教師の常識
ウォーレンが学園へ入学する前の話になります。
生徒からはすこぶる評判の悪いウォーレンであったが、教師からの評判は良い。
魔力はないが座学の成績は頭一つ抜けるどころか、学園始まって以来の優秀さであるからだ。
また、魔術に対して誰よりも深い理解を持っているのも非常に好感を持てる。
中には飛び級をさせて、早く研究室に所属させたいという教師までいる。
が、彼の真の実力に気がついている教師は少ないのではないかと、アリエッタ……彼の1年次の担任は思っている。
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アリエッタとウォーレンのファーストコンタクトはウォーレンの入学試験の実技試験の時である。
学園の試験は非常にシンプルなものとなっており、試験の難度も高くはない。
落とすための試験ではなく、入学後の適正や方向性を見定めるための試験と言って良い。
入学をする科に関わらず、筆記・実技の2種類の試験を学園は課しているが、実技試験は面接の要素も含まれている。
実技試験の会場として用意されたのは、学園の修練室の一つ。
ある程度の魔術までは相殺可能な術紋が壁に刻まれたこの部屋は初めて入る者を多少萎縮させるかもしれない。
この試験会場には、学園長とアリエッタ、他にも三人ほど教師がいた。今代の学園長が魔術師であることは周知の事実であり、この場にいることの不自然さはそこまで大きくない。
多忙な時間の合間を縫って彼が全ての魔術科志望の生徒の試験に顔を出しているのは、若い才能から刺激を受けたいとの理由かららしい。
また、その魔術特性によっては熟練者でなければ、見落としてしまう事象もあるため、わざわざ魔術師として最高の実力者である彼がこの場にいるとの事。
もっとも、アリエッタは自身のようにレベルの高い魔術師がいるならば、そんな不幸な事故も防げるだろうと思っていた。
彼女はまだ学園の教師としての歴は浅いが、十分に上位の教師と言えるだけの実力を備えていると自負していた。
上昇志向も強く、教師になってからも変わらない魔術を学ぶことへの貪欲さは、実力者が多いこの学園の教師陣の中でも一目置かれる程のものであった。
試験も佳境に入ってきた所で、アリエッタは一つの資料に目を止める。
彼女の目を引いたのは資料に書かれた圧倒的に低い魔力値。生徒の名前はウォーレン。苗字がないのはおそらく孤児の出だろう。
学費が安く、入学の難度が低い学園の存在は孤児院出身の者にとってはある種の希望である。しかし、それは幻想とも言えることをアリエッタは知っている。
特に魔術に関しては先天性の才能に加え、幼少の時期からどれだけ魔術に触れられる場所で育ったか――すなわち後天性の環境によっても、その後の実力が大きく変わってくる。
他の学科で孤児院や農村出身の者が大成した事例はあった。
それは学園の趣旨でもある。しかし、こと魔術科に限ればそれはかなりの特殊な事例となる。
この時点でアリエッタはウォーレンが入学する可能性はあるもの、"魔術師"としてこの学園を卒業できる可能性はないと思っていた。
部屋に入ってきたウォーレンの容姿についてアリエッタが思うことは特になかった。
黒髪、黒目が多少珍しいぐらいか。資料から違いなく、その身体から発せられる魔力はかなり少ないように感じた。
それよりも彼女には興味が引かれた事があった。
アリエッタは教師に囲まれたウォーレンから些細な緊張ですら感じ取ることはできなかった。
試験前特有のやる気に満ちた様子や、自分を少しでもよく見せようと気負った様子もない。
15歳という年齢にしてはやけに落ち着いているとアリエッタはここにきて少しだけ、ウォーレンの株を上げる。
「では、これより実技試験を始める。どのような攻撃魔術でもいいので属性魔術を行使する事」
部屋に入ったウォーレンに対して試験官の一人がおもむろに告げた。
試験課題として出された属性魔術であるが、一般には火、水、土、風、光、闇で構成されている。
さらにそれらを組み合わせた応用、複合の属性魔術はあるが、入学試験では滅多にお目にかかれない。
試験としての採点項目は使用魔術の階級、詠唱速度、制御力、使用出来る属性の種類といったところか。
試験官の合図を皮切りに彼はおもむろに呟いた。
「火よ……あれ」
その瞬間、アリエッタの身体が条件反射で魔術を構成する。全身が強張り、頭の中で警鐘が鳴る。
彼女は全身から汗が吹き出るのを感じた。
学園長の手がさっとアリエッタを制止するまでのコンマ数秒、彼女は久しぶりの緊張を味わった。
ウォーレンの言葉から遅れて一拍、彼の手のひらの上に火属性の基礎魔術が発動する。
ゆらゆらと揺れる炎はアリエッタが普段目にしているものと変わらない。
最下級の魔術であるため、試験では滅多に見ない魔術だ。というよりもその年の試験では誰も行使をしていなかった様にアリエッタは記憶している。
が、しかし彼の魔術行使から明らかな違和感を彼女は感じていた。
(魔力の使用量が少な過ぎる!)
魔術は必要な魔力を注がなければ、必ず暴発する。
よって、魔術師はかなりの安全マージンを取って魔術を発動する。
また、この必要魔力の最適量は文字通りギリギリいっぱいなので、そもそも最適量という考え方がナンセンスだ。
(私の感覚では100%暴発する魔力量だった。学園長の感覚ではセーフ。他の試験官は気づいてすらいない)
他の試験官は「下級魔術ながら、なかなかの発動速度だ」と的外れなことを話している。
(稀に先天的な得意属性に限って、自由自在に魔術を操れるという話は聞いたことがあるが、彼もその類か?)
かく言うアリエッタも風の属性については、教師陣の中でも他の追従を許さない程に抜きん出ている。
それでも、この歳まで最下級の魔術でさえ、最適量を割り出すことが出来なかった。
魔術師の歴史の裏側に存在する行使魔力の最適量を求めるという至上命題。今、アリエッタが目にしているのは、もしかすると魔術師の歴史に残る出来事なのかもしれない。
アリエッタの思惑をよそに学園長が発言する。
「他の属性の魔術はどうじゃ?」
すると彼はそれに答えるように魔術を発動する。
「水、風、土よ……あれ」
彼の手の平には先ほどと同じような各属性の魔術が発動する。
ゆらゆらとお互いの存在を確かめ合うように回転を続ける魔術を唖然とした表情でアリエッタは眺めていた。
今度は身構える気力すら起きなかった。
魔術を見た他の試験官から「4属性行使に、連続発動、最下級の魔術とはいえ実技面ではギリギリ問題がなさそうですね」との声が上がる。
「……あり得ない」
彼女の口からは思わず本音が漏れていた。先ほどと同じく全ての魔術が通常の魔力量より、圧倒的に低い量で使用された。
こと風の魔術に関しては一時期、彼女も最適量を割り出そうとがむしゃらに挑戦していたため、この青年ウォーレンがどれだけの事を今の短時間で行ったか、正確に把握できた。
アリエッタが同じことをやろうとすれば全て暴発。頭がクラクラした。
「ありえないことを起こすのが魔術師です。試験はこれだけなら失礼しますね」
右手を振り魔術をかき消したウォーレンはそのまま席を立ち部屋の外へと向かう。
「あはは、違いない」
ジョークの一種だろうと笑い合っている同僚をアリエッタは殴り倒したい衝動に駆られていた。
学園長はとてもご機嫌そうに笑っていた。
この日を境にアリエッタの魔術の常識はことごとく壊れていく。
これで、2章は終わりとなります。
裏話ですが、この小説は初期の段階では、こんな感じでウォーレンについて、一話ごとに違う立場から話を進めていく、短編連載型をイメージしていました。
あまりにもストーリー性がないため、却下となりましたが……。
そして、次の章からメインのストーリーへと突入します。