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 自分との結婚を受け入れてくれた女性の笑顔を正面から見つめながら、ルイスは当初の予定と大きくかけ離れた結果になったと内心驚いていた。

(まさか…俺の妻になる女性がいるとはな…)

 この縁談話は、同僚のウィリアムが自分に断りなく流した噂が始まりだった。

 ルイスは近々控えている他国への遠征のために、準備に追われ、城内に流れている噂に気付けずにいた。今回の遠征は、次期聖騎士に選ばれて初めての仕事だ。正式に任命されるためにも、失敗するわけにはいかない。気負いがルイスと外界を完全に遮断していた。

 しかし、「妻になる人を探しているんだって?」とある人物から冷やかしまじりに問われ、愕然とした。何の冗談だ? 一体、何が起きているのか分からなかった。

 だが、こんなくだらない噂を流す人物は奴しかいない。即座に奴の部屋に向かった。

「ウィリアム! あの噂はどういうつもりだ!」

「今頃気付いたのか? 俺がこの噂を流してから、もう一ヶ月になるのに? 次期聖騎士ともあろう男が、そんなに隙があっていいのか?」

「それについては返す言葉もない。が、この噂を流して良い理由にはならない」

「俺はお前に協力してやったんだよ。聖騎士は妻帯者であること。これが必須条件だ。だが、お前には妻がいないだろ?」

 ウィリアムはやれやれと肩を竦めるが、そんな話を鵜呑みにするほど、ルイスは馬鹿ではなかった。もちろん、奴の言うことすべてが嘘ではないだろう。

 同僚のウィリアムは、貴族としての地位も高く、名を聞いて知らぬ者はいないナイト家の生まれだ。名門中の名門であるナイト家は優秀な騎士を多く輩出しているが、未だに一人も聖騎士に選ばれていない。現当主であるウィリアムの父親は、聖騎士に最も近い男と噂されつつも、結局聖騎士にはなれなかった。

 聖騎士に選ばれることは、ナイト家の悲願と言っても過言ではないだろう。

 それなのに、選ばれたのはルイスだった。

 次男坊とは言え、その重圧の中で育ったウィリアムの心境は考えたくもない。ルイスが選ばれた直後、ナイト家の当主が息子を人前で罵倒し、「二度と家に戻るな!」と叫んだ記憶も新しい。

 だからこそ、ウィリアムの聖騎士に対する思い入れの強さは、ある程度は仕方のないものなのだろう。誇り高き聖騎士の規律を破ろうとするルイスが許せないのも、納得できる。奴が哀れだとも思う。

 しかし、納得できても感情は別だ。選んだのは王族で、俺のせいにするのはお門違いだ。執務机に拳を叩き付け、奴を睨みつける。

「この俺の妻となれば、どんなことが待ち受けているか…お前にはそんな単純なことも分からないのか!」

「姓なし、家なし、財なし…ま、次期聖騎士っていう肩書きに目が眩んだ奴らは、詐欺だって騒ぎ立てるだろうな。だけど、それでも良いっていう物好きがいるかもしれないだろ?」

 嘲笑や蔑みには慣れきっているが、ルイスの目つきは鋭さを増していく。

 誰に何と言われようとも、自身の生まれと育ちには、誇りを持っている。

 そんなルイスだったが、同僚は貴族ばかりで、仕事上で関わるのも貴族ばかり。彼らからは冷遇され、仕事上で何度も陥れられた。予定変更を伝えられても、大抵嘘。護衛対象の貴族が貴金属を紛失させ、それを自分が盗んだという濡れ衣も着せられたものだ。騎士団長の計らいで、疑いは晴れたが、貴族への不信感は募る一方だ。

 そんな自分の妻となれば、どれほどの苦労を強いられるだろうか。絶対につらい思いをさせたくない。だから、ルイスは妻を持とうとはしなかったのだ。

 鋭い眼光で睨まれ始めたウィリアムもさすがにうろたえ、少し声を上擦らせた。

「あ、安心しろよ! この一ヶ月の間、誰も話を聞きに来ちゃいない! まともにこの噂を捉える奴なんていないさ」

「それならいいが、今すぐ噂を撤回しろ。この件で万が一のことがあれば、お前が責任を取れ」

「分かった分かった。責任取るって」

 二つ返事をするウィリアムに、本当に大丈夫か、という疑念が消えない。走り書きではあるが、念書も書かせておいたので、少しは安心かもしれない。もっと確実なものを手にしたかったが、これ以上時間を割けず、ルイスは部屋を後にした。

 ――時を同じくして、アリシアの父親が騎士団長に話を聞きているとは知らずに。

 その日の夕方、出発の準備をしていたルイスは騎士団長に呼び出された。執務室に入ると、ソファに腰掛けているウィリアムが気まずそうに視線を向けて来た。あの表情から察するに、何故呼び出されたかの説明は受けていないようだ。

 執務机に向かっていた騎士団長は肘を机につき、両手を組んでいた。眉間の深い皺を見て、ルイスはあの噂の件だと悟った。

「ルイス。お前に縁談だ」

「申し訳ございませんが、お断りします。断れなかったのですか?」

「俺の判断で、あえて断らなかったんだ。ルイス、断りたければ、直接本人に言うことだ。これは命令だ。相手の女性に会え」

 いきなり切り出された縁談の話にルイスは呆気に取られたが、ふつふつと怒りも沸いてくる。人の与り知らぬところで、よくそんな話を進められるものだ。騎士団は上司命令が絶対とは言え、明らかに行き過ぎる内容だ。

「団長、ルイスと縁談したいっていう希有な家はどこなんですか?」

「バックス家だ。当主が自ら話を聞きたいと、私に会いに来た。ウィリアム、お前が広めた話なんだぞ? 説明をするのはお前の役目だ。最後まで責任を持て」

「すみません、団長。そのバックス家って、中級貴族の?」

「ああ、そうだ。知っているのなら、ルイスに話してやれ」

 執務机越しに団長と向き合っていたルイスだったが、彼の一言で体の向きをソファに座るウィリアムの方へと動かす。ウィリアムは長い足を優雅に組み替え、もったいぶるように唸る。どうやったらお前に分かりやすく説明できるか考えている最中です、といった態度だ。

 ルイスが急かしもせず、じっと見据えていると、居心地悪そうに話し出した。

「バックス家は家としては全然有名じゃない。財も並み、権威もない。だけど、娘のおかげで名前だけは有名なんだ」

「娘のおかげ?」

「そ。バックス家には姉妹がいるんだ。ちなみに有名なのは、妹の方。美人で完璧な見た目だよ。社交界で何度か見たが、なかなかだったな」

 ウィリアムは目を細めて、その美貌に思いを馳せているようだった。

「だけど、姉は婚約に失敗してばっかりでいき遅れさ。だからお前の相手は間違いなく姉」

「いき遅れ?」

「ああ。言い方は悪いが、いき遅れだよ。あの年の貴族女性ならもう結婚している年だ」

 当たり前のようにウィリアムは言うが、ルイスにはどれくらいの年齢か見当もつかない。

 騎士団に属しているため、貴族の女性を見かけることは多いが、ほとんど関わらない。直接話すこともない。

 それに、貴族のことを知りたいとは思わないから、余計に分からない。

 どんな女性なのだろうか。

 ルイスの頭には、自分よりも十から二十上の女性の姿が浮かんでいた。

 断りの手紙を出したくても、まだ一介の騎士である自分には出すことができない。

「見た目も平凡で地味だな。着ていたドレスなら思い出せるが、本人は記憶に残らない。まあ、会えば分かるだろ」

 もしも、その女性がそれほど結婚に困っているのなら、話だけでもしてみようかと決め、ルイスは団長の行き過ぎた命令に従った。

 一礼をして去ろうとするルイスの背中に、団長は声を掛ける。

「騎士は正直でなくてもいい、誠実であれ。…分かるな?」

 言われなくても、誰が素性を明かすか。貴族相手に本音で話す馬鹿がどこにいる。

 ルイスは団長の言葉に何の反応も返さず、扉を閉めた。



 ――だから、アリシアと会った時、ルイスは大いにうろたえた。

 平凡? 地味? 記憶に残らない? 誰のことだ?

 艶やかな黒い髪。対比するように、透き通るような白い肌。心の美しさがそのまま外見に表れたような魅力的な女性だった。可憐な一輪の花という表現がしっくりくる。彼女が笑うとまるで花が咲いたように周りが華やぐのだ。

 一目見た瞬間に、彼女は住む世界が違う人だと分かった。自分なんかと縁談をしていい女性ではない。

 自分の生まれや育ちを卑下することは一度もなかったのに、彼女の前では自分を貶めてしまう。初めての経験だった。

 最初はウィリアムが自分を騙したのだと思ったが、アリシアの話を聞く内に、いき遅れという表現だけは当てはまることが分かった。だが、本当にルイスにはいき遅れには見えないし、外見だって酷評されるのはおかしい。

(ウィリアムは目が相当悪いようだな。それとも、社交界の出過ぎで価値観がおかしくなったのか?)

 哀れみさえ抱く。日々、社交界を行き来する貴族も大変らしい。

 彼女をいき遅れと判断する貴族の発想が無くならない限り、奴が悲願を達成することは難しいだろう。だが、これほど素敵な女性を酷評する奴に教えてやる義理もないと、ルイスはすぐに同情を打ち消した。

(何故、彼女はこんなに自分を卑下するんだ?)

 彼女の外見や性格、声も話し方もすべてルイスを惹きつける。だが、ルイスの心を一番ひきつけたのは、彼女のある発言だった。

「私はあなたを利用して、彼女たちを見返したいと思ってしまいました」

 見返したい。

 かつて自分が騎士団に入団した頃、強く胸に抱いていた思いだった。身分で人を見下す貴族の連中を見返してやりたい。だから、高い地位に立ってみせるのだと。

 強く願っていたはずなのに、その思いも日々の生活や忙しさに揉まれる中、段々と薄れていってしまった。しかし、彼女のその一言で、貴族たちを見返してやりたいと耐えてきた過去が瞬時に脳裏に蘇った。

 理不尽な言いがかり、恫喝、嫌がらせ。団体行動で一人だけ外され、罰せられたこともある。仲間たちが働きを労われ、遠征の地で祝杯を挙げる中、一人で自国に戻ったこと。貴族の護衛のはずが、まるで使用人のような扱いを受けたこと。挙げれば切りがない。

(俺を利用して…結果が伴えばいいが。いや、結果を出してみせる)

 彼女の野心に似た感情は、ルイスにも同様の感情を抱かせた。何としてでも、奴等を見返してやろう。俺を利用できるならすればいい。

 アリシアを不幸にすると分かっていても、ルイスはこの人と結婚したいと思った。

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