二.愛脳テックHD株式会社
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
江東区の埋め立て地帯に浮かぶ人工島・式呉島に社屋を構える「愛脳テックHD株式会社」は、医療分野のシステム開発を行っている企業である。
そのグループ傘下には「愛脳警護株式会社」という、表向きはセキュリティサービスの警備会社を装いつつ、裏では危険な要人警護や諜報活動などを請け負っている子会社が存在していた。前者がホワイトな優良企業だとすると、後者はいわゆるブラックな裏稼業だということは否定できなかった。
愛脳テックHD株式会社は、機能不全となった人間の脳を修復するという独自の技術を確立していた。
ヒトの脳機能と置換可能な小型マイクロチップデバイスを特殊な技術で人体に埋め込むことにより、「脳死」または脳が部分的に損壊している「植物状態」となった人間の脳機能を正常な状態あるいはそれ以上のレベルに回復させることに成功したのだった。
ところが、脳機能の修復を受けた者はそれまでの記憶が消去され、全く別の人格に為り変ってしまうという側面を持つことが判明し、この技術は実用性がないものとして非公開のままお蔵入りとなった。
やがてどこからか噂を聞きつけ、それでもいいから脳を修復して欲しいという依頼者が少なからず現れた。
彼らは脳死・植物状態の家族を他人としてでも蘇らせ、その者に人並みの人生を送ってほしいと願う者たちだった。或いは、単にかさむ医療費や絶望感から解放されることだけを望む者もいた。
これらの需要を受け、愛脳警護株式会社が新たに導入したのが、脳死・植物状態の人間をその家族から引取り、脳を修復つまり別人に生まれ変わらせた上で諜報要員として自社で雇用するというビジネスモデルだった。
ただしそれを行うには彼らは書類のうえでいったん「死亡」していなければならなかったため、一連の手続きは裏取引の域を出ることはなかった。またこの件に関わった者はみな口を堅く閉ざしいかなる情報も外に漏らさまいとしたことから、その存在はまことしやかに語られる都市伝説のようになっていった。
もとより同社においては、脳死・植物状態の者を引き渡した家族は一切の口外を禁ずると共に二度とその者に会うことは出来ない、という誓約が交わされていた。
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愛脳テックHDの技術開発責任者兼・愛脳警護の役員でもある天城クロエは、自分専用のラボで先ほど引取りに行った脳死状態の男女、紅緒とボディーガードの男性の二人を作業台の上に寝かせ、脳機能修復作業に取り掛かろうとしていた。二人の頭にはていねいに包帯が巻かれ、薄いクリーム色のガウンが着せられていた。
クロエのラボは80平米ほど広さがあり、作業スペースと5人がけソファが置かれた応接スペースがあるほか、中二階に10畳ほどのロフトが付いていた。
ロフトには仮眠用のベッドと大きなクローゼットがあり、黒を基調としたインテリアでコーディネートされていた。
ラボの天井からは外国人アーティストの「プリンス」が印刷された大きなタペストリーがぶら下がっている。そしてクロエ自身もまた芸術家のようなハーフモヒカンのヘアスタイルに赤い口紅、首にはゴシックパンク調のブラックチョーカーを付け、シースルーのトップスに医療用白衣を羽織り、レザーパンツにハイヒールという装いをしていた。ちなみにクロエはXYの染色体を持ち、性別的にはオスである。
クロエは紅緒の首に手を近づけ、うなじの髪をかき上げた。髪の生え際には痣と見分けがつかないほどの、小さな家紋のような文様が焼き付けられていた。続けてペンライトに似たコードリーダーをその文様に当てた。ピッと小さく音が鳴り、作業台に備え付けられているモニターに情報が表示された。
クロエはモニターを見つめるや否や、訝しげな表情を浮かべた。
「ねぇ…本当にこの仕様でいいの?」
もう一度紅緒のうなじをコードリーダーで読み取った。画面には先ほどと同じ内容が表示されていた。
「女だけど~?」
クロエはすぐそばに置いてある携帯を手に取り電話を掛けた。呼び出し音は鳴るが、誰も出る気配はなかった。壁にかかったドクロ模様の時計に目をやると、時刻は午前3時を回っていた。
「あのもーろくじじぃ…。」
そう言って電話を切ると、パソコンの画面でいくつかファイルを開いた。
「あら、でもボスも承認してるじゃない。」
「………」
「………」
「ま、いっか。」
クロエは開き直ると考えるのをやめ、キーボードでコードを入力し始めた。
「なんかの実験?あたし知らないわよ~」
「あ、でも」そういってクロエはキーボードをタイプする手を止めた。
「せっかく実験みたいなことするんだったら、私が温めていたアレ、使ってみようかしら…?」
そして何かいいことを思いついた子供のように、無性にわくわくする気持ちが込み上げてきたのだった。
―
時は少しさかのぼり、日出ふ頭のとある貸倉庫で、高齢の男が作業をしているときのことだった。
男は右手にハンディタイプのレーザー式刻印機を握っていた。刻印機の見た目はスタンガンによく似ていた。基幹システムからデータが自動送信されたらそれを対象者のうなじに当て、暗号化したコードを焼き入れる仕組みになっている。
始めは紅緒のほうから刻印を行う予定だった。男はコードをセットし、紅緒のうなじの髪をかき上げると、酸素マスクをしていても分かるほどの紅緒の麗しい顔つきと、透明感のある細い首筋に目がいき、つい手を止めた。
しばらくの間眺めているうち、突如、男の背筋のほうから制御出来ない何かが猛烈な勢いでこみ上げてきた。男はぶるっと身震いすると我慢できなくなり、衝動的に左手で紅緒の乳房をわし掴みにし、細い首筋に勢いよく吸い付いた。
我を忘れたようになった男の右手から刻印機が滑り落ち、床の上でガシャン!と音がした。男はハっと我に返ると、後ずさりし紅緒と距離を置いた。
50年近くこの仕事をしている中で、商品に手を出したのは初めてのことだった。曲がりなりにもその道のプロとしてやってきた自分が、まさかこんなあっさりと欲望に負けるとは…。男はいつになく動揺し、さっさと仕事を済ませてしまおうと思った。
そして震える手で刻印機を拾い上げると、ボディーガードの男性、紅緒の順に刻印した。
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