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 アリシアは自室に閉じこもり、何もせずにただただ床を睨みつけていた。

 悔しさと怒りが度を過ぎると、涙も出ないらしい。感情的になれればいいのに、妹のハンナがあんなに怒っているところを初めて見たかもしれない、と思えるくらいに頭は冷静そのものだ。自分のために言い返してくれた彼女にお礼一つ言わなかったことに気付き、アリシアは溜め息をついた。

(絶対にこの縁談を成功させなくちゃ…)

 不甲斐ない姉の代わりに怒ってくれたハンナと、自分の幸せを願ってくれるビリーのためにも。頑張らなくてはいけない。

 いや、二人のためとは思ったが、一番は自分のためだ。自分を貶した人たちを見返したい。誰もが羨むような夫婦となれれば、彼らを見返すことが出来るはずだ。

(でも…聖騎士様が私を妻にしてくださるとは思えない)

 貴族たちは成功すると嘲笑していたが、本当にそうだろうか。

 たとえ年が離れていたとしても、聖騎士様の妻になりたい女性は多いはずだし、縁談も相当な数があったに違いない。

 それなのに、何故か聖騎士様はご結婚なさっていない。聖騎士様が妻に求める条件が相当厳しいのか、それとも女性たちから辞退しているのか。

 どんな理由があるかは分からないが、他の貴族女性たちに勝てる要素がない自分には、その理由を知ったところで何の力にもできない。

 数日前に父に言ったように、この話には裏がある。期待をしてはならないが、これも縁談の一つに違いはない。この機会を無駄にしないためにも、精一杯自分の出来ることをしよう。

 アリシアはまだ見ぬ聖騎士を思いながら、窓の外の月を見上げて両手を組んだ。

(聖騎士様、私はあなたを一途にお慕いします。あなたにすべてを捧げます。望まれることは時間がかかっても、何が何でもやり遂げてみせます。だから、どうか…どうか私を拒まないでください)

 心から願った途端、辺りが暗くなった。月が雲に覆い隠されてしまい、複雑な気持ちになる。月が願いを聞き届けたくないと言わんばかりだ。

 隠れてしまうのは仕方ないとしても、もう少しタイミングを選んでくれてもいいのに。

 それなら、もっと近くで願おうと、アリシアはバルコニーへと向かう。丈夫な柵に手をついて、身を乗り出すかのように月が再び現れるのを待ち構える。

 ふと庭に目を向けると、白い布のようなものが落ちていることに気付いた。カーテンだろうか?

 アリシアはバルコニーに備え付けられている梯子から降り、布を取りに行った。布についている木の葉や草を払い落とし、ドキッとした。触ったこともないほど、上等な布だったのだ。この布一枚で、ドレスが何枚も買えるだろう。

(こんな上等なもの、家にはないわ。す、素手で触って良かったかな…)

 極力肌に触れないように、腕に乗せる。

 招かれざる客の落とし物だろうか。届けたいとは思うが、あんなことがあった広間には行きたくない。耳を塞ぎたくなるような悪口が飛び交っているかもしれないし、酔いつぶれた貴族たちで広間は酷い有り様かもしれない。

 どうすべきか悩みながら布をじっと見つめていると、自分の数歩先で、ガサッと草を踏む足音がした。

 持て余すこの布の持ち主かもしれない。

 顔を上げた途端、アリシアの脳裏に幼い頃読んだ童話の一節が瞬く間に蘇る。


 ――突然、雲に覆われていた空から月が顔を出す。戦場が照らされるのと同時に、月の光を背にした騎士が現れ、敵兵たちは敗北を悟った。いつまで経っても終わらぬ戦いに憤った月が、誰からも恐れられる無敗の騎士を呼び寄せたのだ。


 いつの間にか顔を出した月を背に、騎士が立っていた。

 名乗らなくても、分かる。

 彼が聖騎士なのだと――自ずと立つ鳥肌が物語っている。

 童話に出てきた兵士たちも、こんな気持ちだったのだろうか。この世のものとは思えぬ騎士の登場に、怯え、心から畏怖したのかもしれない。

 逆光のせいで、顔立ちも服装もはっきり分からない。それでも、彼が放つ強烈な威圧感に圧倒される。

 アリシアが震える唇を動かそうとする前に、騎士が口を開く。すると、威圧感が鳴りを潜めた。

「拾ってくださってありがとうございます。うっかり置き忘れてしまい」

「聖騎士、様…でいらっしゃるのですか?」

「はい。正式にはまだ聖騎士ではございませんが、明日には聖騎士に就任いたします」

 声が若い。ビリーよりも年下だろう。

 布を恐る恐る手渡し、アリシアはほっと溜め息をついた。あんな上質な布は対応に困るし、心臓に悪い。そんなアリシアの心を読んだかのように、騎士が苦笑するのが分かった。

「ただの布ですので、そんなに気を遣わないでください。落とすくらいですから」

「そういうわけには参りませんわ! 汚れてなければ良いのですが…」

 手垢をつけてしまったんじゃないかと焦るが、騎士は気にした風もなく、担ぐように肩に布をかける。まるで荷物扱いで、彼の言葉は真実のようだ。

「ご心配いただき、ありがとうございます。出来れば急ぎ、アリシア様にお会いしたいのですが、ご案内いただけますか?」

「え…?」

「あなたはアリシア様の妹君でいらっしゃるのでは?」

 アリシアはきょとんとした。

 もしかして、騎士は自分のことを何も知らないのだろうか。

 彼の発言の違和感にうっすら気付くが、彼を騙しているような罪悪感の方が大きくて、違和感はすぐに頭の隅へと追いやってしまった。

 アリシアは俯きがちに自己紹介する。

「違います。私が……アリシアです」

「あなたが!?」

 月明かりを背にしていた騎士は、お互いに光が当たるように位置を変える。逆光で隠されていた彼の容姿を見たアリシアは、見惚れてしまった。

 年は自分とそれほど違わないだろう。

 月光に照らされる金色の髪は神々しく、眩しく感じる。身体は服の上からでも分かるほど、引き締まっていた。相当な鍛錬を積み、鍛え抜いてきたのだろう。

 その時、童話に登場する騎士を再び思い出す。人を惹きつける金の髪、秀麗な顔立ちをしている騎士。強く、誰からも慕われ、尊敬される彼は叶わぬ恋をしていた。

 もしも現実に存在するなら、きっとその騎士は今目の前にいる人だろう。

 意志の強そうな目が、じっとアリシアを見据えている。頬に熱が集まるのが分かるが、ハッとして俯いた。

 こんな素敵な方が自分と縁談をするはずがない。

(私なんかが釣り合うわけないわ…)

 現に、相手の聖騎士は唖然としているではないか。縁談を断られなかったこと自体、何かの間違いなのだ。

「話と違う……まさか、これほどお若い方だとは…」

「それは私の言葉でございます。失礼ですけれど…その、聖騎士様はもっとお年を召されているものだとばかり思っておりましたので」

 騎士は顔色を失いながらも、頷いた。

 どうして、彼はこんなに驚いているのだろう? 事前に聞かされていた話がそれほど酷いものだったとしか思えない。

「本来はあなたのおっしゃるとおり、聖騎士はある程度の年齢にならなければ就任できません。国の代表となる騎士ですから。功績と栄誉が必要なのです」

 ということは、彼は国の代表に選ばれるほどの功績と栄誉をすでに得ていることになる。なんて凄いことだろう。年は自分とほとんど変わらないように見えるのに、中身は全然違う。尊敬の眼差しを向けるアリシアに、彼は少し気まずそうにしながら口を開く。

「あなたのような若い女性が、この縁談を望まれるとは…」

「おやめください。貴族では、二十四の私はいき遅れと称される年齢なのです。周りの友人たちも既婚者ですし、同年代で結婚していないのは私くらいですわ」

「二十四で…? お待ちください。あなたはお若いですよ」

「この年の貴族なら結婚していないとおかしいのです」

「あなたが私よりも年下だとしても、ですか?」

「ええ。まず年齢で選別にかけられるのです。ですから、私は真っ先に外されますわ」

 アリシアが苦笑すると、騎士がさらに当惑するのが分かる。

 どうしてそんな当たり前のことを聞くのだろう。お世辞のつもりだろうか?

 ああ、これが違和感かとアリシアはふと気付く。彼は縁談相手がいき遅れという情報を、少なくとも持っていたはずだ。

 それなのに、彼は出会った時から自分をいき遅れの女性として見ていない。それは、彼の若いという基準が、一般的な貴族のものとかけ離れているからに違いなかった。アリシアの年齢は、まだ結婚適齢期になっていないという考えなのだろう。

(聖騎士様となるお方は寛大なんだわ)

 それだけじゃない気もするが、アリシアはそう納得した。

「私には…理解が……難しいようです」

 痛む頭を押さえるように、騎士はこめかみに手をやった。

「騎士様は男性でいらっしゃいますから。少しお年を召されても結婚は出来ますわ。女の場合は、まず年齢、見た目、家格。花咲く時期はとても短いのです」

「……」

 騎士が何か小声で言ったようだが、アリシアには聞こえなかった。

 眉間に皺を寄せる顔を見る限り、あまり良いことではないのは分かる。

「騎士様? あの…」

「ああ、すみません。少し、考え事をいたしておりまして…貴族の方々のご判断は不思議に思えてなりません」

「一つダメになったら、不利なことばかりですものね」

 自分は一つどころか、もう二つも、不利な状況だ。アリシアが苦笑すると、騎士がその心を読み取ったかのように首を横に振った。

「ご自身を卑下なさる必要はありません。あなたには一つも不利なことはございません。どうか、胸を張っていただきたい」

「そのようなことは…」

「私は仕事で多くの女性をお見かけする機会がございます。しかし、アリシア様ほどお美しい方を拝見したことはございません」

「嘘はおやめください。美しいという言葉が軽くなってしまいますわ」

「いえ、私は嘘を申しません。あなたは外見が麗しいだけでなく、心も美しい。突然このように現れた私の言葉に耳を傾けてくださる。あなた様はご自身の美点を否定なさいますが、そのような必要はないのです」

 嘘だと分かっていても、アリシアは嬉しかった。

 美しい、の代名詞は、妹だ。それを自分に使ってくれる彼の優しさに感謝の気持ちでいっぱいになる。

(もしかしたら。そう、もしかしたら…)

 そんな甘く淡い期待に胸を高鳴らせるが、次の瞬間には彼の言葉に凍りつくことになる。

「だからこそ……私にはあなたを妻にする資格はございません。あなたならばもっと優秀な男が夫になり、あなたを幸せにするでしょう。私と結婚したら、咲き誇る花を枯らしてしまう」

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