15
持ってきた荷物を預けるため、アリシアたちは騎士団の宿舎へ向かった。
城の敷地内で最も門に近いのが、騎士団の宿舎だ。廊下を歩いている最中も時折騎士たちとすれ違い、当たり前なのだが、本当に国を守る騎士の領域に入ってしまったんだと実感した。
「警備の都合もあって、立ち入れない場所も多いが、良ければ城内を案内したい。庭園や美術館、図書館もある。来賓のために希少種や珍品を取り寄せたと噂になっているんだ」
「きっと素晴らしいものばかりね」
「ああ。何でも美術館では、女神像の対になる英雄像が展示されたらしい。あなたは美術品が好きなようだから、どうだろうかと思ったんだが…もちろん他の場所でも構わない」
芸術作品が大好きなアリシアには、ルイスの提案は甘美なものだった。
来賓のために取り寄せた珍品の数々――今すぐ駆け出したいくらいだ。
どんなものが取り寄せられたんだろう? 英雄像はどんな姿をしているの?
この機を逃せば、貴重な品々はアリシアが見る前に仕舞われるか、元の国へと返されてしまうはず。あくまで来賓たちのために用意されたものだし、それほど貴重だからだ。
つまり、自分が見られる機会は、式典が始まる前の今だけ。
今しかないのだと分かっていても、提案には賛同できなかった。
目をぎゅっと瞑り、未練を断ち切る。そして、ルイスに微笑みかけた。
「ここは?」
「ここって…宿舎のことか?」
ルイスは驚いた様子で目を見開いた。
「何もなくてつまらないと思うが」
「…こんな忙しい時に迷惑かな」
「それはない。式典の前後に宿舎で休むような騎士はいないし、一応交替で仮眠を取らせてはいるが、俺たちは二週間くらい寝なくても問題ないように鍛えている。それよりも…本当にここで良いのか?」
「もちろん、美術館に興味はあるわ。でも、ルイスが普段過ごしているところが知りたいの。宿舎じゃなくてもいいから。ルイスがよく行く場所でもいいの」
もしかしたら、作品たちをこの先見られないかもしれない。
でも、それよりもルイスが知りたい。彼に近付きたい。
どんな風に過ごして、どんな仕事をして、何を見て、何を思っているんだろう。
ルイスは躊躇っていたが、最後は根負けして頷いた。
「…つまらない時間にならないよう、努力するとしよう」
「わがまま言ってごめんなさい」
「いや。俺のことを知ろうとしてくれるあなたの気持ちは嬉しい。だが、気が変わったら遠慮なく言ってくれ」
早速、ルイスは自室へと案内してくれた。だが、そこには箱がほんの二、三個置かれていただけで、入り口から奥を眺めて終わってしまった。
「そっか…引越しの準備ね。式典の準備と同時だと、大変だったでしょう?」
「まあ、それなりには。近いうちに聖騎士の邸へと移ることになるから、あなたも引越しの準備をしておいてほしい」
「分かったわ。一応、荷物はまとめてあるけれど…それにしても、ルイスって荷物が少ないのね」
「ほとんど処分したんだ。箱に入っているのは制服と、仕事の資料というところだな」
持っていくほど大事なものなんてない、とルイスは淡々と告げ、部屋の扉を閉めた。
「次は執務室へ行こう。公務に関わるものが多いから、申し訳ないがそちらも入室は…」
「ええ、分かっているわ。仕事場に部外者が入られたら困るもの」
「話が早くて嬉しいが、あなたを部外者と言いたいわけじゃないんだ。万が一にも、あなたにあらぬ疑いをかけられるわけにはいかない」
「ありがとう。でも、私も仕事場に関係ない人が入るのは嫌だし、そういうことはちゃんと分かっているから心配しないで」
「そういえば…あなたの仕事について知らないな」
「あ、話していなかったわね」
こうやって二人だけで話すのは、出会った日以来だ。手紙で何度もやり取りしているとはいえ、式典の話が中心で、お互いのことはほとんど触れずにいた。
「私は学校で生徒たちの昼食を作っているの。格好よく言うと、料理人ね」
「学校で料理を?」
「幼い頃からビリーに教わって、腕前はそこそこのつもりよ。料理は私が自慢できる唯一の特技なの」
アリシアは恥らうように俯いた。
料理が得意な貴族の娘なんて、滅多にいないだろう。大抵のことをこなせてしまうハンナでさえ、料理はしないのだ。
身分が肩書きとなった今でも、大半の貴族は料理を使用人にさせる。もしくは、外で食事を済ませる。それくらい、貴族がやるものではないという概念が強い。自分のことは自分でやらなくてはいけないのに。
それでもお金のない貴族は自分たちで家事を行うのだが、未婚の娘にはさせないものだ。
いつか頭の固い格上の貴族に嫁がせた時に、相手から嘲笑されないために。
平民と同じように貴族が働きに出るようになっても、まだ日は浅い。そのせいもあるのだろうが、やはり貴族の方が手際が悪く、一般の商店などではあまり雇ってもらえない。それに、肩書きを重んじる貴族たちは、どうしても役場や城勤めを望む傾向があり、一般のところは自分の価値を落とすと言い、勤めたがらないのだ。選り好みしていられないというのに、そういうところは同じ貴族として情けなく思う。
だから、今までの婚約者に特技が料理だと伝えた時、彼らは絶句したものだ。その後苦し紛れに搾り出した声で「へぇ…料理か」「家庭的なところがいいね」と返してくれた。言葉は優しくても、目は冷たい。仮にも貴族の娘が? と。
内緒にしていても良かったのだが、いずれは話すことになる。だから正直に告げたというのに、彼らは明らかに失望した様子だった。他に特技のない自分もいけないのだろうが、その態度は悲しかった。
だが、ルイスは違った。
「例えばどんな料理が得意なんだ?」
「え? ええっと、そうね…パンも生地から作れるし、スープ、肉や野菜のメイン料理も作れるわ。子供たちに好評なのは、ふわふわに焼き上げたパンケーキかな。でもね、滅多に出せないの」
「それは、何故? 好評なんだろう?」
「私だと潰れちゃうことが多くて、普通のパンケーキになっちゃうから。でも、ビリーが作るとね、厚いのにふっくらしていて絶品なの! そこにはちみつやバターが染み込むと、また美味しくて…。ルイスにも味わってもらいたいわ」
「ああ、是非。聞いているだけで腹が空いてくるよ」
食べられないのが残念だ、と肩を落とすルイスに、アリシアは嬉しくなって笑みを零した。
男の人だからたくさん食べるだろうか? ルイスは何が好きなんだろう?
誰かのために料理を作れるのが楽しみで、何を作ろうか今からワクワクする。
アリシアが喜ぶのは無理もない話だった。今まで自分が作った料理を笑顔で食べてくれるのはビリーだけだったから。
「いつかビリーのように綺麗なパンケーキが焼けたら、ルイスに一番に食べてほしいな」
「ありがとう。あなたとビリーは別として、他に絶対に譲りたくない。……アリシア」
急に声を潜めたルイスは、隣を歩くアリシアの肩を抱き、引き寄せた。
男性の持つ力強さにアリシアは胸を高鳴らせたが、廊下の角を睨みつけるルイスの鋭い目つきに、ただならぬものを感じて、瞬時に冷静になる。
耳を澄ませても、目を凝らしても、何も分からない。
一体、何があるのだろう。不安はあるものの、ルイスからそれほど強い威圧感はないから、差し迫った危険ではなさそうだ。
ルイスが厳しく言い放つ。
「ここは部外者の立ち入りを禁じております。内容によっては、それなりの処罰を受けてもらうことになりますが、それは覚悟の上でしょうか? ――ジェシー・カールソン様」
「えっ…」
よく知った名前が彼の口から出て、アリシアは思わず耳を疑った。
ジェシーがここに? どうして?
彼女の家が式典に呼ばれているのは知っていたが、騎士団の宿舎に来るとは想像できなかった。迷い込んでしまったのだろうか。
二人の強い視線を浴びながら、彼女は恐る恐る姿を現した。
「アリシアと話がしたくて…人に居場所を尋ねたら、騎士団の宿舎にいると聞いて待ち伏せしておりました。申し訳ありません」
「私に…話?」
「警備はカールソン家のあなたを信じて、入館を許可したのでしょうが、あなたの行為は許されるものではありません。名を落とし、重臣の立場を脅かすおつもりですか?」
「…そうなってもいいと、覚悟して参りました。アリシアと二人で話をさせてください。お願いします!」
頭を下げてジェシーは頼み込む。
「お願い、アリシア。私の話を聞いてほしいの」
縋るようにジェシーは言うが、何の話があるというのだろう。
賭けのこと? ローザのこと?
思い出しては駄目だと分かっていても、悔しさと惨めさが蘇り、ルイスの腕の中でアリシアは身を強張らせた。
すると、ルイスが落ち着かせるように肩をつかむ手に力を込めた。
「私に頼むのはお門違いですが、妻を傷つけるかもしれない相手と誰が話をさせると思いますか? たとえアリシアが話すことを許そうとも、私は決して許可いたしません。あなたには一刻も早く、この場から立ち去ることを求めます」
ルイスの冷ややかな声と視線に、アリシアはそれを向けられた者は立ち去るしかないだろうと思った。それほどまでに、彼は怒りをあらわにしていた。
自分のために怒ってくれる人がいる。家族以外にも。
アリシアは胸が急に苦しくなって、ルイスの腕にそっと手を置く。
「ルイス。少しだけ、聞いてみてもいい?」
「許可はできない」
「ね、お願い。ちょっとだけでいいから…」
「…あなたを傷つける言動があったら、即座に止める」
気遣う目を向けてくれる彼に、ありがとう、と頷いた。
「ジェシー。あなたの話したいことは……夫がいては出来ない話?」
「そんなことは、ないけれど…その、内容があんまり…知られたくないんじゃないかって、思って…」
「賭けのこと? それなら、夫は知っているわ。ここで話せない内容なら、次の機会に聞かせて」
そんな機会なんて、もうないけれど。
アリシアの言わんとしていることが伝わったのか、ジェシーは慌てて口を開いた。
「私、ローザたちがあなたの婚約を賭けにしているなんて知らなかったの! 信じられないかもしれないけど、本当なの!」
口ではどうとでも言える、とルイスが小声で毒づく。
「あなたと聖騎士様との縁談が持ち上がって、私、お祝いに駆けつけようと思ったのよ。だけど…お父様が…」
「来なくて正解よ。賭けになるような私と仲良くしたって…ね。それに、酷い有様だったし、あの場にいたらあなたの家にも傷がつくかもしれなかったわ」
「…違うわ。お父様は私にどちらか選べとおっしゃったの。アリシアとローザ、どちらと友達でいたいかって。それで…私は迷わずあなたとずっと友達でいたいって申し上げたの」




