魔国脱出(3)
スタスタと足音が近づいてくる。
誰だろうか。
その音はどんどん近づいてきて、私のいる牢の前で止まった。
はっと息を呑む気配。
しばらくぶりの人の気配に、不覚にも涙が出そうになる。
私はかなり弱っているみたいだ。
僅かに残る気力で、その気配の方へと頭を動かした。
その人影は沈黙して、こちらをずっと見つめている。
「…」
しばらくして、その人影は牢の扉に近づき、カチャカチャと音を鳴らし始めた。
そして、その音はカシンという音を最後に静まる。
ギギギと軋みながら扉が開けられるのを感じた。
スタスタスタと急ぎ足で近づいてくる気配。
私のすぐ傍まで寄ると、それは小さな声で話しかけた。
「魔王さま、助けに参りました。」
その声は少し震えていた。
そしてそれは、私がよく知っている声。
あの子の声だ。
「リディ…?」
気力で搾り出した私の声は、蚊が鳴くよりも小さかったが、彼女には聞こえたようだ。
「はい、リディです。今、枷を外しますので、少々お待ちください。」
そう言って、彼女は私を拘束する枷に手をかける。
「それは困りますねぇ。」
それは、牢獄の奥から聞こえた。
リディの手が止まり、声の方を向き、ナイフを構える。
その直後、牢獄が光で溢れた。
私もリディも、突然の光に視界を奪われ、身動きが取れない。
「その娘を捕らえろ!」
バタバタと駆けて来る複数の気配。
「魔王さまっ!魔王さまぁ!!離して!離せぇ!!」
リディの悲痛な叫びに、私は歯を食い縛る。
「いやぁ…何者かが貴方のことを探っているのは分かっていたんです。」
光に目が慣れてくると、その人物が誰なのかを確信する。
この神経を逆撫でするような声はもしやと思っていた。
「貴様、デルマンか…」
我が弟に組する腹心の一人。
命の冒涜者、狂魔学者、死者の王、多くの忌み名を持つ悪意の権化。
魔国史上、最悪の魔術師デルマン。
「ご名答です、魔王陛下。いえ、元魔王陛下でしたね。」
何が可笑しいのか、クツクツと笑うデルマン。
「それでですね、その何者かを炙り出すために、わざと手掛かりを残しておいたんですよ。」
リディが捕らわれている方を見ると、その表情には絶望が浮かんでいる。
「まさか単独で行動していたとはねぇ。貴方も案外人望が無い。」
からかうようにクツクツと笑い続けるデルマンに、私は殺意を向けた。
「おお怖い。…さてさて、この娘をどうしてやりましょうかねぇ?」
内心恐れていたその言葉。
私を拘束していた鎖がガチャリと鳴る。
それを見たデルマンがニヤリと不気味に笑う。
その目には好奇の色。
「バラバラにしてキメラの材料にしてしまいましょうかねぇ?」
リディの顔色が恐怖に染まる。
「ねぇ、元陛下、どうしたらいいと思います?」
「デルマン卿、お願いです…どうか…リディに酷いことは…」
私に残されたのは、懇願すること。
彼女を死なせることは絶対に避けなければ。
「この娘がそんなに大切ですか?」
「…」
私は沈黙するしかない。
奴に僅かでも良心が残っていると信じて。
しかし、奴はクツクツと笑うのみ。
「…その娘を実験室に連れて行け。」
予感していた通り、絶望しかなかった。
しかし、まだ私にはできることが残されている。
残された力はあと僅か。
それに私の命を足して、成功率は五分。
その後も考えればキリが無いが、今はもうこれしか無い。
覚悟を決めた私に敵うものなど、何も無い。
「リディ…大丈夫。私に任せなさい…」
「魔王さま…?」
私を拘束している鎖がバキンと砕け、破片が散らばる。
「な…封魔の鎖が砕けた?!」
デルマンの表情が驚愕に染まる。
リディを連行していた兵たちも足を止め、こちらを振り向いた。
「デルマン、今日の所は見逃してあげるわ。」
牢を破り、兵たちを薙ぎ払い、蹴散らして、リディに駆け寄る。
「魔王さま…え?え?」
未だに理解できていないリディ。
「大丈夫、私を信じなさい。」
奴らが動き出す前に、私は素早く魔力を練る。
足りない分は命を削り、補っていく。
「くっ、逃げる気ですねぇ!」
デルマンも何やら魔力を練り始める。
「ふ…遅い!『理の精霊に願う、我らをあの地に』!!」
魔王とリディを中心に光の波動が噴出す。
そして二人の姿は光の渦に飲み込まれ、牢獄から消え去った。
衝撃で壁に叩きつけられたデルマンは、ふらりと立ち上がり、周囲を探る。
「…ちぃ、逃げられましたか。」
そして、ちらりと倒れた兵たちを見る。
「とりあえず、アナタたちは材料決定ですねぇ。」
絶望の悲鳴が牢獄に響き渡った。