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2019/03/06


 新芽が芽吹く季節。冬籠りの時期は終わり、窓が開けられるようになった。まだ少し肌寒い風が俺の身体を冷やしてくるが、布団の中でぬくぬくと、なんて甘えていられない。


「あらー、レリアちゃん。今日も精が出まちゅねー」


 俺が日課の歩行練習をしながら考え事をしていると、最近ようやく理解できるようになった言語で、マリーがそんなことを言ってきた。毎日のようにやっているからか、俺が歩行練習をしているのを見る度に、マリーはうれしそうにそう言うようになった。


 最近俺はようやく支え無しで立ち上がれるようになったのだが、目標は歩くことであり、立ち上がることではない。これはあくまで通過地点で、道のりはまだ長い。


 ベッドの上を這いつくばるだけで疲れていたのは既に四か月も前のこと。それだけ経てばいろいろと変わってくることもある。立ち上がれるようになったのもそうだが、『ママでちゅよー』や『パパでちょよー』が理解できるようになった。これで、食べられる心配はなくなったわけだ。


 やはり、俺の成長は遅い。俺を診てくれている先生もそう言っていた。だが先生はこうも言っていた。別段気にする必要はない、順調に成長している、心配ない、いわゆる個人差だろう、と。俺は少し安心した。

 しかし、それでもマリーは心配だったのだろう。毎日、俺のために脚のマッサージをしてくれている。早く歩けるようにと、脚を揉んでくれるのだ。そんなマリーのためにも早く歩けるようにならなくては。

 今日も今日とて失敗に終わったが、確かにその成果は出ている……と思う。


「レリアちゃん、ご飯にちまちょうか」


 高く結ばれた金の髪が目の前に来る。質素な生活にも関わらず、その髪は艶やかだ。クリクリとした緑色の瞳は幼さを感じるが、やはり一児の母である。幼さの残る顔立ちからでも俺を包み込むような柔らかな母性が見て取れた。

 マリーの身体から出る薄緑色のオーラに包まれると、何故だか安心した。温度があるわけでも、直接触れるわけでもない。それでもなぜだか安心するのだ。もちろん、ランスから出ている白色のオーラも包まれると安心する。けれど、オーラが人の心を安心させるかというとそうでもない。自分自身や先生から出ている白色のオーラに包まれても別に何ともないのだ。少し不思議だけれど、不愉快なことではないので、別段、心配することはないだろう。

 このオーラは恐らく魔力なのだと思う。二人が魔法を使う時、オーラが集中して解き放たれるのが見えるからだ。身体から漏れ出ているオーラは薄く、目を凝らさないと認識できないくらいだが、風の刃や光の珠を作ったりするときは輪郭がわかるくらいにはくっきりと見える。

 そう言えば、マリーのオーラは他の人より濃い気がする。杖も持ってるし、きっと名高い魔術師なのかもしれない。そんな血が俺にも流れていると思うと将来が少し楽しみになってくる。


 さて、昼食だが、今日の献立はドロドロの離乳食。早くちゃんとしたご飯を食べたいものだと思うのだが、こればっかりは訓練でどうにかなる問題でもないだろう。というか、むしろこれが訓練か? まぁ、食に関しては申し分ないくらいに順調で、心配のしの字も出てこない。それはそれはいいことである。だって、俺は捨てられる心配がないし、両親も気に病むことがないのだから。ウィンウィンなのだ。


 食事を終え、昼寝の時間となった。マリーは隣で子守歌を歌って俺を寝かしつけてくれる。マリーの薄緑の光に包まれながら、俺はその透き通るような歌声に身を任せた。




 目を覚ますと、赤色の日差しが窓から差し込んでいた。この時間という事は……、と身構えた途端、部屋の扉が開き、この家の最後の住人が顔を出した。


「おーい、レリアー。パパが帰りまちたよー」


 ランスだ。赤のお爺ちゃんあらため、お父さんはとびっきりの笑顔で俺の方へ向かってくる。のだが、目だけが異様に鋭く、怖い。あんなにも顔を綻ばせているのにもかかわらず、その真紅の瞳だけはギラギラとしているのだ。もともとそういう顔らしく、今の状態は怖くない方だというのは最近分かったことだ。それでも十分怖いけど。


 瞳と髪は同じ色で、光の加減でどす黒くも見える濃い赤色。それはまるで頭から血を被った様にも見えた。髪の色に加えて、目つきの悪さもある。何人かヤッてるんじゃないかと思えてくるのは仕方のないことだろう。

 この顔に慣れるまでには相当な時間を要したのは言うまでもない。まぁ、そんな俺を見て、しょんぼりしていた後ろ姿は愛嬌があって好きだったのだが、本人がそれを知る事は無いだろう。


 仕事から帰って、我が子と戯れようと張り切って目を光らせるランスを適当に相手していると夕食の時間になった。もちろん俺は離乳食。あとの二人はイモとスープである。これが終われば、後は寝るだけだ。明日も歩行練習をがんばろうと思う。




 そんな悠長に構えていた時期もあった。あれから何か月が経っただろうか。今日も失敗に終わった。一年以上経っても歩けないなんて……。今の俺は既に二歳。子供が何時から歩けるかなんて興味もなかったし、聞く機会もなかったからいつが適切かなんてわからない。それでも前の世界と照らし合わせても、俺の成長は遅いと思う。

 このまま歩けないんじゃないだろうか。そうしたら、使えない子だと、二人に捨てられてしまうのではないだろうか。そんな不安が毎日のように押し寄せてくる。そして不安は焦りとなり、失敗を呼び込むのだ。


「レリアちゃん? おねんねしないの?」

「んー」


 昼食を終え、いつもなら昼寝の時間になるのだが、俺は練習を選択した。俺は焦っている。焦っているときは大抵うまくいかないものだが、それでも俺は体を動かさずにはいられない。二人に嫌われたくない。独りになるのはもう嫌だ。そんな思いが俺を突き動かすのだ。

 ベッドの柵をしっかりと握りしめ、腹筋に力を入れつつ身体を柵に引き寄せる。次に足の裏をベッドに付け、しゃがんだ姿勢になる。ここまで来ればあとは簡単だ。柵を支えにしながら、膝を伸ばしていくだけでいい。柵が胸のあたりにまで来た。

 正面には屈んだ姿勢でこちらも見守るマリーの顔があった。まゆ尻が下がり、口をきつく結んだ不安げな顔だ。その顔に背を向け、俺はベッドの中心へと体ごと向けた。


 進路を目視し、障害物がないことをしっかりと確認する。掛布団は意外と障害になる。高さがそれなりにあり、脚を大きく持ち上げないと避けられず、さらに、踏めば沈み込むため、着地点が不明瞭なのだ。掛布団がベッドの隅に纏められていることを確認して、ここでようやく俺は柵から手を放した。そして足を前へと突き出したのだが……。


 ポフッ


「レリアちゃん、大丈夫?」

「あい」


 頭からベッドに突っ込んだ俺を見てマリーが心配そうにそう言った。マリーは今、俺を見守ってくれてはいるが、それがいつまで続くかなんてわからない。不安は十分に感じているのだ。顔を見ればそんなことは考えなくてもわかる。その不安が憎悪に変わらない内に何とかしなければ。


 頭から突っ込んだとはいえ、ここは柔らかいベッドの上。多少のことなら怪我はしない。失敗しても、直ぐにやり直せる。返事も漫ろに俺は再び柵に手を掛け立ち上がった。

 先ほどの失敗はやはり焦りからくるものだ。体だけが先走って足がついて行かなかった。結果、重心が前方に行き、バランスを崩した俺は前のめりに倒れてしまったのだ。落ち着け、落ち着け、落ち着け……。そう、いつものように、過程を飛ばすな。しかし、いつもよりも力を込めて。



 昼寝の時間を返上したにもかかわらず、結局一歩も歩けないまま夕食を迎えた。


 今日はもうだめなのかもしれないと、あきらめの気持ちもある。けれど俺は練習を止めるわけにはいかない。俺はこの世界でもあんなふうになるのは嫌なんだ。この世界では変われると思ったんだ。だから、練習を止めることなんてできないんだ。


 けれど、俺の身体は限界を迎えていたらしい。昼寝をしなかったからだろうか、強烈な睡魔が俺を襲う。スプーンを持つ手は固まり、視界が何度も闇に包まれそうになる。俺が椅子から転げ落ちそうになるたびに、二人が俺を助けてくれた。


「レリアちゃん、おねんねしましょうか」


 マリーのその言葉を最後に俺の記憶は途切れた。その後の記憶はない。きっと、ベッドまで運ばれて、そのまま眠ってしまったのだろう。夕食後も練習しなければならなかったというのに、なんという意志の弱さだろうか。しかも、また迷惑をかけて……。そんなことだと、また変わらない日常に……。



 朝、目を覚ますと、不思議な気分だった。なんだか今日は身体が軽い。

 近くから寝息が聞こえる。スゥスゥと深く規則正しい息遣い。時折聞こえる布擦れの音。二人はまだ寝ているようだ。随分と早い時間に目が覚めたらしい。


 俺は薄暗い闇の中、柵に手を掛け、立ち上がった。幾度となく繰り返したこの動作。しかし、今日は確実にいつもより速く立ち上がれた気がする。今ならきっとできる。俺はその直感を信じ、柵から手を離した。


 一歩前へ。そのために重心を左にずらし、膝を曲げて右脚を持ち上げる。ベッドのふかふかとした感触が足の裏から消えた。


 行ける! やっぱり今日は何かが違う!


 再び俺の足にふかふかとした感触が伝わるのに、そう時間はかからなかった。


 できた! と、その喜びを動力源にするかのように俺は身体を素早く前方に傾け、体重を前に出した足へと伝えていった。

 

 しかし、不意に右膝が崩れ始めた。急激な負荷の変化に俺の膝が耐えられなかったらしい。いつも失敗しているように、今日もまたしゃがんでしまうのだろうか。結局俺は変われないのだろうか。


 俺は崩れ落ちる右膝に集中した。


 まだだ! まだ行ける! ここで失敗したら、俺は……! 今変われないのなら、一生変われない。このまま変化のない日常を永遠と繰り返す。そんな気がした。そんなのは嫌だ。俺はこの世界で変わるんだ!


 右膝にしっかりと力を籠め、太腿、腰へと力を連結していく。崩れようとする右膝を何とか踏み止まらせようと、全身の力という力を右脚に集中させた。


 ……できた! 最初の一歩が今、完成した。今度はちゃんと、できたんだ!


 今、俺は変化している。幼虫から蛹へ、蛹から成虫へと変態する昆虫の様に、明らかな変化を。だが、変化はこれで終わらない。終わってはいけない。歩行とは一歩では完成するものではないのだから。二歩、三歩と歩を進めることにより、ようやく『歩行』となるのだ。

 

 今はまだ、足を踏み出しただけ。幼虫が蛹になったに過ぎないのだ。移動ができなければそれは歩行としての意味を成さないだろう。移動ができて初めて、俺は成虫へとなれる。俺はこんなところで終わるわけにはいかない。蛹のまま一か所に留まっているわけにはいかない。俺は羽ばたくのだ。二人の側へと、二人と共に居られるように。


 俺は次の一歩を踏み出すため、左脚をベッドから離した。が、ここでしゃがんでしまった。次の一歩を渇望するあまり、軸となる右脚への意識が疎かになってしまったのだ。先程までの集中で何とか耐えていた右膝への意識を失えば、糸の切れた操り人形の様に支えを失い、崩れてしまうのは当たり前の事だろう。集中という糸を失い、その緊張が解かれてしまったのだ。

 ……次こそは行ける。こんなところで終われない。大丈夫だ。何も心配することはない。最初の一歩が完成したのだ。次はそれを繰り返すだけ。簡単なことだ。何も恐れることはない。俺は二人の元へ羽ばたける。俺はそう、自分に言い聞かせた。あの日々は過去の俺の物。レリアの物じゃない。俺は今、レリアなんだ。先程の感覚を忘れない内に、俺は再び歩行を開始した。

 柵に手を掛け、立ち上がる。ここまでは朝飯前だ。そして、はじめの一歩を踏み出す。軸となる左脚を疎かにしないよう注意しながら、右脚を前に出すのだ。柔らかな感触が右足に戻ってきた。あれだけ失敗していた始めの一歩が、一度の成功を機に、こうもすんなりとできるようになるとは。


 これなら、きっと……。


 先程の失敗を繰り返さないよう、逸る気持ちを抑えた。焦ってはいけない。そう、焦ってはいけない。先程の失敗は焦りから。焦りは失敗を助長する。よくわかっているはずだ。だから焦ってはいけない。


 一呼吸置き、意識を高める。体を前に持ってくるイメージを持ちつつ、体の後ろへと移動するはずの右脚に意識を集中させた。すべては、この全体重を支える右脚にかかっている。

 俺は左足首を伸ばし、地を蹴った。そして、すぐさま膝を曲げ、地面との空間を確保する。……そのまま左脚を前へ。少しだけ弾力のあるフワリとした感触が左足に帰ってきた。このまま体重を右脚から左脚へ。ズシリとクッションが少しへこんでいくのがわかった。体の重心をずらし、その勢いを利用して、三歩、四歩と続けていく。



 俺の手は、柵をしっかりと掴んでいた。後ろを向けば、先程まで掴んでいたはずの柵がそこにあった。


「レリアちゃん!」


 さらに柵の向こう、そこには緑の瞳が涙を浮かべていた。


 いつの間に起きていたのだろう。誰よりもこの時を待ち望んでいたその顔は涙に濡れ、くちゃくちゃになっていたが、確かに笑っていた。俺の良く知る笑顔がそこには有った。

 そして、その隣にも優しい笑顔があった。口では平静を装っていたものの、内心ではきっと、不安だったに違いない。それとなく俺の脚を毎日のように観察していた。


 ふと気付くと、俺の頬を温かい何かが流れていた。俺の頬を濡らすそれは恥ずかしくもあり、うれしくもあった。思えば、二人の前でこうして声を出して泣くのは初めてかもしれない。

見ると、二人も涙を流している。

 ああ、そうか。そういう事だったんだな。俺に愛情を注いでくれる『親』という存在。俺は初めて『親』というものを理解したのかもしれない。まだまだ分からないことは沢山あるけれど、この二人は俺の親だ。血の繋がりだとか、産んだ責任だとか、同じ家にいるだとか、そういうものじゃなくて、この人たちは俺の親なのだ。


 本当に俺は恵まれている。俺はこの、ベルニエ家の一員なのだ。俺は、この二人の子供なのだ。


 今後は、もう少しわがままを言ってもいいかもしれない。

 もう少し自分の感情に正直になっでもいいのかもしれない。

 二人の顔色を窺ってばかりではいけないのかもしれない。


 だって俺たちは『家族』なのだから。



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