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第84話 懺悔

「先ずは、生きていてくれてありがとう、レリア」


 そう言って微笑んだカラム先生だったが、その表情はどこか苦しそうだった。無理やり笑っている、そんな表情だった。


「あの日、ワシは一旦街へ戻るための、その準備をしておったのじゃ」


 あの日の前日、カラム先生はマリーの診察を終え、離れに一晩泊まっていた。マリーが倒れ、その治療法を探すため、一旦街へ帰る予定だったのだ。

 カラム先生はマリーの病気を以前から知っていたようだった。たぶん知らなかったのは俺だけだろう。ランスも先生も、たぶん、ヴァーノンだって、マリーの病気のことは知っていたのだろう。俺だけが知らない。その考えに寂しくなったが、先生の話によって、塗りつぶされてしまった。


「準備を終え、いざ家を出ようとしたその時、ワシの耳に喧騒が飛び込んできたのじゃ」


 襲撃があったとき、やはり先生はまだ敷地内にいたのだ。確かに早朝だったし、先生が何も言わずに出ていくのもおかしい。あの時、いったい何が起こったのか。あの後、二人はどうなったのか。カラム先生は知っているのだ。


「ワシは扉を開けることができなんだ。怖かったのじゃ。怒号が聞こえ、何かが壊される音が聞こえ、悲鳴が聞こえ、ワシは全身が震えた。何もできなかったのじゃ。ただ、扉のノブを握りしめて震えることしかできなかったのじゃ。……気が付くと辺りは静けさに包まれておった。ワシは心底ほっとした。ワシは、死ぬのが怖かったのじゃ。こんな老いぼれが自分の命可愛さに、我が子を見捨てたのじゃ!」


 吐き捨てるようにそう言ったカラム先生の顔は恐ろしいまでに何もなかった。声は怒りに震え、握りしめる手によってシーツには深いしわが刻まれている。声と同様、全身も震えていた。だが、顔だけは何もなかった。その表情には感情が一切なかったのだ。


 しばらくの沈黙が続いた。カラム先生が今何を考えているのかわからない。後悔、怒り、恐怖、様々な感情が先生の中に渦巻いているのだろう。ようやく口を開いたとき、その声からも感情が失われていた。


「……ワシはようやく扉を開けることができた。お主らの家は扉が壊され、窓は開け放たれておったが、家そのものは無事だった。何かあったのだということは理解できたが、皆は無事なのだろうとワシは考えておった。何故そんな風に考えておったのか……」

「…………」

「……扉を開けた時、それはもう、地獄じゃった。ワシがもっと早くに動いていたら、二人を救えたのかもしれんのにのう。何のために医者になったのかのう。救いたいものも救えんと」


 やはり、二人はもう……。わかってはいたことだ。確かに家は無事だった。だが、この季節のあの時間に煙突から煙が出ていなかったのだ。いくら雪が降らないとはいえ、冬は冷える。冬になれば、何時も暖炉には火がついている状態だった。それなのに、あの時は、もう。


「ワシは二人の墓を作った。じゃが、レリアよ、お主だけは見つからなかった」


 そして、今の状態になったのだろう。後悔と恐怖に押しつぶされ、カラム先生の心は壊れてしまったのだ。

 感情のない声で淡々としゃべるカラム先生はとても怖かった。ただ一点を見つめたまま、こちらを見向きもしないで、只管に懺悔をする。カラム先生は結局一言も謝罪の言葉を述べなかったが、恐怖と後悔に押しつぶされてしまったカラム先生の心はで、ただ、事実を述べることしかできなかったのだろう。感情を殺し、そうやって何も考えないようにしなければ、きっと完全に壊れてしまうだろうから。

 それに、俺は先生のことを恨んではいない。結局俺も何もできなかったのだから。ただ逃げることしかできなかったのだ。あの場所から逃げて、考えることから逃げて、向き合うことから逃げて、ずっと逃げ続けてきたのだ。二人のお墓だって作ってあげられなかった。先生へは感謝はあれど、怨恨など一切ないのだ。


「そうじゃ、レリアよ。机の棚の一番上の引き出しを開けてくれぬか?」


 カラム先生に言われ、俺はその指示に従った。特に何も考えず、引き出しを開けてしまった。


「!!!」

「やはりお主のものじゃったか。お主によく似た色じゃったからのう。あの家で拾ったのじゃが、お主に返せてよかった」


 引き出しを開けた時、それが、そこにはあった。どうしてこれがこんなところに? 疑問が俺の中をぐるぐるする。うまく働かない頭で、俺はそれをポケットにしまった。




 カラム先生は寝てしまったのだろうか。思考の海に沈んでいた俺に気を使ったのか、それとも疲れてしまっただけなのか、カラム先生はベッドに横になっていた。話は終わったらしい。俺はロイクを呼びに階段を下りた。


「話は終わりましたか?」


 階段の下ではロイクが待っていた。どれほどそうしていたのだろうか。心配そうに階段を見上げていた。俺は頷いた。


「そうですか。少しこちらで待っていてください。僕は先生の様子を診てきますね」


 そういってロイクは階段を上って行った。やはり心配らしく、伝聞ではなく、直接診ておきたいといったところか。まぁ、俺は喋ることができないし、彼も医者だ。直接診た方が何かと都合がいいと思う。


 俺は示された部屋へと入った。そこはリビングのようで、中央に長方形の机があり、その長辺を椅子が塞いでいた。椅子の数は各二つ。部屋の壁には俺の手がぎりぎり届かない位置に小さな窓があるだけで、何か飾りがあるというわけではない。質素な部屋だった。奥へと続く通路があったが、おそらく台所だろう。何かが詰められたビンが並べられているのが見えた。


 俺は窓に一番近い椅子を引き、その上に座った。特に目を引くものもないせいか、俺の思考は再び深くなっていく。考えることは今後の事だ。

 ポケットに手を突っ込み、指先でそれをコロコロといじくる。どうしてこれがあの家に? いや、なんとなくはわかっている。あの家で何があったのか、どうしてあんなことになったのか、きっと、そういうことなのだろう。

 確信はない。だが、否定もできない。それを確かめるためにも、俺は次の目的地を定めた。


「戻りました」


 ロイクのその声で俺の思考は中断した。だが、方針は決まったのだから問題はない。どうせ考えたところで出てくるのは答えの出ない同じ疑問だけなのだ。俺はそう思い、ロイクに意識を集中することにした。


「レリアさん、本当にありがとうございました。久しぶりに先生と会話ができた気がします」


 ん? 先生は起きていたのだろうか? 寝ているように見えたのだが。考えが顔に出ていたらしく、ロイクはその答えを教えてくれた。


「先生は寝ていらしてましたよ。久しぶりに話されたので疲れたのでしょう。あの日から先生は会話ができなかったのです。僕が何を言っても反応がほとんどありませんでした。あったとしても、『話したくない』としか……。でも、君を見たとき、先生は僕の言葉を理解して、ちゃんとした返答をしたのです」


 そんな状態だったのか。思ったよりも事態は深刻だったようだ。あの僅かな応答でさえ、ロイクは驚き、そして喜んでいる。俺と会ったことで、失われた心を取り戻しつつあるのかもしれない。俺のせいで心を壊してしまったのだ。先生の心を取り戻すことで、その罪滅ぼしになればいいと思う。


 それから、ロイクは先生との思い出話を語ってくれた。街での先生の様子を俺は知らなかったが、ロイクの話を聞いて、いろいろな先生を知れたと思う。そんな先生を俺も見たいと、そんな先生を取り戻して欲しいとそう思った。




 その夜、カラム先生は息を引き取った。


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