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 誰も動けない。金縛りにあったかのように誰一人として動かない。

 酒を浴びせられたルイスは俯いたまま、アリシアも棒立ちで、身動き一つ出来なかった。

 杯を奪われた前聖騎士も、男の行動を叫んで止めようとしたウィリアムでさえも、動けずにいる。

 今、もしも飛び入りでこの式典に参加した者がいたなら、この静けさと不穏な空気に慌てて踵を返すところだろう。

「みなの者、騙されるな! この男は姓もなければ、素性も定かではないのだぞ!」

 途端に場がざわつき出した。

 事実を知っていてもあえて触れずにいた者より、本当に知らなかった者が多かったらしい。

「隠し通すつもりだったようだが、残念だったな。多くの騎士を輩出してきた当家がそんな不正を許すわけがない!」

 ルイスに酒を浴びせた男は、ウィリアムの父親――ナイト家の当主だとアリシアはようやく分かった。一度か二度、遠目で見たことがあるという程度で顔見知りではない。相手はバックス家など興味もないだろうから当然といえば当然だ。

「お前がいたという教会も存在していなかったぞ? 弁明があるというなら聞かせてもらおうか! ルイス…いやその名も偽りかもしれぬ男よ!」

 ナイト家当主の血走った眼と、哀れで無様な聖騎士の姿を避けるかのように、大半の人間が顔を背ける。

 ここでナイト家の怒りを買うのは得策ではないという心理も働いているのだろうが、その横顔には蔑みと安堵がある。

 アリシアも彼らにならうかのように視線を下げそうになったが、ようやくゆるゆると頭を上げたルイスと目が合った。

 ――俺のせいですまない。収まるまであなたはそこにいてくれ。

 彼の目は優しく、諭すようにそう告げる。

 だが、自嘲気味に上げられた口角と、申し訳なさそうに下げられた眉を見た瞬間、アリシアは自分の中で何かが弾けるのが分かった。腹の底に渦巻いていたものがせり上がり、喉がかっと熱くなる。

「聖騎士様に何をするのですか! なんという無礼を!」

 アリシアの剣幕に圧倒されたナイト家当主は怯んだ。

 まさかこんな小娘に怒鳴りつけられるとは思っていなかったのだろう。アリシアはこの隙に一気に攻勢に転じようと、当主から片時も目を離さず、内心とは裏腹に口を冷静に動かした。

「自分の生まれも分からない、姓も名もない、親もおらず、住む場所もない。その環境に置かれた人々はこの国にいます、悲しいことですがいるんです。このままでよろしいとお思いですか?」

「そ…そんな者たちは一部にすぎない!」

「一部? 一部であったとしても同じ国民です。先ほどカールソン大臣がおっしゃっていたでしょう。王は民主化を推し進めようとなさっています。それは彼らのような人々の環境を改善することも入るはずです。すべて軒並み、平等というのは難しいでしょうが、作り出そうと取り組むことはできるのではありませんか?」

「問題をすり替えようとしても無駄だぞ! 今はその男の話をして」

「ですから、民主化の話をしているのではありませんか。彼ならば、民主化への大きな第一歩として適任だと思いませんか? つらい環境を身をもって知っている彼以上にふさわしい者はいないと思います。今までどおり、貴族から聖騎士を選んでいては、誰が民主化を信じられるでしょう?」

 ナイト家当主がぐっと言葉を詰まらせるのが分かる。

 周囲の者たちも、素知らぬふりをしつつも、少しずつ耳を傾け始めていた。切り抜けられるだろうかと思った矢先に、男は目を吊り上げて反撃に転じた。

「私を誰だと思っているんだ! 弱小貴族の、女の分際で――!」

「…黙れ」

 アリシアを庇うように、ルイスが前に出る。

 その目は凍てつくように冷たく、怒りに燃えている。当主を黙らせる威圧感に、アリシアも飲み込まれてしまいそうだった。

「私個人を非難するなら正面から受け止めるつもりでしたが、妻を巻き込むなら私も自分を偽るのはやめにしましょう」

 ルイスに距離を詰められた男は、蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませる。

 それほど身長差はないが、ルイスの方が大きく見えるのは、彼の怒りがそうさせているのかもしれなかった。

 もしも自分が当主の立場だったら、卒倒して気を失ってしまいたいだろう。後で人に笑われようが、貴族たちの話題のいい餌食になろうが、構わない。それくらい、ルイスは怖かった。

 しかし、当主は倒れない。意地、これまでの経歴、自分たち一族に課してきた使命が自分自身を許さないのだろう。

「あんたが言うとおり、俺は素性の知れない人間だ。だが、調査が足りなかったな。教会は焼失したが、確かに存在していたし、神父も預けられていた子供も多くいた」

 残念だったな、と明らかに喧嘩を売る口調でルイスは続ける。

 彼を止めなければとは思うけど、口を塞がれてしまったかのように声が出ない。

「焼失の原因が気になるだろ? それは、あんたらが一番分かっているんじゃないか?」

 ルイスの意地の悪い笑みに、背筋がぞくりとした。

 何かが違う、と警告音が頭に鳴り響く。ルイスが怒るのは当然だが、彼の感情は怒りだけではない。どす黒い何かが彼を中心に渦巻いているかのような、気味の悪さがある。

「しょ、証拠はあるのか!」

「証拠? 証明する方法はあるが、あんたにも協力してもらうしかないな」

「協力…」

 ぽつりと呟いた当主の顔がさっと青褪める。

 ルイスは仰々しく頷くと、当主の肩に手を置いた。まるで労うかのような仕草だったが、直後服に皺が寄るほどの力をかけていた。

 ああ、まずい。物事には限度というものがある。

 たとえ当主が悪くても、やりすぎになればルイスを敵視する人が増えてしまうだけだ。

「返事はあとでも構わないが、あんたの目的は聞かせてもらおうか? 俺の素性を明かしたいだけではないだろう?」

「目的など知れたこと! 周りを欺くお前のような者が聖騎士になる資格があるかどうか、この場で判断してもらうためだ!」

「つまり俺が聖騎士になるのを邪魔する、と。それなら、覚悟はしてもらおうか」

 スッと目を細め、ルイスは手を当主の首元に向かって伸ばす。

 ――何かが、違う。アリシアの心に疑念が満ちていく。

 彼がこんなことをするの?

 知らない一面とか、そんな話じゃない。

 これは彼の一面じゃなくて、もっと違う何かが――。

「ルイス!」

 アリシアの鋭い声に、ルイスの手が止まる。

 それと同時にようやく到着した警備の騎士が、渦中の二人を取り囲む。彼らはどちらを捕らえるべきか悩んでいる様子だった。

 狼藉を働いたのはナイト家の当主だ。彼を捕まえるのは当然ではある。

 しかし、ナイト家当主の言葉が真実だとしたら、ルイスも捕らえなければならない。

 悩んだ彼らは観客の方を振り返り、指示を仰いだ。

 警備にあたる騎士に指示を出せるのは、同じく位の高い騎士だけだ。

 ここでは、騎士団長と次期聖騎士。その次に考えられるのは彼しかいない。

「……捕らえるのはナイト家の当主だ。何も迷うことなんてない」

「ウィリアム! お前は悔しくないのか! こんな素性も分からぬような奴に負けて!!」

「いい加減にしろ! 俺は勝てないんだよ! この人事は正しいんだよ!」

「何をっ! 聖騎士の座を奪われるばかりか、親を捕らえろなどと! お前は当家の恥だ!」

「もう、やめろ。頼むから…やめてくれ。いいから早く、捕らえてくれ」

 ウィリアムはやっとの思いで声を絞り出す。懇願のようだった。

 その声に後押しされて、騎士たちがナイト家当主を両脇から抱え会場の外へと連れ出した。ルイスも少し遅れて外へと出て行ったが、それは着替えるためのものだ。

「あんたは……よく、立ち向かえるな」

「やめてください。私は、そんなんじゃありません」

 ウィリアムの言葉を突っぱねるようにアリシアは背を向ける。

 そんなんじゃない。そうであったら、良かった。

 本当に、そんな立派な人間であれたなら。嘘ばっかりだ。

 アリシアは自己嫌悪に陥っていた――あの瞬間、よぎった感情は誰にも言えない。



 アア、ヨカッタ。ワタシジャナクテ。

 ワタシハ、キゾクダカラ。



 どす黒く、卑しくて、浅ましい自分。

 こんな最低な自分の本心を、知ってしまうなんて。

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