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2019/3/6 差し替え
夏が終わり、秋になった。とは言え、残暑は厳しい。葉の色が変わるのはまだまだ先のようだ。日差しの熱を感じながらうんと腕を上げて体を伸ばす。視界に入った太陽が、先日、ランスが出していた魔法の玉に重なって見えた。魔法って、いいよなぁ……。そんなことを思いつつ、俺は伸びた髪を持ち上げて首筋に風を送りながら、家の裏手に来ていた。
杖を握るマリーの両手から緑色のオーラが杖に描かれた不思議な文様を辿るようにして杖の先端、緑の珠へと注がれていく。オーラを纏った緑の珠は淡く輝き、中空へとそのオーラを放ち、オーラを意味あるものへと変えていく。三日月形へと形を変えたオーラはマリーの掛け声とともに風の刃となり、薪を二つに割った。
「それぇえ!」
カランカランと小気味良い音を響かせながら、薪が倒れた。
魔法。なんていい響きだろう。まさにファンタジーだ。前の世界ではどれ程憧れたことか。非現実なものに魅かれていた俺は幾度となく魔法が使えたらと妄想を膨らませていた。前と違い、今は現実に満足しているが、それでも魔法を使うことへの憧憬は失われていない。それに、俺も魔法を使えれば、一緒に作業ができる。手伝いができて俺は嬉しいし、マリーも作業が減ってうれしい。
「とぉぅ! あら? どうしたの?」
作業の合間を見計らって俺はマリーの裾をちょいちょいと引っ張った。マリーはそれを満面の笑みで迎えてくれる。
「わたしもまほうつかいたい!」
しかし、俺の言葉を聞いたマリーの表情は凍り付いていた。カチリと時間が止まったかのような顔。俺の背中を、じっとりとした冷や汗が流れた。なにか不味いことを言ってしまったのか? 俺は地雷を踏み抜いてしまったのか?
これまで幸せと呼べそうなものを享受してきたのに、俺はなんで満足しなかったんだ? 魔法? 贅沢を言うな。俺には、今の生活だけで十分じゃないか。ああ、嫌われた。たった一言で、俺の、幸せは、崩壊した。なんで、俺は、こうやって、また――
「おおー、二人とも。元気にしとったかのー?」
遠くから声が聞こえた。
「あ、あら? 先生よ、レリアちゃん」
先程の表情は消え、マリーは俺に笑顔でそう話しかけてきた。重くて、固い空気は、まだあったが、それでもなんとか、持ち直したようだ。それでも気を抜いてはいけない。今度は失敗しないようにしないと……。
先生は、時折、家に来ては家族の健康状態を診察してくれる。あの機械も診察の道具だったようだ。科学者ではなく、お医者の先生だった。
「げんきー!」
俺は先生にいつもの調子を意識して、話した。おかしくないだろうか。
「ほっほっほ、そうか、そうか」
俺の答えに満足そうに顎ひげを撫で、目を細めるカラム先生。その姿は好々爺たる風貌だ。よかった。うまくできたようだ。カラム先生の後ろ、ファサファサと音をたてながら毛質の悪い真っ白な尻尾が左右に揺れていた。
「ふむ。薪割り中じゃったか。どうやら間に合った様じゃの」
「まにあった?」
「ほっほっほ、そうじゃな。ワシも手伝うとするかの」
カラム先生は辺りを見渡し、薪が散乱していることに気付くと気になる言葉の後に手伝いを申し出た。
「そうですね。お願いします。そろそろ準備を始めようかと……」
「じゅんび?」
「ふふふ、秘密よ」
俺にウィンクして見せながら、唇に指を当て、マリーはそう楽しそうに言った。いつもの調子に戻ったように見える。でも、なんだか仲間外れにされているみたいで、不安だ。その、準備とやらに、本当は俺も連れて行ってくれるつもりだったんじゃないのか? さっきのことがあったから、俺から離れたくて、秘密にしているんじゃないのか?
「わたしも、てつだう」
「でも……」
思わず、口に出てしまった。マリーを煩わせてしまった。慎重にならないといけないのに、俺は、マリーを困らせてしまったのだ。このままだと、また、嫌われる。
「ううん。だいじょうぶ。せんせいといっしょに、まき、あつめるね」
「そうね。ありがとう。レリアちゃん」
マリーは悲しそうな表情を一瞬した後、またね、と言って家の中へ入っていった。そんなに俺と離れたかったのかと、実感してしまう。泣きそうになるのを必死に堪え、俺は薪を集めた。
薪を幾つか両手で抱きかかえ、家の裏手へと持っていく。そこで薪を乾燥させておく。切ったばかりの丸太は水分を多く含んでいて、薪には適さないからだ。
湿った薪は火が付きにくかったり、火の粉が弾け飛んだりでいいことはない。だから、屋根のある場所にしばらく放置して乾燥させる必要がある。冬場、暖炉を焚くときに薪が使えないってことにならないよう、今の内にたくさん作っておかなきゃな。今年の冬、俺はどうなっているんだろうか……。
「レリアや、なにかあったかのう?」
「……なんにもないよ」
「ふむ。そうかのう」
悟られてはいけない。もし、俺が、悲しんでいることをマリーに知られたら、ますます空気が悪くなる。修復できなくなる。だから、俺は平静でいなければならない。
先生と一緒に薪を集めていると、ファサファサと尻尾が揺れた。ちょうど俺の目線の高さにカラム先生の腰が来るので否応なしに尻尾を見てしまう。
カラム先生の毛質はボソボソで、あまりいいとは言えない。きっと歳のせいだろう。姿勢はいいけれど、こういうところでカラム先生の人生の長さを感じる。神経の擦り減りそうな医者という職業のせいもあるかもしれない。
「気になるかのう? レリアにはないからのう」
俺が尻尾を観察しているとカラム先生が不思議そうな声を上げた。気分を紛らわせるのにちょうどいいかもしれないと、俺は話に乗ることにした。
「うん。ない。どうして?」
「ふむ。それはな、ワシとレリアとでは種族が違うからなんじゃ」
そう言ってカラム先生は楽しそうに話を続けた。
「この世界にはな、『人間』と一言で言っても多くの種族がいるんじゃ。猿人族、猪人族、獣人族、蹄人族、鳥人族、鱗人族、蛇人族、夜人族。他にも沢山の種族がおる。そして、レリアは猿人族でワシは獣人族じゃ」
「しっぽがあったらじゅうじんで、なかったらえんじん?」
「うむ。そうじゃな。猿人族はこの世界で最も多い人口を持つ種族と言われておる。猿のように耳が頭の横についていて、手先が器用なのが特徴じゃな」
「わたしもきよう?」
「うむ。きっと器用じゃろうて」
「そうなんだ」
手をワキワキとさせてみた。前の世界では特別器用でもなかったけれど、今度の世界ではどうだろうか? 今の所、手先の不器用さで悩んだことはない。そう、手先の……、いや、今はその事はいいだろう。
手をワキワキさせる俺を見てカラム先生は微笑みながら、俺の頭をなでた。
「それじゃあじゅうじんは?」
「先にレリアが言った通り、獣のような尻尾に耳が特徴じゃな」
そう言いつつ、カラム先生はピコピコと耳を動かした。
「ワシはこんな尻尾や耳じゃが、トラのような細長い尻尾を持つものや、熊のように短い尻尾を持つ者もおるんじゃよ」
「へー、ずごーい」
「ほっほっほ。他には五感に優れとるのが特徴じゃな。耳や鼻が良かったり、夜目がきいたりじゃな」
「そうなんだ。じゃあ、ていじんやちょうじんは?」
「うむ。蹄人族は牛や馬の様な蹄を持つ動物の特徴を持っておるのが特徴じゃな。上半身は猿人族や獣人族と同じで耳の形が異なるくらいじゃが、下半身は牛や馬の様な構造をしており、わしらとは大きく違うんじゃ。あとは、角があるものもおるかのう」
「うーん、けんたうろす?」
「おお。よく知っておるのう。じゃが、ちと違う。蹄人族は人間じゃ。ケンタウロスとは違い、足は二本じゃ。間違っても彼らにケンタウロスなどとは言ってはいかんぞ?」
「はい。きをつけます」
「うむ。よろしい。素直な生徒でワシもうれしいぞい。蹄人族の他の特徴と言えば力が強いものが多いくらいかのう。さて、次は鳥人族じゃが」
作業を続けながら話は続いた。
「鳥人族は蹄人族と同じで下半身が鳥なんじゃ。それと腰のあたりから翼が生えておる。じゃから空は彼らのテリトリーと言えるかもしれぬの。あとは、耳がないくらいかのう」
「おとがきこえないの!?」
「ほっほっほ。すまん、すまん。ワシの言い方が悪かったのう。正確には耳介がないんじゃ。ほれ、これが耳介じゃ」
そう言ってカラム先生は自分の三角の耳を引っ張った。
「耳の穴の周りについているこの部分が耳介じゃな。耳の穴はあるから音は聞こえるぞい」
「なーんだ。びっくりした」
音が聞こえないんじゃ会話もできないからな。前の世界じゃどうでもよかったことだけど、この世界に来て初めて会話の楽しさを知れた。きっと、音が聞こえなかったらわからなかったはずだ。そういう種族がいたら、どうやって意思の疎通をしているんだろうな。うーん、ジェスチャー? まぁ、今の俺には、会話すら必要なくなるかもしれないけど……。
「次は鱗人族じゃ。彼らは人魚とも呼ばれており、下半身が魚の様に鱗と鰭で覆われておるんじゃ。それに彼らは水中で息ができるんじゃ」
「へぇー」
魚の特徴を持った人間という事だろう。きっと鰓がついてるんだな。……あれ? 魚に耳ってあったっけ?
「ねえ。みみは?」
「うむ? 鱗人族の耳は水晶の様な大きな鱗が頭の横についておるぞい。レリアと同じ場所じゃな」
そう言って先生は俺の耳を撫でた。
「あはははは、もう、くすぐったい!」
「ほっほっほ。すまんのう。さて、お次は蛇人族じゃ。蛇人族は猿人族や獣人族と同じ様な姿形をしておるが、全身を鱗で覆われておるんじゃ。それに温度を感じ取るセンサーのようなものも持っておる。もちろん、耳はあるぞい。鳥人族のように、穴があるだけじゃがの」
「なるほどー。さむいとこにがて?」
「む? どうかのう。彼らは砂漠に住んでおるものが多いがもしかしたら苦手かもしれんの」
「ふむふむ」
「最後に猪人族じゃ」
「あれ、やじんは?」
「すまぬが、夜人族についてはワシもよくは知らないんじゃ。聖典に名前が出てくるくらいでの」
「せいてん?」
「精霊教の教えが書いてある本の事じゃよ。精霊教はこの国で広く信仰されている教えでな、今でもその考え方はこの国に強く根付いておるんじゃ」
「どんな教えなの?」
「この世界の理は全てが精霊様によって定められたものであるという考え方じゃ。そして、我々人間は世界を管理するために精霊様によって力を授けられた存在であるとされておる」
「なるほど?」
「ほっほっほ。レリアにはまだ早かったかのう」
宗教と言うのはよくわからない。精霊様に力を貰った? この世界に俺を転生させたのは精霊様だろうか。そんな記憶は何処にもないが……。まぁ、もし、精霊が俺をこの世界に呼んだのなら、この短かった幸せをくれた感謝と、これから味わう絶望に対する怨嗟を言いたい。
「さて、何処まで話したんじゃったかのう……。まったく、最近は老いを感じていかんわい」
「そんなことないよ?」
「そうかのう? レリアは優しいのう。おお、そうじゃった。猪人族じゃったな。猪人族は猪の様な頭にでっぷりとした体が特徴じゃ。気性の荒い奴が多いかのう。レリアもそやつらを見たら気を付けるんじゃぞ?」
「はい!」
その時はきっとマリーとランスが助けてくれるんだ。豚なんかパパパッとケチョンケチョンにやっつけて。いや、今は、どうだろうか。二人は、俺をおいていってしまうかもしれない……。
周りに落ちていた薪を積み上げ終わり、家の中へ戻ろうとすると、先生がチョイチョイと手招きをしてきた。それに応じるように、俺はトテトテと先生の側に寄る。俺が到着すると先生はゆっくりと切り株に腰を下ろし話し始めた。
「少し休憩にせんかのう。そうじゃ、猪人族について一つ昔話をしようかのう。これはワシが旅をしておった頃の話なんじゃが――」
それから先生が猪人族に捕まって、命からがら逃げだした時の話を聞いた。先生は昔、お師匠様と旅をしていたらしく、その時の話をよく話してくれる。どこそこの街のどんな料理がおいしかったとか、とある村でこんな流行病があったとか、今回の様な冒険談だとか。こういう外の世界の話は新鮮で面白いし、小説を読んでいるような感じで娯楽としてもいい。俺は時々先生の話を思い出してはそのシーンを思い浮かべたりして楽しんでいる。今日もまた、そんな物語の一ページが追加されたのだった。
「さて、そろそろ時間じゃろうて、行くかいのう」
「じかん?」
話が一段落ついたところで先生がそう言った。気になる言葉だったけれど、先生はいいからと言葉を濁し、扉の前まで俺を誘導し、扉を開けさせた。
「レリア」
「レリアちゃん」
「「「おめでとう!」」」
扉を開けると突然、前から後ろから祝福の声が上がった。……何だろう、よくわからない。お祝いされるようなことなんてあっただろうか? 俺は、嫌われてしまったはずなのに……。困惑して俺がどぎまぎしていると、あれよあれよという間に椅子に座らされ、三人が俺を取り囲んだ。
ふと、過去の記憶が頭をよぎった。
大勢の人に周りを囲まれた記憶。知っている顔も知らない顔もいる。けれどそれは全て敵意のある顔。ニヤニヤと笑いながら、俺が怯える様を観察しているのだ。
……違う! 皆はそんなことしない! マリーも、ランスも、先生も、皆優しいんだ。取り囲んだのだってきっと理由があるはず。ああ、でも、俺は、もう、嫌われているんだった。家族だと思っていたのに、今は違うんだ。みんなで、取り囲んで、これから、俺は、また――
「――ちゃん? レリアちゃん?」
気が付くといつの間にか皆が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。心配させるのはよくない。咄嗟に俺はそう思った。
「だいじょうぶだよ」
言ってから、俺はまだ諦めていないのかと、自分の執着心の強さに呆れた。既に嫌われているというのに。
「そう? 本当に大丈夫?」
「うん。だいじょうぶ」
「びっくりさせすぎちゃったかしら。でも驚いてくれたなら大成功ね」
「え?」
「だって、今日はレリアちゃんの誕生日なのよ? 改めて、おめでとう、レリアちゃん」
「レリア、おめでとう」
「おめでとうじゃ」
たんじょうび……、誕生日……、誕生日! そうか、今日は俺の誕生日か。誕生日なんて祝ってもらったことなかったからすっかり忘れてたな。
でも、何でいきなり? 今までは特に何もなかったのに……。
「今日で七歳ね。半成人のお祝いよ」
「はんせいじん?」
「十三歳で成人を迎えるから、七歳で半成人、ね?」
「おおー」
「今日のご飯は豪勢よ!」
そう言われてテーブルの上を見れば、なるほど、確かにその通りだった。いつもはイモにスープという簡単な食事が多い。けれど今日は他にも色々な料理がテーブルを飾っていた。
最初に目に飛び込んできたのは鳥の丸焼きだ。赤茶色の鶏は皮がパリパリに焼かれ、ソースの輝きを受け、艶めかしくも見える。肉が食卓に並ぶことは殆どない。秋の収穫を終え、食べるものがなくなる冬を越すための保存食として出てくることが多いのだ。だから、丸焼きなんて保存の効かないものが食卓に並ぶことはこれまでなかった。それだけでも十分豪勢だとわかる。
そして、その周りを取り囲むのは野菜炒めに、コーンスープ、チーズがたっぷりと乗ったパン、さつまいものオレンジ煮、はちみつの染み込んだパンケーキと、色とりどりの様々な料理が並んでいた。
「それじゃあ、ご飯にしましょう? お腹空いたでしょう?」
そう言いつつ、みんなで食卓を囲む。その顔は、みんな笑顔で、さっきまでの俺の考えが馬鹿みたいに思えてきた。俺は嫌われていない。少なくとも、今はそう感じた。みんなの顔もそうだし、俺のために、誕生日を祝ってくれるなんて! 俺を嫌っていたら、こんなこと、できないはずだ。
ああ、ごめんなさい、みんな。俺はみんなを信じることができなかった。ごめんなさい。申し訳ない気持ちで一杯になる。でも、今は、きっと、別の言葉がいいのだろう。だから俺は、この言葉を、みんなにいうことにした。
「ありがとう!」