第44話 その手に掴めないもの
手を伸ばすエリザベート。きっと、次に上げる言葉は、『重すぎですわ』だろう。
しかし、その言葉が紡がれることはなかった。
エリザベートが盾に触れた瞬間、エリザベートの全身から緑の霧が噴き出したのだ。
俺はこの緑の霧を知っている。もうずっと見てきたものだった。生まれた時から、ずっと。俺はそれを当たり前だと思っていて。でもそれは異常なことで。そう、それはエリザベートの魔力だったのだ。
その魔力は吸い込まれる様にして盾の中へと入っていく。それと同時、先程まで歩き回っていたエリザベートからは魔力と共に力が抜け、静かに床に崩れた。
「お嬢様!」
何が起きたのかわからないイネスは、ただ叫び声を上げ、エリザベートに駆け寄った。魔力が見えるのは俺だけなのだ。だから、イネスには何が起きたのかわからない。いきなり倒れたようにしか見えないのだ。
主人の突然の状態に混乱に陥っているイネス。だが、駆け寄ることができただけでも上出来だと思う。俺は何もできなかったのだから。
なぜ、どうして。原因はわかっているはずなのに、目の前の現象に思考が追い付かない。いつも以上に回転している脳は疑問符をひたすら浮かべるだけで、他のところには、その能力を回さなかった。
緑の魔力が噴き出し、直ぐに消える。その光景に、マリーの最期の姿がフラッシュバックした。
俺を逃がすために、最期の魔力を使ったマリー。俺を包み込んだ優しい光。その姿が、その光景が、ありありと目に浮かんだ。
俺のせいで。いや違う、知らなかったんだ。盾が人の魔力を奪うなんて。だが、俺のせいでエリザベートは……。
「どうしたんですか!?」
部屋に飛び込んできたリオネルが状況を訊ねてきた。要領を得ないイネスの説明、それでも状況をある程度理解したのだろう。リオネルはエリザベートの身体の具合を確認し、医者を呼びに行った。
イネスは指示された通り、エリザベートをベッドに寝かせる。そして、横たわるエリザベートの手を握り、祈るようにして首を垂れた。その姿は悲壮感に満ち溢れていた。
「ふむ、魔力切れですな。何か大きな魔法でも使ったのですか?」
「いえ、そんなことは……」
「そうですか。まぁ、命に別状はありません。直、目を覚ますでしょう」
「そうですか、ありがとうございます」
リオネルの呼んできた医者により、エリザベートに問題はないことが告げられた。
「よかったわ。ピー君を止めるために魔法を使ったみたいだし、きっとその疲れが今出たのでしょう」
「はい……」
「エリザベートは無事だったのだし、落ち込む事は無いわ。彼女が目を覚ました時に貴女がそんなんじゃ、困るでしょう? 大丈夫、エリザベートは何ともないわ」
アリゼがイネスを落ち着かせる。命に別状がない? 気絶しているんだぞ? その何処が平気だっていうんだ! 体に異常をきたしたから、気絶しているんだ。原因がわかっていて、それが異常だともわかっていて、なのにそれを問題ないという。クソッ、ヤブ医者め!
「レリアちゃんも大丈夫? ショックかもしれないけど、エリザベートは大丈夫よ。お医者様がそう言ったんだもの。大丈夫、何の心配もいらないわ」
あぁ、わかってる。アリゼの言葉の意味は理解できる。だが、先生が大丈夫と言った? だからって大丈夫とは限らないだろう?
カラム先生は結局マリーを救えなかったんだぞ? もちろんカラム先生が悪いわけじゃない。そんなのはわかってるんだ。でも、医者が皆を救えるなんて事は無い。幾ら医者が大丈夫だと言ったところで、その人物が、その言葉が、信用に値するかなんて別の話だ。あんなヤブ医者信じられるか!
後悔の念がぐるぐると頭の中を巡る。
どうして盾を持って来た? どうしてエリザベートに盾を触らせた? どうして止めなかった? どうして、どうして、どうして……。
盾が危険な代物だという兆候は確かにあったのに。俺はそれから目を背けていたのだろうか。
呪いの品に埋もれていたこと、俺の中を得体のしれない何かが駆け巡ったこと、魔力を吸収したこと。みんな、この結果を予想するのに十分な情報だったじゃないか。なのに、どうして俺はそれを危険に感じなかったんだ?
ランスが持っていた大盾。大盾というだけで、この盾を信用した。
盾に認められた? こんな奴に認められるなんて……。何を俺は喜んでいたんだろうか。
ランスと一緒だと浮かれ、危険に目を向けず、魔力を吸うから便利だと、周りの事も気にせずに。……だから俺はこいつに認められたのかもな。
周りに誰もいない、寄せ付けない。似た者同士だな。これが、俺の歩む道なのかもしれない。こいつは、俺が一人で歩くために与えられた枷なのだろう。俺の心が復讐に疲れた時、大切なものを作ろうとした時、その枷がそれを阻止するのだ。俺が復讐をやり遂げられるように……。
眠るようにして静かにベットに横たわるエリザベート。いや、本当に眠っているんだったな。魔力の無くなった人の顔は、目に焼き付いて離れない。綺麗なその寝顔は、俺に恐怖しか与えないのだ。こんなにも綺麗なのに。
早朝、俺は屋敷を出た。俺を想う人々を残して。
この街での暮らしを夢見たが、それは俺が叶えていいものではなかったのだ。
俺は、俺の本当の目的を忘れてはいけない。俺が森を飛び出した理由を。
屋敷には置手紙を残した。俺を追い掛けてきた二人を養ってくれるように願って。これ以上俺を追いかけてこないように願って。
俺の大盾は、エリザベートの魔力を吸ったからだろうか、重さを自在に変えられるようになった。流し込む気力を調節することで、重くも、軽くもなるのだ。
他人の力を奪い、新たな力を手に入れる。俺達にピッタリの力じゃないか? だって、俺達がこれから行うことは、奪うことでしかないのだから。
軽くなった盾を担ぎ、その背に朝日を背に浴びながら街を出る。目的地は、ここへ来る途中にあった分かれ道、その先にある街だ。
アイツらが王都を旅立って随分と経ってしまった。追いつくのは、なかなかに難しい事だろうと思う。だが、俺にはもうこれしか残っていないのだ。あいつらの情報を集め、後を追い、時には先回りをして追いつくのだ。
盾は軽くなったはずなのに、俺の身体は酷く重たく感じた。




