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2019/05/07

 暑い……。何故こんなにも暑いのか……。


 周りを見渡せば何処を見ても木、木、木。頭上でさえも枝葉に覆われ、僅かにできた隙間から申し訳程度の青が見えるだけ。葉は新緑から深緑へと遷移しており、この不快な気温も相まって、夏の到来を感じさせた。


 生い茂る葉が日光を遮っているというのに、異様な暑さが俺達を襲う。きっと空は雲一つない一色に染まっている事だろう。


「うえぇー、暑い……。エマニュエル様のせいですよー」


 皆が思っていることを代表するかのように護衛の騎士の一人がそう言った。

いや、俺だって被害者なのだ。皆には申し訳ないとは思う。そのまま街道を通っていれば、こんなことにもならなかっただろう。だが、あいつが俺を唆したのだ。この森を通れば、王都までの旅程が大幅に短くなると。街をほとんど経由せずに王都へと行けると。

 旅程が短くなれば、それだけ、費用が少なくなる。別段金に困っているわけでもないが、無駄な出費は省くべきだろう。あの忌々しい蛇共の事もある。いつ、何時、急な出費を強いられるかわからんのだ。その時になって、金がありませんでしたでは、何も守ることができんのだ。

 それに、この森を通れば、街をいくつか経由せずに済む。あの、形式ばかりの歓迎と、肩の凝る上辺だけの幼稚なやり取り。褒められて、褒め返して、腹の中では相手の失脚ばかりを考えるクズどもの相手だ。正直、やってられん。

 そう。だから、この旅程は実に合理的なのだ。


 いや、言い訳はよそう。確かにこれは俺のせいだ。今の現状を招いたのは俺の失策だ。


 騎士用の、機能的でありながらも煌びやかな鎧を着こんでいるこやつはダラダラと力なく馬に揺られているせいで、まるで敗残兵の様に見える。後ろに乗る魔導騎士はしっかりとしているというのに、とそんなことを考えていると、他の者よりも忍耐力のないそやつに喝が飛んだ。


「ダミアン!」

「わー! すいません!」


 暑さで項垂れそうになるのを我慢しつつ、俺は前方を行く騎士に目を向けた。

 ダラダラと歩く男に向かって怒号を飛ばしたのは、我が領地の中でも五本の指には入ろうかという実力の持ち主だ。同じ鎧を着て、さらに重厚な大剣を背負っている、というのにその姿には隙がなく、さらには怒鳴る気力も残っているというのだから驚きだ。


 何故俺はあの時あんなことを口走ってしまったのだろうか。森を抜けるなどと……。例年通り、街道を行けばよかったものを……。


「エマニュエル様のせいじゃありませんよ」


 いつものように柔らかな笑みでバジルはそう言った。

 兜の隙間から見える常盤色の髪は汗で張り付き、どれ程の暑さがこやつを襲っているかを物語っている。片手で槍を持ちつつ、もう片方の手で手綱を操作しているこやつは、腰や背に剣を携えている他のものよりも消耗しているはずだ。それでも俺のせいではないと文句を言わないとは、まったく、涙が出るな。


「そうですよ。バジルの言うとおりです。みんなで決めたことなんですから」


 バジルに同意するようにアニエスは続けた。

 魔導騎士であるこやつは、魔力伝導性をよくするためのローブを纏っている。風通しの悪い厚手のローブを。兜こそ着けてはいないものの、ローブの下には鎧を着ている。俺の軽装とは比べ物にならないほどの苦痛を味わっていることだろう。


「と、く、に! ダミアン! アンタは真っ先に賛成してたじゃない! 文句言う資格ないわよ!」

「なっ! うるさい、アニエス! みんなで決めたことなんだろ! ならお前だって俺を責める資格なんてないはずだ!」


 だやはり相当なストレスが溜まっていたのだろう。その矛先は発案者の俺ではなく、同僚のダミアンへと向けられた。

 背に乗せた二人の騒がしさに、馬が不機嫌そうに鼻を鳴らす。しかし、二人は止まらない。


「うるさいわね! あーあ、これだから小さい男は」

「ちちち小さくないぞ!」

「何言ってるのよ。この中で一番小さいじゃない。器も身長も」

「う、うるさいな。もういいだろ!」

「ま、そうね。余計暑くなるだけだし」

「……何だよ。言いたいことがあるなら言えよ」

「だから――」

「ほらぁ、二人とも落ち着いてぇ」


 騎士の中では一番軽装だからか、そこまで消耗している様には見えない衛生兵のオルガが間延びした言葉で呼びかけながら、馬を寄せ、素早く二人の口に中に何かを押し込んだ。


「はぁい、噛んでぇ?」


 にっこりとした微笑みと共にそう命令を下された二人は、口をガッチリと押えられているため、拒否することも出来ないらしい。ダミアンが何とか馬を離そうとするが、どういう訳か馬は離れようとしない。

 やがて、口を押さえられている二人は揃って顔面を蒼白にさせながら諦めたようには顎を動かした。


「「ブクブクブク……」」


 泡を吹きながら白目を剥く二人を妖美な微笑みを浮かべて眺める薄紫色の髪をした女。その髪の色が毒々しく見えるのは何故だろうか。


「えっと、オル――」

「毒じゃないわよぉ」

「……そうですか」


 バジルの声を遮り、オルガはゆっくりと言った。同僚に毒を飲ませることはないだろう、と思いたいのだが……。


 そんなことを思っているとダミアンが目を覚ました。


「うえぇぇ……、にがっ」


 数十秒前には白目を剥いていたというのに、今では元気に口の中の物を吐き出すようにぺっぺっと唾を飛ばしている。毒ではなかったようでほっと一安心する。

 ダミアンの後ろでは相変わらずアニエスが泡を吹いているが、随分と体力を消耗していたのだろう。ああ、きっとそうだ。

 

「ははは、ここらで休憩にしましょうか」

「そうだな」


 御者台の上から発せられたピエリックの言葉に俺が同意すると、皆一様に馬から降り、休息を取り始めた。





「では、行ってまいります」

「ああ、気を付けてな」

「はい」


 ピエリックが付近の探索に出ると言うので、それを見送り、俺は適当な切り株に腰を掛けた。周りの木々が邪魔しているからなのか、風もなく、蒸し暑い。


「うえぇ……。まだ苦い。こんなことになったのもエマニュエル様のせいですからねー」


 フリュベールに聞こえぬ様、小声で言ってくるあたり、反省はしていないようだが、学習はしているらしい。まぁ、それも明日になれば忘れるのだろう。いつもの事だ。俺は苦笑しつつ、ダミアンに答えた。


「まったく、苦いのは俺のせいじゃないだろうが……」

「いやいや、エマニュエル様のせいですよ。エマニュエル様が森に入るなんて言わなければ、俺はあんなもの飲まずに済んだんです」

「あらぁ。そうでもないと思うわよぉ?」

「ぎゃ!」


いつの間にか近寄ってきていたオルガがそう言ってくる。


「そんなに驚かなくてもいいじゃなぁい。お姉さん、傷ついちゃうわぁ。折角ぅ、涼しくしてあげたのにぃ」


 確かに、肝が冷えただろうな。実際、今もダミアンは俺の隣でビクビクしている。


「薬の効能か?」

「はい。そうですよぉ。身体を冷やす作用のあるぅ薬草をすり潰して固めたものですぅ」

「なるほど」


 アニエスも既に復帰しており、水を飲んでいた。心なしか顔が涼しそうに見える。相当苦いようだが、その効果は絶大らしい。


「エマニュエル様もどうですぅ?」

「いや、遠慮しておこう」

「あらぁ、残念」


 流石に、泡を吹いて倒れるほどの苦さの薬を飲みたくはない。俺はオルガの有難い申し出を丁重にお断りした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……」


 僅かだが金属の擦れる音が聞こえる。相手は鎧を身に着けているようだ。数日森の調査を行ったが、人の痕跡はなかった。なら、この金属音の主は森の異常を引き起こした原因ではないだろう。森の異常が人の起こした者ならば、痕跡を残さないようにしているという事だ。こんな鎧の音を立てるようなへまはしない。


 武装したやつがこの森に入ってくることは、そこまで珍しいことじゃない。商人の護衛だったり、冒険者だったり、野党だったり、いろいろいる。商人や冒険者ならばそこまで危険はないし、野党ならば始末するだけだ。

 今回のやつは鎧を着けていることから、護衛か冒険者だろうとは思う。野党は動きが鈍くなり、音も出る金属鎧を嫌うからな。だが、気配が一つというのが気になる。護衛なら、護衛対象が近くにいるはずだし、冒険者ならチームで行動するはずだ。野党の一人が音を立てて囮を務めているという可能性もなくはない。



 しばらく歩いてみたが、相手はこちらに向かって一直線に歩いて来る。どうやら捕捉されているようだ。このまま逃げた場合、家の場所を知られることになる。俺は逃げることを諦め、迎え撃つことにした。


「すみませーーーん」


 カチャカチャと音を鳴らしながら駆けてくる人影。鎧の質や装飾を見るに、貴族の騎士らしい。騎士がなんでこんな道の悪い森の中に? しかも一人で。普通なら街道を通るはずだが……。そんな酔狂なやつは何処の所属だ? 家紋は……、あった。右肩に蛇を狩る鷹の紋!


「……ッ! おお、騎士の方とは、珍しい。いったいどうしたんだ?」


 思わず息を呑んでしまった。こちらの動揺を悟られてしまっただろうか? 相手の様子を窺うと、温和な笑みを浮かべている。とりあえずは敵意はなさそうだ。しかし、ルシアンボネ家の騎士とは、いったい、どうしてこんなところに。


「ああ、よかった。実は道に迷ってしまいまして……」


 気持ちを落ち着かせつつ、騎士の言葉を聞いた。走ってきたというのに、目の前の騎士は息も切らしていない。やはり、公爵家の騎士ということか。装備だけでなく、中身もご立派というわけだ。

 俺の警戒をよそに、目の前の騎士は困ったようにそう言った。一瞬、演技かとも思ったが、そういう訳でもなさそうだ。だが、公爵家が態々この森に入って道に迷うなど、その場限りの怪しい言い訳のような理由だ。警戒を解くことはできない。貴族連中は腹芸が上手いのだから。


「おう、そうか。えーと、西を目指してるのか?」

「あ、いえ、東を、王都を目指していまして……」

「ん? 王都はあっちだぞ?」


 そう言って俺が男の来た方を指差すと、男は酷く狼狽した様子を見せた。


「え!? ああ、そうでしたか……。いやはや、あなたに会えて本当によかったです。このままでは方角もわからず彷徨い歩くところでした」

「王都に行くなら街道があるだろう? どうしてこんな迷いやすい森に入ったんだ?」

「いやはやお恥ずかしい。たいした意味はないのです。森を抜ければ時間の短縮にと、そんな出来心でして」

「なるほど」

「あの、大変申し訳ないのですが、道案内をお願いできませんか? 向こうに連れもいまして……」


 俺を誘き出す罠だろうか? いや、ルシアンボネ家が動いたのならば罠なんて仕掛けずに物量で囲むなりすればいい。兵を動かせない理由があるのか? 戦線の激化やクーデターの話は聞いていない。

 ルシアンボネ家が俺達を潰しに来る理由があるとすれば、戦争に向けた不確定要素の排除。ならば、戦争の準備が兵を動かせない理由にはなり得ない。戦争が始まってない今なら暇をしている奴らはわんさかいるだろう。何なら演習と称して森の中を歩かせてもいい。


「あのー?」

「ああ、すまない。騎士様の道案内なんて、少し緊張してるんだ」

「では、引き受けてくれるのですね?」

「ああ。森の出口までで大丈夫か?」

「はい! ありがとうございます!」


 おそらく、この騎士と一行は本当に道に迷ったようだ。下手くそな嘘のように感じる理由も案外筋が通っている。ならば、早急にこの森から出ていってもらうためにも道案内が必要だ。うろつかれて、家の前まで来られたら面倒だ。

 それに、ここで道案内を断って不興を買うのも不味い。最悪、本当に俺達を潰しに来るかもしれない。


「それで、連れっていうのは?」

「ああ、こちらです。すみません、お手数をおかけして」

「いやいや、気にしなくていい」


 ああ、今日は帰りが遅くなりそうだ。またレリアが心配しないといいが。この前心配をかけたばかりだしな。あまり心配をかけて嫌われたくはないんだがなぁ……。


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