第76話 離れた心
カランカランと鈴の音を鳴らしながら、ヴァーノンは扉を開いた。
中へ入ると、木の良い香りが嗅覚を刺激する。港に居るのに、山の中に居るかのような感覚に襲われ、不思議な感じだ。
展示してある服はどれも高そうだが、装飾が多いとか、生地がすごいだとか、そういた感じではなく、一つ一つがそれだけで完成されている、そういった服が並べられているのだ。
これらの服は一目見ただけで高級品であると分かる。きっと、王都であれば買い手がないなんて事は無いだろう。
しかし、何故服なのだろうか。港の近くであるならば、海のものの方が良いと思うのだが。魚は無理でも、貝殻や珊瑚を使った装飾品ならば、海の近くにあるからこそ仕入れることができる物だと思うし、他にも塩なんかでもいい気がする。
わざわざ、何処でも手に入るような服をここで仕入れなくても……。
[どうして港街なのに服なのですか?]
「それはですね、レリアさん。生地に秘密があるのです」
生地? 別段変わった様子はなさそうだが……。短い毛が付いていて、温かそうという印象しか受けない。
「実はですね、これは海獣の皮なのです」
海獣というと、アザラシとかオットセイとか海に生きる獣の事だよな。ゴワゴワしてそうなのだが、見た感じ、そこまで硬くなさそうだ。
「海獣の皮は毛が硬く、重いのですが、防寒、防水性に優れていて、また、希少性も高いので高級品として扱われるんですよ。しかし、ここ港の街では比較的安く手に入れることができるのです」
だから、この街で服を仕入れるという事か。うむ、納得した。並んでいる服はドレスが多いが、皮の性質上、使うなら外套やベストと言った防寒具の方がいいだろう。
「それに……」
そう言って、ヴァーノンは店員に声を掛けた。
「頼んでいた物は出来ていますか?」
「これは、これは、ヴァーノン様。もちろんでございます。ささ、こちらへどうぞ」
以前から目星をつけていたという事だろう。小太りの店員に案内されるがままに、店の奥へと入って行った。
「では、ヴァーノン様はこちらでお待ちください」
「わかりました」
そう言って店員は椅子を指示した。ちょうど二つ椅子があり、小さな丸机を囲むようにして配置されている。ここで待っていれば、ヴァーノンが頼んでいたという品を持って来てくれるのだろう。
俺は、ヴァーノンについて行き、空いた席に座ろうとした。したのだが、店員の一声で、その動作を中断させられてしまった。
「お嬢様はこちらへ」
お嬢様。辺りを見渡すが、そう呼ばれるような人はいなかった。それどころか、店にいるのはヴァ―ノンと店員、そして俺の三人だけだ。そして、くしくも、女は俺一人。お嬢さまと呼ばれる可能性があるのは俺だけだったのだ。
もし、ヴァーノンがソッチ系の人だったならば、俺だって迷ったさ。お嬢様と言われるには余りにもみすぼらしく、汚い。浮浪児と言われてもおかしくない恰好をしているのだから、まさか、お嬢様とは……。
店員も大変である。心にも思っていないことを口にしなければならないのだから。商売って大変だな。
で、そっちに行けばいのか? しかし、何故俺一人なのだろうか。ヴァーノンと俺を分断して、何かしようと、そういう訳か? しかし、店員からは怪しい気配はしないし、ただ、客の相手をしているだけといった様子だ。
俺は少し警戒しつつも店員の指示に従い、店のさらに奥、布で遮られている通路へと進んで行った。
「どうぞこちらへ」
行く道を遮る布を持ち上げ、店員は俺のために道を空けた。俺のために動いてくれるという、悪い気持ちのしない行為に、少し上機嫌になりながら、俺のための道へと足を踏み入れる。
通路の先、そこは大の大人が優に五人は入れるであろう空間があり、見るからに豪奢な机と椅子が拵えてある。四面ある壁の一つはほとんどが鏡に覆われており、そこには左右で色の違う髪留めをした赤い髪の少女が映っていた。
久しぶりに見たその顔は、少々やつれてはいるものの、以前の様に瞳には生気があり、緑の輝きを放っている。クリクリとした目は一見すると幼く、可愛らしく見えるが、よく見れば、目つきは鋭く、全てを見透かされている様な気になった。
あまり変わってないな。これは俺の素直な感想だ。森を出る前のあの時の俺と見た目はあまり変わっていなかった。しかし、今の俺はあの頃の純粋な気持ちは殆ど失われている。
ヴァーノンと再会したからこそ、昔の心が少しは蘇っているのだろうが、しかし、本質は変わらないはずだ。
俺はただの殺人鬼。両手はおろか、全身が汚れており、地獄行きの切符を確実に手にしている。人を殺すことに躊躇いがなく、さらには痛めつけることに快楽を覚えてしまった、危険な思想の持ち主だ。
見た目は変わっていなくとも、中身はすっかり変わってしまった。こんな俺を見て、マリーとランスはどう思うのだろうか。これから森へと帰ろうというのに、そんな事を考えて、心が揺らいでしまう。
自分の弱さに俺は情けなくなってしまい、さらにそれが俺を弱くしていった。
「失礼します」
先程の店員が二名の女性店員を引き連れて部屋に入ってきた。いつの間にか何処かへ行っていたのだろう。手には白く、平べったい箱を持っており、恐らくあれがヴァーノンの言っていた物だと思われた。
それから俺は店員たちの指示に従いなされるが儘になる。ここは服屋で、その奥の大きな鏡がある部屋だ。店員は大きな箱を持って来て、さらに人員を追加した。俺をここへ連れてきたはずのヴァーノンは締め出され、あの小太りの店員も今はいない。居るのは連れてこられた女性店員二人と俺の三人、皆女性である。
「大変可愛らしいですよ」
「よくお似合いです」
鏡に映った俺を示しながら、二人の店員は口々に俺を褒めた。俺が着ているのは、以前にも同じ色のものを着たことが物だった。俺の髪と同じ、真っ赤なドレスだ。デザインは異なる物の、やはり俺には赤が似合うのだろう。
自惚れだろうか、俺から見ても、鏡に映る少女は可愛らしかった。年相応の可愛さがあり、しかし、少し大人びた印象も受ける。
見た目は実年齢よりも大きく下回っているというのに、そういった印象を受けるのは、眼つきやこけた頬のせいだろうか。それとも、短い間に俺が経験してきた出来事のせいだろうか。
俺の心は変わってしまったのだ。齢十二歳の少女が持つそれとは明らかに異なっている。
もともと違ってはいたものの、十数年の間に近づいていたのも事実だ。しかし、あの出来事の後、俺の心は絶対に戻れない所にまで行ってしまった。精神年齢だとか、年相応だとか、そう言う次元ではなくなってしまったのだ。
「お気に召しませんでしたか?」
着替えが終わり、ヴァーノンに、俺のドレス姿を披露した。だが、俺の暗い顔を気にしたのだろう。俺の姿を見たヴァーノンが心配そうにそう言った。
俺の驚かせたいと、喜ばせたいと、そう思って、こうやって準備をしてくれたのだ。俺のドレス姿を想像し、喜ぶ姿に思いを馳せ、俺が出てくるのを待っていたのだ。そんなヴァーノンを俺も喜ばせたい。
[うれしいです。ありがとうございます]
俺は今できる飛び切りの笑顔をヴァーノンに見せた。




