四.海豚とハンドウ
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ。」
海豚は、会議室へ急いで向かっていた。海豚のすぐ後ろには、タブレット端末を片手に持った秘書の女性が付いて来ていた。
海豚は相撲力士の筋肉部分を全て脂肪に入替えたような体型をしていた。そのため社内の移動は、運動になるようなるべく階段を使用していた。(ちなみに秘書はしゅっとした細身の体形である。)
目的の会議室へ到着すると、海豚は息を切らせながらノックし、扉を開けた。
「お、おまたせー!ひー、ひー。」
そこにはクロエ、キリコ、ハヤトがいた。
キリコとハヤトは会社から支給された「IKG」と刺繡の入った白いTシャツとチノパンに、クロエはゴシック調の黒いレースシャツと黒のレザーパンツに着替えていた。
「こんばんは、院長、ハンドウさん。」
クロエは海豚と秘書に向かって無表情で挨拶した。ハンドウという名の秘書は、お待たせいたしました、と言って頭を下げた。キリコとハヤトは起立し、海豚と秘書のほうを見た。
「こちら、指示書通りに脳機能の修復を終えた、キリコさんとハヤト君よ。」
「キリコ、ハヤト、こちらは海豚さん。肩書はグループ傘下の孤児院で院長やってるだけだけど、極秘のミッションはたいがいこの人から降りてくるわ。んま、三代目の裏ボスっていうところね。隣にいらっしゃるのが秘書のハンドウさん。」
クロエはそれぞれを意味ありげに紹介した。海豚は少し照れ臭そうに笑った。
「わぁ!綺麗なひと!僕、海豚って言います!よろしくね!」
海豚はキリコを見て驚くと、キリコとハヤトに駆け寄り手を差し出して順番に握手を交わした。海豚の手は、汗をかいていたためか、しっとりとしていた。ハヤトは海豚と笑顔で握手を交わした後、さりげなくチノパンで手を拭った。
「おはん様が裏んボスどんですか、お目にかかれて光栄です。」
キリコは笑顔で海豚に挨拶した。
「うん、うん。まずは、二人とも、大変なところ生き返ってくれて、ありがとう。」
海豚は目を輝かせながら二人を見つめた。
「この施設では二人の生活も仕事も、受け入れる準備は出来ているから、何も心配いらないよ。でも一応、確認させてね。二人はこのまま、この会社に入ることを希望する?それとも、外の世界で、普通に生活したい?」
海豚のモットーはあくまで社員の意思を尊重することにあった。そのため愛脳警護では、本人が希望すればいつでも退職することが可能だった。とはいえ、脳機能修復によって第二の人格を与えられた者たちはすでに愛脳警護で自身が果たすべき役割をプログラミングされていたので、入社を希望しない者はほとんどいなかった。無論、キリコとハヤトも例外ではなかった。
「もちろん、おいたちは海豚はんについていきもす。」
「これからも初志を忘れんで精進し、きばり、愛脳警護ん名に恥じんよう、命の限ぃ務む所存でごわす。なにとぞご指導、ご鞭撻んほどお願い申し上ぐ!」
キリコは大きな声ではきはきとそういうと、ハヤトと二人で深々と頭を下げた。
天使のような見た目から発せられる気迫の込められたキリコの振る舞いに、海豚は一瞬気圧されたような気になり、思わずクロエを見た。クロエは眉を高く持ち上げる表情を海豚に返した。
「うんわかった、ありがとう。詳しいことは明日、ハンドウちゃんから説明させてもらうね。」
海豚も深々と頭を下げると、ハンドウもよろしくお願いします、と言って頭を下げた。
—
外周約4キロメートル、面積約60ヘクタール(東京ドーム13個分)の式呉島は、愛脳テックHD株式会社のほぼ私有地だった。敷地の中に本社、グループ会社、ラボを兼ねた診療所、付帯施設である訓練場、社員寮、レストラン、売店などがあり、島全体がひとつの集落のようだった。愛脳テックHDグループ全体では約800名ほどの社員がローテーションで勤務をしていた。
海豚が院長を務める非営利団体の孤児院「式呉院」も島内に併設されていた。式呉院へは、毎年何組かの親が子供を預け入れに来ていた。
―
翌日。キリコとハヤトは午前中、海豚の秘書であるハンドウに案内され島内を一通り見て回った。午後になると、ハンドウは二人を愛脳警護ビル内の道場に案内した。愛脳警護(社名の英語表記I Know Guard)の頭文字を取ってIKGビルと呼ばれる建物には、地下3階から地上12階までオフィスをはじめクリニックや研修室、トレーニングルームなどが入っている。
「社員のトレーニングは毎日行われておりますが、日によって内容が変わります。今は柔道場で徒手格闘と呼ばれる接近戦闘訓練が行われています。」ハンドウはそう説明しながら二人を地下3階へ連れて行った。
キリコはうむ、うむ、おお、なるほど、などと感嘆の声を漏らしながら付いて来ていた。ハヤトはわぁー、ほんとだぁ、すごーい、と乙女のように感動していた。やっぱり入替っているんだな、とハンドウは思った。
柔道場のドアを開けると、緊張感に満ちた空気が漂っていた。中ではTシャツにズボン姿の社員が50名ほど、中央のコートを囲んで座っており、左右から一人ずつ順番に前に出て一対一の試合をしているようだった。
古武道のようなスタイルで細かいルールはないらしく、どちらかが決定打を入れる既の所で、審判役が勝敗を言い渡していた。
キリコは真剣勝負の雰囲気に「おお!」と興奮し目を輝かせた。
すると、一人の社員がキリコ達の存在に気付き、おい…と言いながら隣の社員を呼ぶと、隣の社員はキリコを見るなり口を大きく開け驚いた顔をした。
「なんだ?…すげえ美女が来てるぞ!」
やがてその場にいた全員が、キリコを見るなり動きを止め固まっていった。
ハンドウは今朝から、キリコを連れて歩く途中すれ違う者が振り返ってキリコを二度見するという現象を見てきていた。キリコは化粧をしていないはずだったが、それでもここまで人を釘付けにするとは、と改めてキリコの容姿に感心した。
キリコは道場内にいる全員が自分に注目していることに気づくと姿勢を正して真っすぐに立ち、
「あたいはキリコち申します。こっちにおったぁハヤトじゃ。今日から入社しもした。どうぞよろしゅうたのみあげもす!」
と大きな声で挨拶し頭を下げた。
そして頭を上げると、続けて「あたいも、お手合わせ願おごたっとじゃが、よかろかぃ?」と笑顔で言った。
クロエはラボで、黒いマニキュアの上にトップコートを塗っていた。近ごろ徹夜業務が続いたので、今日はパックでもしてゆっくり過ごそうと思っていたところに、携帯が鳴った。ハンドウからだった。クロエは爪に傷がつかないようそっと携帯を掴むと、通話ボタンを押した。
「あーもしもし、ハンドウさぁん、30分後に折り返していい?いまトップコート塗ってんのよー。」
と言うとハンドウはどうやら緊急だったらしく、早口で用件を伝えてきた。
「…え?…あ、そうなの、あ、わかったわ、はいはい、今から行きますー」
クロエは電話を切り、んもー、と言いながらラボを出て行った。
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