不器用な男
ウォーレンは思考の中だと割りと毒を吐いています。
自分に厳しく、他人には興味が薄い男です。
彼らのクラスメートが事を認識できたのは、その爆発の数瞬後だった。
ゴム毬のようにバウンドを繰り返すウォーレンを心配する者、超常的な現象を引き起こしたアリストに賞賛の視線を送る者、様々だったが皆一様に興奮状態だった。
勢いに逆らわずに跳ね続けたウォーレンの思考は周りの様子とは裏腹にやけに冷静だった。
(完全に驕りましたね。平穏な空気に染まってしまったのでしょうか)
アリストとの交錯の瞬間にウォーレンは確かに動揺していた。
冷静さを欠いて慌てて張ったのは、到底間に合うことのない防御魔術。
例え動揺で時を逃したとしても、その防御魔術の行使と共にダメージを受け流す動きも出来たはずだ。
それが、不完全な防御魔術のみで、至近距離から直撃を貰うという体たらく。
彼の動揺にはもちろん理由があった。彼女、アリストの使用した技術が彼の師が好んで使うものの一つと同じであったからだ。
もちろん、精度や威力などは比べるまでもない。しかし、彼はあの瞬間確かに"飲まれた"。
唇から流れ出た血を舐め反省を終えると、彼の思考は次にアリストの"状態"に向かった。
(無事ではないでしょうね……)
そこまで、考えて彼は思考を打ち切り、受け身を取る。
それは、魔術を併用し、勢いを完璧に殺したもの。
まるで、ダメージを受けた風には見えないウォーレンに対してクラスメート達は改めて思っていた。
魔術科辞めて戦士科行けよ、と。
対するアリストはようやくその姿を砂埃の中から現した。
彼女の足元はクレーター状に綺麗に沈みこんでいた。
いつもは綺麗に輝きを放っている褐色の髪は土埃にまみれてしまっている。
彼女の身体に大きな外傷は見られない。しかし、心なしか顔色が悪い。
アリストはゆっくりと視線を上げ、ウォーレンを見る。ダメージを受けていない彼の様子に……何故だか彼女の心が踊った。
「ようやく、一撃を入れる事に成功したぞ。さぁ、ウォーレン。続きを……」
そう言いかけて、彼女は足元から崩れ落ちた。
数瞬後に上がるクラスメートの悲鳴。場は途端にパニックで溢れた。
その場を制したのは、担当教官のアリエッタではなく、ウォーレンだった。
「みなさん静かに。彼女の症状は魔力欠乏です。先生は救護班を呼んで下さい。私はこの場を持たせます」
ウォーレンの声は誰の耳にも良く通った。
阿鼻叫喚とかした場は、一瞬で収まった。彼が声と共に紛れもない"殺気"を振りまいたからだ。
それは用意にその場にいた全員を縛った。唯一、まともな反応を返せたのはやはり場数を踏んだアリエッタだった。
「ウォーレン、確かに任せたわよ」
そう言い残して得意の風の魔術で全力で校舎へ向かうアリエッタ。
その判断はほんの数瞬で降された。1年次からの付き合いのアリエッタはそれだけウォーレンの事を信頼していた。
アリエッタが消えた空をどこか放心したような顔で眺めているクラスメートを残置し、ウォーレンはアリストの下へ急ぐ。
急いで彼女を楽な姿勢へと寝かせ、意識の状態、呼吸の有無等を確認する。
意識はなく、呼吸は非常に浅い。ヒュー、ヒューと掠れた様な音が聞こえる。
顔色は先程よりも悪く、病院で長年起き上がれない病人の様に青白い。
手を取って体温を確かめたが、こちらも最悪だった。
今はまだ戦いの熱が残っているが、数分もしないうちに冷たくなってしまうだろう。
ウォーレンはあっさりと"覚悟"を決め、魔術の詠唱に入る。
周りのクラスメートは硬直から抜けきっていない。それでも、この光景が異常だということがわかる。
魔力欠乏に関しては学園の魔術科では毎年必ずと言っていいほど現れ、その光景を見ることは珍しくはない。
しかし、こんなにも症状が悪くなった例など聞いたことがなかった。
「アリストさんの保有魔力量だ……」
誰かが呟いたその言葉で、その場にいた全員が初めて状況を理解する。
魔力欠乏症は体中の魔力が限りなく0に近くなると起こる症状で特段恐ろしいものではないが、ある厄介な性質を持っている。
その症状は最大魔力保有量に比例して凄まじいものになるというものだ。
そして、ここにいるアリストは学園の上級生をひっくるめても、上位に食い込めるほどの魔力の持ち主。
それは想像を絶する反動に違いなかった。
クラスメート全員の動きを無視して、ウォーレンは魔術の詠唱を続ける。
一刻を争う段階で焦らず、ただ淡々と自分の成すべきことをする。
先ほどの殺気といい、この雰囲気といい、周囲の者は誰も声をかけられる状況ではなかった。
クラスメートがウォーレンに対して抱く感情は、決して良いものではない。
この男がいなければ、そもそもアリストは限界を超えての魔力欠乏症などにはならずに済んだのだ。
しかし、同時にこの男があのアリエッタに認めれている力量の持ち主だということも悟る。
アリエッタ、それはこの魔術科に在籍するものならば誰もが知っている教師。
そして、プライドの高いSクラスの生徒ですら、その実力には誰も文句をつけることが出来ないだろう。
アリエッタが模擬演技と称して全魔術科生徒の前で魔術を行使した時など、グランドが竜巻で吹き上がり、晴天を割って雷が落ちてきた。
そのアリエッタが倒れたアリストを放って、救護を"呼ぶ"側に回ったのだ。
これが彼女の意志ならば、それは尊重しなくてはならない。
クラスメートが葛藤する中、ウォーレンは最後の仕上げを終えた。
「彼の者に魔力を……トランスファーマジック」
この場にいた誰もが、彼のその言葉に……耳を疑った。
行使された魔術は術者から対象へ魔力を移すもの。
それ自体は良い。魔力欠乏症を直すための正統な手段の一つだからだ。
問題はその魔術と使用者である。確かに効果だけ聞けば、この魔術はある種の万能さすら持っているように感じる。
しかし、実際移すことが出来る魔力は、一般の行使者で使用魔力の"1/100"、熟練の者でもその2倍"1/50"、回復を生業としている者でようやく"1/10"。
ましてその行使者が魔力の少ないウォーレンであれば、その結果は火を見るよりも明らかであった。
「あんた、ふざけんじゃないわよ!」
硬直から解け、真っ先に声を張り上げウォーレンに掴みかかったのはコスモ。
ウォーレンは無抵抗のまま彼女の為すがままになっている。
「魔力欠乏症っていうのは保有魔力が大きければ大きいほど、反動が酷いのよ!? 最悪、命を落とす可能性だってあるの!」
言葉を荒らげるコスモはウォーレンへの怒りとともに、自分の無力さを感じていた。
あの場でウォーレンに頼ってしまった自分。
少なくとも魔力を譲渡するやり方なら彼女にもやれることはあったはずだ。
しかし、彼女の力量はそれを成すには不足していた。
彼女の特性―――得意とする魔術が"癒し"へと寄ったものであるにも関わらずだ。
ウォーレンが僅か30秒程で詠唱を終えたこの魔術であるが、本来はもっと時間がかかる。
コスモが同じ事をやるにしても詠唱前に準備として、術式を周辺の地面に刻み補完しなくてはこの魔術は成功しない。
それは他のクラスメートも同様だ。
難度が高い上に、所謂"役に立たない"魔術の修練に時間を費やすほど、Sクラスの生徒は暇ではない。
その点においては、僅か30秒で詠唱を成功まで持っていったウォーレンをアリストの回復に当てたアリエッタの考えは間違いではなかった。
あくまでも"その点においては"だが。
「その魔術はゴミみたいな魔力量のあんたじゃ、ほとんど効果がないのっ!」
そうウォーレンとアリエッタの取った策は所謂、次善策だ。
ベストはおそらく、その場にいた者、全員で魔力の供給を行う事だろう。
しかし、まだ精神が未熟な学生達があの場の雰囲気で暴走を起こさずに、魔術を制御できるとはウォーレンもアリエッタも思わなかった。
そして、アリエッタを含め個人で魔力欠乏症の治療を行える者はあの場にはいなかった。
そのため、彼らは専門の者を呼んでくるか、こちらが連れて行くかどちらかを選ばなければならなかったのだ。
揺れが発生する後者は論外。ここまで、ウォーレンとアリエッタの思考は一致していた。
ウォーレンの言葉に対するアリエッタの逡巡は、一番リソースを持っている自分を残して他の生徒を呼びに行かせるか、自身が高速飛行を行い他の者にあの場を任せるかのニ択で、教育者として本当に後者を取って良いかという迷いであった。
アリエッタは高位の魔術師だ。しかし、それがイコール魔術全般の技術に優れている事ではない。得手不得手がもちろん存在する。
アリストの側で自身が有用な何かが出来るかという問いかけに対し、アリエッタは明確に"NO"という答えを出す事が出来た。
だから、"優秀な"ウォーレンの言葉に場を任せてアリエッタは空を駆けた。
「コスモさん、そこまでですよ」
ふわりと上空から舞い降りた気配に場が静まる。
それは風を纏ったアリエッタだった。
彼女が飛び立ってからの時間、それは1分を過ぎるか過ぎないかという時間であった。
校舎までの距離が500m程とあまり離れていないにせよ、往復するにはあまりにも早すぎる時間だ。
そこで、一部のクラスメートは気づく。1分?
……否、事情を説明する時間を考慮すれば、移動にかけられる時間はその半分程なのではないかと。
アリエッタはウォーレンに掴みかかっているコスモを制し、改めてアリストの状態を見る。
顔には生気が戻っており、表情も安らかなものとなっている。
ここにきてようやく自分の選択が間違いでなかったとわかり、ほっと安堵の息をつく。
「救護班があとちょっとで到着するから、それまではみんな静かにするように」
そこでようやくアリストの状態が回復に向かっていることにクラスの面々が気づく。
間近でアリストの様子を見たコスモは、思わず声をあげる。
「嘘でしょ、さっきまで……凄い苦しそうだったのに」
アリストの様子は明らかに一時の危篤状態を脱していた。
コスモとウォーレンのやり取りに目を奪われて、クラスメートは誰も気づかなかったのだ。
「コスモさん、あなたがアリストさんを大事に思う気持ちも分かるし、ここでウォーレンが何をやったかっていうのもだいたい想像がつくわ。で、肝心のあなたは彼女のために何かできたの?」
それは辛辣な問いかけだった。
その言葉に唇を噛み締めるコスモ。
ウォーレンに掴みかかっていた腕は……ゆっくりと降ろされた。
「それからみんなも聞いて。この先、魔術師をやっていく上で、一瞬一瞬の判断を迫られる時が必ずまたくる。今日の自分の判断、起こそうとした行動、全てを思い返して反省をして胸に刻みなさい。……じゃないと、いつか判断を誤って大切な仲間を失うわよ」
Sクラスの面々は沈痛な面持ちでその言葉を聞いていた。
この言葉は授業で聞かされた他のどんな言葉よりも重く感じた。
魔術を扱う上で命の危険はいつだってある。
それは、魔物や他国の兵と戦う時、そういった戦闘時に限らず、魔術の制御に失敗した時や薬品の調合を誤った時など多岐に渡る。
アリエッタの言いたかった事は、要するにどんな時も気を緩めない事。
そして、いざ事が起こっても冷静であれという事だ。
「それから、元凶のウォーレン。あなたは先に教室に戻ってなさい」
どうやらコスモに頭を激しく揺さぶられたせいで、ウォーレンは声を返す気力もないらしい。
彼は片手を上げて了解の意を示すと、校舎の方へ歩いて行った。
代わりにこの場にやってきたのは救護班だった。
テキパキと処置を進める救護班の動きはウォーレンが施したものよりもずっと分かりやすいものだった。
しかし、それよりもクラスメートにとって印象的だったものがある。
職員が処置の中で呟いた「それにしてもまだ2年生だっていうのに優秀ね。何人で治療に当たったかは分からないけど、さすがにSクラスね」という言葉だ。
誰も彼もが何も口に出さなかった。
胸の内に溜まった思いは嫉妬ではなく純粋な悔しさだった。
「あと、コスモさん。今すぐウォーレンを追って謝っておきなさい。親友を助けられた恩人に暴言吐いたままっていうのは良くないと思うわ。あと、今後のしこりを残さないように」
アリエッタの言葉を聞いたコスモは、はっとなってすぐに走りだした。
胸の内はぐちゃぐちゃだったが、とにかくウォーレンと話をしなければいけないと思っていた。
コスモはウォーレンを教室に帰るまでもなく、その途中で見付ける事ができた。
何故だか校舎の壁に持たれて座り込んでいる。
顔色が悪い。呼吸も浅そうだ。
コスモを襲ったのは既視感。
「あんたなんで!?」
理由などはっきりとしている。
彼が自分の"全魔力"をアリストの治療のために使ったからだ。
コスモが聞いたのはその先の理由だ。
迷いもせず自身の魔力を全て使い切るなど正気の沙汰ではない。
親友のコスモですらためらいなく、自身の全魔力を注ぐ事は出来ないであろう。
事実、彼女は何も行動を起こせなかった。
「魔力欠乏症は……魔力の保有量が大きければ大きいほど、その反動が強いんです……」
掠れた声で言葉を紡ぎだすウォーレン。
アリストが崩れ落ちた時、ウォーレンが思い出したのは過去の出来事。
殺しても死なないような彼の師が一度だけ、同じ症状を起こしたことがあった。
その時、彼の師は「人生で初めて死ぬかと思ったわい」と言っていた。
「……裏を返せば私のような魔力の者であれば大した苦痛ではないのです」
口調とは裏腹にその顔は苦痛で歪んでいる。
「ならば、こうしたほうが合理的に思えませんか?」
望まれない行為を自ら買って出て、クラスメートには罵倒され、魔力欠乏症で具合の悪い身体は思いきり揺すぶられ、一人ボロボロの状態で校舎裏に座り込んでいる男。
それは自己犠牲にも程がある行為だった。
「あんた、ほんと馬鹿でしょ!」
いつの間にか座り込んでしまったコスモが手を上げ、コツンと彼の胸を力なく叩く。
小さなゲンコツが何度も何度も彼の胸を叩いた。
……そう、何度も何度も。
ウォーレンは自身の行いに何一つ疑いを持っていなかった。
だから、コスモが目に涙を浮かべ、何度も何度も彼を叩く理由が……分からなかった。
アリストの体調を気遣い、彼女に付き添うようにして保健室へ向かったクラスメート達だが、コスモが戻らなかった事については気づいていなかった。
アリエッタはただ一人、何も気づかないふりを続けるのであった。
5月の風はどこか暖かさを持ってウォーレンとコスモの二人を包んでいた。
お、おかしい。
何か間違ったフラグが……orz