第67話 望まざる再会
第七章開始です
お腹が空いた――
唇だけを動かし、そうぼやく。
食料は持って来ていない。アジトには何もなかったし、脱走した奴が街でのうのうと買い物をするのもおかしい。だから、食料はない。
それどころか、荷物は全部置いてきた。持っているのは、この呪われた大盾だけ。紋が刻まれているわけでも、豪華な装飾が付いているわけでもない、何の変哲もない一枚の鉄の塊だ。こんなもの、食べられるわけがない。
あの時、リュリュ達は俺についてくる気だった。一緒に旅をしようと、装備を整え、各々が必要だと思う物をリュックに詰めて。
あんなことがあったんだ。街に居場所がなくなったと感じるのもわかる。街から離れて、自分たちの居場所を探そうと、そう思うのもわかる。だが、俺についてくるのは駄目だ。また、皆を危険に晒してしまうだろうから。皆を壊してしまうだろうから。
だから俺は、皆の魔力を奪った。扉を開けた時、再び戻った繋がりを利用して、触手を利用して……。
周りに人が居ないため、自由にさせている触手は何だか物足りなさそうだ。砦には連れていけなかったからな。きっと不満なのだろう。俺に染みついた血の臭いを感じ取っているのか、多くの獲物を逃してしまったと、そう思っているのだろう。そんな気がした。
蠢く触手を尻目に、歩を進める。
冬のこの時期、野生の動物たちも飢えに苦しんでいるはずだ。俺だって飢えに苦しんでいる。その飢えから解放してやるから、俺に食われて欲しい。
そんな風に考えながら歩いているからだろうか。生物を発見しても直ぐに逃げられてしまった。
触手を使えば簡単に捕まえられる、そう思っていた時もあったが、肝心の触手は、何故か動物相手には効かなかった。食べられない、捕まえられない、邪魔くさい、ただのお荷物だ。
荷物は全部置いてきた? こんな立派な荷物がここにあるじゃないか!
「ハァ……」
疲れた体と心を癒すため、溜め息を吐く。こうすると、一瞬だけ力が抜けるのだ。
よし!――
気合を入れ直し、俺は再び歩き出した。
視野が狭い。視点が遠い。若干薄暗い気もする。ぼやける視界にイライラしながら、それでも俺は歩き続けていた。もはや立ち止まることもできない。直前の動作を繰り返すだけ。別の動作を始めるだけの余力が残ってないのだ。
目の前に茶色の集団が居た。大きな頭に小さな耳。少し伸びた鼻は太く、顔の正面に二つの穴が開いている。その下には口があり、下顎からは大きな牙が生えていた。牙は弧を描き、真上ではなく、やや顔面側へと延びている。
全身は毛むくじゃらで、毛の色が茶色なのか、汚れているから茶色に見えるのか、とにかく汚かった。図体はデカく、筋肉質だ。一応ズボンの様な物を履いてはいるが、殆ど布切れ同然である。
手に手に武器を持っており、ハルバードと呼ばれる槍と斧が合体したような形状の武器だ。
あいつらって食えるのかな。目の前の猪人族を見て俺は考えた。一応、あいつらも豚だ。猪だって豚だ。人型の豚だ。そう、アイツらは豚だ!
結論が出ると同時、俺は駈けだしていた。何処からこんな力が出ているのか、いったいどうやって走っているのか、全く分からなかったが、どんどん毛むくじゃらの集団が近づいてくる。
「オ、オイ! アレヲ――」
今までの鬱憤を晴らすかのように触手が動き出した。獲物を求め、真っ直ぐに。それぞれの触手がそれぞれの獲物を確保する。一つも被ることなく、皆違う獲物を貫いた。
貫かれた豚は赤や橙の霧を放出し、膝から崩れ落ちていく。魔力が出なくなった時点で触手は次の獲物へと延びていった。
バタリ、バタリと猪人族が倒れていく。そして、猪人族が何に群がっていたのかがわかった。倒れた猪人族の向こう、そこには荷馬車があったのだ。
布で覆われた荷馬車。俺はこの荷馬車に見覚えがあった。毎年、春になると家に来ていた商人、その商人が引いていた馬車だ。
荷馬車の上には一人の男が立っている。お互いに知っている中のその男は、青い髪に青い瞳、若さが抜け、凛々しく、やや貫禄の見えるその顔はヴァーノンだ。
ヴァーノンは弓を構えたまま、大きく目を見開き、口を開け、俺を見つめていた。折角出てきた貫禄が台無しである。
俺はヴァ―ノンに触れないよう、触手に命令を下した。荷馬車を取り囲むように触手を走らせ、立っているものをすべて地に這わせる。ヴァーノンの安全が最優先だ。目の前で知り合いが死ぬのは見たくない。ヴァーノン以外は食ってしまえ!
周りで動いているのは俺とヴァ―ノンだけ。あとは風に揺れる木くらいか。
「レリアさん、なのですか?」
目の前のものが信じられない、そんな顔でヴァーノンは質問してきた。そんな表情もするんだな。いつもヘラヘラと笑っていた記憶しかない気がする。
「あ、いえ、すいません。……これはレリアさんが?」
俺は一応首を横に振った。俺が命令したのはヴァ―ノンを傷つけないこと。あとは触手が勝手にやったことだ。確かに俺も殺そうとはしたがな。
「そうですか。……どうやら息はあ――」
俺はそいつの首を絞めていた。何故だろう。散々気力を使って殺してきたはずなのに、今回は違う。自分で殺したという、殺しの感触が欲しかったのだろうか。それともヴァーノンが目の前にいたからだろうか。もしかすると、ここにきて怖気づいてしまったのかもしれない。ただ、ヴァーノンが息を確認した少女の首を俺は絞めていた。
「レ、レリアさん! 何してるんですか!」
無抵抗に、表情を変えることなく、ただ首を絞められる少女。もだえ苦しむこともなく、俺の行為を、ただ受け入れるだけのその少女から、俺は引き離された。
一本の三つ編みにした茶色い髪が地面に垂れている。呆然とする俺を尻目に、少女の安否をヴァーノンは確認した。
「ふぅ……」
安堵なのか、疲れなのか、額の汗をぬぐいながら、ヴァーノンは一つ息を吐いた。どうやら少女は生きているらしい。
「いったい、どうしたんですか?」
少年二人と少女一人を荷馬車に運び込みながら、ヴァーノンは質問してきた。俺への警戒は解いていない。鋭く光らせた目を俺に向けたまま、作業をしている。そんな目を、俺に向けないでくれ。
彼らを俺は知っている。彼らは俺を知っているだろうか? いや、知っているはずだ。だって俺を探していたんだろう? 俺を捕まえた奴に大金を払うのだろう?
アル達は触手に食われて気絶したらしい。猪人族に隠れてよく見えなかったのが悔やまれる。どうして先程気力を使わなかったのかも……。
いや、先程の事は正解だったのかもな。旦那の様に、ちゃんと苦しめながら殺さないと。だから、先程の事はあれでよかったのだ。
「何があったのですか、レリアさん?」
俺の隣に座ったヴァーノンはその手に俺の声となるものを持っていた。ペンにインクに紙。そうだな。今年はもう言えに来なくてもいい事を伝えてやらないとな。あそこで何があったのか。俺が何をしてきたのか。俺がどうしてここに居るのか。ヴァーノンにはそれを知ってもらいたいと思った。




