第2話 散歩で出会う“知らない鎌倉”
春休み直前の週末。
湊は、特に目的もなく家を出た。
「鎌倉を歩き直す」と決めたものの、どこから手をつければいいのか分からなかったからだ。
空は薄い雲に覆われていたが、海風はやわらかく、春の匂いが混じっていた。
家の前の坂道を下りると、見慣れた住宅街が広がっている。
小学生の頃から何度も通った道。
部活帰りに友達とふざけながら歩いた道。
何も特別なものはない――はずだった。
ふと、湊の足が止まった。
住宅街の角に、古びた石垣がある。
苔むした石が不規則に積まれ、ところどころ欠けている。
昔からそこにあったはずなのに、湊は初めて“それを見た”ような気がした。
「……これ、いつからあったっけ」
自分でも驚くほど小さな声が漏れた。
石垣の上には新しい家が建っている。
でも、その土台だけは明らかに古い。
江戸時代か、それより前か――そんなことを考えたのは初めてだった。
教授の言葉が頭をよぎる。
――空気は、意識しないと見えない。
湊は石垣に近づき、手で触れてみた。
ひんやりとした感触が指先に伝わる。
ただの石なのに、何かが胸の奥でざわついた。
「……なんで、ここに石垣が?」
疑問が生まれた瞬間、景色が少しだけ違って見えた。
湊は歩き出した。
今度は、周囲を注意深く見ながら。
すると、また足が止まる。
細い路地の入口に、小さな祠があった。
赤い布が風に揺れ、古い石の狐がこちらを見ている。
子どもの頃は「なんか怖い」と思って通り過ぎていた場所だ。
「これ……何の祠なんだろう」
湊はスマホを取り出し、写真を撮った。
調べようと思ったのは、これが初めてだった。
さらに歩くと、坂の名前が目に入った。
“○○切通し下”
「切通し……?」
湊は思わず立ち止まった。
切通しといえば、鎌倉七口のあれだ。
でも、こんな住宅街の坂にその名残があるなんて、考えたこともなかった。
坂の形をよく見ると、両側が不自然に高く、道が谷のように細くなっている。
まるで、昔の地形がそのまま残っているようだった。
「……本当に、知らないことだらけだな」
湊は苦笑した。
自分は鎌倉を知っているつもりだった。
でも、散歩しただけで、こんなにも“知らない鎌倉”が顔を出す。
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
そのとき、遠くから江ノ電のベルが聞こえた。
観光客の笑い声が混じり、春の風が頬を撫でる。
湊はスマホのメモアプリを開き、今日の気づきを書き込んだ。
・住宅街の古い石垣
・祠の由来
・切通しの名残?
・坂の形が昔の地形っぽい
書きながら、胸が高鳴った。
「……面白いな、これ」
湊は思わず笑った。
散歩しただけで、こんなに“発見”があるなんて思わなかった。
教授の言葉が、今になって深く響く。
――歴史を“発見”として扱えば、どれだけ知っていても面白くなる。
湊は空を見上げた。
雲の切れ間から、春の光が差し込んでいる。
「よし……次は、ちゃんと調べてみよう」
湊は歩き出した。
足取りは軽く、胸の奥には確かなワクワクがあった。
鎌倉は、まだまだ知らない顔をしている。
そのことが、たまらなく嬉しかった。




