第36話 訪問客
いつもより長めです。
朝になり、部屋から出る。与えられた部屋は綺麗に保たれており、家具こそ少ないものの、必要最低限の物は揃っていた。
部屋を出て、廊下をぶらぶらと歩いた。ここがマリーが半生を過ごした場所。感慨に浸りながら、周りを見渡す。
マリーはどういう気持ちでここでの日々を過していたのだろうか。
マリーにとって鳥籠とも呼べるこの屋敷。恨んでいたのだろうか。でも、アリゼの様子を見ていると、マリーは幸せだったと思いたくなる。閉じ込めていたのもマリーのためだったのだから。きっとマリーはわかっていたと思う。ただ、ちょっと外の世界を見たくなってしまっただけなのだ。
歩き回っていると、肖像画の並べられた廊下に行きついた。数枚の肖像画が並べられており、俺は一番近くの男の画に近づいた。
白髪の混じった茶髪に髭を蓄えた凛々しい男の姿。力のある眼光が緑の瞳から放たれていた。
俺は画の下に視線を移し、書いてある文字を読む。
[サガモア・ベルニエ]
それはマリーの父親だった。アリゼの夫でもあり、この屋敷の主人でもあるこの男。しかし、俺はこの男に会ったことがない。いったい何処にいるのか。
いや、きっとこの世にはもういないのだろう。この廊下に掛かる画は皆、ベルニエと名がついている。しかし、アリゼやマリーの画はないのだ。もちろん、女性の画がないという訳ではない。ただ、俺が出会ったことのあるベルニエ家の人達の画がないのだ。
そこから導きだされる答えはこの肖像画は故人のものだという事だった。
サガモアは亡くなったのだろう。何時、何が原因で亡くなったのかは知らないが、彼は既にこの世にはいないのだ。
彼は何を思って逝ったのだろうか。マリーの事をどう思っていたのだろうか。その答えはもう得られないが、きっと、最期までマリーの事を考えていたのだと思う。
マリーの意見、意志を尊重し、マリーの逃走を許した男だ。しかし、マリーが逃亡するまでは、世間からマリーを守った男でもある。
おじいちゃん、お母様は幸せだったよ――
俺は心の中でそう告げた。彼に届く事は無いだろうけど、それでも伝えたかったのだ。彼の選択は間違っていなかったのだと。
彼の選択が無ければ、マリーはきっと、もっと長く生きていられたのかもしれない。ランスだって、襲われる事は無かったのかもしれない。でも、あの幸せな日々は訪れなかったと思う。
マリーは幸せだった。しかし、それを壊したのは奴らだ。サガモアの選択ではなく、奴らの行動が間違っていたのだ。
あの幸せさえなければ、俺はこんなにも辛い思いをしなくて済んだのかもしれない。でも、二人との出会いは俺に大切なものを教えてくれた。失うのはもう嫌だけど、二人との思い出を無かったことにはできない。
だから、彼の選択は間違っていないのだ。
「あら? レリアちゃん?」
アリゼが廊下の奥の方からやって来た。
「こんな所に居たのね。……あぁ、この人は私の夫、サガモアよ。さて、ご飯にしましょうか」
アリゼを俺の手を引き、食堂へと向かった。サガモアについては俺を気遣ってなのか、触れられたくないからなのか、特に話を掘り下げるような事は無かった。
朝食の席で、リオネルが話を切り出した。
「レリアちゃんに街を案内してあげたらどうです? アリゼさんも偶の休暇は必要でしょう。仕事の方は私がやっておきますので」
「あら、そう? それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」
「はい、そうしてください」
「レリアちゃんもいい? 食べ終わったら街を見て回りましょう?」
俺は思わず頷いてしまった。あいつらを追わなきゃいけないのに、彼等の魅力的な誘いに心が揺らいでしまう。このままここで暮らすのもいいかもしれない。でも、そうしたら、またいつか失ってしまう。……あと一日だけ。そうしたら、ここを出よう。そう、あと一日だけ。
外出の準備を終え、玄関で待つ。と言っても荷物なんて特にないから、準備は簡単だ。大盾は部屋に置いてあるし、髪を結ぶのも慣れた物だ。
壁にもたれ掛り、アリゼが来るのを待っていると扉を叩く音が聞こえた。
ガンガンガンガン
ノックの音が扉から突き刺す様に入ってくる。随分と乱暴な叩き方だ。これって開けた方がいいのか?
そう思っていると、その訪問者は自ら扉を開けたようだ。
「まったく、いつまで待たせる気だ!」
屋敷に響きわたる、嘲笑を含んだ叫び声。二人の男が屋敷にずかずかと侵入してくる。
声を張り上げて入ってきた男は細身で、その身なりから執事だと推測できた。しかし、その腰には細長い剣、レイピアが下げられており、その立ち振る舞いは執事と呼ぶには余りにもずぼらだ。
細身の男の後ろ、後から屋敷に入ってきたもう一人の男は対照的にでっぷりとしたお腹で、丸々とした顔。季節は冬に入ったというのに全身から汗が噴き出していた。
ギトギトとした汗を滾らせ、鼻息を荒くして屋敷に入ってくるその顔はニタニタとしており気持ちが悪い。
細い男が執事ならば、こいつは主人、貴族だろう。貴族ならもう少し容姿に気を使ったらどうだろうか。せめて季節に合った服装をするとか、な。
「ん? 何だ、この餓鬼は……」
俺を見た細身の男は疑問の声を上げる。俺がここに居る事を不思議に思うと言う事は、この男達、常連と言う事になるな。俺がここに来たのは昨日。普段、俺が居ない事を知っていると言う事はそう言う事である。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
慌ててやって来たのだろう。リオネルが俺と男との間に飛び込み用件を訊いた。その質問に脂ぎった男が答える。
「いやいや、この街の支援についてな」
脂ぎった男の声は聞いているだけで寒気がするほどのネトついた声だった。
「ワルター男爵、その件については何度もお断りしていますが?」
「何、遠慮する事は無い。そちらの財政は厳しいのだろう?」
「……いえ、問題ありません」
「サガモア殿が亡くなってから久しい。そろそろきついのではないか?」
「アリゼ様が健在ですので問題ないかと」
「はんっ、女に何が出来るというのかね? 女など、子を産む事しか能がないのだ。街の経営など到底無理だろう」
「お言葉ですが、そのような発言は慎みください」
「貴様! 閣下に対して失礼であるぞ!」
「……」
リオネルとワルター男爵と呼ばれた脂ぎった男との問答に割って入り、細身の男が怒鳴り散らす。会話を遮る方がよっぽどか失礼だと思うが。
「ギヨ、その辺にしておけ」
「はっ! 貴様、陛下の閣下の御寛大さに感謝するんだな」
ギヨと呼ばれた細身の男は男爵の言葉で後ろに下がる。リオネルはその間、無言で罵倒を受け止めていた。
「それで、支援を受け入れる気にはなってくれたか?」
「いえ、支援を受ける必要はありません」
「うーむ、貴様もなかなか強情だな。サガモア殿が死に、跡継ぎもおらず、街の人口は減る一方。ベルニエにいったい何ができるというのだ?」
「跡継ぎならございます」
「行方不明の放浪娘の事かね? 行方不明の娘を跡継ぎと認めるわけにはいかんな。それに、学園も出ておらんのだろう? あぁ、婿を取るのか。それならば、良い見合い相手を紹介するが?」
ニタニタとした笑みを顔に張りつけたまま喋る男爵はその顔、声、共に気持ち悪いのだが、さらにその内容には反吐が出る。マリーの見合い相手? マリーは既にランスと結婚している。そんな相手は不要だ。
「いえ、マリー様ではございません」
「では、誰だ?」
そう疑問の声を上げたが、その答えはわかっているのだろう。男爵は俺を一瞥した。
「こちら、レリア様でございます」
「ふむ」
「レリア様はマリー様の御息女でございます。つまり、アリゼ様の御令孫に当たります」
「ほう、娘が子を連れて戻って来たか。ぜひ、その娘にお会いしたいものだな。呼んではもらえんか?」
「いえ、その、マリー様は……」
そう、マリーはいない。だが、例えいたとしても、この男には合わせたくないな。女を道具としか思っておらず、その上、品定めをするような目の輝きだ。見られるだけで穢れそうだ。
一旦後ろへ下がっていたギヨと呼ばれた男が声を出した。
「おい、この餓鬼が本当にベルニエの娘なのか? 確かに雰囲気は似ているようだが、どうせその辺で拾ってきたのだろう? 髪の色、目つき、全く違うではないか。赤の髪に、世界を憎むようなその目つき。相当酷い親に育てられたのだろう。もっとマシな娘を選ぶべきだったな」
言ってくれる――
俺は静かに足を進めた。ゆっくりと細身の男に近づいていく。
俺を貶すのはいい。そんなものは豚にでも食わせてやればいいのだから。だが、マリーとランスについての発言だけは許せない。酷い親? 俺の自慢の親だ。世界一、いや、この世界だけじゃない、どの世界においても、マリーとランスは俺の一番の親なのだ。
そう言えば男爵の方もマリーに対して失礼なことを言っていたな。この男の後に男爵も……。
歩を進める俺の肩に優しく手が置かれた。振り向くと、そこにはアリゼが立っていた。アリゼは大丈夫、と俺に頷いて見せ、俺の前へと進み出た。
そして、俺の横にはリオネルが来た。俺の頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でる。俺を落ち着かせるように、ゆっくりと。
「ギヨ、と言ったかしら? 随分と失礼ですね。私の孫と娘に対して随分なことを言ってくれるじゃありませんか」
「おぉ、これはこれはアリゼ様。本日もご機嫌麗しいようで」
取り繕う様に男爵が言葉を並べる。ギヨは動揺しているのか、目をキョロキョロと泳がせていた。
「一使用人がこのような口を利くなど、しかも、そちらは男爵、こちらは子爵ですよ? 身分を考えなさい。使用人がこれでは、貴族の格が知れますよ?」
「これは大変申し訳ありませんでした。十分言って聞かせますので、どうか御容赦を」
動揺と緊張で何も言えないギヨに変わり、男爵がその場を取り繕った。
「顔も見たくありませんね。早く出ていってもらえますか?」
「はっ、ありがとうございます」
いそいそと退散する二人の男。俺は湧き上がった怒りを抑え、冷静に考える事ができるようになった。
正直、アリゼが来てくれなかったら危なかったと思う。危うく屋敷の中で二人を殺してしまうところだった。もしそんなことをすれば、アリゼ達に迷惑がかかるし、俺はここに居られなくなるだろう。これはアリゼ達に感謝だな。俺を抑えてくれてありがとう。
「レリアちゃん、嫌な思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
俺は首を振ってそれを否定した。こちらこそ、頭に血が上ってしまって大変なことをするところだったのだ。助かったよ。感情のコントロールをもう少しできる様にならないとな。
「ありがとう。それじゃあ、気を取り直して行きましょうか? もし気分が悪いのならお家でお休みした方がいいと思うけど」
俺は首を振り、アリゼの手を取った。その手を引き、扉の前へと引っ張る。これが俺の答えだ。
「そう。それなら行きましょうか。私たちの街を案内するわ。ふふ、楽しみにしてね」
俺達は颯爽と屋敷から飛び出したのだった。




