第51話 出発
「貴女、名前は?」
クッキーを完食したリザは俺の名前を訊ねてきた。確か紙は……。俺は鞄の弄り、紙を探す。
有った。えーと、インクとペンはっと……。同様にしてそれらを見つけ、レリアと書いて見せてやった。
「レリア、ね。よろしく」
いったい何がよろしくなのだろうか? この男を処理したら直ぐにでもこの街を出ていくと言うのに。そんなことを考えながら、俺はリザに向かって頷いた。
さて、尻に敷いているこの男をどうするかだが、そうだな、目が覚めるまで待つとしよう。ちゃんと覚醒してから殺すのだ。その痛みを、その苦しみを、その恐怖を、しっかりと知覚させてやるのだ。それまでは拷問の方法でも考えればいいだろう。
[この男を貰ってもいいですか?]
一応、許可を取っておく。この男はこの城の頂点に君臨しているのだから、この男が居なくなれば街に混乱が生じる。もちろん、この男を生かして置くつもりはない。だが、黙って持っていくよりも、許可を取った方が、後の俺の行動に支障が出にくいと思ったのだ
「え? こんなのが欲しいの? いいわよ。こんなのなら幾らでもあげるわ。街を占拠したチンピラ……あっ!」
そんなにたくさんはいらない。が、これで心置きなく持って行けるというものだ。許可が貰えたため、さぁ行こうと俺が腰を上げた瞬間、リザは突然声を上げた。そして、酷く慌てて部屋から飛び出していった。
いったいどうしたのだろうか。気にならないといったら嘘になるが、かと言って、追いかけて真相を確かめようと思う程ではない。俺は縄の端を持ち、男を引き摺って行くことにした。
転がっている盾を拾うと、中から例の触手が飛び出してきた。そして、男の身体に突き刺さり、なけなしの魔力を吸っていく。
先程まで消えていたのに、いったいどうして出てきたんだか……。
「あ、あ、あ、あの! お、お礼がしたいからここで待っててね!」
飛び出していったリザが叫びながら扉を開けた。その瞬間、触手は獲物を狩るフクロウのように音を立てず、一直線にリザへと延びていったのだ。
不味い!――
俺は慌てて手を盾から手を離した。触手は寸での所で止まり、盾の中へと持っていく。
リザは言いたいことを言うと、直ぐに姿を消してしまった。何も知らず、にっこりと笑って。まったく、こっちの気も知らないで……。
俺は再び盾を持ち上げた。やはり触手が出てくる。音もなくグネグネと蠢くその触手は見ていて気持ちのいいものではないが、確かに力があった。俺の役に立つ力だ。
しかし、その力を制御できなければ、俺の力にはならないのだ。その力に振り回されるのは避けたい。
俺は試しにもう一度手を離してみた。すると、以前と同様にして触手は盾の中へと引き込まれていった。
どうやらこの触手は、俺が触れている間しか外に出慣れない様だ。リザが待ってろって言ってたし、それまではこの触手についての検証をすることにしよう。
結局、それ以上の事はわからなかった。いや、一応、ある程度の条件はわかったのだが、それをどう制御すればいいのかということがわからなかったのだ。
触手は、俺が盾に触れ、気力が流れている間に出現するらしい。そのため、俺が手袋などをしていると、触れていても出てくる事は無かった。だが、気力が流れないようにすることはできないのだ。量の調節はできても、微量ながら、必ず握ったものには気力が流れていってしまう。だから、触手の制御ができないのだ。
意思があるのかわからないが、自らの思うがままに動く触手。何度も男に突き刺さり、淡い光を吸収している触手。俺にはこれを止めることができなかった。
仕方なく、俺は応急処置として手袋をすることにした。男の手から手袋を剥ぎ取り、装着する。ぶかぶかだが、応急処置だ。そのうち、ちゃんとした手袋を買うとしよう。
手袋の剥ぎ取りが終わったちょうどその時、リザが戻ってきた。扉を大きく開け、中へ入ってくる。そして、その後ろにはやつれた格好の男が立っていた。
「紹介するわ。この方がこの街を管理していらっしゃるユーグ・ミーヌ様よ。貴女にどうしても御礼を言うってきかないの。だから、ね?」
そう言いながらウインクするリザ。ユーグと俺を相対させるようにその場所を譲った彼女は、まるでメイドのように扉の傍に佇んでいた。あぁ、メイドだったか。
「この度は助けてくれてありがとう。こんな格好ですまない。何せ幽閉されていたのもだから……。この街を救ってもらったのだ。何かお礼がしたいのだが、欲しい物はあるかい?」
部屋に入った時、ユーグはこんな子供がと驚いた表情を浮かべていたが、それを口に出す事は無かった。幽閉され、今、やっと外に出られたという格好だ。そのままここに来たのだろう。誠実な人間のようだ。
さて、欲しい物か。一番初めに浮かんだのは絶対に手に入らない物だった。俺の大切なもの。俺のすべてだ。しかし、それは既に失ったもので、失ったものはもう戻ってこないわけで。
一瞬浮かんだ、本当に手に入れたいものを心の奥底にしまい、俺は今、何が欲しいか考える事にした。
金、名誉、地位、安穏、自由。様々なものを考えてみるが、いまいちパッと来ない。うーん、なんだろうな。知恵、力、体力、知識……、ん? 知識? 俺は思いついた願いを訊いてみることにした。
[『英雄殺し』を知っていますか?]
欲しいもの。それは俺達を襲った奴らの情報。どんな奴なのか、何人なのか、風貌など、俺の復讐の相手が誰なのかを俺は知りたいのだ。
黒幕はアル達だ。それはいい。だが、俺達を襲った実行犯を雇ったのは旦那なのだ。そいつらが誰なのかを俺は知っておきたい。それが今、俺が欲しい物だ。
「『英雄殺し』か。知っているよ? だが、何故その名前が今出てくるんだい?」
[『英雄殺し』を殺すために雇われた傭兵について知りたいのです]
「……そうか。だがすまない。私ではそれを用意できなさそうだ。リザ? 君は知っているかい?」
「『英雄殺し』ですか? ええっと……、あっ! 思い出しました。数か月前、旦那がそれについて話していました」
時期的にも一致するか? 俺はリザに詰め寄り、紙を突きつけた。
[人数は?]
[名前は?]
[顔は?]
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って。名前はわからないけど、人数と顔なら覚えてるわ」
[教えて]
「え、ええ。もちろんよ。えっと、紙を貸してもらえる?」
俺は鞄から紙の束を取り出し、ペンと一緒にリザに渡した。リザはその紙に一人一人スラスラと人物を書いて行く。そして出来上がった絵は十枚にも及んだ。
「これであの場に居たのは全員よ」
[絶対?]
「えぇ、絶対。私は見た物を忘れない。だから間違えはないわ」
自信たっぷりにそう言ったリザの目の奥には闇が潜んでいた。しかし、そんな事は今の俺には関係ない。今し方書かれたそれらの人物画を一枚ずつ確認していった。
リザの描いた絵は黒子や傷までしっかりと書き込まれており、白黒と言う点を覗けばこれ以上ない情報の様だった。
その絵の中で、俺は見覚えのある人物を五人見つけた。森で俺を追い掛けてきた二人、俺を奴隷商に売ろうとした二人、街人を攫っていた男。確かにこの手で殺した奴らがそこには居た。どうやら間違いはないようだ。
リザの情報によると、残りは後五人。それで全部かどうかは定かではないが、最低でも五人いることは確かだ。それに、奴隷商へ俺を売ろうとした二人は明らかに下っ端ぽかったし、そんな奴らも集められていたとなると、恐らくこれで全部なのだろう。
「他に何か欲しい物はあるかい? 私から何か贈らせてほしいのだが……」
ユーグの申し出を俺は首を横に振って拒否した。欲しい物はもう手に入れた。それで十分だ。
俺はボロボロになった縄を持ち直し、長い廊下へと向かった。次の目的地は要塞都市だ。国境付近ということもあって、傭兵がたくさん集まっているかもしれない。アル達についての情報もあるといいな。
次の街への思いを馳せながら、街の入り口の門を目指した。




