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2019/03/06 差し替え


 寒い季節になった。俺のベッドには毛布が足され、暖炉にはいつも火がともっている。木窓は閉じられ、外気は遮断されているため、家の中はぬくぬくだ。


 特にすることのない俺は天井の木目を数えていた。一年近く見つめてきた木目を数えるのに苦労はない。何度数えたって、その数は変わらないのだから。お母さんの相手をしながら適当に天井を眺めているだけだ。


「……」


 ふと、何故だか違和感があった。俺はお母さんをチラリとみる。凝視していると睨めっこを始めるからだ。様子を窺うにはあまり適さない。俺の様なコミュ障にはにらめっこ顔から心の内を推測するのは難しいのだ。

 いつものように微笑みを浮かべているお母さん。手は俺の髪を撫でており、少しくすぐったいけれど、穏やかな気持ちになる。そんな彼女だけれど、少しだけ笑顔に曇りがある、気がする。気のせいならばいいが、俺が原因だったら不味い。少し、探りを入れてみよう。


「あーい」

『あらあら、甘えんぼさんでちゅねー』


 試しに両手を上げて抱っこのポーズをとった。いつものようにお母さんは何かを言いながら俺を抱き上げてくれる。そして、ゆりかごのようにユラユラと俺の身体をゆすった。

 程良い動きに俺の瞼は急激に重くなる。いつもならこのまま安心して眠れるのだが、今日は寝てはいけない。お母さんの悩みを解決するのだ。別段ゆりかごにおかしな動きはない。身体的な異常はなさそうだ。だとすると、やはり、問題は精神的な物か。ああ、言葉がわかればすぐにわかるのに……。


『はぁ……』


 俺が眠気や不安と闘っているとお母さんが溜息を吐いた。不安が急速に俺の中を駆け巡る。今までお母さんの溜息なんか見たことがない。それほどまでに事は進行しているらしい。

 心の余裕がなくなれば、笑顔は消え、些細なことで苛立ちを感じるようになる。そして、俺は赤ん坊だ。一人じゃ何もできない。常に、その手を煩わせてしまっている。今はまだその笑顔は俺に向けられているけれど、いつか、その笑顔は消え、煩わしさは苛立ちに、そして、憎しみに変わるのだ。今も既に笑顔は失われつつある。

 またあの日々が始まる。そう思うと不安が、恐怖が、悲しみが俺の心を満たしていく。


 ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――

 

 俺は視界を閉ざし、現実から逃避した。そうやって、いつも自分の殻に閉じこもるんだ。狭い世界。俺だけの世界。気持ちが楽になる。そう、俺は孤独な方が、きっといい。



 しばらくして、俺を包んでいた温もりが離れていった。聞こえていた心拍が消えた。そして、フワリと柔らかい、けれど無機質な感触が背中を包む。俺はベッドの上、一人になったのだ。


 チクリと胸が痛んだ。 


 これでいいのか? 俺はまた孤独になるのか? そうやってまた忌み嫌われるのか? 折角、折角、折角できた、家族なのに?

 ここで逃げたら、また、ふりだしに戻る。そんな気がした。そんなのは嫌だと心の底から思った。やり直せるチャンスが、今、目の前にあるのだ。俺は再び目を開けた。ゆっくりと、ゆっくりと、世界に目を向けた。


 お母さんはこちらを見ていた。俺も見つめ返す。けれど、お母さんと俺の視線が交わることはなかった。お母さんは俺の方を見ているが、俺の顔を見ていない。いつもなら睨めっこを始めるはずなのに、今はそんな気配が微塵も感じられない。嫌だ、怖い、そんな目で、俺を……。

 逃げちゃだめだ。俺はこの日々を手放さないと決めたんだ。さっき決めたばかりなんだ。どうしてすぐそうやって逃げようとするんだ? 諦めろ。逃げることを諦めるんだ。逃げたらどうなるか、俺はよく知ってるじゃないか。思い出せ。あの日々を。そうしたら、逃げるなんてこと諦めるしかなくなる。


 お母さんの視線を追う。いったい何を見ているのかと、何がお母さんをそんな顔にさせているのかと、現実から目を逸らさないよう、不安と闘いながら、彼女を観察した。


 ……布団? 確かにお母さんは布団を見ている。ベッドの中央、俺にかかっている布団をジイッと見つめているようだ。布団に何かあるのだろうか? だが、布団を凝視してみても何もない。俺の身体で少し膨らんでいる以外にこれと言って特別なことなどなかった。


『あら? レリアちゃん、寝てなかったの?』


 布団を見るために首を動かしたからか、お母さんは俺が起きていることに気が付いたらしく、声をかけて来た。今度は目が合う。少しだけ、そう、ほんの少しだけだったが、悍ましいものを見るかのような恐怖の感情が目の奥にあった。久しぶりに家族から向けられる奇異の瞳。その恐怖に耐えられず、俺は逃げてしまった。


『もう、照れ屋さんね……』


 その声は少しさびしげに聞こえた。


「……」

『……』


 重たい沈黙が流れた。俺は目を逸らし、虚空を見つめている。お母さんは今、何処を見ているのだろう? 俺か? それとも、別の何かか? 俺は気になりつつも彼女の方を見ることができなかった。


 さっき、逃げ出さないって決めたばかりじゃないか。逃げることを諦めるって、そう思ったばかりじゃないか! なのに、どうして、俺は、そうやって! このままだと、また一人になるぞ? いいのか? そんなので!

 だけど、お母さんの目を見るのが怖い。違うはずなのに、そうじゃないってわかっているのに、あの目はまるで、あの人たちみたいだ。前世の俺を忌み嫌う、アイツらみたいだったんだ……。


 俺が葛藤していると再びお母さんの声が聞こえた。


『寝れないの? それじゃあ、マッサージの時間にしましょう?』


 そう言って、お母さんは布団の中に手を伸ばした。どうやら、俺の脚を揉み揉みするようだ。少しくすぐったいが気持ちがいい。最近よくやるようになったのだが、どうやら俺の脚がお気に入りらしい。今度、自分の脚を揉んでみようかな。感触が堪らないのかもしれない。

 

 お母さんが俺の身体の一部を好きでいてくれている。そう思うと、まだ俺は嫌われていないのだと思える。だけど、もし、彼女が心の余裕を無くしたら……。きっと俺は嫌われてしまうだろう。前の世界のように。いや、もしかしたら、もうすでに嫌われているのかもしれない。脚を揉んでいるのだって、別に脚が好きだからとか、そういうのじゃないのかもしれない。

 なら俺は、見つけなくてはならない。彼女の悩みを。そして、それを解決する方法を。お母さんに好かれる努力をしなくちゃいけない。

 

 脚に手が触れた。ヒンヤリとした感触が俺の足首を、脹脛を、太ももを、包んでいく。少しだけ圧迫を与え、次の場所へ、次の場所へと移動していく。その気持ちよさに、再び瞼が重くなるのを感じるけれど今は寝ている場合ではない。

 俺はよくよく彼女を見つめた。今はこちらを見ていない。なら、恐怖も、少しは薄れる。


 彼女の顔は真剣で、その目は生気を纏っていた。信念を貫こうとするかのような、強い意思の感じられる表情に、先程の張り付けたような感情のない顔を見た時のような恐怖は薄れていった。大丈夫。今なら、もう少し、観察ができる。

 お母さんは今、真剣に俺の脚を揉んでいる。そんなに好きなのだろうか、俺の脚が。もし好きなら、もう少し笑顔で揉んでほしい。


 ん? ……なんだ? 思い出せ。


 彼女は最近、いつも俺の脚を揉んでいる。真剣に。そう、真剣に。彼女が真剣になる時はいつだ? 今見せている顔を、俺は何処で見た? ここ数日じゃない。もっと前から見ているはずだ。

 そうだ! 獣人のお爺ちゃんと話している時だ。俺に聴診器をあてた後、その後の話を、お母さんは真剣な顔で聞いていたんだ。診察結果を真剣に聞く? ならこの脚揉みも実験の一種だろうか? 実験を真剣にやるのなら、別段問題は感じない、気がする……。


 なんだろう? この違和感は……。何かが違う。腑に落ちない。俺は重要な何かを見落としてるんじゃないのか?



 俺はようやく気付いた。そういえば、この一年まったく動いていなかったな、と。


 そして、お母さんの顔が視界に入ったとき、お母さんは俺を見捨ててなんかいない。まだ、俺の事を思ってくれている。とそう感じ取れた。そうだ。お母さんは俺を心配している。赤子という立場にかまけて、動かなかった俺を、心配してくれているのだ。

 赤子だって成長する。一年もあれば自分の脚で立って、歩きだすだろう。なのに俺はどうだ? 寝返りすら打たず、毎日毎日同じ天井を見つめているだけだったじゃないか。

 手がかからないようにと、なるべくじっとしているようにしたのが裏目に出たか。いや、そうじゃないだろ。言い訳はいい。何も考えずに、怠惰に生活を送った結果だ。考えればすぐにわかったことじゃないか。何が手がかからないようにだ。心配かけて。迷惑かけて。愛想を尽かされたって仕方ないだろ。こんなのじゃ。


 とにかく、早く歩けるようにならないと。今は心配してくれているが、その内、その心配は嫌悪へと、そして憎悪へと変わってしまう。その過程を俺は知っている。だから、俺はその前に何とかしなければ、俺はまた、あの人生を……。

 先ずは何をしたらいい? ああ、動かないと! でも、今は脚を揉まれてるから、流石にそれを蹴っ飛ばすのは……。


 そうだ! 狸寝入りだ! 俺が寝たら邪魔しないように手を離すはずだ。よし、それでいこう。



 俺が瞼を閉じ、軽くいびきをたて始めると思惑通り、お母さんは手を離した。その時、少しだけ笑い声が聞こえた気がした。それがなぜかちょっとうれしかった。



 さて、これからどうするか。動くにしてもいきなり歩くのは無理だろう。まずは何からしたらいいんだ? 歩くためには起き上がらなきゃいけないわけだろう。

 ならばと俺は上体を起こすため、ベッドに手をつき、腹筋に力を込めた。しかし、身体はピクリとも動かない。……やばい。予想以上の結果に俺の背中はびしょびしょになる。俺は、起き上がる事すら出来ないのか。ああ、どうしよう。俺はどうしたらいいんだ?


 考えろ、考えるんだ。今俺にできることは頭を働かせて解決策を練る事。何か、何かないか。首をキョロキョロさせ、何かないかと探し回る。己にかかる掛布団、枕、クッション、ベッドの柵にその外には二人のベッド。あとは、あとは……、暖炉に窓くらいか?

 

 ん? ベッド? 柵!


 柵に掴まりながらなら起き上がれるんじゃないか? 支えがあればきっと上体を起こせるはずだ。俺はベッドの隅、柵の方へと這いつくばって移動することにした。柵さえあれば俺だって起き上がれるはずだ。


「んーーあっ」


 幸いなことに寝返りは打てた。初めて挑戦したが、人間、やろうと思えば何でもできるのかもしれない。……さっきは起き上がれなかったけど。変な声が出たが気にしてはいけない。そんなことより今は柵を掴むことの方が大事なのだから。


「うっ、うっ、うっ」


 それにしても遅い。這いつくばって動くというのはこんなにも遅いものなのか。たいした距離がある様には見えないのにやたらと時間がかかる。それに、疲労だってどんどん溜まる。このままでは柵にたどり着く前に力尽きてしまいそうだ。

 俺は歩行の偉大さを実感した。前の世界では普段何気なくやっていたが、歩くことがあんなに素晴らしいことだったとは……。失って初めて気付くって奴だろうか。


「ふっ、ふっ」


 なんとかベッドの柵を掴めはしたが……立ち上がれそうにもない。疲労困憊だ。たったこれだけの移動でこんなになってしまうなんて、正直侮っていた。このままだと、本格的にヤバい。俺は前と同じ過ちを犯してしまうかもしれない。取り返しのつかないほどに……。

 心を不安が満たしていく中、俺の瞼は無情にも落ちていくのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「レリアちゃん!」


 マリーの叫び声を聞き、俺は急いで振り返った。


 レリアは魔力のことがある。最近は成長の遅さが目に見える様になって来た。とうとう魔力欠乏の症状が出たのかと嫌な想像が頭をよぎる。

高鳴る心臓の鼓動を感じながら、ベッドを見ると、レリアがベッドの隅で俯せに倒れていた。その手にはしっかりと柵が握られている。マリーはそれを見て仰天しているようだ。


「どうした! 何があった!?」

「レリアちゃんが……、レリアちゃんが!」


 マリーが慌てふためき、しきりにレリアの体を触っていた。俺も診てみたが特に問題はなさそうだ。少し安心しつつ、レリアの身体が冷えないよう、布団をかぶせてやる。


「マリー、落ち着け。レリアは寝ているだけだ」

「え、えぇ、そうね……」


 なんとか落ち着きを取り戻したマリーだったが、余程驚いたのだろう、胸を押さえる様にして息を整えていた。


「とりあえず、水でも飲め」

「え、ええ、ありがとう」


 コップに水を注ぎ、マリーの手渡すと、マリーは一気にそれを飲み干した。気管に水が入ってしまわないか心配だったが、杞憂だったようでマリーは無事水を飲み終えた。


マリーの息が整ったのを見て、再び俺は質問した。


「それで、何があったんだ?」

「レリアちゃんがね、俯せに寝ているのよ」


 それは見ればわかると言いかけたその時、俺はマリーの言っている意味を理解した。


「ふぉぉおおおぉおお」

「ラ、ランス! レリアちゃんが起きちゃうから!」


 叫びだした俺に対して、マリーは器用に小声で叫んで注意した。


「す、すまん」


 幸いレリアの眠りは深い様で、少し身じろぎしただけで、目を覚ますことはなかった。……可愛い。


「ハァ……」

「そうよね……。ハァ……」


 落ち着きを取り戻した俺達はそろってため息を吐いた。


 だってそうだろう? レリアが寝返りを打つなんて初めての事なんだ。というか、寝返りどころか、動く姿でさえ見たことがない。この機会を逃したのは本当に惜しい。しかも、ベッドの隅にいるところを見ると寝返りを打った後に動き回ったという事になる。こんなこと、今までになかったのだ。



「さっきね、レリアちゃんが寝たふりをしてたのよ」

「ん?」

「いびきまでかいちゃって。普段は全くかかないのにね」

「それは、惜しいことをしたな……」


 ああ、惜しい。本当に惜しいことをした。寝返りだけでなく、寝たふりまでするとは……。貴重過ぎるぞ! 過去に戻ってやり直せないだろうか……。そうしたら、今日一日はずっとレリアを見ていただろうに……。


「ふふふ、そうでしょ? それでね、レリアちゃんが何か見られたくないようなことをしたいのかなーと思って」

「目を離した、と?」

「ええ。だって、まさかこんなことするとは思わないじゃない?」

「そうだよな。俺だって、レリアが見られたくないって言うなら見ないさ。……たぶん」

「驚かせたかったのかしら?」

「俺達を、か? ははは、そうかもしれないな」

「ええ、きっと」


 マリーは口には出さなかったが、レリアが俺達の心配を感じ取ってしまったのだと、そう思っているのだろう。だから、そんな俺達を驚かせて、元気を、と。


「歩き出したら大変だぞ?」

「え?」

「これなら、直に歩き出すんじゃないか?」

「何処へ行くかわかったもんじゃない」

「大丈夫よ。レリアちゃんは大人しい子ですもの」

「いやいや、どうだろうな?」

「うーん。でも、元気ならそれでいいわ。それはきっと楽しいことよ」


 少しの間思案するようにマリーは黙った。


「そうね。森の中を一緒にお散歩したり、追いかけっこしたり、かくれんぼなんかもしたいわね」

「かくれんぼか。懐かしいな」

「そうね。いつか、出来るといいわね」

「できるさ。俺達の娘だぞ? 何でもできる」

「そうね。そうよね。ふふふ、楽しみだわ」



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