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バックス家の広間の十数倍もありそうな大広間に、アリシアはいた。
光沢のある赤い絨毯。金色に輝くシャンデリア。壁や天井、柱一本一本までも純白で、汚れも埃も見当たらない。
僅かな光でも反射してしまいそうなほど磨き上げられた椅子。油のようなものを塗らなくても、木製品が光り輝くことを初めて知った。
そして、同盟国の来賓たちの一風変わった衣装や装飾品。斬新な色使い、見たこともない鉱石。自国の名だたる貴族たちも、彼らに見劣りしないほど着飾っていた。それだけでこの場に招かれた来賓たちの裕福さが分かる。
アリシアの隣で慎ましく腰を掛けている王妃の衣装も素晴らしいが、この場のすべての輝きに埋もれてしまい、それほど目立たなくなっている。襟元が大きく開いたドレスなのに装飾品一つ着けていないのも、原因の一つかもしれない。
(来賓よりも目立ってはいけない…ってことかしら)
それにしては、自分は着飾りすぎている。
新たなドレスを用意され、襟や袖口のレースは昨日のドレスよりもずっと繊細だ。たくさんの小さな宝石飾りがついた紐で髪は結い上げられ、耳にはイアリングをつけている。触ると宝石か何かがはめこまれているのが分かるが、どんな色なのか、何の素材なのかさっぱり分からない。
理由は自分の姿をじっくり観察する間もなく、今朝もまた、衣装係たちの渾身の力でコルセットを締め上げられたからだ。昨日よりも彼女たちは張り切っていて、アリシアはされるがままで、鏡もろくに見られなかった。少しでも服を触ろうとすれば、「形が崩れますわ!」と叱られてしまった。
式典が一日延期された分、不安感はだいぶ薄れたが、やはり本番の緊張感は張り詰めている。だが、ビリーに何度も練習に付き合ってもらった甲斐もあり、漠然とした恐怖はない。
誰にも気付かれないように深呼吸を繰り返した頃、鐘がなり、就任式が始まった。
壇上には王族が横並びになり、中央が王、その両脇に王妃と新たな聖騎士が座る。ルイスが登場するまであと少しのため、その席は空いたままだ。前聖騎士夫妻が両端に離れて座るようになっているが、こちらも進行の都合上、前聖騎士の姿はない。
アリシアは王妃と前聖騎士の妻に挟まれた格好だ。
王妃と前聖騎士の妻は四十代の半ば、国王も四、五十代くらいだろうか。口ひげや髪で隠しているが、国王の頬がこけているのが分かる。やつれているせいで、老け込んで見える。威厳はあるのに、何だか勿体無い印象だ。国王とは大変なのだろう。
(国王様もそうだけど……お二人もあまりお元気ではなさそうだわ)
女性二人は身体が弱いというよりも、覇気がない印象を受ける。何かに怯えるような、目立たぬように小さくなるような、そんな感じだ。二人とも公の場に姿を現さないというから、もしかしたらこういう式が好きではないのかもしれない。
それとも、何か違う理由があるのだろうか。
恐怖し、目立つことも避けたくなり、やつれてしまうような――そんな理由が。
アリシアが一抹の不安を感じている間にも、式は順調に進んでいく。
開式の挨拶から始まり、来賓の紹介。多少脚色されたであろう国の歴史と、歴代の聖騎士たちの活躍。
国に関わる話は、一ヶ月の勉強のおさらいもでき、身を入れて耳を傾ける。
重臣のカールソンがゆったりと話していた。
「我が国ジルランドは建国の頃より王と貴族が中心となって国を発展させて参りました。しかし、三百年前の事件をはじめ、飢饉、天災、疫病などに長く苦しみました。近年になってようやく落ち着きを取り戻し、数々の困難を乗り越えられたのは、同盟国のお力添えと、民の力があってこそ。今まで蔑ろにしてきた民に報いるべく、王は更なる民主化を推し進めます。どうか、王の政策をお見届けくださいますようお願い申し上げます」
三百年前の事件は、この国の者による反乱で、同盟国と自国の二つの国にあっという間に鎮圧されたらしい。歴史の教科書でもほんの一文、十文字に満たない程度で書かれている。何を目指しての反乱だったのかは不明だ。
問題なのは、その後だった。飢饉、天災、疫病…何一つ治まらないのにたて続けに困難がふりかかり、国は一気に傾いた。それはこの国だけではなく、事件に関わったもう一方の国も同様だった。
農地は荒れ果て、作物は育たず。人は飢え、病に苦しみ。土地があろうが、財産があろうが、今生きる力にならない。地位のある者たちは徐々に力を失っていった。
どうしようもなくなった頃、不思議なことに、悩まされていた現象がふっと消えだした。
日照りから雨へ。逆に、途方もない雨量から晴れへ。枯れた木々は生命力を取り戻し、疫病の流行がぴたりと止まった。
理由は分からない。だが、事実と分かったことはある。
貴族たちが手をこまねいている間、民たちは必死に生きる術を探し続けていた。
痩せた大地でも育つ植物を作ろうとしていたらしい。他にも名も効能も分からぬ野草が食べられるか試したという話もある。どれも成功はしなかったが、彼らが置かれた環境で試行錯誤していたのは事実だった。
今回は運良く治まったが、再びこのような事態になれば国が滅んでしまう、と王は悟った。
だからこそ、貴族の力を減らし、民に力をつけていくことに決めた。まず誰でも入れる学校を作った。
そうやって実行に移すようになったのは、少し前の国王からで、日は浅い。まだ多くの貴族たちは力を持ち続けているし、肩書きになりきらない貴族も多い。事実が教科書に記載されていないくらいだ。
だが、今の国王が更なる改革を推し進めることを同盟国に宣言している。きっと、民主化は一気に進むだろう。
アリシアは王に視線を向け、納得した。
(…気苦労が多いはずだわ)
ルイスを聖騎士に選んだ理由の一つに、民主化を明確にする狙いもあるだろう。
彼は国王の期待も、国の行く末も背負うことになる。その妻となった自分も。
何をどう頑張ればいいのか見当もつかないが、ひたすら頑張ろう。前聖騎士の妻が隣にいるのだし、この機会に話を聞かせてもらえないだろうか。
彼女に話し掛けられそうなタイミングを考えてみた。
この後の予定は、新たな聖騎士の指名と任命が行われ、祝賀パーティとなり、ダンスや食事を楽しみながら主役は顔を売る。そうして最後に、前聖騎士が登場し、新旧の聖騎士が壇上で継承の杯を酌み交わし、式典は終わる。
祝賀パーティが良さそうだが、もし騒動が起きるとしたら、同じくここだろう。
パーティは二部構成だ。前半は今式典に出席している方々との懇親会。後半には、貴族や商人、選ばれた平民たちが訪れる。この広間を埋め尽くすほどの人数なら、何が起きてもおかしくない。ジェシーが言っていたのは後半のパーティだろう。
今、国王が新聖騎士の名を読み上げるところまできた。
「新たに就任する聖騎士――ルイス・バーグランド! ここへ参れ!」
静かな空間に、威厳に満ちた声が広間に響き渡る。その場にいる全員の視線が入り口の扉に向けられ、アリシアも固唾を呑んで正面の扉を見つめた。
ギギ、と軋んだ音を立てて、ゆっくりと扉が開く。確かな足取りなのに靴音一つ鳴らさず、ルイスは中央の通路を颯爽と歩き出す。視線は王という一点を見据えていたが、アリシアには彼がその先を見ているのが分かる。
この式典が始まりだ。朝、ルイスはそう言っていた。
忙しい中、わざわざ時間を作って自分を訪れてくれたのだ。多くの衣装係に囲まれていたため、アリシアはろくな返事ができなかったけれど、嬉しかった。
王の前で立ち止まったルイスは、来賓を振り返り、一礼する。そして、王が椅子から立ち上がり、彼に剣を授けた。
刀身は古びた鞣革で覆われており、持ち手は磨かれているものの少し錆び付いている。歴史は感じられるが、剣としての機能は果たせないかもしれない。受け継がれていくもの、という形を示すのが狙いだろうか。
彼は恭しく剣を腰のベルトに差し込む。
「ルイス・バーグランド。聖騎士の名に恥じぬ働きをお約束いたしましょう」
彼の堂々とした態度に、アリシアは心の中で賛辞を送り、また周囲も拍手で彼を歓迎した。




