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第79話 犠牲

 赤く染まった視界。咽返るような血の臭い。ゴホゴホという咳の音と、それに合わせて飛ぶ赤い点。何度も目にしてきた光景だった。

 目の前の男の胸からは赤黒く染まった錘状の刃が飛び出ている。流れ出た血は河原を赤く染め、大きな血だまりを作っていく。

 両手を広げ、膝を突き、俺を守るようにして、胸が貫かれている。胸から飛び出た刃の先端は俺の方に伸びており、この男が居なければ、俺が貫かれていたであろう。

 男の青い髪が咳に合わせて揺れる。青い目は酷く虚ろだ。それでも、俺を捉えようとしているのだろう、視線が少しずつだが動いているのがわかった。


 大丈夫だ、俺はここに居る。言葉にはできないが、きっと伝わるだろうと、俺は男に頬に手を伸ばした。

 

「あぁ、レリアさん、無事で、よかった……」


 ヴァーノンのその言葉に、俺はあの時の感情が蘇った。マリーが俺のために魔法を使った、あの時の感情が……。


 俺はまたやってしまった。俺のために、また、大切な人が犠牲になった。俺の命を救うために、大切な人の命が失われた。

 俺はそんな価値がある人間なのだろうか。マリーやランス、ヴァーノンが生きていた方がいいのではないだろうか。だって、俺は人の死が常に纏わりついているのだから。


 肉を割く音、吹き出る血の音、そして、物が地面に落ちる音。ヴァーノンの後ろで槍を刺していた男が、その槍を引き抜いたのだ。

 その男の顔は、さも興味が無いように無表情で、その赤い瞳は、ただ俺を眺めていた。ただ、ゴミを捨てる時の様に、道端の石を蹴る時の様に、邪魔だから退かしたと、そんな、何事もなかったように、この男はヴァーノンの命を奪ったのだ。

 男の赤い瞳は何も告げず、その白い髪は風に揺れているだけ。俺の大切な人の命を奪っておいて、何も感じることなく、次の動作を行おうとしている。


 俺の炎が激しく燃え上がった。復讐の炎が俺の身を焦がしていく。そして、俺の感情をも飲み込んでいった。悲しみを忘れる様に、怒りで俺は埋め尽くされた。



 引き抜かれた槍は血に濡れたまま、真っ直ぐ俺の方へと伸びてきた。一直線に俺の胸を狙う軌道だ。しかし、その動きはスローモーションに見える。ゆっくりと進む一本の槍。

 こんな槍がどうした? 触手を切り裂き、ヴァーノンの命を刈り取った槍。これが無ければ、ヴァーノンは死なずに済んだだろう。だが、今はそれよりも憎い相手がこの先にいる。


 俺は身体を捻り、胸に沿わせるようにしてその槍を避けた。体を捻りながら、槍の先、近付いてくる男へと、さらなる接近を試みる。


 ビリビリビリ


 布が裂ける音が聞こえた。服に槍が引っかかったのだろう。だが、痛くはない。俺の肌には当たっていない様だ。


 俺は勢いそのままに、身体を回転させ、飛び上がり、流れる様に男の顔面を掴んだ。一瞬見えた男は目を見開いていた。その表情からは恐怖を感じ取れず、ただ何が起こったのか理解できないという、驚きと混乱、この二つの感情だけだった。


 その顔は二度と見たくない。俺はその顔を二度と見なくて済むように、気力を流した。


「ヴァーノンさん!」


 アル達が駆け寄ってきた。横たわるヴァーノンを取り囲むようにして、皆が膝をつく。クロディーヌはヴァーノンの手を掴み、オーバンは血を止めようと懸命に傷口を抑えている。アルは何度もヴァーノンの名を叫び、俺はただ、呆然とその様子を眺める事しかできないでいた。

 しかし、皆違う動作をしているものの、共通している点は、ヴァーノンが助かって欲しいという願望と、助からないことがわかってしまっている絶望だった。皆、涙で顔を濡らし、叶う事のない願いを願い続けている。


 そんな俺達をヴァーノンは見えているのだろうか。虚ろな瞳には何も映っていない様に見える。しかし、ヴァーノンは、皆が無事でよかった、とでも言う様に、微笑み、静かに目を閉じた。



 啜り泣く少女の声。静かに涙を流す少年の背中。何度も何度も力任せに地面を殴りつける少年。そんな彼らをただ眺めるだけの俺。傍には頭のない死体。そして胸に風穴の開いた大切な人。特に何をするわけでもなく、生気のない目で俺のように佇む奴隷たち。そんな光景が広がる河原に、変化をもたらす者が居た。


「お待たせしました、バレイオス……?」


 大きなベレー帽の様な物を被った商人風の男。日本の前歯は抜けており、笑った口からは八重歯が見えている。顔には大きな鼻があり、その鼻の中心やや左には大きなできものが付いている。これのせいで大きな鼻がさらに大きく見えているのだろう。服装は色あせた緑という表現が適切な、何とも陰気臭い恰好だ。


 俺はこの男に見覚えがあった。実際に見るのは初めてだが、俺はこの男を知っている。本当に正確に描かれていると、感心したほどだ。


 しかし、その関心も束の間、俺は再び復讐の炎に包まれた。


 アイツは、あの森を襲ったメンバーの一人だ。俺の生きる目的の一人なのだ。


「お前たち! ここで足止めをしなさい!」


 一瞬で状況を判断したのだろう。そう叫ぶと、男は踵を返し、一目散に森の中へと消えていった。


 逃がすか! こんな所で逃がすわけにはいかない。口ぶりから察するに、ヴァーノンが追っていた男はあの男だ。あの男さえいなければヴァーノンは死んでいなかったのかもしれない。絶対に仕留めてやる。


 俺はあの男を追うために駈けだした。視界の隅には俺と同じ気持ちで走り出したアルとオーバンが映っている。そうだな、これは弔い合戦だ。お前らの事は気に食わないが、今はそんなことどうでもいい。兎に角あの男を……。


 しかし、男が叫ぶと同時に動き出したのは俺達だけではなかった。先程まで、ただボーっとしているだけだった奴隷たちが一斉に動き出したのだ。

 男の叫び声を聞いた途端、身体をビクンと跳ねさせ、一斉に俺達へと向かってくる。その顔は相変わらず生気がなく、屍の様だったが、それでも明確に俺達の邪魔をしようとしている事だけはわかった。


 酷く不気味な集団、あの男の命令に逆らえないのだろう。呪いとも呼べる奴隷の印。その束縛によって施行された命令だ。彼らには罪はない。しかし、そんな事は関係ない。俺の邪魔をするというのなら、どんな奴だろうが蹴散らしてやる。


 俺は手の届く奴らを片っ端から倒すため、両手を前に突き出し、そのまま前進した。


 奴隷たちの動きに逸早く反応したのはアルだった。アルは走り出しはしたものの、直ぐに動きを止め、クロディーヌの元へと戻った。生きている大切なものを守るための行動。俺はそれができることに嫉妬した。


 俺は両手を前に突き出したまま、歩を進める。目の前には十五歳くらいの少女が居た。ガリガリに痩せ、折れてしまいそうな細い足を乱暴に前へ前へと出している。可哀想? そんなのは関係ない。奴隷の印などクソ喰らえだ。俺の道を遮るのなら、女子供だろうが容赦はしない。死にたくなければ道を開けろ!


 もうすぐで手が届くという時、急に目の前から少女の奴隷が居なくなった。よくわからなかったが、俺は足を止めるわけにはいかない。開けた道を唯、全力で走った。


「絶対に追いつけよ!」


 後ろから叫び声が聞こえた。誰の声だろうか。まぁ、いいか。道は開けた。

 後ろからは足音が聞こえる。だが、追いつかれはしないだろう。目の前には森が広がっている。この中にあの男がいるのだ。


 絶対に追いつく。あの男は絶対に仕留めなければいけないのだ。


 俺は生い茂る木々の間へと飛び込んでいった。


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