第49話 旦那様
門兵に紙を見せると、中を案内してくれた。城の入り口にある離れの小屋で待つように指示される。どうやら、ここで通行書が発行されるらしい。
門兵は、街の入り口にいた男と同じ格好をしていた。全身を鎧に包み、槍を持っている。この街の兵士は皆この恰好をしているのだろう。兵士への支給品の様だった。
しばらくすると、小屋に一人の少女が入ってきた。服装からするにメイドらしい。
「こちらへお越しください」
彼女はそれだけ発すると、踵を返し、小屋から出ていった。付いて来いということなのだろう。ここで逆らったところで、何も始まらないので、俺は大人しく付いて行くことにした。
小屋を出て、少女を探す。少女は既に城の中へと入って行くところだった。見失っては不味いので、俺は慌てて彼女を追った。
長い廊下を進み、階段を上る。そして、また長い廊下を進み、階段を上った。幾度かそれを繰り返すと、ようやく目的の場所に付いたらしい。少女は扉の前に立ち、頭を下げると、こう告げた。
「旦那様がお待ちです」
一瞬ドキリとする。『旦那』、何度か耳にした言葉だ。俺を探しているらしいその男は、俺達の家を襲った奴らの黒幕でほぼ間違いないだろう。それに、『旦那』という言葉から、明らかにアル達ではないことがわかる。
アル達が復讐の対象ではない。何度かそう考えもした。だが、情報がなかったため、只管彼らを追うしかなかったのだ。
しかし、今、目の前に『旦那』と呼ばれる存在がいる。そう思ったのだ。だが、その考えは直ぐに消えた。
旦那様。メイドが主人に対してそう言うのは当たり前じゃないか? 男達が言った『旦那』と、メイドが言った旦那様は全く違う人物を指しているのだろう。
心を鎮めるため、深呼吸をする。
冷静になった俺は、ある疑問が頭に浮かんだ。何故俺は通行書を発行するのに、こんな所まで呼び出されたんだ、と。
まぁ、通行書を発行するための審査みたいなものだろう。ホント、こんな制度を作るなんて、街長も面倒臭いだろうに……。
一人回答を出し、この先にいるであろう人物の評価を下しながら、俺は扉に手を掛けた。
「ようこそ、レリアよ」
扉を開けた途端、一人の老人に歓迎された。部屋の中央、その奥に佇むその老人は深く刻まれた皺以外はその年齢を感じさせるものはなく、筋骨隆々の戦士がそこには居た。こいつが街長? 街長って言うと、なんか、もっと、こう、事務的な雰囲気の奴だと思っていやのだが……。
「お主が『英雄殺し』の娘じゃな?」
その言葉に、視界が狭くなる。狭まった視界は奴しか映らず、気付けば俺は奴に飛びかかっていた。
ガンッ
飛び上がり、体重、盾の重さを乗せた重い一撃を振り下ろしたのだが、奴はそれを難なく躱し、腰の剣で俺を叩き斬った。幸い、盾を背負ったままの状態だったため大事には至らなかったが、床へと叩きつけられてしまった。
このままだとマズイ!――
俺は反動を利用して宙返り、さらに盾を壁にするようにして着地し、姿勢を整えた。深呼吸をし、少し冷静さを取り戻す。
奴は確かに『英雄殺し』と言った。それを知っているということは、奴は俺の復讐の相手ということになる。だって、全てはこの言葉から始まったのだから。
「赤い髪に緑の瞳。正しく小童が求めていた奴じゃな。しかし、ノコノコとこの街に来るとはのう。哀れな奴よ」
小童? やはりアル達が俺を探しているのか。この旦那も雇われ傭兵ということか。兎に角こいつを殺す。今はそれに集中しよう。
「ふむ、身のこなしは悪くないようじゃな」
皮肉だろうか。旦那は俺の攻撃を余裕で躱し、さらに反撃までしてみせた。俺の身のこなしが悪くないなら、お前は何なんだ?
「次は儂から行くぞ?」
そう言って、旦那は二人に分裂した。さらにそこから四人、八人、十六人と指数関数的に増えていく。増えた旦那たちは次々と俺に斬りかかって来た。
しかし、俺はそれを避けるようなことはしない。
旦那が振り下した剣は盾に触れ、吸い込まれた。旦那の境界線がぼやけ、黄色の霧となって大盾に食われたのだ。
「ふむ、やはり魔力は吸い込まれるか。吸血鬼の様な盾じゃのう」
この世界の吸血鬼は魔力を吸い取るのか。それならこいつは吸血鬼の大盾なのだろうか。まぁ、そんな事、どうでもいいか。
俺は分裂した旦那を見渡した。どいつもこいつも黄色い魔力を纏い、その構成が魔力であることがわかる。
光の魔法。ただ光を弄るだけの魔法。つまりこいつらはただの幻覚。ホログラムだ。それなら何も恐れる事は無い。景色が動いているというだけなのだから。本物の動きにさえ注意していればいいのだ。
後ろに回り込んだ幻影が俺を斬りつける。しかしその切先は俺を通り抜け、盾へと当たる。そしてすぐに霧散した。何度も斬りかかってくる旦那の剣筋を見極めながら、しかし、それを避けることはしない。
自分の手札を見せず、相手の手札を確認する。どうやら、俺とこいつとは相性がいいらしい。まぁ、あいつにとったら最悪の相性なんだろうけどな。
盾に吸収されるとは言え、次々と分裂を繰り返し、その数を減らさない旦那。俺にはその攻撃が利かないというのに気付いていないのだろうか。それとも、今までの経験がそれを盲目に信じさせるのだろうか。
そろそろ飽きてきたな――
俺は盾の構えを解き、ゆっくりと歩き出す。魔力を纏っていない、本物の旦那の下へ。
「クソッ、クソッ、クソォオオ! 何故じゃ! 何故効かぬ! 何故避けぬ! 儂の戦法が、こんな小娘に!」
酷く興奮したように叫びだす本物。音を出したら、それが本物だとバレてしまうぞ? 幻影には音はないのだから。
「ええい! 近付くな! 小娘が!」
私を呼んだのは貴方でしょう?――
「ええい! 近付くなと言っているのだ!」
旦那は全ての分身を一気に俺にぶつけてきた。俺は思わず手に力を込めてしまう。幻影とわかっているのに身構えるなんて、なんだか滑稽だな。
――――!
突然、大盾から何本もの触手が伸び、旦那たちを貫いた。蠢く触手は次々と旦那たちを食らい、消滅させてゆく。
無色透明で、僅かに白く見えるその触手は、以前、俺の中を弄ったものだとわかった。理由はわからないが、ただ、直感的にわかったのだ。
「悪魔め。この、悪魔めぇえええ!」
触手に貫かれる直前、旦那はそう叫んで倒れた。旦那が倒れたからだろう。周りの幻影もすべて消え失せた。
触手は、まだ食い足りないのか、姿を消す事は無く、俺の手の中で蠢いていた。




