五.椎名 健
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
IKGビル地下3階にある柔道場の扉を開けると、室内はいつもと違う異様な雰囲気が漂っており、真ん中のコートを囲って人だかりが出来ていた。クロエはヒールを脱いで畳へ上がり、奥へ進んだ。
「ちょっとごめんなさーい」
壁のように立ちふさがる人垣をかき分け中を覗くと、コートの中央にはTシャツにチノパン姿のキリコと、体格の良い男性社員が向き合っていた。興奮した様子で試合を見ている隣の社員に「なにこれ?なにしてんの?」と尋ねると「勝ち抜き戦です。この綺麗な人、すごいんです!」と答えた。
クロエがふーん、と言って眺めているとちょうど次のマッチが始まったらしく、誰かがはじめ!と声を掛けた。
その掛け声が上がるや否や、キリコは対戦相手を両手で突き飛ばした。対戦相手が後ろにのけぞると、キリコはそのまま目に見えないほどの速さで両手を交互に突き出し、体格差があるはずの相手をつっぱりでふき飛ばすと、相手はコートの外に押し出されしりもちをついた。
「…なにこれ、突き出し?」
「この謎の美女、さっきから相撲で十人抜きしてるんです!」社員は小声ながら、ハイテンションで返した。
クロエはそれを聞くと「へーやるじゃなーい。でも、だめね。」とつぶやいた。コートではちょうどキリコに軍配が上がったところだった。
「キリコー!あんたダメじゃない!一か月は安静にしてって、言ったでしょ!」
クロエがキリコに声を掛けると、キリコは興奮した様子で
「クロさん、勝負ていうのは、いつ始まっても全力で向かわんな勝てんのじゃ!」と答えた。
「…あーだめね、ハイになっちゃって。自分のことまるで分かってない感じね、この子。」
クロエは半分呆れ、「ケン!ちょっと、健いる?」と見物の中に向かって叫んだ。
そしてコートの周りで試合を見ている人だかりの中に健の姿を見つけると、「ケン!次、行って!ちょっと、この子、止めてくれる?」と叫んだ。
健と呼ばれたその男性は黙って頷いた。
もはや柔道場は、格闘技イベントのような熱気に包まれていた。驚くほど容姿の整った見るからにか弱そうな女性が、一寸の怯みも見せず自分よりはるかに体格のいい男性を猛々しく投げ倒していく姿は、見ている者を興奮させずにはいられなかった。
健はコートに入ろうとしていた次の対戦相手を手で遮り、目線を送った。健に制止させられた社員は何かを察し、頷くと後ろに下がった。
健はコートの中に入ってキリコに向き合い、一礼した。キリコも一礼で返した。
「はじめ!」という声が響くと同時に、キリコは見えないほどの速さで一歩前に出ると健の顔を思いっきり平手打ちした。パーン!と大きな音が響き、健は一瞬顔を反らせたが、すぐにキリコに視線を戻した。キリコは健の懐に潜ろうとしたが健の反応を見て一歩下がった。
すでに観戦客と化した周りの社員から、おおーと、どよめきが起こった。
「えなに?ビンタ?これ反則じゃないの?」クロエが驚いていると、隣にいた社員は揚々として「張り手っすね!」と説明した。
健は頭を軽く振り気を取り直し、次の一瞬でキリコの視界から消えたようになった。素早く身をかがめ床に手をついた瞬間に足を延ばし、両足でキリコの胴体を挟むと、そのまま床になぎ倒した。キリコが前方へ一回転する受け身を取りながら倒れると、健は間髪入れずに背後をとり、後ろから腕を回しキリコの首を絞め上げた。実に機敏で、無駄のない美しい動きだった。
「おお、すげぇー!躰道と柔道のコンビネーションだ!」クロエの隣で社員が興奮ぎみに声を上げた。
キリコは抵抗しようと試みたが、首に掛けられた健の腕はいつでも自分の意識を落とせる状態にあるとすぐに悟った。やがて「そこまで!」と声がかかり、健の勝ちが告げられた。
キリコの勇敢な闘志と、健の流麗で完成された武芸に感動した社員たちからは、自然と拍手が沸き起こった。
健は立ち上がり、キリコに手を差し出した。キリコは健を感心した表情で見上げると「あたいの名前は薩摩キリコと申しもす。おはんのお名前は?」と言って、健の手を取った。
「椎名 健」と答えキリコの手を引き上げ立たせると、キリコは「おはん、わっぜ筋が良かね。友達にならんか?」と言って、つないだ手でそのまま握手を交わした。
ハヤトは、口から心臓が飛び出しそうなほどドキドキしながら、健の横顔を見つめていた。
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