第37話 揺れる心
その後、俺はアリゼに色んな所へ連れて行ってもらった。昨日は随分と人が少ないと思ったが、居るところにはいる様だ。アリゼのおすすめの店は、何処も人が居て、それに、アリゼを見ると気持ちよく挨拶をしてくれる。そんな人たちにアリゼは俺を紹介し、軽く自慢をしていた。
ほのぼのとした空気を懐かしく感じ、また、アリゼは皆に慕われている貴族なのだということがわかった。
ベルニエ家は子爵であり、どうやら子爵とは街の管理を任されている存在らしかった。
三年前、サガモアが亡くなり、街は混乱に陥った。突如、街の主がいなくなり秩序の乱れた街で事件が起こったそうだ。その事件は街人が次々と失踪するというものだった。
今は既にアリゼが街の秩序を守っているが、それでも事件は解決しておらず、時折人が居なくなるらしい。
そんな街に長く住もうと思う人は多くはない。街人は他の街へと移り、残ったのはこの地に思い入れのある様な、ベルニエ家と懇意の中にある人達だけだった。
こういう話はあまり聞かせたくないのだろう。アリゼは離れたところでこの事について軽く話し合っていたが、俺は盗み聞きしてしまった。
この街で暮らすのなら、先ずはこの事件を解決しないといけないな。いや、例え暮らすわけでなくても、マリーの生家が危機なのだ。手を貸さなくてどうする?
俺はこの事件を解決するため、暫くこの街に留まることにした。
「今日は楽しかった?」
[はい、とても楽しかったです]
「そう、よかったわ」
屋敷への帰り道、心地の良い沈黙が俺達を包み込んだ。随分と昔に、同じような感覚に浸っていた気がする。だが、果たしてそれは本当に昔の事だったのだろうか。随分と昔の様であって、ごく最近のようにも感じられるその記憶は、懐かしさと寂しさを湛えていた。
しかし、俺はもう涙を流す事は無かった。
夕日を背に受け、俺は伸びる二つの影を見つめた。横で揺れる金の髪。繋がれた柔らかな温もり。場所も、景色も、時間も違うけれど、それでも、あの森で過ごした日々に似ている。
二人は、俺の幸せをいつも願ってくれていた。俺が幸せであることを望んでいた。俺は二人の願いを叶えるべきなのだろうか。
この街で、屋敷で、貴族として生きる。貴族になることで幸せになれるかなんて、実際にやってみなければわからないが、今、目の前には二人の願いを叶えるためのチャンスがある。
その一方で、俺は二人を殺した奴らが生きていても、幸せを感じることができるかという問題がある。貴族でも、旅人でも、町娘でも、俺達の大切なものを奪った奴らが安穏と暮らしている、その事実を感じながらでも、俺は幸せだと思えるだろうか。
今日一日、この街を歩き回っただけで、俺の中の復讐の炎は、その勢いを随分と弱まってしまったと思う。少なくとも、復讐を続けるか、この街でアリゼ達と暮らすか、この二つの人生を天秤にかけてしまうくらいには揺らいでいるのだ。
しかし、その弱まった炎もいつその勢いを取り戻すのかわからない。今日の朝のように、突然、燃え上がり、復讐とは関係のない人まで燃やそうとしてしまうかもしれないのだ。
もしそうなったとき、俺は自分で自分を制御できなくなるだろう。すべてを破壊し得るこの力を制御できなくなることがどれだけ危険かなんて想像に難くない。
アリゼ達は、そんな俺を止めてくれた。今朝のように、これからも俺の暴走を止めてくれると期待してしまっている俺が居る。アリゼ達なら、俺を幸せにしてくれる、俺は幸せな生活を手に入れることができると、そう思ってしまう。そう、奴らなんか忘れてしまえるほどに。幸せだった日々を思い出として感じながら。
いや、その炎は完全に消える事は無いだろう。俺の中で燻り続けるに違いない。そして、時折、その炎に飲まれるのだ。だが、そんな俺をアリゼ達なら、その都度助け出してくれると思う。
だが、それも、俺が危険な力を持っている人殺しだという事実を知らないからだ。
俺は、森を出てから既に数えきれないほどの人を殺してしまっている。俺達を襲った奴ら、王都のチンピラ、道中襲ってきた猪人族、エリザベートの父親。
これほどまでに汚れてしまっているのだ。その事実を知ってしまったら、手におえない奴だと、見捨てられるかもしれない。
暴走を止めてくれる一方で、その暴走がなんなのか、それを知られてはいけないのだ。もし、この街で暮らすのならば、それは絶対に守らなければならない秘密だ。
「こんにちは、アリゼさん。おや? その子は?」
「こんにちは、セレスタンさん。この子はレリア。私の孫よ」
「へぇー、お孫さんが居らしたんですか。ん? この子は……」
昨日会った店屋の主人、名をセレスタンというらしいが、その人が話しかけてきた。気付けば既に屋敷の前。どうやら思考の海に沈んでいたらしい。
「レリアちゃん、この人はセレスタンさん。家の前で宿屋をやっているのよ」
俺はペコリと頭を下げた。
「アリゼさん、この子は確か――」
「どうかしたかしら?」
「あ、いや、何でもないですよ。お嬢ちゃん。昨日はすまなかったな。そのー、なんだ。またいつでも遊びにおいで」
俺は頷いいた。確かに昨日はこの人に宿から追い出されたようなものだが、元々泊まるつもりはなかったし、それに、昨日は血だらけだったしな。あんな事件がある街だ。警戒心が高くなっていても仕方がないし、そもそも、事件の有無にかかわらず、血だらけの少女など関わりたくないものだろう。昨日のセレスタンの態度は仕方がないものだと言える。
俺は手を振りながら屋敷へと戻った。セレスタンは気まずそうに笑っていたが、手を振りかえしてくれた。
アリゼの前だからだろうか。本当は俺とは関わりたくないのではないだろうか。そう思ってしまうのは、俺の心が穢れてしまっているからだろうか。
きっと、あの宿屋に遊びに行くことはないだろう。セレスタンは何時でも来いと言っていたが、彼の本心はそう思ってはいないはずだ。面倒事はごめんなのだから。
こんなことで、俺はこの街で暮らしていけるのだろうか。何とも言えない不安が俺の中で渦巻いていた。




