第34話 血の繋がり
「何があったのか、おばさんに教えてくれる?」
廊下を歩いていると女性が質問してきた。だが、お生憎様、『何』という質問には答えられないのだ。
沈黙が俺達を包む。カツ、カツ、という音が廊下に響き、それ以外には何も聞こえない。
「……先ずはお風呂に入りましょうか。可愛い顔が台無しよ?」
少しふざけた調子でそう言ってくる女性。空気を換えたいのだろう。まぁ、風呂に入れてくれるって言うんなら俺もありがたい。俺は頷いて了承した。
風呂場と思わしき場所に着いた。途中、着替えやタオルを回収したが、ほとんど真っ直ぐこの場所にやって来たはずだ。
大盾は入り口で閊えてしまったため、入り口に立て掛けてある。女性の方は俺の盾が気になってはいるものの、敢えて触れないでいるみたいだ。
風呂場には王都で見たような湯船があり、その中には何も入っていない。そう言えばエリザベートたちは何をしているのだろうか。黙って置いて行ったからな……。
女性は部屋の脇に置いてある瓶から水を注ぎ、湯船に水を張った。緑の魔力を使って。俺を飛ばしたあの魔法のように水の入った瓶を運んでいる。魔力まで似ているとは……。
「大丈夫、大丈夫よ。なーんにも怖くないわ。大丈夫」
俺の様子に気が付いた女性は俺を抱きしめてくれた。乾いているとはいえ、血だらけあることも気にせず、俺を抱きしめてくれる。
彼女はマリーと同じ匂いがした。何処までもマリーと似ていて、でも、決定的に何かが違う彼女。寂しさが俺の心の中で勢力を増していった。
優しく俺を撫でる女性。俺がある程度落ち着くと、彼女は赤い石を湯船に放り込んだ。
「さて、お風呂に入る前に、身体を洗っちゃいましょう」
俺は服を脱がされ、湯船の隣に立たされる。そして、頭からお湯を掛けられた。その後、濡れたタオルで血を拭っていく。
俺は為されるが儘に体の力を抜いていた。昔はマリーによく体を拭いてもらったものだ。ここに居ると懐かしさと寂しさが俺を満たしていく。
十分血を拭ったところで俺は湯船に入れられた。ぬくぬくと温かいお湯が俺の体を温める。マリーによく似た女性はニコニコしながら俺の頭を撫でていた。
「悲しみも一緒に流してしまいましょう。ゆっくりしていきなさい」
そう告げる女性も俺と同じように懐かしさと寂しさを得ているのだろう。微笑んだ顔、その目の奥は揺れていた。
俺は女性の言葉を全力で否定した。首を横にブンブンと振り、自分の意志を示す。悲しみを流す? 冗談じゃない。二人の事を忘れろとでもいうのだろうか。そんなことできるわけがない。二人は俺のすべてなのだから。
首を勢いよく振ったことで飛沫が女性を襲った。しかし、彼女はそれを避けることもせず、円形のシミを幾つか作った。
「そう、ね。忘れるのはよくないわよね……。それで、おばさんに何があったか話してくれる気にはなってくれた?」
浮かない表情で、それでも決意の見える目を俺に向けて再び俺に質問してくる女性。この質問は俺が血だらけだった理由を尋ねるものだ。しかし、彼女はもっと別の事が知りたいのだろう。そう、豚を虐殺したことなど彼女にはどうでもいいのだ。もちろん俺にとってもどうでもいい事だ。
俺は女性の手首を掴み、掌へ指を這わせた。彼女の知りたいことを伝えるために。
[初めまして。私はマリーの娘です。貴女は私のおばあちゃんになるのですか?]
「……やっぱりそうなのね。えぇ、そうよ。私はマリーの母。貴女のおばあちゃんになると思うわ。でも、どうしてわかったのかしら?」
[母に雰囲気が似ていたので]
「あら、私と同じ理由なのね。貴女もマリーによく似ているわ」
再び沈黙が訪れる。この人が知りたいことを俺は知っている。しかし、世の中には知らない方がいいことだってあるかもしれない。でも俺は、彼女に話すと決めたのだ。
一息置き、再び文字を綴った。
[母は死にました。私を助けるために]
「……」
[母は私を助けるために魔法を使いました]
「……そう。お父さんはどうしていたの?」
[私達を逃がすために戦っていました]
彼女は瞳を閉じ、一つ深呼吸をした。震えていた全身を落ち着かせ、心を静めたようだ。
マリーは俺のせいで死んだ。俺が殺したのだ。マリーの家族にはそれを伝えなければならない。例えそれが信じられない、信じたくないことだったとしても。それが俺の義務であり、罰なのだと思う。
彼女は再び俺を見つめた。
「貴女も大変だったわね。ここまで一人だったのでしょう? 辛い話をさせてしまってごめんなさい」
これは二人の最期を知る俺の義務だ。それに、二人の昔のことを聞けるかもしれない。俺は頷いて返事とした。
「ありがとう。それじゃあ、場所を変えましょうか」
風呂から出て、俺達は部屋を移動した。
「ちょっと手伝ってくれるかしら?」
着いた先は厨房。そろそろ夕食の時間なのだろう。盾は邪魔になるため、例の如く部屋の入り口に立て掛けた。
二人で並んで夕食の準備をする。視界の端に映る金色に、何度も反応してしまう。わかっているのに、もしかしたらとそちらを見てしまうのだ。こんなところにマリーがいるはずがない。わかっている。そんなこと、わかっているのだ。ここはマリーが『いた場所』。『居る場所』ではないのだから。
料理が完成する頃、厨房へ一人の男が入ってきた。その見た目は若く、三十歳手前といった感じだ。
「アリゼさん、何時もスイマセン。俺も料理ができればよかったのですが……」
「仕方ないわよ。人には得手不得手があるのだから。その代わり、他の場所でがんばってくれればいいわ。料理を運んでもらえる?」
マリーの母親はアリゼというのか。アリゼ・ベルニエ。俺の祖母に当たる人。俺の知らないマリーを知っているであろう人。マリーの子供の頃は一体どんなだったのだろうか。
「もちろんですよ。おや? その子は?」
「ふふふ、私の孫よ」
「え! お孫さん居たんですか? と言う事は、問題解決じゃないですか! 娘さんも帰ってきているんでしょう?」
「……そのことなんだけどね、詳しくは後で話すわ。とりあえず食事にしましょう?」
「……わかりました」
男の手によって料理が次々と運ばれていく。
「あの人は家に努めている秘書のリオネルさんよ。よろしくね」
テキパキと仕事をこなす彼は秘書というよりは執事といった感じの印象だが、まぁ、どっちだっていいか。
俺達は食堂へ移動し、夕食となった。




