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分かっていたことじゃない。それなのに、どうしてショックを受けているの?
父に言ったように、立場のある聖騎士様が自分と結婚するはずがないのだから。期待なんてしていなかったでしょう?
アリシアは自分の心に言い聞かせてショックを和らげようとするが、ローザの笑い声が頭に響いてきて、どうしようもなくなってしまった。
『知っていて? あの子ったら、あの年になっても夢見ているのよ? 背が高くて、ハンサムで、笑顔が素敵な男性が理想だって! それも自分のことを好きでいてくれる人がいいだなんて、笑っちゃうわぁ。そんな人がいたら、あの子なんかと結婚するわけないのにねぇ』
ええ、ローザ。あなたの言うとおりね。
アリシアは痛む胸を押さえながら、目を瞑る。
(分かっていたはずなのに……私って、どうしていつもこうなの…)
美しいと褒めてくれたのは、体よく断るための偽りに決まりきっているのに、浮かれてしまった。
悲しみで声が震える。粗相のないようにしたくても、今の自分には無理そうだ。
「どうして、ですか? 私に至らぬ点があるなら遠慮なくおっしゃってください」
「あなたに至らない点など一つもありません。あるのはこの私。私はあなたの夫になれる資格のない男なのです。どうかご理解いただきたい」
騎士が頭を下げる。王族のために存在する聖騎士が、たかが一人の娘のために、謝罪をするなんて考えられないことだ。
彼の誠実さは伝わってくるが、アリシアは彼の言葉を素直に聞き入れることが出来なかった。
物分りよくいつものように別れを告げられないのは、先ほどの嘲笑が蘇るからだ。
(ここで断られてしまったら、どんな顔をして広間に行けばいいの? 逃げ場もないのに)
今のアリシアの頭の中は、この後のことでいっぱいだった。
貴族の前で破談の報告をして……ああ、でもその前に頭を下げてビリーのお金を返してもらおう。今回の縁談にかかったお金も何とか稼がないと、バックス家が倒れてしまう。
茫然自失となりながら、騎士を見つめる。彼は先程よりも深く頭を下げた。
「このたびの縁談は、自ら動こうとしない私に痺れを切らした同僚が広めた話です。その話を真摯に受け止めてくださったバックス様には心から感謝しておりますが、アリシア様を巻き込んでしまったことは、本当に申し訳なく思っております」
真摯に受け止めた? 聞こえはいいが、実際は身の程知らずが飛びついただけだ。
「しかし、私自身は元々そのようなつもりはございませんでした。私と結婚することは、相手を苦しめるだけだと分かっているからです。早く謝罪に参る予定でしたが、この二日は他国へ行っておりまして、先ほど戻ってきたばかりなのです。一介の騎士には、家族以外に手紙を出すことも許されておりません」
「そん、な…」
「あなたを傷つけてしまったのは、ただ謝るほかございません。誠に申し訳ございません」
騎士が本当に申し訳なさそうに何度も頭を下げている。
その肩に触れて、構いませんわと言えば良いのに――その言葉が出てこなかった。少しでも彼と話す時間を引き延ばして、何とか出来ないかと焦る。
「で、でも! 妻がいなければ聖騎士にはなれないのでは」
「あなたのおっしゃるとおりです。聖騎士になるには配偶者がいることが前提です。しかし、私は今までの聖騎士に比べて年若く、経験も浅いですから、許されるでしょう。それに……私にこれ以上問題が増えたとしても、たいして上も気にしないはずです」
「問題…ですか?」
「いえ、些細なことです。先ほど申し上げたように、私は相手が誰であろうとも、結婚する気はございませんでした。たとえ私と結婚したとしても、私は相手を深く傷つけるでしょう。それに聖騎士の妻に自由などなく、常に孤独です。求められることは多く、割に合わない立場です」
「どうして、そう決め付けられるのですか? もしかしたら、違うかもしれません」
彼は緩やかに首を横に振る。
「今の聖騎士夫婦も就任するまでは、とても仲睦まじい様子でした。しかし、ここ何年も帰宅しておりません。妻子を置いて、王族に従います。私欲を捨て去り、己を失くしていくのが聖騎士です。聖騎士は最初の頃は家に戻れても……たぶん、いえ、間違いなく次第に戻れなくなります」
普通の夫婦にはなれないし、妻を優先できないと彼は告げた。
聖騎士と結婚するからには、我慢を強いられるのは当然だろう。覚悟が必要なのは分かる。
「……幸せな結婚には程遠い。苦労を重ねてきたあなたは、幸せにならなくてはいけない」
自分じゃない男と結婚してほしい。だから、この結婚は諦めてもらえないか? 騎士が言外に告げている。
彼には一分の隙もなかった。何としてもこの結婚を断りたいのが伝わってきて、アリシアは唇を噛み締める。
謝る騎士を困らせたくないけれど、大人しく引き下がれない。広間の来客たちがいなければ、いつものように引き下がれたはずなのに。
もし、このまま破談になったことを知られれば、この場にいる家族まで笑い者にされてしまう。今までも嘲笑の的にされていただろうが、今回は直接的に馬鹿にされるだろう。両親も、ハンナも、ビリーも私のせいで笑われるなんて。
呆然としながら彼に返した言葉は、自分のことしか考えていないものだった。
「また、笑い者になるのだわ…」
「笑い者?」
騎士は眉を顰めて、青褪めるアリシアの言葉を繰り返す。
こんな醜聞を誰にも知られたくないのに、気付けばアリシアは話していた。
「今まで何度も何度も婚約者に振られてきました。理由はいつも同じ。それを慰めてくれた友達……友達だと信じていた人にも、陰では笑われておりました」
信じていた友人に裏切られたつらさ、人に笑われる悔しさ。
いっそのこと、アリシアも、自分を嘲笑って忘れてしまいたい。
この縁談も、また彼らに話題を提供するものになってしまう。
「私の縁談結果をみんなで賭けて…友達だった人は、失敗する方にずっと賭けていて…」
恥ずかしいだけの話を騎士に聞かせたくないのに、何故か話してしまう。
同情してほしいわけでもない。気を引きたいわけでもない。
でも、心のどこかに、こんな自分に同情して、心変わりをしてくれないだろうかという期待があるのは否めなかった。
「きっと、今も酒の肴にされていることでしょう」
俯きがちに言い終え、アリシアは苦しげに息を吐いた。
(騎士様もこの縁談を望んでいらっしゃらなかった…)
明らかに嘘と分かる噂話に、アリシアの父が喜んで飛びついただけ。きっと、父はろくに詳細も聞かなかったのだろう。
それもそうか、とアリシアは納得した。
何度も破談になっている娘に、素晴らしい縁談が舞い込む絶好の機会。浮き足立ってもおかしくない。
親子揃ってなんて滑稽だろう。笑い出しそうになるのを堪えるのも大変だ。
ふっと口角がつり上がりそうになった瞬間、彼がついさっき「苦労を重ねてきたあなた」と言ったことを思い出し、ピタリと動きを止める。
(待って…。もしかして……私のこと、すべて知っているの?)
妹のハンナに自分の婚約者が毎度毎度恋してしまうこと。
社交界で笑い者になっていること。賭けの対象とされていること。
何もかも知った上で、彼は知らない振りをしている。欠点ばかりの相手とはいえ、断る理由にするには、哀れだと思ったのかもしれない。
疑いだしたらきりがないが、もしかしたらという思いは強くなる一方だ。
知っているなら、足掻いてもどうしようもない。アリシアは肩を落とした。
「……騎士様がお断りになるのも当然ですね。私が婚期を逃したと笑い者になっていることも、この浅ましい思いも、すべてお見通しだったのでしょう?」
「いえ、そのようなことは…」
「包み隠さずにおっしゃってください。騎士様がご存知のとおり、私はあなたを利用して、彼女たちを見返したいと思ってしまいました。愚かな考えです」
アリシアが吐き出すように告げると、騎士の表情が僅かに変わる。幻滅したという様子ではなく、何となく興味を持ったような、そんな表情にも見えた。
「アリシア様…このようなことが謝罪になるとは思っておりませんが、私の同僚に優秀な男がおります。貴族としての地位も高い騎士の家系で次男坊。年も若く、顔も秀麗だと思います。将来有望で、出世は間違いないでしょう。欠点も特に見当たらず、婚約者も交際している者もおりません。今は名を言えませんが、貴族ならば誰もが知っている家です」
「…騎士様?」
怪訝な顔をして、アリシアは騎士を見る。
彼が言わんとすることは薄々感じ取っているが、聞きたくなかった。
「よろしければ、その男と一度お会いしませんか?」
「おやめください! 騎士様がダメなら、すぐに次だなんて…私はそんなに切り替えの早い人間じゃありません!」
ほんの数日前まで婚約者がいた人間が何を言うか。
そう思われても仕方ないが、アリシア自身はまだ心の整理はついていないし、傷も癒えていない。父親がアリシアの気持ちを無視して話を持ち込んだだけなのだ。
それにしても、騎士相手に声を荒げるなんて、最低だ。そんなことをする自分を恥じるが、感情が爆発するのは抑えられなかった。
「決してそういう意図で申し上げたわけではございません。私の配慮が足らず、申し訳ありません」
騎士はこれから話す言葉を選ぶかのように数秒沈黙したが、最後には首を横に振った。作られた言葉ではアリシアを説得できないと判断したようだ。
「こんなことを申し上げると、余計にあなたを傷つけてしまうかもしれません。しかし、あなたがつらい胸の内を明かしてくださったのに、私だけが隠し続けるのも不公平でしょう。いずれは発覚することですので、申し上げます」
これから話す内容を思ったのか、騎士は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……本来の私は、あなたとつりあう身分ではございません」