16
「どうしてお父様がそんな質問をするのか、最初は意味が分からなかった。私にとって、二人は大事な友達だったから。今は違うけど…」
ジェシーが悲しげに目を伏せるのを、アリシアは複雑な気持ちで見ていた。
嘘か本当かを判断するには早すぎる。だが、彼女を疑うことに対して罪悪感を抱いてしまうのは、どこかで信じたい気持ちがあるからだろうか。
ジェシーはアリシアが黙っているのを話を聞いてくれるのだと解釈したらしく、少しだけ落ち着きを取り戻していった。
「私が答えた途端、父はそれなら行ってはならないとおっしゃったわ。そして、しばらくの間はどちらにも会ってはならないとも」
「その理由は聞いたの?」
「ええ。前に…父のストレスが溜まっているって、話したわよね。その原因は、一部の貴族たちの賭博」
「賭博…!」
さっと顔が青ざめる。
ルイスとの縁談の日、まさに賭博が行われていたではないか。
「隠れて賭博をしていることは把握していても、誰なのか、どれくらいの賭け金なのか、なかなか証拠がつかめなかったの。重臣なのに情けないと思っていたけれど仕方なかったのかもしれない。……ローザの夫が妻の賭け事を隠すために、父に嘘の報告していたのだから」
「えっ…」
ローザの夫の顔が頭に浮かぶ。
実直、真面目。知的。
そんな表現がふさわしいような人で、不正を働くようには思えない。
彼自身も公正な重臣を尊敬し、あの方が目標です、と目を輝かせていたというのに。
「でも、内部に不正と関わっている人物がいることに、父は薄々勘付いていたらしいわ。それも自分に近しい者だということも――」
重臣はまず身内から疑うことにした。自分の家族に疑いがないことを確認した後、近辺を探り――娘の友人に気づいた。
ローザ・ヴォン。自分の補佐であるエリックの妻。
ヴォン家はカールソン家よりも地位は低いが、上の方に位置する貴族だ。財産も土地も潤沢で、国の資金を横領することはないだろうと信頼した上で、嫡男を補佐として任命したのだ。いずれは重臣となれる男だと見込んでのことだった。
不思議なことに、その妻が人目を忍んで、どこかへ出掛けているという。彼女の金の流れを追ってみたところ、決まりきったように出掛けてから数日後に突然羽振りが良くなるのだ。その金額を考えても、賭けで得られたものとしか思えなかった。
だが、どのタイミングで、何を対象にして賭けをしているか分からない。
確証もなく乗り込んで間違いだった場合、もう賭博を取り締まることが難しくなってしまうだろう。
一昨日もローザは出掛けたらしい。
一体、何があったというのだろうか。
次のタイミングはいつだろうか。
仕事場を離れ、自宅でも考え込む重臣の下に、怒りで顔を真っ赤にさせた娘が帰宅した。
「お父様! アリシア…バックス家と縁談をしていた家について調べてくださいませ!」
「扉が壊れるぞ、ジェシー。そんなに怒ってどうしたんだ? アリシア嬢に何かあったのか?」
「許せないわ! 私の大事な友達に…!」
ジェシーが今にも暴れだしそうで、重臣は机の上にあった花瓶をそそくさと脇に避ける。
いつでも冷静さを失わない重臣と違い、娘は感情的になりやすかった。特に友人が絡むと手がつけられない。今のように理由を尋ねてもまともな答えが返ってこないのは、もう当たり前になっている。
一応、質問をしたものの、理由は分かっていた。
悲しいけれど、このやりとりも慣れたものだからだ。
アリシア嬢が婚約を破棄されてしまったのだろう。
「落ち着きなさい。調べるのは簡単だが、それはアリシア嬢が望んでいるのかい?」
「……私と、お父様に悪いから出来ないって」
途端にジェシーはがっくりと肩を落とした。
アリシア嬢がいつもと変わらず常識的な人で良かった、と重臣は安堵する。
だが、もしも彼女が望むのなら男にお灸を据えてもいい。良い相手を紹介してもいい(というかどちらもさせてほしいのだが、彼女がいつも乗り気になってくれないのが残念だ)。
それくらい重臣自身、彼女を気に入っていたし、感謝していた。
「昨日のデートをアリシアはとても楽しみにしていたのよ。それを知っているから、私もローザも悔しくて…」
「待ってくれ。エリックの妻も知っていたのか?」
「ええ。昨日のデート楽しかった? って聞きに、二人でアリシアに会いに行ったんだもの」
昨日アリシア嬢はデートだった。
ジェシーもローザも、彼女がデートであることを前から知っていた。
嫌な予感が確信に変わっていく感覚に、重臣は身震いした。
「今までアリシア嬢が婚約を破棄された日はいつだったか、教えてくれないか?」
「…どうしてそんなこと知りたがるの?」
「まとめてその連中の根性を叩き直してやろうかと思ったんだが…」
「本当!? それならすぐに言うわ! ええっと、前回はね…」
ジェシーは目を輝かせて手帳を開き、日にちを挙げていく。
頷きながら手元の紙に記していき、重臣は最後に重いため息をついた。
重臣が把握しているローザの外出の日と、その日にちが悉く一致してしまったのだ。
賭博は様々なことを対象に行われているはずだから、アリシアのことだけが対象ではないだろう。明日の天気や、店に入ってくる客の性別などでも賭けはできる。だが、ローザの狙いはアリシアのことが主だろう。
「お父様? お顔の色が悪いですわ」
「いや、何でもないよ」
お前の言う「友達」は一体、誰と誰のことなんだい?
心の中で娘に疑問を投げかけ、重臣は椅子の背もたれに背中を預けた。
それから数日後、調査が完了しローザの賭博が確定するのと同時に、アリシアが聖騎士との縁談になった。そして、友人の縁談を祝福しようとしたジェシーに問いかけることになる。
「ジェシー。アリシア嬢とエリックの妻、どちらと今後も友達でいたいんだ?」
当然だが、突然の問いに娘はきょとんする。理由を聞かせてほしいと言うかと思えば、意外にも娘はさらりと答えた。
「アリシアです」
「…それなら彼女の家に行ってはならない。しばらくの間は、二人のどちらにも会うことを禁じる」
「どうしてですか!?」
重臣は調べ上げた情報をすべて娘に話した。
違法の賭博を行っている貴族がいること。その中にローザがいること。彼女が友人の縁談結果を賭けの対象としていたこと、すべてを。
ジェシーは相槌もろくに打たず、話を聞き終えた後も沈黙し続けた。
相当な衝撃を受けているのだろう。重臣は目を伏せ、娘の心中を慮った。
もし、ジェシーがローザを選んだのなら。ローザに忠告をし、賭博から手を引かせようと考えていた。後で自分が罰せられようとも、娘が友人と言うならば仕方がない。重臣としても人としても許されないが、そんな友人を持ってしまった娘の心を傷つけたくはなかった。
だが、嬉しいことに娘は躊躇わずにアリシアを選んだ。
「お前は隠し事ができないだろう? だからどちらにも会わないようにしなさい」
「ローザには頼まれたって会いたくないわ。だけど、アリシアに会っても良いでしょう?」
「ダメだ。そんなことをすれば、ローザが怪しむ。私は重臣として、違法賭博を取り締まりたいんだ。だから…アリシア嬢には申し訳ないことをするつもりでいる」
「お父様? 何をなさるおつもりなのですか」
「アリシア嬢の縁談は、彼女の家で行われるそうだ。その場で賭博をさせ、現場を確認する」
ジェシーの顔が嫌悪に歪む。
最低。信じられない。申し訳ないとかそんな軽いものじゃないわよ。あんたのせいでアリシアと友達でいられなくなるじゃない。自分勝手な都合を押し付けるってどんな神経してんのよ。これが国の重臣とかこの国終わりでいいわ。自分が何言っているのか理解してます?
無言の蔑んだ視線を真っ向から受け止められず、重臣はさっと目を逸らした。
「か、彼らが堂々と賭けをするとは思えない。実は、賭博好きの友人をすでに彼らの懐に潜り込ませていてな。あとは捕まえるだけなんだ」
「そうですか。賭博の証拠を得て、お父様の悩みの種は解消。素晴らしいですわ、めでたしですね」
パチパチと拍手をし、棒読みで告げる娘から冷たさ以外のものを何一つ感じられない。
「すぐにでも拘束なさるおつもりなのですよね」
「いや、それは出来ない。このたび聖騎士になる男が原因で、貴族たちと揉めることになるだろう。だから就任式直後に賭博取締りで処罰をすれば、聖騎士の話題から自身の身辺整理へと問題が移る。それを狙っているから、この一ヶ月は水面下で動きたいのだ。新たに聖騎士になる男は悪い人間ではなさそうだし、協力してやりたい」
「どんな理由があろうとも、アリシアは傷つくわ。それで、私のことを嫌うに違いないわ。だって、ローザを紹介したのは私だもの。二人で自分を裏切っていたって思うでしょうね…」
唇を噛むジェシーに掛ける言葉が見つからない。
ここで「では止めよう」なんて言ったら、好機を逃してしまう。重臣として、この国の政治に関わるものとしてそれだけは譲れない。
だが、父親としては、娘の大切な友人を利用してはいけないだろう。重臣の葛藤など知らず、ジェシーはきっぱりと宣言した。
「お父様のおっしゃるように私は二人に会いませんわ」
「分かってくれたか! すべて片付いた後ならアリシア嬢に会っても構わない。私もバックス家に出向き、彼女に直接謝罪をする。何らかの埋め合わせもする予定だ。その時、お前は私の都合に巻き込んだだけだと、彼女にちゃんと説明をするから――」
「そんな必要はありません。アリシアには私が直接会います」
ジェシーは机を叩き、背筋が凍えるような目で父親を睨みつける。
「お父様の顔も見たくありませんので、私はしばらくの間、夫の家に身を寄せます。それでは大嫌いなお父様御機嫌よう」
「何を言っているんだ! 待ち―」
勢いよく扉を閉め、ジェシーは出て行ってしまった。
重臣との会話と、自身の感情をありのまま伝えたジェシーに、アリシアは呆気に取られた。そして、クスクスと笑みを零す。
「…ジェシーのお父様、悲しんでいらっしゃるに違いないわ。愛してやまない娘に大嫌いって言われてしまったんだもの」
決して表に出さないものの、邸での重臣の溺愛ぶりはよく知っている。最初は羨ましかったが、自分はその愛情をビリーからもらっていると気づいてからは微笑ましく見られるようになった。
「あんな人、知らないわ」
わざとらしく頬を膨らませたジェシーだったが、すぐにおかしげに噴き出した。
「ジェシー…ごめんなさい。あなたを疑って、信じられなくて…ごめんなさい」
「私こそごめんなさい。父の行動に加担したのは間違いないもの。傷つけて、本当にごめんね」
「ジェシーは何も悪くないわ! 悪いのは私。確かめる勇気がないのに、勝手に疑って被害者面するなんて最低だわ。いつだってジェシーは優しくて、私を思ってくれたのに…信じなくてごめんなさい」
「謝らないで! 私がいけないのよ! あなたの縁談を、父の仕事で利用したのは真実だわ。ごめんなさい。なんて謝ったら良いのか」
「それはジェシーのせいじゃないわ。私は自分の意思であなたを疑ったのよ」
「違うわ! 私がすぐにあなたに本当のことを話して、謝罪に行けば――」
私が悪い、いいえ私が悪い。そんな押し問答を何度も繰り返していると、そばでため息が聞こえてきた。ルイスがふっと肩の力を抜いて、額に手を当てたところだった。
「…お互いに過ちを認めて謝ったんだからもういいだろ」
「そうはいかないわ!」
声を揃えて、ジェシーとアリシアは反論した。思わず顔を見合わせる二人に、ルイスは肩を竦める。
「あなたはアリシアの旦那様なのでしょう!? アリシアの味方をしてくださいな! 私が悪いのですわ!」
「無論、俺は妻の味方だ。だが、こういうことに口出しされるのは嫌いだろう?」
「ええ。味方をしてくれるのは嬉しいけど、ルイスは成り行きを見守っていて」
「そうです。黙っていてくださいな」
第三者が入れば余計に拗れる。
アリシアは再びジェシーに向き合った。
決着がつくまでは、ジェシーに自分の過ちをしっかり伝える必要がある。さあ、もう一度話そう、と決めたところでルイスが先に口を開いた。
「終わりそうにないなら…正直に言おうか」
「?」
「そろそろ妻を俺に返してくれないか」
夫のからかい混じりの口調と悪戯っぽい笑みに、押し問答は終わりを告げる。
代わりに、嬉しそうに頬を朱に染めたジェシーから「素敵な旦那様ね!」と肩をバシバシと叩かれ、最後に思いっきりハグをされ――アリシアも精一杯抱きしめ返した。
「遅くなったけど、おめでとうアリシア。幸せになってね。絶対に、絶対よ?」
「ありがとう…」
震える声に何とか返事をしたけれど、自分の声はもっと震えていた。




