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庭から移動し、二人はアリシアの部屋で最後の準備に取り掛かる。
身だしなみを整えながら、アリシアはルイスに広間にいる客や状況について説明した。
「……というところかな。あと、来客はみんな酔い潰れていると思うわ」
「人の金なら際限なく飲むからな。これから、いい酔い覚ましになるだろうさ」
「なるかしら…」
「なるさ。そうじゃないと面白くない」
期待感に満ちた視線をルイスの背中に向けると、彼は鏡に向かって騎士服を少し整えている最中だった。襟を構う些細な仕草でさえ、見惚れてしまう。
こんなに素敵な人が私と結婚してくれるのよ! とみんなに今すぐ見せびらかしたくて仕方がない。
酔い潰れた貴族たちは何の反応も示さないかもしれないが、嬉しくてわくわくしていた。
先ほどまでの暗い気持ちとは大違いだ。ほんの短時間でこんなに状況が変わるなんて、思いもしなかった。
「さて、見返しに行こうか――」
笑みを浮かべたルイスに手を差し伸べられ、アリシアは顔を真っ赤にさせた。
不敵であり、いたずらを仕掛ける子供のような無邪気な笑顔でもある。その笑みに心も思考能力も奪われ、差し出された手を躊躇せずにとった。
頼もしさと若干の不安、そして大きなドキドキ感に満たされる。
彼に手を引かれ、階段を降りていく。エスコートされる自分は、夢見たお姫様のようだ。一段一段、階段を降りていくたびに踏む感覚もあって、靴音も確かに鳴り響く。それなのに、これは夢だと思う気持ちが大きかった。
最後の段を降りると、目の前に広間の扉が立ちはだかる。
ここを開けたら、大勢の貴族たちがいる。帰った者たちも多いだろうが、賭けの結果を知りたくて、帰らない者が大半のはずだ。
彼らはどんな顔をするだろう。
アリシアは深呼吸した後、心配そうな視線を向けてくるルイスに最後の確認をした。
「ルイス。本当に…私でいいの?」
「俺はあなただから求婚したんだ。どうしてそんなことを聞くんだ?」
「だって…あなたが後悔するかもしれないから」
「それを言うのは俺の方だな」
そんなつもりじゃないのに、弱気な態度でいると、彼を困らせてしまう。
呆れ顔から苦笑するルイスは、不意に握る手に力を込めた。
「俺はまだあなたに話していないことが山のようにある。幻滅するかもしれない。だが、あなたのつらいことも苦しいことも、何でも必ず受け止める。だから……どうか俺と生きてほしい」
誠実な瞳に見つめられ、アリシアは恥ずかしさに俯いた。
もう一度プロポーズされたも同然だ。断れるはずもないし、断るつもりもない。
胸を張ろう。こんなに想ってくれる優しいルイスのためにも。
「ありがとう、ルイス。私と結婚して良かったって…あなたに思ってもらえるように頑張るわ。期待していてね」
頷き合った後、二人は扉の向こうへと足を踏み入れた。
広間は酷い有様だった。
酒と香水の入り混じった、むせ返るような臭い。
脚の折れたテーブルと椅子。破れたテーブルクロスに、床に散らばるグラスの破片。
ワインが零れたテーブルに突っ伏す名のある貴族たち。酔いが完全に回って意味もなく笑っている知人。
家族は対応に疲れ果てた様子で、壁際の椅子に項垂れるようにして座っていた。
アリシアの背筋に冷たいものが伝う。
ルイスの反応が怖い。彼に情報は伝えてあるが、ここまで酷いと、バックス家の付き合いや品格が疑われる。主役を無視して酔い潰れる来客がいるなんて、どんな家だと思われているに違いない。覚悟していた自分でさえもショックを隠せないのだから、彼はもっとだろう。
恐る恐る彼を見上げると、彼は騎士団の祝杯後もこんなものだと淡々と告げた。彼にとっては見慣れた光景のようだ。
でも、やっぱりがっかりしたのではないだろうか。
胸を張ろうと決めばかりなのに、早速挫けそうだ。
彼の本心を探るように顔色を窺うと、彼は小声で耳打ちした。
「アリシア、笑顔だ。心配しなくてもこの程度のことで俺は動揺しない」
そうだった。どこから見ても、嬉しそうにしていなければ。
(そうよ、嬉しいのは真実だもの。この場が酷くても、事実は変わらないわ)
気を取り直し、アリシアは彼らが気付くまでにこにこと笑みを浮かべる。
誰一人として数十秒の間、二人の登場に気付かなかった。
だが、ふと顔を上げたビリーと目が合った瞬間、彼は満面の笑みを浮かべ、アリシアに駆け寄ってきた。心の底から喜んでくれている笑顔に、嬉しさがこみ上げてくる。
「お嬢様! おめでとうございます!」
「ビリー、ありがとう。あなたのおかげなの」
良かった、良かったと何度も言いながら、ビリーは涙を流した。そして、忙しそうに涙を手の甲で拭うと、ルイスの手を両手で掴む。傍から見ていても、強い力だと分かる。
「お嬢様をどうか、よろしくお願いします。とても素晴らしいお嬢様なんです」
ルイスは力強く頷くと、アリシアに目配せした。いい人だな、と言っているのが分かり、アリシアは誇らしい気持ちで頷き返す。大事な家族を彼にも認めてもらえて嬉しかった。
ビリーの嗚咽に気付いた貴族たちが寝ぼけ眼で、アリシアたちへと視線を集め出す。
その後のローザをはじめとする何人もの絶叫は、きっと忘れられないだろう。