あるナイトの物語
僕は観察する。
僕のいる駅前大通りの交差点。
今日もたくさんの人が行きかっていた。
人、人、人、人……。
行きつく先はひとそれぞれ、目的はばらばら。
でも眺めているとわかってくることもある。
結構な頻度で、渡る人々は同じ顔ぶれであること。
ほぼ、同時刻に交差点を渡る、会社員とか学生とか。
たまには初めて見る顔もあるけれど、たいていは交差点でお馴染みの人に関係する人だったり。
広いようで狭い、交差点の人、模様。
その中で僕は見つけた、一人の少女を。
初めて見た彼女は、彼女の面差しとよく似た女性と歩いていた。
時期は新緑が芽吹き出した春。
しわひとつない真新しいチャコールグレイのブレザー、膝下までの長さのプリーツスカート。
白いシャツにえんじ色のリボン。
肩まで切りそろえた黒髪が初々しく愛らしい。
僕はじっと、彼女が交差点を渡りきり、人に紛れて小さくなっていくのを目で追っていた。
それからも、彼女はほぼ、決まった時間に交差点に現れた。
朝の午前7時10分頃。
夕方、午後5時すぎ。
彼女が現れる時間が近づくにつれ、僕の心はさわさわする。
そして彼女の姿を認めた時、僕の心は最高潮に高揚した。
ふと、意識せずに観測してた交差点を僕は離れていた。
一定の距離、およそ20歩下がった距離を保ちながら、彼女の後を歩く。
そうして気が付いたことがある。
彼女の後をついて歩いているのは、僕だけではなかった。
彼女と、2歩半ほど離れた後ろに、背の高い男が歩いていた。
男はじっと彼女を見つめながら歩いている。
それなのに彼女は、男に気を留める様子はない。
淡々と歩みを進めていた。
女も壁に阻まれたようだ。
ほんの数秒、足が絡むように勢いが止まった。
けれど、再び彼女に向かい突進を開始する。
背の高い男が鬼のような形相でこちらに振り向く。
手を付きだし、あと数歩のところで彼女に届きそうだった女を押した。
その途端、女はまるでゴムまりが跳ねるようにすぽーんと空を飛んで行った。
女が飛んで行ったあと、男は周囲を注意深く見渡した。
彼女に害を与える者には容赦しないという体で。
男は彼女のガーディアン、ナイトなんだ、と僕は思った。
男と僕の目がった。
男は目を細め、じろりと睨みを効かせた視線を僕にしたが、正面に向き直った。
そして何事もなかったように、静かに彼女の隣を歩く。
僕もまた、一定の距離を保ちながら、彼らの後をついていく。
彼らが、彼女の自宅に帰るまで、何度も何度も僕はついていった。
何で僕は彼女の後をついていくのだろう。
彼女にはすでに強力なナイトがいる。
僕の入り込む隙間なんてないのに。
それでも僕は追い続けていた。
街路樹の葉が青々と茂り、彼女の着ている服が、長袖から半袖に変わっていっても、変わらず彼女の後ろをついていった。
そうしているうちに、僕と彼女を隔てている壁が弱くなっているのに気付いた。
僕は少しずつ、彼女との距離を詰める。
ナイトの男は彼女の傍にいるけれど、どこか元気をなくしている。
そしてナイトの男とは別の、違う男が彼女と並んで歩いていた。
この男は彼女にとって、元々いるナイトの男とは別格だったようだ。
年は彼女と同じくらいだろうか。
まだ大人になりきっていない、あどけなさが残っている。
彼女と手をつないだり、腕を組んだり、頭、頬、肩、背、腰に手を触れたりする。
彼女も同じように男に触れたりする。
ナイトの男は、彼を突き飛ばすことはしない。
光のない目を彼に向けるだけだった。
ここで僕は気づく。
彼女は初めからナイトを見ていない。
ナイトは彼女に触れることをしない。
というよりも触れることのできる体を持っていない。
僕はどうだ?
僕も体を持っていない。
見えない壁に阻まれる者、ナイトに攻撃される者は体を持たない。
そうか、僕はそういう者だったのか。いわゆる霊、魂だけの。
しかし、新しく現れた男は、数週間すぎれば、彼女の隣に見られなくなった。
その代りに別の男が彼女の傍にいた。
今度の男は、スーツを着た年上の男。
彼女と親しげな様子を見せていた。
けれど、しばらくすると見かけなくなり、また別の男が現れ……。
彼女と親しげにする男は、何度も変わった。
彼女の服が長袖から半袖、それから長袖に変わった頃には、僕は彼女から一歩下がったところまで、近づけるようになった。
近づけるようになったのは当然、僕だけではない。
僕以外で壁に阻まれた人たちも、同じように一歩離れたところで彼女を取り巻いている。
ナイトの男は変わらずにいる。
彼女の傍にいる者の中で見るからに彼女に害意を持っている者、黒い澱みを纏わせた者を両手で押し攻撃している。
けれど彼は以前のような力はなかった。
押された者を、2-3歩彼女から離れさせるだけだ。
ナイトの力がかなり弱まってしまっていた。
無理もない。
守るべき彼女の方も様相が変わっているのだ。
今は彼女に親しげにふるまう男は隣にはいない。
ここ数日、ナイトや僕たちを引き連れて歩いているだけだ。
春先、初めて出会ったころの彼女の初々しさは見られない。
肌は青白くかさかさ、目の下にどんよりとした隈が出ている。
今の彼女自身は魅力を感じない。
むしろ、少し不快にすら思えてしまう。
けれど……
彼女は時折、お腹を押さえる仕草をした。
彼女のお腹にあるもの。
今、以前の彼女にあった魅力がここにある。
小さく儚く、けれどとても美しい光。
愛しき、愛しき、愛しき、愛しき。
愛しき、愛すべき者。
僕は理解した。
このお腹にある者こそ、僕の真の彼女なのだ。
僕の守るべき者、愛おしい唯一の存在。
けれど、彼女、いやこの女は愛おしい彼女に害を与えた。
白い建物、小さな病院だった。
そこで僕の愛おしい彼女は害された。
ナイトの僕は何もできなかった。
ナイトたる僕は、身のある者を愛おしい彼女から遠ざけることはできなかった。
機械が彼女を掴む。
体が引きちぎられていく、小さな儚い彼女。
僕に聞こえる声で泣き叫んだ。
痛ましすぎる。
でも目をそらすな。
僕はここにいる、ここにいるよ。
君の痛みを僕が変わってあげたら。
僕が、僕が、僕が、僕が。
僕にもっと力があれば……。
僕は再び、前々からついてきていた彼女の後ろを歩いている。
「彼女」というと、僕の愛おしい本物の彼女と混同するので、元の彼女ことは、以下「女」と呼ぶことにする。
僕は女から二歩後ろを歩いている。
女と僕の間に、愛おしい僕の彼女がちんまり浮かんでいる。
僕の彼女、僕の君は、女の腰に小さな手を伸ばして触れている。
女はお守りを下げていた。
そのお守りは、愛おしい君の心を慰めるものだったようだ。
(ママはわたしを思ってくれてる)
君の思念が僕に伝わる。
あんなに酷いことをされたのに、君はもうなかったように女を慕っているのだね。
女のナイトは、僕たちを攻撃しない。
僕は君を守るために、害意を持って近づく者を、たとえ目当てが女の方であっても、攻撃しているからだろう。
いや、ナイトには脅威を全く感じない。
そこにただいるだけの者になっている。
でも僕は忘れてはいない。
女が君にしたしうちを。
体のない僕ができる、仕返し。
厄災を彼女に返そう。
自分で言うのもなんだけれど、ここのところの僕は力をつけたと思う。
じわじわと時間もかかるけれど、その方が逆にいいよね。
僕を阻む者はいないから、いつでも可能だよ。
ああ、ごめん、今はしないよ?
そうだね、確かに女は後悔の気持ちでいっぱいのようだね。
今は君に免じて、何もしない。
けれど、女が君を忘れたら、君を悲しませるようなことをしたら……。
容赦はしない。