第85話 必要なもの
「ハァ……」
本日、何度目かのため息が吐く。カラム先生は死んだ。たぶん俺と会ったから。こんな俺でも人を救えると思ったのに……。やはり俺は人を不幸にする。人のそばにいてはだめなのだ。
「ハァ……」
俺と会わなければ、先生はもっと長く生きられたのかもしれない。心を壊すこともなかっただろう。
先生が死んだ翌朝、俺は街を出た。葬式には出ていない。俺には出る資格なんてないから。それに、何時までもあの街にいたら、今度はロイクを不幸にしてしまっただろう。もしかしたら、すでに不幸にしてしまっているのかもしれないが。兎に角、長居はよくないのだ。だから俺は、門を抜ける商人に紛れて街を出たのだ。
次の目的地は決まっている。今はその道のりを歩いている所だ。舗装された街道を行くだけなので迷う心配はない。問題はどうやって街に入るかだが、それがなかなか思いつかないのだ。
街への侵入方法を考えていると、不思議な少年が行く手を阻んだ。街道横の森、あの家がある森から飛び出してきて、赤紫色の瞳でこちらを見据えたのだ。
周りには他に誰もいない。この少年は俺に用があるらしいことは明らかだった。だが俺はこの少年を見たことがない。背丈は俺と同じくらいで、顔付きもそれに見合うものだ。髪は茶色で、少し白髪が混じっている。そして、最も特徴的なのがその左腕だ。そこにあるはずのものがなく、肩からバッサリとなくなっており、袖が力なく垂れていた。
「やっと見つけた。ゴシュジンサマ?」
やはり俺に用があるらしい。それに御主人様だと? 初対面じゃないのか? こんな特徴的な少年を忘れるはずはないと思うのだが……。
俺のそんな態度を見てか、少年は首を傾げてこういった。
「うーん、わからないかなぁ。……あ! これでも?」
閃きと同時に顔をぱっと明るくさせた。コロコロと表情の変わるやつだ。まぁ、見ていて面白いからいいのだが。
そんな呑気なことを考えていたのも束の間、何もなかった左腕からニョロニョロとした何かが数本生えてきた。半透明のそれは左肩から生えてきているのにもかかわらず、垂れた袖が起き上がることもなければ、膨らむこともない。今もなお袖は力なく垂れており。少年の動きに合わせて、少し揺れるだけだ。
「そうだよ。ゴシュジンサマ」
それを俺は知っていた。俺にしか見ることのできず、触れることのできないもの。そして、魔力を奪うそれ。そう、触手だ。まさか、大盾なのか?
確かに、大盾は色んなことができる。触手を始め、透明になったり、重さを変えられたり……。だが、大盾が自らの意思を伝えるようなことは今までなかったはずだ。何時も、本能のままに魔力を喰らい、暴れていただけではなかっただろうか。
「えへへ、そうだったかなぁ」
そうだ、こんな風に言葉を伝えてきたことなんてなかった。俺が必死にその衝動を抑えつけるだけだったのだ。意思の疎通はなく、それはただ、一方的な命令でしかなかったはずだ。
「そんなことないよ! 確かに一方的だったけれど、命令なんかじゃなかったよ!」
いや、そういえば最近は感情のようなものを表し始めていたか? 触手を切られたことによる恐怖。それがこんな風に大盾を人の姿へと……?
「確かにアレは怖かったなぁ。アレが痛いってことなんだね」
痛みによる恐怖。物が痛いと感じることはあるのだろうか。初めて感じた痛みが生物としての機能を意識させ、やがて、それは感情を芽吹かせることになったのだろうか。そして、今、こうして人の形を成している。
「確かに痛かったし、怖かったよ? でも、こうなったのはたぶんそうじゃない。寂しかったんだよ」
さっきからこいつは何を言ってるんだ? まるで俺の心の中がわかっているような……。
「長い間、真っ暗なところにいたのは覚えてる。どうしてそこにいたのかは覚えてないけど……。きっと、それを忘れるくらいに長い間だったんだと思う」
突然語りだした目の前の少年。その幼い風貌に似あわない混じった白髪のせいだろうか、少年の目は大人びて見えた。それはまるで、長きにわたって生きてきた者の目のようだった。
今は亡き祖父を思い出していたのかもしれない。俺は少年の言葉に引き込まれていた。
「暗闇の光をもたらしてくれたのはゴシュジンサマだったよ。あの時はお腹が空いてたからゴシュジンサマを食べちゃおうと思ってたんだ。でも、無理だった。まさか、こんな人間がいるなんてね、思いもしなかったよ」
あの日、俺は布に包まれた大盾を見つけた。今思えば、あれは魔力を奪われるのを阻止するためだったのだろう。直接触れればすぐさま魔力を奪われてしまうからな。まぁ、今となっては意味のない対策になってしまったが。
「ふふふ、そうだね。そうなれたのもゴシュジンサマのお蔭だよ。それからゴシュジンサマはいろいろなところに連れて行ってくれたし、ご飯も一日くれた。だからこうしていろいろな力を手に入れられたんだ」
魔力を吸うたびに強くなっていった大盾。大盾が居なければ俺は旅の途中で死んでいただろう。いっそ死んでしまっていたら、ヴァーノンやカラム先生は死なずに済んだのだろうか。
「……そうかもしれないね。でも、救われた人もいるんだよ」
救われた人なんていない。俺はこの旅でいろんな人に迷惑をかけてきた。エリザベートの魔力を奪って、自分の力にした。アリゼとの暮らしを蹴って街を飛び出した。リザの願いを無視した。リュリュたちの居場所を奪った。クロディーヌたちを無実の罪で恨んだ。そして、ヴァーノンとカラム先生を殺した。
この旅が何処かで終わっていたならば皆幸せに過ごせていたかもしれないのに……。
「そんなことないよ。少なくともここに一人いる。ゴシュジンサマに救われた人が」
俺が大盾を救った? ただ利用していただけじゃないか。押さえつけ、命令し、俺の好きなようにさせた。ただ、それだけじゃないか……。
「ううん、あれは全部自分の意思だよ。ゴシュジンサマの命令に従ったのは全部自分の意思。ゴシュジンサマとの旅は本当に楽しかった。そこには知らないことがいっぱいあった。世界は広いと思った。真っ暗な世界しかないと思っていたけど、そんなことはなかった。初めはゴシュジンサマを食べようとしたけど、食べれなくてよかったと思ってる」
確かに世界は広い。だが、俺はその世界をあまりにも知らなさすぎるし、知る世界はすべてが残酷だ。俺の教えられる世界に楽しさなんてありはしない。
「ゴシュジンサマも楽しい世界を知っていると思うよ。今はそれが霞んじゃってるだけ。そんなゴシュジンサマと楽しい世界をもっと見たいと思った。一緒にいたいと思った」
俺と一緒にいても不幸になるだけだ。一緒にいない方がいい。
「ふふ、知ってるよ? 他人の力を奪い、新たな力を手に入れる。ピッタリの力だって。コレ、必要でしょ?」
そう言いながら触手をチョコマカと動かす少年の顔はとても得意げだった。




