第21話 孤独な逃走
最初なので 残酷描写有 注意してください。
どれほどの時間、俺は飛んでいたのだろう? とても長い時間だった気もするし、短い時間だった気もする。ただ、それは唐突に終わった。
地面に降りたち、呆然とする。周りには誰もおらず、俺は独りぼっちだ。
マリーもランスもいなくなってしまった。
あんな状態でマリーは魔法を使ったのだ。無事では済まないだろう。ランスだって、丸腰で玄関に向かったはずだ。幾ら強いとはいえ無事とは思えない。
あの時、何が我が家を襲ったのか、それはわからないが、二人はたぶん無事ではない。それだけはわかってしまった。そう、俺の大切な人。その二人は、もう……。
俺は声のない叫びを上げた。両目からは涙がとめどなく流れ落ち、喉にも力がこもる。二人がいない。そのことが頭を満たし、胸にはぽっかりと大きな穴が開いている。膝をつき、地面を殴るようにして拳を打ち付けた。
救いようのない悲しみが俺を襲う。昔と同じ、一人だ。いや、昔よりも酷い。そこに有ったものを、失ってしまったのだから。
こんなことなら、初めから無ければよかった。もしそうだったなら、こんな思いをせずに済んだのに。大切なものを作るから、失った時がつらいのだ。大切なものを守るだけの力もないのに、そんなものを手に入れようとするからこうなるんだ。
マリーとランス。二人は俺にとって大切な人だ。それは今も変わらない。ただ、俺の手には余るほど、幸福過ぎたのだ。
身の程を知れ。俺はこんな幸福を扱えるほどの人物だったのか? こんな幸福を得るに値した人物だったのか? そんなはずはないだろう。暴力で他人を遠ざけ、両親の金をばら撒くだけの最低な人間だったじゃないか。俺は幸福になる資格のない人間なんだ。
今回だってそうだ。二人に愛情を注いで貰うだけ貰って、俺は何を返した? 最後は二人を見殺しにして逃げただけじゃないか。結局、生まれ変わったって俺は変わらない。幸せを壊す人間なのだ。
「おーい、居たかー?」
「いやー、見つからねーよー」
誰かを探す声。きっと俺を探しているのだろう。今は見つかっていないが、ここに居れば直に見つかる。そうすれば、また二人と会えるんじゃないか?
このまま奴らに見つかって、二人に会いに行こう。きっとそこなら、もう何も失うことはないはずだ。
――逃げろ!――
――生きて!――
諦めた俺の耳に二人の叫び声がよみがえる。
何故俺は今生きている? ランスが危険を知らせてくれたから、マリーが逃がしてくれたから。そうだろう?
では、二人は俺に何と言った? ランスは逃げろと、マリーは生きろと、そう言ったのだ。二人の最期の願いを、俺は無視してもいいのか? 最期の最期まで恩を仇で返すつもりなのか?
俺は立ち上がり、声のした方とは逆の方に向かって走った。
俺は逃げなければならない。ランスに言われたように。俺は生きなければならない。マリーに言われたように。今だけはそうしなければいけないんだ。
「居たぞ!」
見つかった。だが、まだ距離はある。それにここは森の中だ。小柄な俺の方がよく動ける。
後ろから聞こえてくる足音。枝を払いながら、何かを叫んでいる。そんなものに耳を貸してなるものか。俺はただ、我武者羅に森の中を駆けた。
逃げる内、先程の悲しみが、怒りへと変わっていく。沸々と滾るその感情は、俺の心をどす黒く染めた。
奴らが現れなければ、今まで通りの日常が送れたのに。マリーの病気も治って、また三人で笑い合えたのに。奴らが、奴らが俺から大切なものを奪ったのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
早く、早く逃げなければ――
俺は森の中を全力で走っていた。何処かに引っ掛け、服はもうボロボロだった。何処が破れているかなんて確認する暇はない。ただ、布の千切れる音を何度か聞いただけだ。
俺は走った。奴らから逃げるために、無我夢中で走った。俺の大切なものを奪った奴らに、何時か復讐してやる。そのためにも、今は生き延びなければならない。復讐を遂げるまでは、絶対に死ねない。
もっと、もっと速くだ――
何故俺の足はこんなにも遅いのか、発育の止まった俺の身体が今は恨めしかった。両親からの贈り物だ。嫌いになったことなんてないが、今はただただ恨めしかった。
ヒュンッ
直ぐ隣を何かが通り抜けた。しかし、そんなものに構ってはいられない。今はただ走ることだけを考えるんだ。
「おらぁ! 待ちやがれ!」
後ろで声がする。まだ大丈夫だ、そこまで近いわけじゃない。
俺は木々を縫うようにして走った。闇雲に、森の中を駆け回った。あいつらの攻撃を避けながら逃げるには、小回りの利くこの身体で、木々を盾にしながら走るしかないのだ。
カンッ
樹に矢が突き刺さる音。だが、俺に刺さらなければそれでいい。樹には申し訳ないが、俺に近づくものを遠ざける壁になってくれ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
一体どれだけ走っただろうか。脚が重たい。こんな小さな脚なのに、どうしてこんなに重たいのだろうか。大きさに見合う重さというものがあるだろうに。
意味の分からない愚痴が浮かんでくる。それでも俺は走り続けた。俺の復讐のために……。
ザッ
何かが脚に当たり、そのまま倒れてしまう。見ると地面に矢が転がっていた。幸い刺さらなかったようだが、それでも俺の脚を止めたことには変わりない。
クソッ――
俺はすぐさま立ち上がり、また走り出そうとした。しかし、同時に首が閉まる。俺の身体は宙に浮き、不安定にぶら下がった。服の襟を掴まれ、宙吊りの状態だ。
暴れてみたが、俺の短い手は男には届かない。
「英雄殺しの娘か。目元が似てらぁ」
そう呟いた目の前の男を俺は必死に睨む。英雄殺し? ランスはそんな人じゃない!
「おい! 早く連れて行こうぜ」
弓を構えた小柄な男がそう告げる。駄目だ。俺は逃げて、生き延びなければならないんだ! こんなところで終わってたまるか!
「そうだな」
目の前の男は俺を肩に担ぎ、来た道を引き返していく。
やめろ! 離せ!――
必死に叫びながら、俺は男の頭を殴った。
「あぁ? 言ってぇなぁ!」
男は俺を投げ飛ばす。地面を転がる俺は出来るだけ男から遠ざかれるように身を任せた。そして、勢いが無くなってきたところで、勢いを殺さないように起き上がり、そのまま走った。
「逃げてんじゃねぇよ!」
しかし、直ぐに男に取り押さえられ、首を掴まれる。
ググッと首を絞めてくる男。怒りに任せ、俺の首を絞めているようだった。
「お、おい。ハンス! 殺すなよ?」
「うるせぇ! もう我慢ならねぇんだよ!」
「クソッ。これで依頼もパーか……」
随分と短気な男だ。俺は掴んでいる手を外そうと試みるが、太く、ゴツゴツとした腕はピクリとも動かない。力の差は歴然だった。
もっと俺に力があれば――
俺は無意識のうちに両手に魔力を込めていた。全身を流れる魔力を両手に集中させると、魔力はそのまま、相手の身体へと流れていく。
クソッ、俺の魔力まで、俺から離れていくのか……。みんな、みんな、俺から離れていく。これが俺の報いなのか。壊すだけの俺への報いだとでも言うのか!
「う、ぐっ……あぁぁああああ」
突如、目の前の男に異変が生じた。男の腕がボコボコと沸騰した湯のように膨れていく。その膨らみは腕を越え、肩、胸、顔と男の全身に広がっていった。そして、
グチャッ…………ピチャ、ピチャ、ピチャ、
男の身体は破裂した。俺の視界は真っ赤に染まり、辺りには肉片が転がっている。
「ひ、ひぃー。バ、バケモンだぁ」
弓を構えていた男は、腰を抜かし、尻餅をついていた。その顔は恐怖で歪み、震えている。何とか逃げようと手足をバタつかせる男はなんだか滑稽だった。
今のは、なんだ?――
疲れた頭で今起こったことを振り返る。俺の魔力が男に流れ、男は破裂した。
俺は確かめるために、必死にもがく男に近寄る。年端も行かぬ少女に怯えるとは、情けない男だ。
俺は情けない男の頭に手を置き、魔力を流し込んだ。
「やめろ! やめてくれ!」
死に物狂いで抵抗する男だったが、構わず俺は魔力を流し続けた。恐怖で力の入っていない男の攻撃なんて、屁でもない。
「やめろ! やめろ……、やめ、ぐっ、うっ、ぁぁ……」
しばらく魔力を流し続けていると、先程の男と同じように、男の頭が沸騰したように膨れはじめる。そして
グチャ……ドサッ
今度は頭しか破裂しなかったが、それでも男は絶命した。それと同時に、俺の視界も真っ暗になった。




