第9話 地名が語る“街の記憶”
春休み六日目。
建長寺での体験がまだ胸の奥に残っていた。
思想が空間を形づくり、生活そのものが修行になるという感覚は、湊にとって新鮮だった。
「今日は……地名を見て歩いてみようかな」
ふと、そんな考えが浮かんだ。
昨日までの散歩で、坂の名前や川沿いの地名が気になっていたからだ。
湊は、鎌倉駅から少し離れた大町方面へ歩き出した。
観光客が少なく、地元の生活が色濃く残るエリアだ。
最初に目に入ったのは、何気ないバス停の名前。
――「大町四つ角」
「四つ角……?」
湊は立ち止まった。
地名の由来を調べたわけではない。
ただ、昨日までの“視点の変化”が、自然と疑問を生む。
「昔、この辺りが交通の要所だったってことなのかな」
そう思いながら歩くと、次に目に入ったのは小さな橋。
――「材木座入口」
「材木座……材木?」
湊は橋の欄干に手を置き、川を覗き込んだ。
今は細い川だが、古地図ではもっと大きな流れだった。
「ここから材木を運んでたのか……?」
海が近い。
港町としての鎌倉の姿が、ぼんやりと浮かび上がる。
さらに歩くと、古い石碑が立っていた。
――「六地蔵」
「六地蔵……あ、これ、旅の分岐点に置かれるやつだ」
資料室で読んだ知識がつながる。
六地蔵は、旅の安全を祈るために置かれることが多い。
つまり――
「昔、この道は“街道”だったんだ」
湊は鳥肌が立った。
地名が、街の“過去の姿”を語り始めている。
湊はノートを開き、今日の気づきを書き込んだ。
・大町四つ角 → 交通の要所?
・材木座入口 → 港町としての名残
・六地蔵 → 旅の分岐点=街道の痕跡
・地名は“生活の記憶”を残す
書き終えると、胸がじんわりと熱くなった。
「……地名って、すごいな」
ただの名前だと思っていたものが、
人々の生活、街の役割、昔の地形――
さまざまな“記憶”を抱えている。
湊は歩きながら、ふと気づいた。
「これ、生徒に絶対ウケるな……」
“知ってるよ”と言われても、
「じゃあ、この地名の意味は?」と問いかけられる。
そこから、街の歴史が一気に立ち上がる。
湊は空を見上げた。
春の光が、街の屋根をやわらかく照らしている。
「材木座の海まで行ってみようかな」
地名が語る“街の記憶”は、
湊の中で新しい冒険の扉を開いていた。




