第71話 港の街
「ヴァーノンさんは優しいですね」
クロディーヌはそう言った。先程の事を言っているのだろう。襲ってきた猪人族を殺さずに処理したのだ。
俺は今、馬に乗っている。荷馬車を引く馬はゆっくり歩くため、大きな上下運動はない。軽く左右に振られるだけである。栗毛の小さな馬だが、それでも俺よりは身長が高い。何時も違う視点に少しだけ、本当に少しだけ興奮していた。
それに、大盾を皆から引き離すという目的もある。この大盾の呪いは何故か動物には効かない。そのため、馬に乗ることで、皆に呪いが及ぶことをある程度防げるのだ。触手は抑え付けることができても、大盾に触れられたら意味はないからな。
「いえ、あれはただの偽善ですよ。私の自己満足です」
クロディーヌの発言に対するヴァーノンの返答だった。ポツリと零れてしまったこのような声に、ヴァーノンは一瞬、しまったという顔をする。しかし、直ぐにその感情も仮面の下に隠れてしまった。
ヴァーノンの発言で、会話は途切れてしまう。特に楽しく話していたわけではないのだが、それでも重い空気という訳ではなかった。だが、今は空気が重い。ヴァーノンはこれ以上語るつもりがないようで、取り繕うことはなかった。
「それにしても、何だったんだろうな」
「何が?」
「ほら、俺達アイツらに囲まれてははずだろ? それなのに目を覚ましたら形勢逆転だぜ?」
「あぁ、確かにな。突然寒気がして、気が付いたら毛布に包まってるんだもんな」
前を歩くヴァーノンとクロディーヌ。それに対して、後ろを歩くアルとオーバン。彼らは俺の大盾、正確にはその触手が起こした事件について語り合っていた。
ヴァーノン達にも聞こえているだろうに、しかし彼らはその話には加わろうとしない。クロディーヌは気にしているようだったが、隊列が崩れることを気にしているのか、後ろに行く事は無かった。
「豚共が縛られてたってことは、俺達が気絶した後、豚共に勝ったってことだよな」
「でも、クロディーヌも倒れてたらしいし、俺達四人でぎりぎりだったのに、ヴァーノンさん一人でいけるか?」
「ん? ヴァーノンさんは気絶しなかったのか?」
「いや、知らないけどさ。あの、え……、あの子、レリアだっけ? あの子が一人で倒せるわけないだろ?」
「そうだよなぁ」
「ヴァーノンさんって一人旅長いんだっけ?」
「そのはずだけど?」
「だったら、ああいう修羅場、結構経験してるんじゃないか?」
「気絶したのもヴァーノンさんの力だったりして」
「俺達巻き添えにしてか?」
「あの場合仕方なかったんじゃないか?」
「それもそうか」
結論としては、ヴァーノンが猪人族を倒したと、そういう事になったらしい。まぁ、口調からして冗談半分なのだろうが。
話は聞こえているはずなのに、ヴァーノンは一切反論しなかった。ただ前を見つめ、淡々と歩を進めている。後ろからでは表情が見えないが、きっといつもと同じ笑みを浮かべているのだろう。
何故、自分がやったわけじゃないと訂正しないのか、たぶん、ヴァーノンは気付いているんじゃないのか? 俺がやったのだと。だが、俺は俺がやったと言わなかった。だからヴァーノンは何も言わない、そんな気がした。
「さぁ、着きましたよ。ここが東の領地最大の街、港の街オルトーです」
吹き付ける海からの風、冬という季節にふさわしい、肌を突き刺すような風だ。潮の香りは、ベタツクというよりはアッサリした香りだった。太陽はいつの間にか雲に隠れ、少し薄暗い。夕食時の時間だからだろうか、外を歩く人は女性の姿が多い。手に鞄を下げ歩いていた。
道に並ぶ建物は、明かりがつき始め、チラホラと客の姿が見える。殆どの店が食事処のようだ。食事処と言えば聞こえはいいが、座っているのはむさ苦しい男ばかり。大口を開け、樽の様なカップをぶつけ合ったり、呷ったりしている。既に出来上がってしまっている人だっている。顔が真っ赤だ。昼間ではないにしろ、日が沈まない内からこんなになっているなんて。だが、それでも皆楽しそうだった。
「では、私は先に寄らなければいけない場所があるので」
「わかりました。宿は前の場所で?」
「はい、それでお願いします。レリアさんをよろしくお願いしますよ?」
「はい!」
「では、後ほど」
そう言ってヴァーノンは街の中へ消えていった。
「さて、俺達も行くか」
「あぁ」
「うん」
アルの一声で、ヴァーノンが消えていった道とは逆の道を進む。三人の後ろ姿を見ながら、俺はチャンスだと思った。ヴァーノンは居らず、見られる心配がない。こんな往来で殺すのは問題外だが、人通りの少ない場所へと誘導できれば、そこで殺すことができる。
次にいつ、こんなチャンスが巡ってくるのかわからない。あぁ、そうだ。今殺そう。今直ぐに。
「おい! そっちじゃないぞ!」
「待って、レリアちゃん!」
レリアちゃん? 何時の間にそんなに馴れ馴れしくなったんだか。たいして言葉を交わした訳でもないのに。いや、たいしてどころか、一言も喋っていないな。
俺は三人の目に入る様、三人の前まで走り抜け、近くの小道へ入った。そのまま路地裏を駆け回り、人の少ない方、少ない方へと足を進めていく。
後ろからはドタドタと追いかける足音が聞こえている。大丈夫だ。ついて来ている。このまま人目のない場所へ行けば……。
吹き付ける風。灰色の雲に、灰色の海。テレビの砂嵐の様な波の音は、しかし、連続的ではなく、断続的に聞こえた。
天気が良ければ、きっと、きれいな夕焼けが見えたのだろう。何処までも続く水平線はその境界が今はぼやけ、ハッキリとしていない。空気は澄んでいるのに、何処か重く、潮の香りがさらに空気を重くしていた。
「やっと、追いついた」
肩で息をし、両手を膝につけて前屈みになっているクロディーヌ。三つ編みは所々がほつれ、ボサボサになっていた。
必死で走ってきたのだろう。息を整え、次の言葉を発するのにしばらく時間が必要だった。
ついて来たのは一人だけか。まぁ、いい。ゆっくりと、たっぷりと、少しずつ、甚振ってやる。
どうやって殺ろうか。腕をもぐか? 脚をもぐか? 頭は駄目だ、直ぐに終わってしまう。しかし、見るからにクロディーヌは華奢だ。腕や脚をもいでしまったら直ぐに死んでしまうかもしれない。では、どうする? 皮を剥ぐか? でもそれは旦那の時にやったばかりだ。芸がない。
後ろを振り返れば、灰色の海が広がっている。網目模様になった泡の白い線が常にその形を変えて漂っていた。海を覗きこむと、何処までも深く、吸い込まれそうな黒だ。底は見えない。
そうだ。溺れさせるというのはどうだろう。溺死だ。これまで、一度もやっていなかったはずだ。折角、港の街に居るのだから、ここでしかできないことをしよう。
俺は再びクロディーヌへと振り返る。息は整ったようで、ちょうど体を起こしているところだった。胸を抑え、一つ呼吸を置き、そして、俺を見つめた。
俺は手招きをし、そして腰を下ろした。港の縁に腰を掛け、足をぶらぶらさせる。ポンポンと俺の隣を叩き、クロディーヌの到着を待った。どうやって海へ突き落そうか、そんな事を考えながら。




