。しかし、奥義をせいぜい第二までしか使えぬあなたと、第六まで修得した私とでは、大きな差があります」
ちぎった両袖を投げすてると、貴先は腰を落として構えた。
「最初は見たこともない技に驚きましたが、しょせん付け焼き刃。力の差は、歴然」
確かに貴先の言うとおりだった。
貴先も怪我をしているが、それほどたいしたものではない。
それに対して、光斗は満身創痍に見えた。
眼下は殴られ腫れあがり、唇は大きく切られて血が流れていた。
服は破かれ、血しぶき模様がついていた。
脚は、先ほど床下に入れたときに木片で引っかけ、血まみれになっていた。靴などは、床を破るときにとっさで制御しきれずに、床板と一緒に吹っ飛んでしまっている。
どう見ても、光斗の方が不利に見えた。
それでも光斗は、立ちあがって拳を構える。
「そんなに苦しんで死にたいですか、光斗様」
嘲る口調に、光斗が乾いた笑いをもらす。
「前は、そう願っていた」
貴先から目を離さないようにしながらも、光斗は口元の血をぬぐう。
「しかし、今は欠片も思わぬ。【神の廊下】をはずれてよかったと思う。道は一つではないからな。やれることは、たくさんある!」
「負け惜しみを!」
貴先の姿が、前屈みになったとたんに消える。
「!」
瞬息で、光斗の目の前に現れる。
「δμυ……」
だが、それよりも早く、光斗の呪文は完成していた。
「なっ!?」
貴先の体が小刻みに振るえて、動きをとめた。
腰にひかれた拳が、突きだされることなくとまっている。
「こ、これ……は……」
口をカクカクと動かしながら、貴先はなんとか言葉を紡ぐ。
それは、はじめて光斗がリエに遇った時に、かけられた雷光の束縛呪文だった。
しかも、雷光の魔法による束縛は、天権とは異なり、体の神経自体を麻痺させる。
「何人も、光より速く動けない……そうだぞ、貴先」
光斗は、右の拳を引いた。
そして、その軌道上に左手を突きだす。
狙うのは、胸元。
(……!!)
とたん、眩暈と吐き気が光斗を襲う。
胸のあたりで、何かが奥からかきむしる。
(また……)
左手を胸にあて、なんとか自分を抑えようとする。
だが、見えない病魔は、一気に彼を蝕もうとする。
(赤い……)
目の前に、また真っ赤なものが広がりはじめる。
これが広がりきったら、自分を支える自信はない。
自分の血の臭いが、急に鼻についた。
(まずい……)
赤が一気に加速する。
(光斗……)
ふと、それを押しとどめるように、意識の中で自分を呼ぶ声がする。
(光斗、お前は強い……)
知っている声。
それは、いつも追いかけていた声。
(父に見せてみろ)
うつむいていた顔をあげ、正面を見る。
そこにいるのは、声の主だった。
(お前が一人でも生きられる強さを持つと!)
「……父上!」
胸につまったものが、すっと落ちた。
眩暈も吐き気もない。
「δνπ……雷玉!」
左手を前に突きだし、その上に雷の玉を生みだす。
右拳を腰ごと引く。
呪縛から解放された目の前の姿が動きだす。
「天枢!」
迷いなく、光斗は父親の胸を借りた。
突きだされた右拳は、左手が生みだした雷の玉を突き、そのまま相手の胸に突きだされる。
「うぼがっ!」
奇妙なうめきと共に、貴先の体が背後に弾かれる。
広間に広がる震動。
貴先は、そのまま宙を飛ばされ、壁に背中から打ちつけられていた。
そして半壊した壁から、力なく床へ沈みこむ。
その打ちこまれた胸には、大きな焦げが残り、服も無惨に飛び散っていた。
放った力の余韻を感じながら、光斗はゆっくりと拳をさげる。
(いい突きだったぞ)
父親のそんな声が、耳の奥で聞こえた気がしていた。
たとえ、見せられた幻でも、それはまちがいなく父親の意思だったのだろう。
「師匠」
ふりむくと、ホークは部屋の隅に退避していた。
壁を背もたれにして、ずいぶんとくつろぎながら、なんとおにぎりを口にしていた。
横でソフィアが、竹の水筒から竹の湯飲みにお茶を注いでいる。
「そんなものいつの間に?」
「あげませんよ」
「いりませんよ。……それよりも、師匠」
「なんです?」
「手をださない……はずではなかったのですか?」
「手をだしてはいませんよ。……貴先にはね」
破顔一笑して、光斗は頭をさげた。
そしてすぐさま、縛られていた二人を助けにむかう。
「白斗、大丈夫か!」
「お兄様!」
束縛を解かれた白斗が、泣きじゃくりながら光斗にしがみつく。
ふるえる頭をかるく撫でてから、光斗は蘭白の縄もほどく。
「光斗……これは、どういうことなのだ? どうして……」
「お兄様、お兄さま~ぁ」
蘭白の疑問の声を白斗が遮る。
「白斗。あまり泣くではない」
光斗は、また白斗の頭に手をのせる。
「お前は……これから王になるのだ。王は、簡単に泣いてはいかん」
「え? お兄様?」
「光斗、お前……」
驚く二人に、光斗は微笑する。
「私は、すでに死して、仙人になるための修行の身。青蓮王家の光斗は、もういないのですよ」
彼にとって、王位はもう執着するものではなくなっていた。
父が守ってきたこの国が、よい国になればそれでよかった。
そして、たとえこのあと、自分が仙人になれなくてもよかった。
自分には、今まで得たものがたくさんある。
得ていながら、まだまだ気がついていないものもたくさんある。
それがあれば、自分の道ぐらいは、いくらでも築けるはずだ。
「私は……」
「光斗!」
光斗の言の葉を破り、ホークが珍しく叫ぶ。
慌ててふりむく。
だが、遅かった。
「なっ!?」
ふりむいた右腕に、真っ赤な血の塊でできた腕が張りつく。
その腕の根本にあるのは、貴先……だったもの。
慌てて、それを弾こうとするが取ることはできない。
表面は粘液のように見えるが、しっかりと固体化している。
しかも、ヌメヌメとした感触は、わずかに温かい。
「逃げろ!」
光斗の言葉で、蘭白が白斗を引っぱって走りだす。
腕の根本から、またなにかが生まれだす。
とっさに光斗は、自分から貴先に近づいた。
そして、蘭白たちを狙っていた、新たに生まれた腕の根本近くを蹴りあげる。
ブニョッという音が聞こえそうな感覚が、足の甲に伝わった。
その異様な感覚に、蹴った物を凝視してしまう。
「うっ……」
あまりの異形さに、光斗は嘔吐しそうになった。
それは、どう見ても内臓をつなぎあわせたものだった。
桃源郷で見た熟した桃の色、夕焼けの朱色、そして紫紺の筋が走り、表面は生々しく脈動している。
「なんだこれは……」
(龍魄に呪をかけておいたのだろう)
それまで黙っていた龍泉の声が届く。
(体内に仕込み、死んだら発動する仕掛け。死しても始末の悪い。龍魄を壊すのだ、光斗!)
蘭白たちが、ホークのいる部屋の出口までたどりついたのを確認すると、光斗は貴先の肉塊に目をやった。
口からは、内臓の腕が飛びだしている。
体は、形がすでによくわからない。つぶれて、まるで床と一体化しようとしているように見えた。
腕の先は、すでに形がなく、血で固まった別の腕になっていた。
その片方が、未だに自分の右腕に張りついている。
(力の集中しているところを探せ!)
龍泉の声に、光斗は第三の眼を開く。
光の奔流が、よく見れば腹部に集中している。
傷ついた体に鞭を打ち、光斗は自分をつかむ魔物の腕へ、天枢を撃ちこみ引きちぎった。
そして、間髪をおかずに、腹部に蹴りを叩きこもうとする。
だが、思いのほか、龍魄で魔物と化した貴先の動きは速かった。
いや。傷ついていた光斗の動きが鈍くなっていたのだろう。
襲ってくる異形の腕を避けきれず、光斗は四肢を捕らえられてしまう。
とたん、接点に違和感を覚える。
(溶けてる!?)
恐ろしい恐怖感が、光斗を襲った。
つかまれたところが、燃えるように熱くなり始めている。
そして、「つながる」という感覚が、そこから伝わる。
龍魄は、その凶悪なまでの強大な力で、周囲の物を融合してしまうことがある。
龍魄の性質にもよるが、場合によっては有機物だけではなく無機物さえも体に取りこむ。
そして、生物的にはあり得ない「生き物」を生む。
強力な魔力によって生まれた生物。
魔物と呼ばれる存在である。
それは、一度融合すれば、まず分離することはできない。
(ここで魔物となるのか……)
自分がまったく別の存在になる。
それは、死ぬことよりも恐ろしいことに感じた。
まるで、濡れた人肌で包みこまれるように、四肢がだんだんと囚われていく。
(生きたままなど……)
たとえ不名誉でも、魔物になるよりましである。
光斗は、舌を噛もうとした。
「まったく、仕方ないですねぇ」
広間の入り口から、ホークとソフィアが歩みよる。
「ああ。扉は開いたので、二人は逃がしましたよ」
「師匠、龍魄の封印を! 私はもう……」
助からない。
そして、龍魄を封じて、この魔物を殺すことは、融合している自分の死をも意味する。
だが、それしかない。
今、こいつは、周りすべてを食らおうとしている。貪欲な意志が、つながった体から伝わってきている。それはきっと、貴先の残留思念が歪んだものなのだろう。
すべてを得るという、強い意志。
ともすれば、その意志に自分の意思まで食われてしまいそうになる。
自分が魔物になる前に、せめてこの魔物を倒して欲しい。
ホークならば、それができるはずだ。龍魄を封じることぐらいわけはないだろう。
「師匠! 封印を!」
だから、光斗は声をからすように叫んだ。
最後の願いだといわんばかりに。
「うるさいですねぇ」
だが、ホークは、いつもと変わらない。
その手に食べかけのおにぎりを持ったまま、お茶を口にする。
「師匠、食べている場合じゃ……」
「あげませんよ」
「いりませんから! それよりこの魔物こそが、すべてを食らうつもりなのです。早くしないと……」
「龍魄を封印すれば、あなたは死んでしまいますよ」
「わかっています! しかし、私はもう助かりません」
「何を言っているのです。そんな簡単に、友人を見殺しにするわけにはいきませんよ」
「……え?」
場違いにも、光斗はホークの言葉に耳を疑う。
その瞬間、自分が魔物に取りこまれようとしていることさえも忘れてしまう。
今、自分は、とんでもないことを言われた。
いや。普通ならそこまで驚くことではない。しかし、まさかホークから、その言葉を聞くとは思いもよらなかった。
混乱しながらも、嬉しさと、そこはかとないむずがゆさが彼を支配する。
「師匠、今……」
「ソフィア」
「はい、マスター」
「あの師匠……」
「やりますよ」
「はい、マスター」
「…………」
光斗の声を無視したホークが、手に持っていたおにぎりの残りを口につっこむ。
そして、お茶を飲み干すと、湯飲みを放り投げた。
まるで、それが合図だったように、ソフィアが背負っていた大剣を両手で正面にかざす。
「すべての知の支配者、アクティベイト」
ホークが、それに手をそえて命じた。
とたん、大剣を包んでいる襤褸布から、強い光が放たれる。
布が自然にほどかれていく。
隠されていた、光斗も見たことがなかった大剣が、刺激的な光と共に姿を現していく。
(金……黄金の剣!?)
それは、剣先から鍔や柄の先に至るまで、すべて金色をしていた。唯一、握りの部分だけは、革が巻いてあるようだったが、その他はすべてきらめく金色である。
そして、よく見れば、両刃の周囲には三本の赤い溝が走っていた。その溝は、まるで血管のようで、そこに何かが流れているように感じさせた。
その流れの源は、翼を模した鍔、その中央にある赤い宝石のようだった。
宝石は、まるで心臓のように脈打つかのごとく光を変化させていた。
「クリュー・サー・オール、レディ」
ホークの声にあわせ、ソフィアが剣を床に突き立てる。
「ニューロンパーティション、オープン」
剣先から黄金の光が四散する。
四散した先々に、小さな血の色の法術陣が構成される。
多数の小さな法術陣は、ホークを中心に魔物までも取りこんで、金糸のような光の糸で結ばれていく。
その糸の一部は、魔物を突き刺し絡め取っていた。
そこまでは、まさに一呼吸ほどのことだった。
光斗は体から伝わる情報で、魔物が身動きを取れなくなったことを知る。
(結界?)
それは空間を区切り、外部との干渉を断ち切る術に似ていた。 しかし、それでは、自分の体と魔物を分離はできない。
そう。術の本番は、そこからだった。
音ではない声が、ホークから発せられる。
――世界は、貯蔵された知にすぎない。
記銘により誕生し、
想起により存命し、
忘却により死滅する。
形を成しても、
声をあげても、
認知されねば、存在せず。
世界も、我も、
夢幻に佇む、影のごとし。
故に世界は、我を求める。
故に我は、世界を求める。
ただ、そこに在るために――。
呪文が心で響く間、小さかった法術陣が膨れあがる。
「創世……【既知世界】!」
そして、風景が光に包まれる。
「……え?」
一瞬の激しく強い光だった。
だが、不思議なことに目はまったく眩んでいない。
その眩んでいない目で、光斗は自分を見て驚く。
自分と融合しかけていた魔物の姿は、どこにもなかった。
それどころか、自分の怪我も、すっかりなくなっている。見れば、服には破れどころか、血糊さえついていない。
それ以外は、周囲に変わったことがない。
「師匠、これはいったい? 魔物は……」
「魔物? 何のことでしょう。私は知りませんよ」
「…………」
光斗は、ホークの言葉で背筋が寒くなった。
たった一言だったが、光斗はなんとなく理解してしまった。
その瞬間に、冷や汗が額を伝う。
ホークがおこなった術は、結界などという生半可なものではなかった。似たような術で、【異界召喚】という別の空間の一部をこちらに呼び出す術もあるらしいが、それとも違う。
彼は、まちがいなく言った。
創世と。
神の領域を侵す、伝説の禁呪であると。
「あり得ない。魔物から解放され、傷さえも消えている」
「すぐでしたからね。あなたの体は、あなたの体が記憶している。それを私が認知してあげただけです」
「ここは師匠の……」
光斗は、言葉を呑みこんだ。自分は、あまりに荒唐無稽なことを口にしようとしている……そんな気がしたのだ。
どう見ても、周りは普通の風景だ。さっきまでと変わりはない。
(いや!)
光斗は、違いに気がつく。
「奴はどこですか!?」
「奴?」
「奴です。奴……名は……」
さらに光斗は、自分の中の変化に気がつく。
今まで戦っていたはずの敵。よく知っている相手の名前や顔が、まったく思い出せなくなっているのだ。
確か男で、年齢はけっこう高かった……気がする。いや。それさえも、だんだんとおぼろげになっていく。
そもそも、そんな人物がいたのかさえ、考えれば考えるほど不確かになる。
「うーん、そうですね。彼の存在は、残しておかないと、あとあと面倒ですね」
ホークが、すっと壁際を指さす。
「貴先のことですね。貴先がそこで死んでいるのは、知っていますよ」
指の先には、確かに貴先の死体があった。先ほどまで、なかったはずの死体である。
(そうだ、貴先だ!)
思いだしたのと同時に、光斗はホークの力を確信する。
この世界では、彼が「知らない」と言った物の存在を消されてしまう。
最初から、なかったものとされるのだ。
(神の……いや、悪魔の……くっ!)
突然、全身に痛みが走る。
見れば、自分の怪我が復活している。
破れた服も、見事に再現されていた。
「すいませんね。『貴先が光斗に倒された』ということを認知したので。あまり、その途中経過を微調整できないのですよ」
「い、いえ……」
「とりあえず、これでいいでしょう。早くもどって治療をしないと。ソフィア、融合破界しますよ」
「はい、マスター」
◆
「……どうやら、終わったようね」
両手で金色の髪を後ろに梳きながら、リエは大きくため息をついた。
流された金色が、昇ったばかりの朝日をきらきらと反射する。
「貴先は、死んだんでしょ?」
愁眉を座りこむ葉陰の長にむけた。
「ああ……」
角行は、その手に小さな赤いオーブを持っていた。
それは、もともとは青かったが、貴先の命に反応して赤く染まったらしい。
他の葉陰のメンバーも、それぞれにオーブを身につけているようだった。
オーブの色が変わったとたん、全員がまるで糸の切れた人形のように力なくその場に沈みこんだ。
その影が朝焼けで長く伸びる。それはリエに、並ぶ墓標を思わせる。
そんな彼らを見まわして、彼女は戦いが終わったことを確認する。
あたりは、大変なことになっていた。
地面は、削りとられたようにえぐれていた。
周囲に立ち並んでいた木々は、へし折れ、部分的に消し炭になっていた。
屋敷に至っては、二階がはじけ飛び、半壊していた。
そのあちらこちらに、多くの葉陰が倒れこみ、中には瀕死のものもいるだろう。
その被害のほとんどが、リエの魔力によるものだった。
(なんとか、保ったわね……)
だが、リエとて、そろそろ限界だった。
これだけの葉陰の相手は、精神を削りすぎる。
少しでも油断すれば、このすばやい敵は、すぐに間合いへ入りこんできたのだ。
でも、もう彼らに戦意はない。
リエは、ふりむいて風龍にうなずく。
それを受けて、風龍は結界を解除した。
さすがに疲れたらしく、風龍もその場に座りこむ。
彼女も片手をあげ、大人になった手順と逆を踏んで、また子供の姿にもどった。
猫の姿にもどった二匹も疲れていたのか、地べたにひれ伏すように寝てしまう。
「おつかれ」
そんな二匹をリエは、やさしく撫でてやった。
彼女自身も、ホークに言われた役目を果たせたと、安堵感で力がぬける。
(本当に、久々に疲れたわ……)
今日は、ゆっくり休みたい。ああ、そうだ。たまには、ホークにあまえさせてもらおう。惚れた弱みとはいえ、言いなりばかりでは腹が立つ。それにお金も入ったから、ちょっとしたアクセサリーも買ってもらおう。
彼女は、今日の褒美をわくわくとしながら考えていた。
「なぜ姿をもどした……」
それなのに、無粋な声が邪魔をする。
角行の静かな憤りに、リエは億劫そうにふりむく。
「情けなど無用だ」
「情けなんてかけてないわよ。情けないとは、思っているけどね」
「な、なんだと……」
「お人形のような、あなたたちにね」
「……ふん。貴殿とて、魔黒王の人形であろう」
せめてもの負け惜しみか、角行が口角をあげて嗤って見せる。
そんな彼の態度も、リエにしてみればかわいいものだった。
「そうね。だからよけいに、腹が立つのかしら。あんたたちを見ていると、昔の自分を見ているようで」
立ちあがって腕を組み、彼女は少し斜に構える。
子供の姿にもどっても、その眼に宿る威厳は、角行を萎縮させる。
見慣れぬ青い瞳は、葉陰たちにとって、魔物の目のように感じさせるのかもしれない。
「……貴先様が亡くなった今、葉陰に戦う理由はない」
思わず視線をそらした角行は、うつむいたまま語る。
「されど、命令とはいえ我らは、謀反の一味。どのみち、裁かれる運命」
「……だからなによ」
「貴殿にとって、我らは敵。ならば、殺すがよい……」
「……あっきれた!」
沈みこむような角行に、リエはさらに上から叩きつけるよう言い放つ。
「あんたたちは、生きるも死ぬも他人まかせなわけ?」
腰に手をあて、リエは小顔を突きだす。
「自分の意志さえないの?」
「意志などいらぬ。我らは、命じられたままに動く道具」
「あのね、道具だというなら、ゴーレムでもいいじゃない。……ううん。あなたたちよりも、私の知っているゴーレムの方が、よっぽど人間らしいわよ」
リエは、踵を返す。
「彼女はね、ゴーレムでも自分から生きる楽しみを探せたわ」
「彼女……だと」
角行が、がばっと顔をあげる。
「まさか、あの緑の……」
「…………」
「そうか。ゴーレムとは……。なるほど、驚きだ。我らより、よほど人間らしい」
自嘲気味に笑う彼に、リエはちらっとだけ長いまつげを見せた。
「あんたら葉陰が人として、どうしてここにいるのか。その理由をよ~く考えなさい」
「人として……いる理由……」
角行は、その手で真っ赤に染まったオーブを見つめる。
「なるほど。それが魔黒王の元ではなく、貴殿がここにいる理由か」
そして、意を決したように、それを横に投げ捨てた。
部下たちが驚き、ざわめく。
そんな中で角行は、肩の力が抜けたようにリラックスしていた。
「あなたたちの王子は、ちゃんと自分で決めて、自分で生きる道を創ったわよ」
ざわめく葉陰に一喝いれるようにリエは、ふりむいて声を大きくする。
「そういうかっこいい人間になりなさい……ね」
エピローグに続きます。




