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第82話 ひょろながの男

更新遅くなりました。

 目の前にはひょろっとした茶髪の男。何故こいつは俺の名前を知っているんだ?


 傭兵か? しかし、そういう雰囲気ではない。そもそもこんないかにも貧弱そうな男が傭兵であるとは思えない。それに、もし傭兵だとしても、俺の探しているやつではない。あの紙の中にこの男はいなかった。


 俺は警戒を解かずに、目の前の男を観察した。隙だらけの格好で、ただ突っ立っているだけの男。いつでも取り押さえられそうだ。表情はまさに驚愕といった感じで、若干震えている。手には花束を持っており……、花束? こんな森の中に花束を持って何を……。


「あぁ、よかった! お願いします! ついて来てください!」


 俺の思考が停止した一瞬の隙をついて、男に手首を掴まれ、引っ張られた。言葉ではお願いをしているのにもかかわらず、行動では半ば強制的に俺を連れ去っていた。

 何故か大楯は触手を出さなかった。大楯は大楯で何か考えているのかもしれないな。

 道具が意思を持つ、なんてことはないかもしれないが、こいつを見ているとそうは思えないのだ。この前触手を切られたことで、こいつの中で何か変化が起こったのかもしれない。

 しかし、まぁ、主人がピンチの時は助けてほしいものである。



 なんなんだ、この男は……。心の中でそう呟いたが、もちろん男に聞こえるわけもなく、俺は遠ざかる生家を尻目に、男について行くことになってしまった。



 森を出たころには既に日は沈んでおり、あたりは真っ暗だった。そんな中でもひょろながの男は先へ進みたそうにしていたのだが、やはり危険だと判断したのだろう、もどかしそうな表情を見せながら、野営の準備を始めた。

 俺はというと、男がこちらを向いてくれなかったため、話すこともできず、ただただ引っ張られるだけだった。腕を破壊してもよかったのだが、流石にそれは憚れたため、為されるが儘に森の外へと連れ去られてしまったわけだ。


 さて、ようやく会話ができる状況になったわけだが、まずは何を話そうか……。男が熾してくれた火のおかげで辺りはやんわりと明るい。文字を読むには十分だった。


 この男の目的? いや、目的は俺を何処かへ連れて行くことだな。じゃあ何処へ? 森の外、この方角へは来たことがないからな。この先に何があるのか。まぁ、行ったことがあるのなんて東にある王都くらいなのだが。


 そうだな。俺を何処へ連れて行くのか、それを訊こう。

 

 ……ん? その前にこいつの名前を聞かないとな。そうだ、先ずは名前を訊こう。


[貴方の名前はなんですか?]


 剥き出しの地面に指でそう書いた。乾いた地面はざらざらとして気持ちがいい。指がこすれる感触を味わいつつ、俺は男の返答を待った。


「…………」


 しかし、何時まで経っても男からの返答がない。男の方を見やると、男は俺に背を向けるようにして進行方向である北を見つめているようだった。その背中はやはり焦っているように見えた。


「そろそろ寝ましょうか。明日は、朝一番に出ます」


 男はそう言って、再び黙り込んでしまった。俺に背を向けたままなのでその表情はわからない。しかし、それ以上喋る気がないがないことはわかった。


 仕方がないため、俺は毛布に包まり、寝ることにした。結局男の名前はわからずじまいだ。しばらくはひょろながと呼ぶことになりそうだ。




 ゆらゆらと揺れるゆりかごのような感覚。体の下には大きな板。その板は平らではなく、かといって歪というわけでもない。

 一定のリズムで上下する体は、程よく眠気を誘った。


 俺はこの感覚を知っている。遠い昔に味わったような、なんだか懐かしむもあるこの感覚。

 俺の胸の奥を何かがチクリと刺した。そこから、何かがジワリ、ジワリと染み出し、胸から腹へ、脚へ、腕へ、首へ、そして頭へと広がった。


 その何かは鼻の奥を刺激し、そして目頭を熱くする。熱く、熱く、そうして段々と眼球へとそれは伝わる。


 雨でも降ってきたのだろうか。頬を濡らす雨は冬だというのに温かかった。




「おはようございます。よく眠れましたか?」


 ヴァーノンを思わせる口調に寂しさを感じた。胸に大きな穴が開いたような感覚、ここ二か月で何度も感じたこの感覚だったが、今回のは一段と大きい。


「昨日はすいませんでした。理由も話さず連れてきてしまい……。僕の名前はロイクです。医者をやってます。先生にはまだまだ見習いだって言われてますが……」


 僕、という一人称にヴァーノンとの違いを見つけ俺は安心した。ヴァーノンがいないのに安心? よくわからない感情に戸惑い、別のことを考えることにする。


 医者、先生。ということはカラム先生繋がりの人か? カラム先生経由で俺のことを知っていたらしい。


 カラム先生はあの日、離れの家にいた。マリーとランスが無事ならカラム先生も無事なのだろうが、それでも心配である。……まさか、焦っている理由って!


「……君にこんなことをいうのは酷かもしれませんが、先生はもうあまり長くありません。なので、君にはそれまでに会ってもらいたいのです」


 やはりだ。やはりカラム先生に何かあったのだ。離れにいたから、ランスはカラム先生を守りきれなかったのだろう。だからカラム先生は……


「先生は二か月前のあの日から、『レリア、レリア……』と繰り返しているのです。あの日何があったのか、僕にはわかりませんが、君の家には行ったので、大体のことは想像がつきました。君のことも諦めてかけていたのですが、ようやく、ようやく君を見つけたのです。どうか、先生に会ってもらえませんか? 君に会えば、先生の容体ももしかしたら……」


 ロイクはそう言った。きっと対面していたら頭を下げていただろう。こんな子供に。


 少しでも早く辿り着くようにと眠る俺を背負い、ここまで歩いてきたのだ。今だってそうしている。荷物だってちゃんと……。


 ここでふと気づく。大楯はどうしたのかと。俺にしか触れない大楯をロイクはどうやって運んでいるのかと。確か、ロイクは手袋をしていなかったはず。それに両手はふさがっているし、前はリュックで席が埋まっている。大楯のはいる余地などないのだ。


 置いて来てしまったのだろうか。ロイクが今、普通に歩いていることを考えればきっと、そういうことなのだろう。まぁ、あの大楯が盗られることなんてまずありえないだろうし、後で取りに行けばいいか。


 そんなことより、今はカラム先生のことだ。カラム先生が俺に会いたがっているというのなら、俺は会わなければならない。それでもし、カラム先生の容体がよくなるのなら、いくらでも、俺はカラム先生と会おう。


 ロイクの背中で、俺は大きく頷いた。


 


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