第54話 印象操作
今のはなんだったんだ?――
記憶、そう、記憶だ。それはわかる。だが、いったい誰の? どうして盾の中にこんなものがあるんだ?
辺りは既に暗くなり、空には二つの月が出ていた。大小二つの月は並んで浮かんでいるようで、しかし、お互いが独立しており、無関心だ。今は傍に寄り添っているが、明日になれば遠く離れてしまう。そして次第にお互いが一緒に浮かぶ事は無くなるのだ。それはまるで、人との関係みたいだな。
随分と時間が過ぎてしまったようだ。今日はこの辺りで野宿だな。日は沈んでしまったし、俺も疲れた。
俺は荷物の存在を確認し、中身を見るため、盾を地面に置いた。
ん?――
盾に何か繋がりの様なものを感じる。それは感覚的な物ではなく、視覚的な物だった。
俺の右手と盾を繋ぐようにして、不安定な紐状のものが纏わりついていた。何処かで見たことのあるその紐は、しかし、俺の知っている物とは本質が異なるようだ。
やがて繋がりは感覚的な物も明確になっていく。
俺の腕程の太さのものが、俺の右手から延び、その中を俺の気力が流れていた。その気力は一歩通行などではなく、向かう動脈、帰る静脈のようにぐるぐると循環しているのだ。
気力の流れは繋がりや盾だけではなく、俺のよく知る紐状の物へも流れていた。そう、触手だ。
気力が流れているせいだろう。触手が自身の手足のように感じる。すり抜ける空気、敏感に感じる魔力の位置。ハッキリと見えないはずの触手が今どこに、どの様に存在してるのかが明確にわかるのだ。
俺は気力を操ることで触手に指示を出してみた。伸ばしたり、縮めたり、俺の周りをグルグルと回転させたり、地面を叩いたり。今まで言うことを聞かなかったのが嘘のように、思い通りに触手は動いた。時折、袋の中身を気にしているようだったが、それも我慢させた。
指示が出せる様になれば、案外便利なものである。離れた敵の魔力を吸い、無力化させる。近づいてくる魔法も、触手が触れれば直ぐに消えてなくなるのだ。俺の力の短所であるリーチの短さも克服できたことになる。これ以上ない収穫だ。
状況を確認し終えた俺は今し方しようとしていた事を再開した。袋の中身に水を飲ませるのだ。随分と痩せているが、まだ生きている。俺が殺すまでは生きて居て貰わなければ困る。だから、水は飲ませるのだ。
生への執着か、袋の中身のそれは反射によって水をちゃんと飲みこむ。意識はないはずなのに、口に入って来たものを自然と嚥下できるのだ。人間の身体とは不思議なものである。まぁ、偶に咽たりしているが、死ななければ問題ない。ただ、吐き出そうとする行動も反射なのだから、改めて不思議だと思った。
作業を終え、俺は袋を閉じ、適当な場所に寝転がった。毛布に包まり、外気から体温を守る。そろそろまともな食事にありつきたいものだ。俺は空腹から逃れるため、夢の世界へと逃亡したのだった。
男が目を覚まさないまま、とうとう街まで着いてしまった。いや、遂にと言うべきだろうか。やっと、食事にありつけるのだ。出来ればこいつを始末してから街に入りたかったが、仕方がない。コイツは何時でも殺せるし、それよりも今は腹ごしらえだ。
腹が減っては何とやら。空腹は思考を鈍らせてしまう。この度で学んだ俺の教訓だ。
俺はズルズルと音を立てながら街の門へと向かった。
目の前に見えるのはビルを思わせるような高い塀に、暗く、淀んだ空気を漂わせる深い堀だ。流石は要塞都市と言ったところか。塀はどの街よりも高く、掘りはどの街よりも深い。
堀を跨ぐようにして橋がかけられ、その先に門がある。その前には一人の男が立っていた。
「止まれ!」
どの街でも見た光景だ。形式的に通行人を止め、適当に話した後、通過させるのだ。審査と言う名の雑談を今回は俺が熟さなければならないのだ。あぁ、面倒臭い。そのまま素通りさせてくれればいいのに。
「お前一人か?」
不審な顔をする門兵は少し禿げはじめたおっさんだった。苦労してるんだろうか。俺はお疲れ様の意味を込めて笑顔で頷いた。
「そ、そうか。で、その袋の中身はなんだ? 随分大きいようだが……」
不味い。ここでこの中身を見られたら大騒ぎになる。空腹に気を取られて失念していた。やはり空腹は思考を鈍らせるようだ。
袋の中身は死んだように眠るガリガリに痩せたおっさん。どんな状況でも言い訳なんてできないだろう。見られる前に引き返すか?
俺はくるりと向きを変え、来た道を引き返そうとした。コイツをちゃんと処理してから門を潜ろう。そう思ったのだが。
「ちょっと待て」
背負った大盾を掴まれてしまった。相手は小手をしており、今は触手をしまっている。魔力を吸わなかったのは幸いだが、状況は芳しくない。このまま門兵ごと引き摺って行けなくもないが、それはそれでいろいろとよくない。俺は大人しく立ち止まった。
「おい、中身を見せろ」
まぁ、そうなるよな。怪しすぎるのだ。この人は自分の仕事を全うしてるだけなのだが、今は見逃して欲しいと思う。空腹も相まってイライラしてしまった。
やるか……――
「ぅぐっ」
俺は袋を蹴飛ばし、フラストレーションを発散させ、ついでに袋を門兵から遠ざけた。小さく、唸り声が聞こえたが、ここを乗り切れば、直ぐに問題が解決するようだ。
「おい! 何なんだ、あの袋は!」
俺は門兵の言葉を無視し、俺と繋がっている触手に命令を下した。先程はよかったと思ったが、訂正しよう。やはりあんたには眠って貰う。
倒れた男をしり目に、俺は門の方へと走った。なるべく慌てた様子で、必死に見える様に。
門の直ぐ側、詰所らしき建物の扉を勢いよく叩く。
ドンドンドン
やがて、扉が開いた。中から出てきたのは先ほどの男と同じ装備の男。ただし、こちらはフサフサだ。
刺す様な外の寒さと違い、詰所の中は暖かそうだった。ボーっとさせる熱に乗って中から笑い声が聞こえてくる。何かゲームでもして暇な時間を潰しているのだろう。
「どうしたぁ?」
間延びしたような声で男が訊ねてきた。熱にやられたのか、そもそも寝ていたのか、男は酷く眠そうだった。質問の答えを示してやろう。きっと目が覚めるぞ?
俺は今俺が着た方を指差し、口をパクパクさせた。声は出せないが、演技はできるのだ。混乱し、言葉が出ない少女を演出する。
「どうした!」
同じセリフなのに、今度は鋭い叫び声だ。やはり目が覚めただろう?
その声を聞いて、詰所から数人の兵士が出てくる。俺は先程と同じように指を差し、意識をそちらへ向けさせた。
兵士たちと共に、俺も倒れている門兵に駆け寄る。兵士たちは仲間の危機に、口々に何かを叫び、呟き、そして、辺りを警戒する者、門兵の様子を確かめる者とに分かれた。
「気絶しているだけだな。これと言った外傷もなしだ。一先ず安心だろう」
その言葉に、皆、ふぅーと安堵の息を漏らす。門兵を触診していた男がそう告げたのだ。
しかし、皆、目は鋭いままだった。あたりにくまなく目配せをし、危険を探している。その危険が、まさかすぐ傍に居る俺だとは思わないだろう。まぁ、襲う気もないんだから危険なんてないんだがな。
「いったい何があったんだい?」
一人の兵士が俺に話しかけていた。事情聴取ということだろう。だが、そこまで付き合うつもりはない。ここを切り抜ける事が俺の目標なのだから。
俺は力無く首を振り、何も知らないと、そう示した。兵士もちゃんと俺の意図を汲んでくれたようで、俺を心配させまいとニッコリと微笑んでくれた。
「ありがとう、大丈夫だよ。俺達がちゃんと解決するからな。君は何も心配しなくていい」
俺の頭を撫でる兵士に向かって、俺はぎこちなく微笑み、頷いた。
さて、これでここは大丈夫だろう。俺は踵を返し、その場を離れた。先ずは袋の回収。そして処理。そしたら、無事、この街に入れるようになるだろう。あの男が目を覚ますまでは俺の印象もいいはずだしな。




