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2019/4/22
こちらににじり寄ってくる獣の姿が見えた。……こんなところにフォレストファングだと!? こいつらもイッペラポスと同じ森の奥が生息地だ。こんな木の密集していない場所だと、ロクに狩りもも出来ないだろうに。
木々の上に隠れ、奇襲をかけるのが得意なオオカミだ。今は地に降りてこちらににじり寄ってきているが、木の上で待機していたらと思うとぞっとする。違和感を感じつつも、森の外周部で出会えたことに感謝した。
フォレストファングは一般的なオオカミと体躯はそれほど変わらない。体毛は少し緑がかった焦げ茶色だ。ひび割れた木の幹のような模様をしており、木に擬態しやすくなっている。木に登るために発達した爪は鍵爪状になっており鋭い。人間の皮膚なんて簡単に切り裂くだろう。数は……三匹か。
俺に気付かれたせいか、オオカミはこちらに近づくのを止め、左右に半円を描くように動き始めた。こちらの出方を窺う算段のようだ。
イッペラポスの内臓で満足してくれればいいが……。そんなことを思いつつ、レリアに現状を簡単に説明する。
「フォレストファングだ」
俺の言葉にレリアが身を寄せてくる。レリアから微かな振動が伝わる。俺はレリアを側で守ってやりたいと思ってしまった。だが、それは危険すぎる。
相手には既に気付かれており、距離もそれなりに近い。荷物はイッペラポスの解体の時に降ろしたままで、すぐに弓を放つことは不可能だ。つまり、戦闘は近距離戦となる。レリアを守りながら戦うという事はつまり、オオカミとレリアとの距離が近くなるという事だ。
イッペラポスの時のように木の上に逃がすことはできない。相手はフォレストファングだ。樹上を得意とする敵を相手に、木の上に逃げ道はない。
もしもレリアが少しでも戦闘訓練を積んでいれば、近くで一緒に戦った方が安全だったかもしれない。だが、足運びも、位置取りも、何もかもがわからない状態のレリアを側で守るのは危険だ。
「大丈夫だ。こちらが隙を見せなければ向こうから襲ってくることはない」
相手の数は三だ。連携をとれるだけの数はいない。奇襲が失敗した今、相手から仕掛けるだけの余裕はないのだ。現に今もこちらの様子を窺うにとどめ、相手から行動を起こす気配はない。
だが、俺の言葉にレリアはさらに緊張した様子で、身を固くした。安心させようと思ったのだが、逆効果だったようだ。
「レリア。さっき取り出した内臓が転がってるだろう? オオカミはあれを取りに来たんだ。俺達が遠ざかればそれで満足してくれるさ」
レリアが隣りでコクリと頷いた気配がした。動けはするようだ。さっきから危険な目にばかりあわせてしまって申し訳ないと思いつつも、心を鬼にして命令する。
「さぁ、ゆっくり下がるぞ。前を向いたまま、ゆっくり、ゆっくり、後ずさりする様に……」
一歩、二歩、三歩と俺達はソロリソロリと後ずさった。俺達が下がると、オオカミたちもジリジリと近づいてくる。同じ距離を保つように一歩、二歩、三歩と。その目は真っ直ぐに俺の背中、肉の入った麻袋を見ているようだ。内臓には見向きもしていない。こんなことなら頭を切り落としておくべきだった。
そんな気配を察したのか、レリアは動きはさらに硬くなった。だが、厳しいようだが俺は伝えなければならない。そうしなければレリアの生存率が下がるのだから。
「レリア、今朝、俺がいったことを覚えているか?」
レリアが再びぎこちなく頷いた。オオカミたちは随分と歩を進め、少しずつだが距離を詰め始めている。あまり悠長にしていてはレリアが逃げる時間が失われる。
陰に隠れていたオオカミの姿がはっきりと見えた。その容姿は随分と痩せており、肋骨がくっきりと浮き出ている。ダラダラと口から垂れている涎が、腐り落ちる何かの組織かと錯覚してしまう。一瞬アンデッドかとも見間違うほどの容姿に、なるほど、これならば内臓だけでは満足しないだろうと納得した。
「今がその時だ。走って逃げろ」
相手の目当ては肉だ。肉から離れさえすればレリアを追いかけることはない。レリアの身体は三匹で分けるには小さすぎるのだ。内臓で満足しないならレリアでも満足しない。ならば俺が肉を持っていれば囮としては十分だ。
「逃げるんだ!」
俺の強くはなったその言葉を合図にオオカミが一斉に駆け寄ってくる。だが、レリアも一瞬の逡巡の後、駆け出した。
肉の入った麻袋は角が飛び出ており、振り回すのには適さない。自分に突き刺さってしまうからだ。俺は肉の入った麻袋から手を離し、地面に落とした。
「うらぁあああ」
正面から飛びかかってきたオオカミを毛皮の入った麻袋で振り払うように殴りつける。痩せ細った、しかも空中に浮いているオオカミを吹き飛ばすことなど簡単だ。殴りつけられたオオカミは手足をバタつかせながら飛んでいき、キャインという声と共に一本の樹に打ち付けられた。
俺の伸びきった脇腹に残りの二匹のオオカミが食らいつこうと迫る。位置は左右前方。同時に飛び上がったそれを麻袋を振り回した勢いを利用して回し蹴りで対処する。左前方から来たオオカミの脇腹に踵を入れると、メキリという肋骨の折れる感触がした。
蹴られたオオカミは右側にいたオオカミを巻き込みならが地面を転がる。しかし、二匹ともすぐに起き上がり、唸り声を上げた。
「「グルルルルッ」」
肋骨が折れたからと言って致命傷にはならない。うまく肺にでも刺さってくれればよかったんだが、見た感じそういう事もなさそうだ。木に打ちつけられた方も別段怪我をしているという様子もない。ちょっと痛かった程度だろう。
レリアは無事だろうか。一人にしてしまった。いや、大丈夫だ。今まで通って来た道は縄張りが荒らされた痕跡はなかった。帰り道は安全なはずだ。だが、今まで安全だ、安全だと思っていて、結果がこれだ。本当に安全だろうか? 別のオオカミか、或いは他の獣がレリアを――。
「グルルルルアアア!」
いかんいかん、戦いに集中しなければ。こいつらをさっさと片付けて、レリアを追いかけるんだ。それが一番早くレリアの安全を確保できる。
三匹は再び合流し飛びかかってきた。今度は正面から一匹が飛び込み、その隙に二匹が背後に回って襲う算段らしい。
正面から飛びかかってきた囮のオオカミの口に麻袋を押し込み、牙を無力化する。さらに、襟元の毛皮を掴み、飛び込んできた敵の勢いを利用して、半円を描くように頭から地面にたたき込む。ゴキリという音でオオカミの首の骨が折れたのを確信しつつ、残りの二匹に対応する。
オオカミを地面に叩き付けた勢いを利用して前転し、飛びかかってきた二匹のオオカミの下をすり抜ける。上を通り過ぎるオオカミの爪をこと切れたオオカミを盾にすることで防ぎ、すぐさま奴らと相対した。
仲間が殺られたことに対する怒りか、それとも単なる空腹に対する苛立ちか。オオカミたちは敵愾心を露わに唸っている。牙をむき出しにし、鼻面には幾重にも皺が重ねられている。二匹は俺を挟むように二手にゆっくりと広がった。
その隙にこと切れたオオカミの口から突っ込んだ麻袋を外す。中に入っていた皮の状態を確認している暇はないが、恐らく傷ついてはいるだろう。だが、命には代えられない。
二匹のオオカミは先程まで俺がいた場所。肉の入った麻袋をチラチラと気にしていた。やはり空腹なのだろう。俺さえいなければ、すぐにでもむしゃぶりつきたいのだ。だが、俺だって、そいつの頭を諦めるわけにはいかない。そこまでりっぱな角を手に入れるのはほとんど不可能なのだ。
二匹の視線が同時に外れたのを機会に、手に持っていた死体を目の前のオオカミに投げつける。餌に気をとられていたオオカミたちは一瞬動きが遅れる。正面のオオカミが死体の相手をしている間に、踵を返して後面のオオカミに一気に詰め寄り、脳髄にナイフを振り下ろした。ピンク色の柔らかい組織と透明の脳漿が砕けた頭蓋骨の隙間から飛び散る。頭に穴の開いたオオカミはビクリと一瞬痙攣した後、全身から力が抜けるように崩れ落ちた。
後ろから最後のオオカミが駆けてくる気配がする。頭に深く突き刺さったナイフを引き抜いている時間はない。崩れ落ちるオオカミを放置し、右に飛び退く。飛びのいた瞬間、左腕のすぐ横を生暖かい風が走り抜けた。
カチンと歯と歯がぶつかる音にヒヤリとする。目の動きだけでその存在を視認すると血走った瞳と目があった。残りは一匹。武器はまだ手斧がある。へまをしなければ簡単に片が付く。奴もそれがわかっているのか、荒い息を立てながらもこちらに飛びかかってこようとはしない。単純に突っ込んだところで返り討ちにされるのは目に見えているからだ。
それならば逃げればいいものをと思うが、奴にも奴の事情がある。ここで逃げたところで、一匹オオカミが獲物を獲得するのは難しい。これまでの戦闘で疲弊した俺を仕留めたいのだろう。
レリアが心細く一人で逃げていることを考えるとあまり時間をかけてはいられない。早くレリアを安心させてやりたい。ここは俺から仕掛けるか。
「うらあああ!」
一歩踏み込み、光の残像を生み出す。生み出した残像は狼に向かって手斧を思いっきり振り下ろした。それに反応してオオカミが横にステップし、残像の手斧を避ける。しかし、飛んでいる最中に残像だと気付いたようで、ステップを反動に今度は本体の俺に向かって飛び込んできた。
地面からオオカミの足が離れる。奴は今空中に浮き、何もできない。俺はバックステップで距離を取りながら、手斧を両手で大きく振り回した。
「グッ」
ガツンと顎が砕ける衝撃にくぐもった声。軽い脳震盪を起こしたオオカミは手斧の衝撃をいなせず、そのまま地面へと衝突した。
すかさず距離を詰め、意識の朦朧としているオオカミに手斧を振り下す。グシャリと肉と骨が砕ける感触の後、胴体から頭が切り離された。
「ふぅー。終わったか……」
周りに別の個体の気配はない。血の臭いを嗅ぎつけてこれからやってくるかもしれないが、今のところは大丈夫だ。
俺は息絶えた三匹の狼を一か所に集めた。首の骨が折れた者、頭をかち割られた者、首を切断された者。しかし、三匹か。少ないな。
フォレストファングは普通、少なくとも六、七匹で群れを形成し狩りをする。でなければ獲物を捕らえることが難しいのだ。にもかかわらず、今回遭遇した群れは三匹。群れを形成するのに必要な最少値の半数だ。あまりにも少ない。実際、狩りは上手くいっていなかったのだろう。随分とやせ細っているし、毛並みもボサボサで明らかに栄養が足りていない。
イッペラポスが一匹だったことと言い、この森で何かが起こっていることは間違いなさそうだ。改めて詳しく調査が必要だと感じた。
だが、そんなことにより今はレリアだ。毛皮は無駄になるが、処理は後にしよう。どうせこんな毛皮、質が悪すぎてたいした使い道もない。俺はオオカミを麻袋に適当に詰め込んだ。
肉と皮と狼か。荷物が多いな。アンデッド化を防ぐため、狼を放置するわけにもいかないし、腐敗堆肥なんかはここに置いておくか。明日にでも取りに来ればいいだろう。さあ、レリア。今お父さんが迎えに行くからな!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
走れ! 走れ! 走れ! もっと早く! ランスが危ない! 俺を逃がすために三対一の戦いを挑んだんだ。
ランスは強い。それはイッペラポスの戦闘で見ていて分かった。でも、それは一対一だったからだ。多数を相手にすることの辛さは何よりも俺がよく知っている。ヤバい。ヤバいヤバいヤバい! マリー! どうか、その立派な杖でランスを助けてくれ!
森の中は俺の小さな体でも障害となる物が多い。地面から飛び出た木の根は草葉に隠れて認識が難しく、突然出て来ては俺の足に絡んでくる。低いところから飛び出た枝は鬱陶しく俺の服を掴み、行く手を遮る。
まだか、まだ見えないのか! 走れ! 早く! もっと早く!
まったく見えてこない家に道を間違えたかと不安になって来た頃、ようやく木々の間から我が家が見えてきた。扉に手をかけ、勢いよく押し開ける。マリーは!? ……いた! 居間に座っている。
バンッ
「あら? びっくりした。レリアちゃん、おかえりなさい。どうしたの? そんなに慌てて、そんなに私に……」
マリー! ランスが! ランスがぁ! えーと、紙、インク、いや、水、水だ!
「レリアちゃん、落ち着いて、何かあったのね? お水はここよ」
辺りをキョロキョロと見渡す俺に、マリーは水の入ったコップを渡してくれた。俺はコップに指を突っ込み、机に文字を書いていく。ああ、こんなことをしている間にも、ランスは。声が出たら、すぐにでも伝えられるのに……!
もどかしく思いながらも、何とか文字を書き終える。興奮と不安のせいで手が震えて、いつも以上に時間がかかってしまった。これでランスにもしものことがあったら、俺のせいで……。
[オオカミ、襲われて、助けて]
「逃げてきたのね。ランスは?」
[囮に]
「ランスはなんて言ってたの?」
[逃げろ]
「助けを呼んでほしいとかは言ってなかったのね」
(……コクッ)
「なら大丈夫よ。ランスは必要なときにはちゃんと助けを呼ぶから。無事帰ってくるわ」
マリーはなんでそんなに落ち着いていられるんだ? オオカミだぞ? 肉食獣のオオカミ! しかも相手は一匹じゃない。三匹だ。人間が敵う相手じゃない。
[三匹]
「レリアちゃん。大丈夫よ。ランスは強いの。こう見えても昔は冒険家として名を馳せていたんですから」
(?)
「冒険家っていうのはね、悪いモンスターをやっつけるお仕事なの。ランスも、私も、昔はそういうお仕事をしていたのよ。だからオオカミなんかにやられたりしないわ。大丈夫よ」
でも、それにしたって、数の暴力には敵わないだろ? 助けに行かなきゃ! いつも持っているその杖で、助けに!
「レリアちゃん。よく聞いて。ランスを助けには行けないわ。ランスはレリアちゃんに逃げろと言ったの。つまり、レリアちゃんを近くには置いておけないっていう事なの。厳しいようだけど、足手まといなのよ。レリアちゃんは戦闘に関する知識も、経験も無いもの」
少し厳しめの声で言われるマリーの言葉。その表情と言葉の圧に俺は黙って聞くしかなかった。
「縄張り内にオオカミが出たってことは、縄張りが不安定になっているの。そんな中、レリアちゃんを残して私だけランスのところに行くことはできない。もし、この家が襲われたら? だから私はレリアちゃんを守るために、ここから離れられないの」
なら、俺とマリーがランスのもとへ行けばいいだろう? オオカミに襲われた場所を知っているのは俺だけなんだし、マリーが助けに行くとしても俺の道案内が必要だ。二人で行けば俺は一人にならないし、ランスも助けに行ける。
「さっきも言ったけど、ランスはレリアちゃんを逃がした。つまり、オオカミの相手をするのにレリアちゃんが居ると困るってことなのよ。そうじゃなかったら、ランスはきっとレリアちゃんの傍で戦っていたわ。だから、レリアちゃんをランスのもとに連れて行くことはできない。わかるわね?」
でも、なら、じゃあ、ランスは? 三対一で今も戦っているランスは、どうするんだ? どうやったらいいんだ? このままじゃランスが死んじゃうだろ?
「守られるのって歯がゆいわよね。わかるわ。私もそうだった。戦う力がないってそういう事なのよ」
マリーの目はとても悲しい色をしていた。俺は何も言うことができなくなった。しばらくの沈黙が続き、家の扉が勢いよく開かれた。
「レリア! 無事か!?」
「あら、おかえりなさい」
見るとランスが立っていた。酷く汗をかき、息を荒げてはいるものの、怪我をした様子はない。
「おお、心配したよな。ごめんな」
飛びついた俺の頭を優しく撫でるランス。押しつけた顔は汗臭かったけど、ランスの臭いがした。ちゃんと、生きている!
「ダメじゃない、ランス。レリアちゃんに心配かけちゃ」
「すまん! 直ぐに追いつくと思ったんだが、レリアが速くてな。全然追いつけなかった。無事でよかったよ。ごめんな。心配かけて」
ランスはそうやって、俺が離れるまで謝り続けた。




