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2019/03/06 差し替え
この世界に大切なものが出来て既に四年。俺は六歳になっていた。あの奮闘が嘘のことのように、今ではそこら中を走り回っている。でこぼこの地面を駆け回り、飛び出た木の根を飛んで避け、時折止まっては俺の知らない世界を感じ、観察し、解釈する。それが楽しくてたまらない。
変わらない日常などありはしない。毎日が変化の連続で、毎日が新鮮で、退屈なんて存在しない世界。まだまだ小さいけれど、着実に大きくなっている。それが今の俺の世界だ。
「ただいま!」
「おかえりなさい。パパはちゃんと仕事してた?」
「うん、ばっちり。おいものせわしてたよ」
「ふふふ、後でご褒美をあげなくっちゃね」
「うん!」
まだまだ舌足らずではあるが、会話をできるようになってから久しい。前の世界ではあれだけ避けていた会話だが、今では自分からすすんでそのきっかけを探している。会話がこんなにも楽しいなんて思いもしなかった。どんな他愛のない事でも二人との会話は至高の一時なのだ。
外で何を見てきたか、自分は今何を思っているか、二人は何を考えているのか。どんなことだって会話の種になるし、それは直ぐに芽吹き、花を咲かせる。話したいことや聞きたいことはパッと浮かんでくるし、それを紡ぐ言葉を考えるのも苦ではない。
おいしそうな匂いがする。今日のご飯はなんだろう? この甘い香りは、タマネギかな? 燻製の香りもするから、ベーコンも入ってるっぽいな。今日はベーコンと玉ねぎのスープだな。ちょっと豪勢だ!
俺はマリーの料理が好きだ。そこには温かさがあるから。これがオフクロの味というものなのだろうか。うん、きっとそうだろうな。マリーの料理は素材の味を活かした味付けであり、調味料をあまり使っていない。調味料の入手が困難という理由もあるのだが、そんな中でもおいしい料理を作れるマリーはすごいと思う。
話は変わって、最近俺は悩んでいる。二人と過ごせる喜びに比べたら本当に些細なことだけれど、悩んでいるのだ。
「おかあさん、はなしがあるの」
「どうしたの?」
何時になく真剣な俺の顔を見て、マリーの顔も引き締まった。
「さいきん、わたしのめがこわいの」
そう、悩みとは目つきの悪さ。瞳の色はマリーに似て緑色なのだが、その眼光はランスから受け継いでしまったようで、怖くなりつつある。これは忌々しき事態だ。
気付いたのはある朝の事。家族のために毎朝、川へ水を汲みに行っているのだが、水面を覗いた時、そこに反射する自分の顔を見たときだ。二人の子供だし、二人に似て来たかな、なんて呑気なことを考えながら自分の顔を観察しようと川面を除いたのだが、あとはお察しである。
俺は女だ。そう、女なのだ。だから、どうせなら可愛くなりたい。女として生まれたのだから、そう言う願望を持ってもいいのではないだろうか。しかし、この目つきである。鋭い眼光を伴いつつあるこの目つき。
今はまだ精一杯見開くことでそれに抗っているのだが、次第にそれも効果を失いつつある。特に解決策も得られないまま状況は悪くなる一方だ。どうしたらマリーの様なクリクリオメメになれるのだろうか。あれから水面に映る自分の顔を見るたびにそう思う。
マリーは先ほどの真剣な顔つきとはうってかわってキョトンとしていた。
「そうね、確かにレリアちゃんの目つきは少し怖いのかもしれないわね」
マリーは少し真剣な顔つきに戻り、口を開いた。やはり俺の目つきは怖いらしい。
「でも、私は好きよ? レリアちゃんの目。それに、大丈夫よ。レリアちゃんは十二分に可愛いわ。ぷっくりしたほっぺたも、真っ赤でサラサラな髪も、ちっちゃなおてても、その目だって、普段は少し怖いかもしれないけれど、笑った時の目は、全然怖くないわ。普段との差が際立って、余計に可愛く見えちゃう。将来はどうなっちゃうのかしらね? 男の子に引っ張りだこかしら。それに――」
「あ、うん、ありがと」
「え、そう? まだまだレリアちゃんが可愛いところはいっぱいあるんだけど……」
「ううん、だいじょうぶ。かいけつしたよ」
「そう? なら、よかったわ」
そう言ってマリーは俺の頭をやさしく撫でた。うん、そうだよね。そうだと思った。マリーはたぶんそう言うだろうと。
自分で言うのもなんだが、家の両親は俺のことが可愛くて可愛くて仕方がないと思っている。目に入れても痛くないと真顔で言えるレベルだろう。いや、そもそも、目に入れて、痛いという発想ができないかもしれない。目に入れるのが当たり前で、平然と俺を目に入れてしまうかもしれない。自分で言ってて訳が分からなくなるな。まぁ、要するに、両親は俺を溺愛しているのだ。
そんな相手にコンプレックスを相談したところで帰ってくるのは肯定だ。別に、肯定されるのが嫌だとか、そういう話ではない。むしろ、肯定されるのはうれしい。だが、そうではない。そうではないのだ。これをどうすればいいか、それが知りたいのだ。
やはり、解決策は出てこないのだろうか……。それに、ランスはランスでこのことを相談したら
「レリアの目元は俺に似てるんだな。ははは、パパはとーってもうれしいぞ」
とかいって喜んで相談になりはしないということは目に見えている。
とは言え、悩みでさえも会話の種になるのだから、それはそれでいいことだ。どうせ目が怖いくらいじゃ、二人は俺を嫌いになったりしないだろう。俺の目はランス譲りで怖い。この事実は変わらないが、バランスが悪いとかそういう訳でもないのだ。ただ、可愛いとは違う、というだけである。
まぁ、なんだ。世の中可愛いが全てじゃないしな。クール路線でも狙ってみるか? いや、ジト目もいいかもしれない。うーむ……。
「レリアー。大好きなパパのお帰りだよー」
「あ、うん、おかえり」
夕方になり、ランスが帰ってきた。ギラギラした目つきに若干の身の危険を感じながらなんとか返事をした俺。ランスの笑顔は俺の言葉を聞いて若干引き攣った。大好きなのは認めるし、ちゃんと返事をしたいのだが、突然その顔を向けられるとビックリするのだ。許せ、ランスよ。……サービスとして、脚に抱きついてあげた。なんか奇声が聞こえるけど、気にしない。
「おかえりなさい、ランス。あら?」
「お久しぶりです」
マリーが何かに気が付いたように声を上げた。その声に呼応するようにランスの後ろから一人の青年が顔をのぞかせた。少しく癖っけのある青い髪に青い瞳の商人、ヴァーノンだ。
「こんにちはー」
「こんにちは。レリアさんは偉いですねー」
「ありがとう」
「いえいえー、こちらこそ」
ん? こちらこそ? 俺が首を傾げているとヴァーノンが「こちらの話です」と張り付いた笑顔で言った。
「おい、その辺でいいだろ」
「いえいえ、報酬分はきっちりと」
「なら、明日も頼むな」
「あら。調子に乗るものじゃありませんね」
軽くため息を吐くヴァーノンだったが、その顔は常に笑顔でちょっと怖い。マリーもいつも笑顔だが、そういう笑顔ではなく、作られた笑顔と言うかなんというか。そんなことを思っているとヴァーノンがニヤリと笑った気がした。……商人って怖い。
「二人とも丁度良かったわ。お夕飯にしましょう? 手を洗って来て」
「おう。わかった」
「すみません。ごちそうさまです」
「さ、レリアちゃん。二人が戻ってくる前にスープをよそってしまいましょう」
「うん!」
俺達の家は森にあり、人里には無い。そのため、来客は殆どなく、あっても見知らぬ旅人だとか、行商人だとかが多い。彼、ヴァーノン・アッシュはその来客の中でも数少ない常連客であり、我が家になくてはならない存在だ。一年分とは言え、三人家族が使う程度の量だし、取引も物々交換なのだが、ヴァーノンは毎年この時期になると調味料やその他の生活必需品などの物資を届けに来てくれている。儲けは少ないだろうに……。マリーのおいしい料理が食べられるのもヴァーノンのお蔭であるところが大きく、俺としても非常に感謝している人物の一人だ。
配膳が終わり、二人が戻ってきたところで食事となった。いつもは三人で使っている食卓だが、今日は四人。窮屈にも感じるが不快ではない。広い机に一人で座るよりも、狭い机に皆で座る方が楽しいのだ。
「「「「いただきます」」」」
俺が言うようになってから、ベルニエ家では『いただきます』が恒例となっていた。命に感謝するこの言葉は、この家に住み始めてからというもの、その意味を感じることが多い。前の世界の習慣なのに、その意味を実感するのは別の世界なんていうのは、なんだか不思議ではあるが、これもまた、変化の一つなのだろう。
森の中にはスーパーなんてないし、コンビニだってない。肉はトレイに乗っているわけではなく、野菜だって山積みになっているわけでもない。すべて自分たちで作らなければならないのだ。
我が家では鶏を飼っており、それが主なタンパク源となる。鶏以外にも、ランスが森で捕まえてきた動物を食べることもある。そして、もちろん彼らは生きていて、食べる時には彼らを殺すことになる。動物だけじゃない。植物だって生きている。動いてはいないものの、生きているのだ。日に日に大きくなっていく野菜たちを見ると、そう感じることが多い。太陽に向かって一生懸命伸びていく彼らに愛着が湧いてしまうのは仕方のないことだろう。
殺すことに躊躇いはない。生きていくのに必要なことだから。だけど、感謝の気持ちは忘れない。殺したのなら、せめて、すべてを自分の糧にして生きていく。食べることは殺すこと。相手の命をいただくこと。前の世界では稀薄だったこの感謝の気持ちを俺は自覚するようになった。
「さて、ヴァーノン」
「わかりました」
食事が終わり、二人は席を立った。仕事に行くのだろうか? 夜になったというのに、珍しい。何やら、忙しそうだ。俺も手伝えることがあればいいんだけど。
「あ、その前に、ヴァーノンに話があるんだけれど」
「おや、なんでしょう?」
「でも、その前に。ねぇ、レリアちゃん。食器のお片付け頼めるかしら。私はちょっとヴァーノンに話があって……」
「わかった!」
「ありがとう」
申し訳なさそうにそう言ったマリーに対して、もちろん俺は快く頷いた。俺なんかが役に立てるなら、何時だって、何だって、しよう。
マリーは俺の返事を聞くとお礼を言って家から出て行った。その後にランスとヴァーノンも続いた。夜の暗い中で作業をするためだろう。ランスの頭上には魔法の玉が光り輝いていた。日が沈んでからも仕事だなんて、よっぽど忙しいんだな。食器洗いの一つや二つ、俺に任せてくれ。
カチャカチャと食器のぶつかる音が響く。チャプチャプと水の跳ねる音が耳につく。水も冷たくて手が痺れるようだ。いつもなら全然気にならないのに。木の葉で擦って汚れを取り、水で洗い流すだけの作業。それだけのはずなのに何故だか妙にイライラする。
作業が終わると今度は何の音もしない。シーンとした静かな世界にたった一人になってしまった。静かな部屋に、俺だけが、ポツンと一人。
意味もなく、家の中を歩き回った。ギシギシと床の軋む音が鳴っては虚空に吸い込まれていく。寝室、台所、リビング。なんとなく区分けされた部屋を巡りながらそこに佇むだけの家具を眺める。そいつらは決して動くことはない。……この家はこんなにも広かったのか。前の家の方が大きかったはずなのに、それよりも広く感じる。
そう言えば、こっちに来てから一人でいる事なんて殆どなかったな。一人がこんなにも寂しいものだったなんて、気づかなかった。一人には慣れていたはずなのに……。
一人での過ごし方、忘れちゃったかな。暇つぶしをして時間が過ぎるのを待つ。そんな方法だったはずだ。テレビ、ゲーム、パソコン、読書――。みんなここにはない。今の俺には必要ないものだから。マリー、ランス、ヴァーノン、先生……。今はみんないない。でも一人じゃない。大丈夫、あの頃とは変わったのだ。二人は俺を見捨てない。一人にしない。そうだろう?
窓の外を見ると、闇夜の中で枝葉が風に揺れていた。窓辺に立つと風が俺の頬を撫で、髪を引っ張った。長く伸びた髪が持ち上がり、蒸れた首筋を気持ちよく冷やしてくれる。その涼しさに目を細めながら、俺は動く枝葉を眺めた。
しばらくして一人戻ってきた。その顔は少し疲れているのか笑顔が引きつっていた。
「貴女も大変ですね……」
そう呟いた彼は、呆れたように苦笑した。黄昏ていたからだろうか? ヴァーノンの言葉に、俺は首を傾げて見せ、疑問の意を示した。けれどヴァーノンは俺の意味を知ってか知らずか、何も言わずに微笑んでいただけだった。
「これはなに?」
「ああ、これですか?」
席に着き、紙を広げ始めたヴァーノンに俺は尋ねた。紙は真っ白ではなく、微かに茶色が混じっており、少し堅そうだ。きっと、これが羊皮紙というものなのだろう。俺の知っている普通の紙というのは貴重なものなのかもしれない。
「これは帳簿ですよ」
「ちょうぼ?」
「はい。何をいくらで売って何をいくらで買ったか、誰に何を渡して何を貰ったかなど、紙に書いて纏めてるんです。ランスさんやマリーさんはまだまだ時間がかかりそうなので、今の内に今日の分を纏めておこうかと思いまして」
「なるほど」
ヴァーノンは商人だ。帳簿をつけて、その日の収益を纏めているようだ。俺も暇なのでヴァーノンの作業を見ることにした。
「楽しいですか?」
しばらく、紙の上に筆が走っていく姿を見ているとヴァーノンがそんなことを聞いてきた。
「うん、たのしい」
「そうですか。ひょっとして、もう文字が読めるのですか?」
「よめないよ。でも、たのしい」
一瞬、ヴァーノンは思案するように唇を止めた後、一つの提案をした。
「では、一緒に文字の勉強でもどうでしょう?」
別段、断る理由もない。二人が仕事を終えるまでまだまだ時間がかかるらしいし、丁度良い暇つぶしにもなるだろう。少し眠たくなってきたが、二人が戻ってくるまでは起きていたい。俺は二つ返事でヴァーノンの申し出を受けることにした。
「うん! いいの?」
「もちろんです。私も作業は終わってしまいましたので、暇ですし」
「やったー!」
「わかりました。では、そうですね……。先ずは自分の名前を憶えましょうか」
「うん!」
ヴァーノンに文字を教えてもらっていると二人が戻ってきた。その二つの顔は少々疲れてはいるものの共に満ち足りており、何かをやり遂げた後なのだろうという事がわかった。……仕事が上手く行ったのだろうか? なんだか仲間外れにされているみたいで寂しく感じた。
でも! 俺だって、自分の名前を書けるようになったんだ。何かをやり遂げているだろう? 少しドヤ顔をしながら、俺は二人に「おかえり」と言った。