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第78話 天敵

 休息の街ベルニエの前を通り過ぎた翌日、水を補給するために川へ下りようとしたのだが、そこには異様な光景が広がっていた。

 雪が降っていないとはいえ、季節は冬。十分に気温は低く、外套からはみだしている手や顔には肌を突き刺すような冷たさが感じられる。にもかかわらず、目の前の河原にはボロ布一枚を纏っただけの子供がいた。しかも複数人だ。

 ざっと数えてみても、二十人はいるだろう。そんなに大勢の子供達が真冬の河原にボロ布一枚で集まっている。中には子供ではない者もいるが、その者達も、ボロ布一枚だった。


 この集団に共通して言えることは、ボロ布の他にもいくつかある。ガリガリに痩せている事、目に生気が宿っていないこと、そして、腕にある黒い印だ。

 俺はこの印を知っている。禍々しいオーラを放つ黒い印は鉄の街の少女に書いてあった印とまったく同じものだったのだ。

 この印は、他人を縛る印。ここから導き出される答えは、この者達が奴隷だという事だった。

 奴隷だから満足な服を着せて貰えず、奴隷だから食事もギリギリで、どんどん痩せていく。奴隷だから、皆暗く、絶望し、諦めているのだ。


「どうやら追いついたようですね」


 俺達は物陰から河原を見下ろしていた。ヴァーノンの言う通り、彼らは俺達が追っている奴隷商の商品なのだろう。


 人間を物として扱う奴隷。それを生業としているなんて、虫唾が走る、何てことは言わない。奴隷商だって生きなければならないのだ。そのためにお金がいるのだ。

 野菜だって、肉だって、小麦だって、皆生きていた。人間だけが生きているわけではない。俺達は生きるためにこれらを殺し、加工し、食べるのだ。

 それなら人間だって生きるために利用されてもおかしくはないと思う。生きる事は奪う事。奴隷だって同じだ。生きるために他人の人生を奪っているのだから。


 しかし、奪われる側だって黙ってはいない。ただ奪われるだけではないのだ。俺だって、奪われたら、やり返す。生きるために必要なら仕方がない。だが、その奪われたものが俺には必要だったのだ。


 俺に手出しさえしなければ、このまま通り過ぎていただろう。全員の顔を把握して、俺の求めている人が居なければ、俺には関係のないことだ。

 だが、今回は違う。ヴァーノンがダメだと言ったらダメなのだ。特に恨みがあるわけではないが、ヴァーノンのために奴隷を解放させてもらおう。


 奴隷たちの集団、そこから少し離れた場所に男が腰かけていた。あの男が奴隷商なのだろうか。

 大きな岩に腰を掛け、その方には槍を担いでいる。担いだ槍の先端、石突を地面に突き立て、もたれ掛るようにしてその体を支えてた。

 身なりは軽装。急所のみを守るように革で補強されたライトレザーアーマーを着ている。

 何処からどう見ても、商人ではなく、戦士にしか見えなかった。


 まぁ、いいか。商人だろうが、戦士だろうが、倒してしまえば問題ない。気付かれる前にさっさとやってしまおう。


 俺は大盾から触手を男へとまっすぐに伸ばした。少し遠いが、ギリギリ届くだろう。

 男は眠っているのか、ピクリとも動かない。そのまま永遠の眠りについてしまえ。


 ザシュッ


 そんな音が聞こえた気がした。触手が男に触れる直前、男は突然槍を振り下し、触手へと当てたのだ。そして、ポトリと落ちる触手。その断面からポタポタと半透明の液体が落ちていた。

 俺にしか見えないはずの触手が何故? しかも切られるなんて……。そんな疑問が浮かび上がったが、考える間もなく、耳を劈くような奇声が聞こえた。何とも形容しがたい叫び声、それを聞いているだけで頭が痛くなり、吐き気を催し、倒れてしまいたくなる。どうしようもない恐怖感と嫌悪感が俺を襲った。


 この声の主は、今、俺が抱えている大盾だ。大盾は今、触手を切られ、恐怖しているのだ。初めての痛みというものに怯えているのだ。

 俺が初めて触手を見てからというもの、触手は何かに触れたことがない。すべてものは触手に触れることができず、触手もまた、すべてものを通過するだけだ。

 だが、今、触手は何かに触れた。強烈な痛覚と共に。未知の感覚に恐怖し、怯え、混乱している。その感情が俺に流れ、俺も目の前の男に恐怖し、逃げ出したいと思った。


 周りを見渡すが、様子がおかしい。何も起きていないかのように、先程までの行為を続けている。ヴァーノン達は男や奴隷の様子を見ているし、奴隷たちは生気のない表情で突っ立ったままだ。変わっている点と言えば、男が立ち上がっているという点だけだった。

 この声は俺にしか聞こえていないらしい。今もまだ叫んでいるというのに、何も感じていない様子の周りから、そうとしか考えられなかった。


 先端を着られた触手はズルズルと大盾の中へ戻っていき、やがて叫び声も止んだ。


 あの男は危険だ。俺の頭がそう判断する。近付いてはならない。そう警告してくる。だが、ヴァーノンの願いを叶えるのなら、あの男は障害にしかならない。

 一旦引き下がって、作戦を考えるか? いや、今度は何時になるのかわからない。ヴァーノンは長い事こいつらを追っているみたいだし、次はもうないのかもしれない。やるなら今だ。


 俺は場所を変えるため、ヴァーノン達から離れ、槍を持つ男の背後に位置する場所へ身を隠した。

 河原は森に囲まれており、身を隠すのには適している。音のない触手であれば、背後からの攻撃には気付かれることはないだろう。

 移動にだって細心の注意を払った。音を立てないよう、ひっそりと移動したのだ。男はこちらに見向きもしなかったし、気付いてないだろう。大丈夫だ、必ず成功する。


 俺は再び触手を伸ばし、男を仕留めようとした。今度は先程よりも位置が近い。多方向から、触手を伸ばし、男に襲いかからせる。もちろん、視覚となる位置からだ。

 しかし、男はまるで触手が見えているかのように槍を薙ぎ、体を捻り、右に飛び、石突で突き、そうやって触手をすべて捌いて見せたのだ。


 ここで仕留めなければ。俺はそう思い、何度も、何度も触手を操作した。男に恐怖している触手は普段よりも言うことを聞いてくれない。いつもなら、行くなという命令だが、今回は行けという命令だ。

 普段はこれでもかという程に飛び込んでいく癖に、今回は腰が引けている。俺は触手への命令に全力を注いだ。


 男は、俺の奮闘もむなしく、右へ、左へ、時には後ろへ、飛んでは槍を振り回し、ついては回避行動に出る。縦横無尽に河原を飛び回っていた。

 幸い、触手はあれから斬られていない。触手も学んだのだろう。槍には当たらない様に、俺の命令を無視して動いていた。



 男はなおも避け続けている。初めは触手が見えているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。少し離れた位置に触手があっても、全く違う方向を見ていたりしたのだ。

 ただ、近付くと確実にその位置を捉え、避けるなり、弾くなりの動作をする。もしかしたら、触手の位置を肌で感じているのかもしれない。目ではなく、他の感覚でとらえているのだろう。




 一瞬、男と目があった気がした。触手が見えていないのか、適当に視線を彷徨わせていたはずの男が、今、こちらをしっかりと見据えたのだ。

 偶然だろうか、気のせいだろうか。いつの間にか男は、俺の目と鼻の先に居た。縦横無尽に飛び回っている様に見えて、俺の方に少しずつ近付いていたのかもしれない。


 不味い、そう思った時には既に遅かった。男が此方に踏み込んでくる。その動きが酷く緩慢に見えたが、俺の動きはさらに遅い。大盾は俺の左側にあり、俺を守る物は何もない。


 ザシュッ


 肉を貫く音と共に、俺の視界は真っ赤に染まった。


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