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「くそっ! 負けちまった!」
一人の男の叫び声を皮切りに、広間は大騒ぎとなった。
「アリシアの隣にいるのは聖騎士なのか!?」
「馬鹿な! 聖騎士があんな若いなんて聞いたことないぞ!」
「信じられないけど、あの服は騎士のものとは違うわ! 間違いないのよ!」
「新しい絵画を買う予定だったってのに…妻になんて言えばいいか…」
「私だってネックレスを新調するつもりだったのよ。これじゃあ、見送らなきゃいけないわ」
取り乱す貴族たちの姿に、アリシアは目を剥いた。
見返したいと思っていたけれど、まさかこんなに気が動転する彼らを見ることになるとは思わなかった。
本当は「馬鹿にしていたアリシアに、あんないい男が!?」と衝撃を受けてもらう予定だったのだが、これはこれで良いのかもしれない。残念な点とすれば、彼らの頭の中が賭け金の損失でいっぱいなことだろうか。
アリシアが小さな溜め息をついた時、絶叫の後しばらく放心状態にあったローザがテーブルを叩いた。
「私が負けたっていうの…!? あの使用人の一人勝ちになっちゃうじゃない!」
「お、落ち着けローザ!」
「どういうことよ!? あんな若い男だなんて話が違うわ! 聖騎士は年老いているはずじゃなかったの!?」
「俺だってまさか若いなんて知らなかったんだよ!」
ローザの剣幕と金切り声に、情報を与えた男はうろたえる。今にもつかみかからん勢いだった。
遠目で見ているアリシアにも、彼女の血走った目つきは恐ろしかった。間近でその目を向けられている男は、どれほどの恐怖を感じているだろうか。
彼女は男の必死の言い訳にも、頭を振って耳を貸そうとしない。
金が絡むと人は変わる。聞いたことがあったが、まさかこれほどとは思わなかった。
ローザの変わりようを目の当たりにして、自分は特に気をつけようと胸に刻む。ルイスの妻となったからには、あんな醜態を人には決して見せられない。
でも、どうしてあんなに怒りに震えているんだろう。賭け金を失うのは悔しいだろうが、彼女がテーブルに置いたのは銀貨一、二枚だったはず。全財産を賭けてくれたビリーと違い、貴族の彼女からすれば、あれくらいの損失は痛手にもならない。
彼女に不審な目を向けていると、段々と他の来客たちが冷静さを取り戻しつつあることに気付いた。酒に酔っているとは言え、自分たちがどれほどの醜態を聖騎士の前で晒しているのか自覚したのだろう。
「賭け…とはどんなことか、私にも納得ができるように、是非説明を聞かせていただけないだろうか」
気まずそうな顔をする彼らを切り捨てるように、ルイスは薄ら笑いを浮かべながら言い放った。途端におろおろし始める来客たちの中、一人が声を裏返らせながら立ち上がる。先ほどまでローザを相手にうろたえていた男だった。
「せ、聖騎士様! た、ただの余興です! 酒の席の賭けは、遊びのようなものです!」
「そ…そうなんです! あれは余興の一部でして、何ら他意はございません」
余興だったと、賭けに乗った貴族たちは口々に言い合う。
「たとえ余興とは言え、賭けは賭けだ。認められた賭博場以外での賭け事は厳しく禁じられているのはあなた方もご存知のはず。どんな些細なものであっても、処罰の対象となることも」
初耳だ。賭博なんて興味もないし、自分には一切関係ないものだと思っていたから、余計に驚いた。
「処罰の内容は地位の剥奪、財産の没収、罰金など様々だ」
「違います! 本当に余興です! このお祝いの席を盛り上げようとしたまでで!」
「なら、そのテーブルの上の硬貨は?」
「我々からのささやかな祝い金ですよ!」
「額がなかなかのものに思えるが?」
「え、えっと……そ、そこの使用人がむきになって、出してきたんです!」
何としても余興と言い張るつもりらしい。
ビリー以外の全員が賭けは遊びだったと言い、最後はビリーに委ねられることになった。ここで賭けが成立していたことを言えば、彼も処罰されてしまう。
ルイスの袖を引っ張り、小声で懇願する。
「ビリーは私のために全財産を賭けてくれたの。彼だけは、処罰しないで」
「浮かれた貴族どもを少し懲らしめてやろうとしただけだ。元から彼を処罰するつもりはない」
その答えを聞いて安心したが、ビリーがどう答えるか分からない。
アリシアは彼に向かって、言っちゃだめと首を横に振った。
「……限りなく本気の余興、だったのかもしれません。私はお嬢様の幸せそうなお姿を見られただけで心から幸せです」
ビリーは不服そうだったが、アリシアの無言の願いに頷いた。全員がほっと息をついたところで、ルイスがそれなら、と布を取り出した。
「妻の幸せを願い、全財産を投げ打ってくれたあなたに、感謝の証としてこれを受け取ってもらいたい」
それは、アリシアが庭で拾った上等な布だった。あの時は、ドレスが何枚も買えると思ったが、今よく見ればもっと価値の高いものだと分かる。小さな邸なら一つ、買えてしまうのではないだろうか。
そんな高価なものを置き忘れるルイスもルイスだと思うが、素手で拾った自分も信じられない。ふらりと気を失いそうになる。
渡されたビリーも困惑をあらわにしていた。対照的に、周りの貴族たちは身を乗り出して、その布を凝視している。彼らの頭の中には、布と同等の高級品がぐるぐると回っているに違いない。
「これは王室お抱えの職人が誂えたもので、王がお召しになっている服と同じ素材だ」
ビリーが硬直する。布を持ったまま、身動き一つしない。
「そんな高価なものを、使用人に…? あの聖騎士は馬鹿なんじゃないか」
「そうだ、アリシアと結婚するような男だ。価値も分からない奴なんだよ」
ひそひそと非難する貴族に、アリシアは聞こえよがしに咳払いをする。ぴたりと悪口はやんだものの、不満な顔は隠せていない。
隙あらば奪ってやろう――と誰もが目を光らせた瞬間、ルイスは釘を刺した。
「ビリー殿、これはあなただけに差し上げた。もしも、他者が王族しか持ち得ないこの布を所持していた場合、その者は処罰ではなく……処刑となるので覚えておくように」
貴族たちが一斉に喉下を押さえたように見えたのは、きっと気のせいじゃないだろう。




