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第65話 偏見

 目の前には炎の壁。後方は瓦礫の山だ。更にここは二階、窓からの脱出はできないだろう。


 炎を消すか? いや……、大盾があれば魔力を吸って消せるのだろうが、今はそれがない。別の方法を探さなければ。

 炎と言えば酸素だ。しかし、酸素の供給を止めるにも、炎が大きすぎるし、発生源である魔力の火は、果たして酸素を必要としているのかも怪しい。炭素と酸素の化学反応で炎が生まれるのはわかるが、魔力と酸素は化学反応を起こすのだろうか? 


 できないことについて考えても仕方がない。今できる事、それを考えるんだ。


 一瞬だけでも、通り道ができれば……。


 俺はその辺にあった瓦礫を掴み、炎の中に放り込んだ。放り込まれた瓦礫は音もなく、ただ黒い炭へと変えられていく。

 やがてその形は崩れ、最初と変わらない炎がそこには残った。


「燃えちゃったね……」


 あぁ、確かに燃えてしまったな。だが、入れた瞬間に燃え尽きたわけではない。そこには僅かではあったが、ラグが生じていた。希望は見えているぞ、ジルダ、ヴェラ!


 そうなると、水があった方がいいな。俺は水を用意してもらうため、ジルダに意思を伝えようとした。文字は読めないため、動作で伝えるしかない。

 手でカップを作り、口元に持っていく。それを呷る動作を何度か行った。


「喉が渇いたの?」

 違う。けどそんな感じだよ――

「違うの? えーと、お酒……はレリアにはまだ早いよね」

 魔法、魔法だよ――

「うーん、水? でも水はさっき意味なかったし……」

 そう、それだ!―― 

「え? 水? でも水は……」


 俺は炎ではなく、瓦礫を指差した。炎を水で消すのではなく、瓦礫を濡らすのだ。


「これに、掛ければいいの?」

 うん、お願い――

「わかった」


 バシャン、バシャンと水が掛けられていく。なるべく多くの瓦礫を濡らして欲しいのだ。少しでも燃えるのが遅くなるように。


「ふぅー。これでいい?」

 ありがとう――


 足元がふらついているジルダを支えながら感謝の意を示す。恐らく、魔力の使い過ぎだろう。ぎりぎりまでやってくれたようだ。俺が何をするのかわからないまま、それでも指示に従ってくれる。信頼してくれているのだろうか。俺はその信頼に答えられる人間ではないのに……。


 頭を振ってネガティブな考えを追い払う。今は何が何でも信頼に答えなければならないのだ。


 俺は掴めるだけの瓦礫を持ち上げ、炎の中に投擲した。何度も、何度も投げ入れることで濡れている瓦礫をすべて炎の中へと入れていく。

 そうして、瓦礫を山積みにすることで、瓦礫の道を作るのだ。

 

 瓦礫は一瞬では燃えない。燃えるまでには多少の時間が掛かるのだ。更に、今入れた瓦礫は濡れている。その水が全て蒸発するまでは炎は移らないだろう。それまでにここを脱出するのだ。


 行こう!――


 俺が見つめるとジルダは頷いてくれた。

 俺はヴェラを背負い、瓦礫の上を歩く。崩れないよう、安全な足場を見つけながら、一歩、また一歩と歩を進めていった。

 

 蒸発した水の茹だるような暑さが俺達を襲った。真夏、屋根のない駐車場に何時間も放置された車の中の様な暑さだ。

 服を着たままサウナに入ったら、きっとこんなになるのだろう。汗なのか、蒸気なのか、服は濡れ、酷く動き辛い。それに、ベタベタとして気持ちが悪い。纏わりつく服が俺達の動きを阻害して、まるで、炎の中に引き込もうとしているようだった。

 俺の服なら俺に従え。そんな思いが沸々と浮かびあがる。


 ヴェラも暑いのだろう。ポタポタと上から水滴が落ちて来ていた。



 一体どれくらいの時間だったのだろうか。後ろを振り向けば、それほど長かったようには見えない。だが、結構な時間、熱に晒されていた気がする。


「フゥー。脱出できたね……」


 疲れの色を見せながらそれでも安心したようにジルダはそう言った。もう少しだ、もう少しで安全な場所に行けるからな。


 階段を下り、出口へと向かう。後ろからはどんどんと広がっていく炎が襲い掛かってくるようだった。

 


 教会から出た時、ピューとふく夜風が火照った体を優しく冷ましてくれる。ヒンヤリとして気持ちがよかった。


「おーい! 大丈夫か!?」


 教会を取り囲むように集まっていた群衆からリュリュとミロが一人の男と共に飛び出してきた。二人とも無事に脱出できたようだな。

 それに、通路の瓦礫が片付けられていたのは彼らのおかげだろう。ありがとう。


「ヴェラ! レリア、ヴェラは……」


 ミロが泣きそうな顔で俺に訊ねてきた。一応は大丈夫だが、医者には見せた方がいいだろう。

 俺はにっこりと微笑み、ミロを落ち着かせる。そして、その後ろに居た男にヴェラを預けた。彼は医者だろう。二人の判断に俺は感謝した。


「呼吸の乱れ、無し。心拍も正常。これと言った外傷も……無い様ですな。ふむ、気絶しているだけのようです。」

「よかった……」


 ヴェラを抱え、優しく頭を撫でるミロ。それは父親のようでいて、何かが違う。俺の知らないものだった。


「ジルダ!」

「リュリュ……」


 力無く微笑むジルダを力強く抱きしめるリュリュ。すまない、ジルダには少し無理をさせてしまった。


「よかった、無事で……」

「……うん」


 カシャンカシャンと金属をぶつける音が聞こえ、群衆が道を開いた。そこから、兵士たちが駈けてくる。騒ぎを聞き、駆け付けたと言ったところだろう。今から消火作業だろうな。


「中に人は?」

「いえ、居ません」

「そうか! 消火部隊、用意!」


 兵士に訊ねられ、ミロが答える。それを聞き、数人の兵士が前に出てきた。兵士たちは両手を教会へと掲げている。


「放て!」


 隊長と思われる男の合図により、魔法の水が教会へとぶつけられる。これなら、鎮火も直ぐに終わるだろう。


 カツ、カツ、カツ


 これで一安心だ。そう思いホッとしていると、石畳を叩く音が聞こえた。そちらを向くと、あの神父がゆっくりとこちらに歩いてきている。


「じいさん!」

「皆、無事か?」

「あぁ、皆生きてる」

「そうか」


 安心したように微笑んだ神父だったが、一瞬でその表情が無になる。


「お前か。儂の前に現れるなと言ったはずだが?」

「レリアは――」

「黙っておれ。何故お前がここに居る?」

「……」

「何とか言ったらどうなんだ?」

「……」


 騒動の中、この一帯だけが静寂に包まれているようだった。騒がしいはずなのに、耳には何も届かない。周りには誰もおらず、神父と俺の二人だけ、そんな気がした。


 突然、無表情だった神父の顔が歪み、怒りに震えた。顔を真っ赤にし、深く皺を刻み、目を見開いて、叫び声を上げたのだ。


「またか! またお前らが! お前らは儂から何もかも奪っていく! 消えろ! 儂の前から、消えろ!」


 そうか、俺が居たから。俺のせいで、ここを壊してしまったのか。俺は全てを破壊してしまう。望もうと、望まざろうと。そう、俺が幸せになれば、それは何れ壊れてしまうのだ。

 知っている。知っているとも。俺はそういう人間なのだと、俺は知っている。

 神父の言うとおり、俺はここに居てはいけない存在だ。一緒に居たいと思った時点で離れるべきだったのだ。何度も誓ったはずのその思いを、俺は直ぐに忘れてしまう。いや、覚えていても無視してしまうのだ。


 俺は弱い、弱すぎる。

 

 カンカンカンカン


 鳴り響く鐘の音。


「クソッ、こんな時に! 何だって敵襲が?」


 兵士の一人がそう叫んだ。……そっちか。俺は迷わず駆けだした。


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